2012年1月 1日 (日)

遂に、噂の2012年になりました〜!

明けましておめでとうございます!

遂に、2012年になりましたね。

2012年・・・僕のように、スピリチュアリティを生きる人々の間では、
今年、2012年は、大いなる注目の年でした。

すでに、2011年には、その事象的なエネルギーの前兆が起こると予想していましたが、
それは、あまりに驚くべき、311というカタチとして、起こったように思います。

また、アラブ諸国では革命が起こり、独裁者のある者は追放され、ある者は死ぬこととなりました。
さらに、北の独裁者も世を去ることとなり、ヨーロッパ経済の暗雲や中国経済の失速など、
もう、何が起こってもおかしくないような世界になっているように思えます。

ネガティブな未来を予測する、イメージすることは、それを引き寄せると言えますが、
僕は、決して、ネガティブな世界をイメージしているわけではありません。

どんなに明るい未来をイメージしても、
そうだと信じていても、激流に流されてしまったらどうにもなりません。

川の流れには、穏やかなところもありますが、激流もあります。
時代も同じで、穏やかに過ぎる時代もありますが、激流もあるわけで、

どんなに個人が明るく、豊かな未来をイメージしたとしても、それには限界があります。

激しい激流に飛び込んでしまったら、どれだけ明るい未来へ向かって泳いでも、
その泳力がよっぽどパワフル出ない限り、その激流に巻き込まれていくことでしょう。

考えてみても、人力(じんりょく)では、激流から逃れることはできないでしょう。

この激流は、現在の人類を中心とした意識世界がもたらした現象であり、現実です。

人々が深い意識の中で、どのような感情状態にあるかということが、この現実世界を創造します。

深い意識というのは、潜在意識のレベルなので、顕在意識ではにわかにはわかりにくいのですが、実際に、自分がどのような状態にあるのかは無意識に表れる感情や行動をみればわかります。

そうした人々の意識が、いまの人々の人生や生活を創造し、社会を創造し、それが世界を創造しています。そして、今のような世界になっているのです。

つまり、いま、僕たちが体験している世界は、人類の総和として、
体験したい世界を体験していると言うことです。

もちろん、悲観的な世界なんて誰も体験したくないと思います。
でも、心の抑圧した部分に、怒りや悲しみ、怖れ、執着やプライドなどの感情状態を抱えていると、そのために、結果として、そこからのエネルギーで行動し、自分の現実世界を創造するのです。

ある人は、その感情エネルギーはさほど強くないかもしれません、
ある人は、激しく怒りや悲しみなど、抑圧しているかもしれません。
自分の抱えているネガティブなエネルギーが強いほど、自分の人生という現実は、
そのようなネガティブな世界を自分の人生に引き寄せます。

怖れを抱いている人は、安心、安全を求めるために、
リスクのない社会を創造しようとします。

怒りや執着、プライドを抱いている人は、
挑戦や冒険、競争優位な世界を創造しようとします。

いずれも、自分の満たされなかった感情を、外的な要因によって満たそうとするわけです。

いまの世界を見てみると、いかに、怖れや怒り、執着という感情レベルで世界が創造されているかわかります。

これが、いまの時代の激流です。

僕は、決して、ネガティブな未来をイメージしていません。

僕個人の世界は、いつも喜びに従う生き方を選択し、平和な世界を祈っています。
喜びは愛を包括しています。

2012年は、その激流のピークのような気がしてなりません。
その先は、どうなっているのでしょうか?

もしかしたら、大きな滝が待ち受けているかもしれません。
もしかしたら、川幅が拡がり、深くなって、穏やかな流れになるのかもしれません。
例え滝だとしても、その先は、また、穏やかな川の流れかも知れません。
ステージは異なっているでしょうが・・・

どんなに激流でも、川の両端は比較的激しくはありません。
もっとも激しい流れは、川の中心です。流速がもっとも早いのです。

ここから離れるためには、自分の深い意識の感情レベルがどのような状態なのかを見つめ、
それを手放す必要があります。

激流は、人々のネガティブなエネルギーがぶつかり合い、激しさを増しているのです。
川全体は、その激しいエネルギーに引きずられるように流されていくのです。

いま、これを読んでくれている人は、まず、大丈夫です。
自分を見つめている人しか、これを読んでいないし、そうでない人がこの内容を間違って見たとしても、ここまで、読み進めることは出来ないでしょう・・・

今年は、さらなる激動の年になりそうです。

そんな世界でも、喜びに満ちた平和な世界を創造することは出来ます。

それはなぜか。。。

マザー・テレサやガンジーの生き方を見ればわかります。

どんな世界に身を投じていても、そこには、愛や平和を見いだすことができるということを証明した人々です。

イエスや仏陀もそうでした。

世界を変えることは出来ないかもしれません。
でも、自分を変え、自分の身近な世界を変えることはできるはずです。

内なる平和は、いまの世界を許し、受け入れ、理解すること。

いまという世界がどんな世界であっても、それは、しかたのないことです。
いまの人類世界を構成するひとり、ひとりには、その人の人生があり、選択があります。

そのひとりひとりの人生を通じて、その人は意識的な体験を通して、魂の学びをしているのです。

だから、いまという世界を通して、自分自身も魂の学びをし、すべての人がそうなのです。

2012年・・・何が起ころうとも、それはすべて、自分の魂が必要として体験することです。

自分にとって何が本当の、本質的な喜びなのかを常に自分に問いかけながら、
自分が本当に生きたい人生を生きる時だと思います。

幸せは、そこにしかありません。

人々の意識の総和としての世界が自分にとって必要なのではなく、

あくまでそれはステージであり、舞台装置のようなものです。
その舞台で、どんな人生を生きるのか、喜びを創造していくかが試されています。

自分の喜びとはなにか・・・2012年フォーカスしたいテーマです・・・

S_2
写真は、セドナの中心的なボルテックス、カテドラルロック頂上部からの眺め


1月 1, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月28日 (水)

瞑想についてのお話&瞑想体験会を行います!→岡山

『ワダタツヤの夢を叶える"よろこび瞑想"』
 〜瞑想で人生が豊かに、幸せになる〜


友人のゆうゆさんの主催で、"ひふみ"の日に、僕の瞑想についてのお話&瞑想体験会を行います。瞑想未体験の方大歓迎です。なぜ、瞑想なのか、瞑想の簡単なやり方、続け方など、続けられる瞑想についてお話しします。
ご興味のある方はご参加ください。

以下、ご案内。。。


あなたは、今どんな人生を送っていますか?

その人生に満足しているでしょうか?
幸せや豊かさを感じていますか?

もし、満足していないとしたら、どんなところが、また、どのように満足していないのでしょうか?

幸せや豊かさは、誰にでも、どんな状況からでも得ることができます。
しかし、幸せを感じていなかったり、豊かでないと感じている人も多いと思います。

それは、なぜでしょうか?

豊かさや幸せは、必ずしも、お金や充分なものに囲まれているから感じるのではありません。
欲しい、求めるというのは、自分の心の器が充分に満たされてなくて、それを満たそうとして、求めるのだと言えます。

では、あなたの心の器は、なぜ、満たされていないのでしょうか?

それは、あなたの信じている世界、ビリーフ(信念)があなたの考える価値観を決め、そのビリーフで世界を見ているからです。

ビリーフは人それぞれに異なります。似たようなビリーフを持つ人もいますが、細部や背景は異なります。

似たようなビリーフを持つ人は、共感したり、感性が合うように感じます。

でも、そのビリーフは、本当のあなた自身、魂そのものであるあなたが感じているものではないかも知れません。

ビリーフは、あなたが生まれ落ちて、この世界を生きていく中で、
あなたの親や家族、地域、環境などのビリーフや価値観、文化を取り込んで、あなたのビリーフとなっていきます。

すべての人に、魂の目的があると信じています。

人は、本来、魂の目的を生きるように生まれてきます。

魂の目的を生きる時、人は最高に輝き、人生に満足や充足感を感じ、豊かさや幸せを感じます。
それは、ある人にとっては、経済的な豊かさかもしれません。
ある人には、自由な人生かも知れません。ある人にとっては、貢献かも知れません。

魂の目的を思い出すことが出来れば、本当の意味で、あなたらしく、幸せで豊かな人生への一歩を踏み出すことが出来るでしょう。

あなたの魂の目的は何でしょうか?

実は、瞑想とは、魂の目的を生きるためには欠かせないものといえます。
それは、内なる声に耳を傾け、時に、心の静寂を実現し、心の深淵を見つめることで、抑圧してきた気持ちに光を当て、浮かび上がらせて、溶解させることもあります。

そうすることで、生きるために、その智恵として選んできたこと、
そう信じて、やってきたことなどが、本当はそうではなかったと、気がつくかも知れません。

内なる世界、自分の本質、魂が求めていることに気づけば、人生はもう変わらざるを得ません。

それは、お金や物質による豊かさや幸せとは限りません。

マザー・テレサのように、愛と献身の中に喜びと幸せを見いだした人もいます。

僕にとっての瞑想は、あなたがあなたであるための瞑想であり、
あなたが、最高のあなたを生きるための瞑想と言えます。

より良い人生を送るために、瞑想をあなたの身近なものとしてみませんか?

今回のお話会では、自分の人生、生き方、自分自身を見つめる中で、
自分が日頃どのような価値観やビリーフを持っているのか、
どんな感情の状態で過ごしているのかを見ていきます。

そして、瞑想が人生をより良くするために効果的な理由から、具体的な瞑想の方法や実践までを、短い時間ですが、簡単な方法を指導し、体験していただきます。

ご興味のある方は、ぜひご参加ください。

*********************************************
日 程:1月23日(月)19時スタート
参加費:1000縁(ハーブ茶付き)
会 場:吉備津彦神社なかやま会館 http://g.co/maps/rgbe6
主催:ゆうゆ
参加人数:30名限定
お申し込みはこちらから→
https://asp.jcity.co.jp/FORM/?UserID=mile&formid=119
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クエストカフェ
ワダタツヤ

※僕がお伝えする瞑想方は、誰にでもできるものです。
また、特定の宗教や団体の方法とは一切関係なく、また、そのような組織への勧誘に関わるものではありません。
僕個人がこれまで研究、体験し、実践してきた簡単な方法をお伝えします。
一人ひとりが感じるところを大切にして、それを尊重します。
ですから、安心して、ご参加いただければと思います。

12月 28, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 7日 (水)

ファインディング・ジョー


ファインディング・ジョーという映画がアメリカで公開中です。

アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルが 世界の神話を研究し、発表したことで
アメリカ社会に与えた多大な影響と功績をまとめたドキュメンタリー映画です。

アラン(アラン・コーエン)も出てますね。ぜひ、見たいです!

Finding Joe
http://findingjoethemovie.com/index.php

ヒーローズ・ジャーニーとは、その言葉のごとく、ヒーロー=英雄になっていく旅なのですが、
言ってみれば、ひとつの理想を思い描く、もしくは、現実と本来の自分とのギャップがある場合、
潜在意識は、本来の自分の姿へと戻っていこうと働きます。

そのために、必ず今の現状から自ら離れるか、離れざるを得ない状況が訪れ、
それを冒険への誘いとか言われますが、そうして、安全で住み慣れた、
しかし、満足しない、何か物足りない日常的な環境から、

非常にトライアルな、また、厳しく過酷な体験をして、それがある種の通過儀礼なのですが、
何度も失敗しながらも克服して、最後には、聖杯を手に入れると言うように、
自分が欲しかったもの、理想の状況を手に入れ、成長した人間になって、
日常に戻ってくるという1つの成長の流れを、ひとつの法則として
世界中の神話の物語の中から見いだしたのがジョセフ・キャンベルです。

ハリウッド映画は、このヒーローズ・ジャーニーの法則を巧みに映画作りに取り込んでいます。

スターウォーズ、ロード・オブ・ザ・リングは典型的ですが、
プラダを来た悪魔やユー・ガット・メール、インディ・ジョーンズ、七人のサムライ・・・
まあ、ほとんどの映画ですね。

シチュエーションが異なっても、主人公がサクセスしていく映画などは、
すべてと言っていいくらいこのパターンです。。。

実は、これ、僕たちの日常の中で、頻繁に起こっています。

また、自分を成長させたいという欲求は、新たな挑戦へと駆り立て、
準備が出来たら、いつかは旅立たなくてはいけなくなるわけです。

もし、旅立たなかったら、強制的に、旅に誘われてしまいます。

自分から旅立つか、旅立たされるかです。

例えば、一番最初のスター・ウォーズは典型的です。
ちょっと長いけど、ウィキペディアからのあらすじを引用します。

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遠い昔、遥か彼方の銀河系で…
ジェダイ騎士が滅亡して久しい時代、かつて平和だった銀河系は銀河帝国による圧政下にあった。
そんな中、反乱同盟軍のスパイが帝国の誇る最終兵器であり宇宙要塞である
デス・スターの極秘設計図を盗み出す事に成功した。

銀河帝国皇帝パルパティーンが最も信頼を置くダース・ベイダー卿は
設計図奪還と同盟軍本拠地の早期発見を命じられる。

帝国軍の戦艦に襲われた反乱同盟軍の宇宙船の中には
反乱同盟軍の指導者の一人レイア・オーガナ姫がいた。

レイアは養父の友人のオビ=ワン・ケノービに助けを求めるべく
ドロイドR2-D2に救援メッセージとデス・スターの設計図を託し、
R2-D2は相棒のC-3POと共に船から脱出する事に成功する。

R2と3POは砂漠の惑星タトゥイーンに漂着する。
その後原住生物ジャワに捕まえられバザーに出され、
2体はオーウェン、ベルーのラーズ夫妻と甥の農場手伝いの青年ルーク・スカイウォーカーに購入された。

ルークによって整備されたR2はふとした拍子にレイアのメッセージを再生してしまう。
R2は夜中にラーズ家を抜け出し単身でオビ=ワンにそのメッセージを届けようとするが、
後を追ったルークらと共にタスケン・レイダーの襲撃に遭い、
近所に住む老人ベン・ケノービに助けられる。

ベンはジェダイの騎士オビ=ワン・ケノービだった。
ベンはルークらを自宅へ招くとルークに彼の父アナキンのライトセーバーを渡し、
自身とアナキンの過去を話す。

そしてレイアのメッセージを受けてルークと共に彼女の故郷の惑星オルデランへ行く事を希望するが、
ルークは叔父が許してくれないと断り、ベンをアンカーヘッドの街まで送ろうとする。

その途中ルークらはドロイドを売ったジャワ達が
帝国軍に襲撃された現場を見てラーズ家の危機を察知し、ラーズ家へ駆け戻るが、
既にオーウェンとベルーは帝国軍に殺害され、農場は焼き払われていた。

一人になったルークにはもはやこの惑星に留まる理由はなくなり、
父のようにジェダイの騎士になる事を誓って、ベンとオルデランへ行く事を決意する。

【出典元:ウィキペディア:スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 http://tinyurl.com/6qmzfy】

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このように、農場を焼き払われて、おじさん、おばさんも殺害されたルークは、強制的に旅に誘われます。


今回の東日本大震災でも、実は同じです。

被災された人々は、本当に過酷な状況で、大変なご苦労をされています。

でも、これはある意味で、長い目で見れば大きな栄光を勝ち取る旅でもあるのです。

どのような至福を最終的に勝ち取るのか。。。
それは、もしかしたら、ひな形としての日本という国にもたらすものでしょうし、
東北の地の理想かもしれないし、被災された皆さんの栄光、至福へと至るための試練とも言えます。

ある人は亡くなることで、残った人々に生きる意味や強く生きる力を与え、
ある人は、復興の半ばで亡くなり、バトンを渡す中継ぎ的な役割かも知れません。
それでも、最後の栄冠へのとても重要な役割を持っているのです。

すべてはつながっていて、すべての人は役割があって、
この世に、不要なものはありません。

誰もが、小さかろうが、大きかろうが、ヒーローズ・ジャーニーを歩んでいるのです。
その大きさ、重さに、本質的な違いはなく、すべての人それぞれに、大きな価値があるものです。

ファインディング・ジョーはまだ見ていませんが、
ぜひ、早く見てみたいですね!

12月 7, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 1日 (木)

ナバホの98歳のおばあちゃん→MOVIE

モニュメントバレーをネイティブのガイドに案内してもらった。

ここに生まれ、ここに育ち、電気もない中でずっと暮らしているおばあちゃん。

御年98歳!

糸撚りを見せてくれた。
もちろん、観光コースに取り込まれてるけど、おばあちゃんにドネーションする。
これも貴重な収入源。

家族もこの場所で暮らしてる。羊も飼ってる。
この糸は、羊の毛を刈ってつくる。

おばあちゃんの長生きの秘訣はトウモロコシらしい。

ここではないけど、質素な小屋のような家に暮らしてた。
撮影場所は、観光客向けのホーガン(昔のネイティブの住まい)。
ジョン・ウェインの映画にも出演したこともあるらしい。

案内してくれたガイドのスコット、ネイティブアメリカンだ。

おばあちゃんは、いま世界で何が起こっているのかなんて全く知らないらしい。
静かにここで暮らすのが幸せだと。。。

彼は、仲間とは、ネイティブの言葉を話す。

『ウナテ、マンテッカ、ヤッホ、ウントトバックカァ』

みたいな感じで・・・

ネイティブのこといろんな話を聞いた。。。さすがに彼はその歴史などもよく理解してる。
何年に何々があったとか、そこまで説明してくれる。

それは次回に。。。

12月 1, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 1日 (火)

いらない知識はいらない。

知識は本質の深みでは役に立たない。

知識は理解に役立つけど、下手に使うと、野菜をみじん切りにするのと同じ事になりかねない。

ニンジンって何だろう?

半分に切ってみよう。

ん〜なるほど・・・もう半分にしてみよう。。。

ふ〜む、なるほど・・・

もう半分にしたら?と、どんどん分析していく。

気がついたらみじん切り。。。

その小さくなった断片を集めれば、確かにニンジンなんだけど、
元通りのニンジンンの姿には、二度と戻らない。

ニンジンを半分にすると、どんな内側になっているか、
どんな状態になるか、どんな香りがするかなど知識は増える。

でも、ニンジンの本質を理解するには、もともとのニンジンを食べてみるのがいい。。。

そうすればカラダで分かる。

そうしてカラダで体験し理解したものが智恵となるのだ。

知識は人間にとって、諸刃の剣だということに気がつかなければいけない。

知識を扱う智恵がない。

知識でクルマを運転できないように、体験からしか学べない。

知識があれば動かせる。そうやって動いてるのが原発、資本主義システム、戦争なのかもしれない。

誰も体験したことのないことをやってる。

資本主義システムも、戦争も、常に新しい仕組みが生まれてくる。
誰かの利益のために。。。

そして、原発はまた知識至上主義が生み出したモンスターだ。

誰も経験したことがないことが起こっていて、ほとんど奇跡に頼る仕組みに等しい。

知識は必要だけれど、必要以上に知識はいらない。

必要な人が必要充分なだけ活用すればいい。

でも、智恵は誰にでももてるし、人が生きていく上で、
自然と共存して生きていくための知恵は、本質的には、大した智恵はいらない。

人間が、もっともっとと我欲のために生きるのも、
それが理想的に思える知識故のものだろう。。。

知恵があればそうはならない。。。

ちょっと批判的だけど、自分にいらない知識は捨ててしまおう。。。

何が必要な知識で、何が必要じゃない知識なのかを考えること、それも智恵かな。。。

11月 1, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月28日 (金)

カラダのおもむくままに走る

9月から走り始めたRUNは、いつの間にか走らないと気持ち悪くなってきた。
習慣化してきたってことか。。。。

たぶん、RUNも中毒があるんだと思う。。。

適度な距離を走ると、何とも言えない快感があって、
いわゆる、ランナーズハイだね。。。脳内物質エンドルフィンが出るんだ。。。

昔、あれほど、走るのがいやだった僕も、コツを得た。
何がいやだったかがわかった。

それは。。。

1.走り出すとしんどい。。。当たり前。。。笑
2.足がだるくなる。

この二点が基本的にRUNができない、また、続けられない二大要素のような気がする。

1.走り出すとしんどい・・・は、ゆっくりスタートすることで解決できる。
僕は、昔は、いきなり走り始めてた。
すると心拍数がどんどん上がるので、それがしんどいわけ。

今はどうしてるかというと、気分が乗るまで、どこまでも歩く。
次第にからだが軽いジョギング状態になってきて、RUNへと移行する。

だから、時には2キロも走り出さないときがあるし、調子がよければ数百メートルで走り出す。
走り出すと行っても、ウォーキングを早めていって、次第に軽い軽いジョギングにする。
もう意識してゆっくり走る。後は、カラダに任せて自然にペースを上げたり下げたり。

要するに、心拍数が変化していくときが一番しんどい。
そこを徐々に上げていけば、なんてことない。

走り続けても、心拍数が110~115くらいなら、そのままずっと走り続けられる。
さすがに、130以上になると酸欠になって、呼吸も荒くなるからしんどくなる。


次にしんどいのは足。

これは意外に簡単で、徐々に距離を伸ばすしかない。
要するに、筋肉ができてないから。いきなり無理すると間接も痛めるし、
ゆっくりゆっくりやればいい・・・

僕のRUNは気まぐれを大切にしたい。走りたいときに走るだけ。
気持ちに正直に生きる。走ることに何の責務もないのだ。
走りたいから走っている。この感覚がなくなったら、走るのをやめるべきだ。

自分が気持ちよくなるために走るのであって、健康のためにとか、
ダイエットのためになんてことになると、義務感が生じたり、もうちょっと頑張ろうなんてことになる。

もちろん、それもモチベーションのためにはいいのだろうけど、
僕にはそういうのが合わなくて、本当に適当じゃなきゃだめだ。

適当というのは、でたらめってことじゃない。

いい頃合いであり、いい感じというのが本来のところ、そういう意味で使ってる。


僕は、いつも自分に問いかける。

どう?どんな感じ?歩く?やめる?行けそう?もう少し走るか。。。

自分の中にコーチがいる。
自分の体調に聞くことが最良のコーチだ。

自分は、すべて知っているのだから・・・

僕は走りながら、いろんなもの、いろんなことを発見する。
いま、僕が住んでるところは3歳から住んでいる田舎だ。
だけど、近所をいろんなところを走り回って、意外に知らなかったところ、風景に出くわす。
もちろん、昔からはずいぶん変わったけれど。。。

見たことがあっても、クルマがないとどうにもならない地域だから、
すーっと通り過ぎているのだ。

でも、走ると違う。歩くともっと違う。

あ~こんなとこあったんだ。。。。

人と出会う。田舎だからと言うわけではないけど、
平日の午前中に、いい歳ぶっこいた中年が走ってる。
仕事は?休みか?あまり見ない顔だ。。。

うちから数キロ離れると僕のことなんか知るわけがない。。。田舎でも。。。

そんな中を若作りのおっさんが走る。。。笑

僕は歩きたくなったら歩く、いい景色なら、止まって写真を撮る。
Twitterもする。

いいんだ、それで。

全部自分の喜びのためなんだから。

自分が一番気持ちいいところで生きる。
それが宇宙が計画したところ。。。いつも平和で、喜びある状態とは?
そこに意識を向けながら、人それぞれに、平和と喜びを感じることだけ。。。

それ以外はもう人々は受け入れられなくなっていく。。。

自由とは?愛とは?

自分が一番快適と感じる人生を・・・
自分が生きていい。

それを生きることに罪悪感を覚える必要は無いし、
本当に好きに生きていい。

でも、罪悪感を感じるなら、やめておいた方がいい。。。。

自分が一番快適な状態にいること。リラックスして、平和であること。喜びがあること。

水が高きから低きに流れるように、自然に、あるがままに。。。


Run


10月 28, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年10月27日 (木)

個の時代を超えていくと言うこと

これからの時代に起ころうとしていることは、みんなの意識が拡張して、
共有感が増していくと言うこと。

個を満足させる時代は終わり、個を超えたつながりの中に自分の喜びを見出す。

自分だけが満足するのではなく、他者とその満足や喜びを分かち合うことで、
その喜びは何倍にもなる。

そうした共有感のようなものに価値感がシフトしていく。

一人勝ちや他を圧倒したり、自分だけ所有することへの孤立感を感じ、
持てるものを共有財産として、例えば財団が保有するように、
健全なカタチでその多くを手放す資産家も現れると思われる。

いずれにしても、個に向かった時代は終わり、シェアの時代に移行しているのだ。

インターネットは特にその意味深い象徴であり、
FacebookやTwitterはまさにその現れだろう。

共感によるつながりは、Facebookのいいね!に表れているように、
いいと思う共感のエネルギー。

そして、その共感度が高まれば、それは愛の広がりにも等しいもの。

深いつながりは、自分と他者との境界が希薄になり、所有感もなくなる。
同時に、他者の喜びは素直に自分の喜びとも感じられるようになる。

そうなれば、どんな感じかと言えば、
例えば、料理をするときに10分間で仕上げる場合、
段取りよく一通りの作業をこなさなければいけない。

フライパンに火をかけて、タマネギをスライスするのはまずい。
順番通り仕上げていく。

その10分間の行程毎を、同じところから撮影した1枚づつの写真にして眺めると、
キッチンの中を右へ左へと動き、作業するあなたがいる。

できあがった料理は、このあなたの作業が一つに結実したものだ。

いまのあなたは、一人であり、できあがった料理はひとつであって、
行程毎に作業したあなたや材料ではない。

先ほどの行程の写真のあなたをそれぞれ違う人物にする。
そうすると料理を仕上げるというひとつのテーマ。思い。
考えをもったそれぞれの人が何も言わずに協力し合い、
一つのゴールへと向かうことになる。

これからの世界はこのようなもので、できあがった料理はここだけをみると、
料理を作った課程は見えない。

でも、それぞれの行程でいろんな人が関わってひとつのゴールを創造したと比喩的にみると
シフトする世界というのは、自分という意識を分散して作業しながら
ゴールに向かう料理の行程の中で、実は、すべては自分一人でつくっているんだ。
みんな同じ意識を共有しているんだということが見えてくる。

なんだか、難しい話になっちゃったなぁ〜。。。笑

10月 27, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月25日 (火)

男が書いたノート

男は人生に何かを見出そうと探していたわけではなく、
ただ自分の求めるままに、何となく考え、思いにふけっていました。

思いにふけっていると、何がしかイメージがわいてきて、
それをノートに書き込んでいました。

書き込もうとしても、思い浮かばなければペンを置き、ノートを閉じました。

気がつくといろんなことがそこには書かれていました。
読み返してみると、自分が書いたようにも思えるし、
自分が書いたように思えない言葉、メッセージの数々。

そこには、とてもほっとする言葉がたくさんちりばめられ、
そんな生き方ができれば、心から安心できて幸せになり、
豊かな人生を味わえる、そんな気持ちになりました。

でも、男が暮らしている小さな田舎町では、
そんな生き方をしている人は周りにはどこにもいないように思えました。

男はそれからも小さな田舎町で暮らし、
気が向いたらノートにメッセージを書いていました。
それは、誰のためでもなく、自分のためでもなく、
ただ、書くことは男の癒しにつながっていたようです。

それからずいぶんと年月が経ちました。
人々の暮らしぶりも豊かになり、平和で幸せな町へと変わっていきました。

この小さな田舎町に、最近、ちまたで有名な講演家がやってくるというので、
仲間たちに誘われて、彼も楽しみに聞きに行きました。

このような講演家が小さな田舎町にやってくることはめったにないので、
多くの人が集まっていました。

講演家はさすがにいろんな町で講演しているだけあって、実に話が上手です。
町の人はみんな講演家の話に聞き入りました。

気がつくと、どこかで聞いたことのあるような話がいくつも出てきます。
さて、どこで聞いた話だろう。

講演の後で、男は仲間や町の人と話をしました。
すると仲間たちも町の人も口々に話すのです。

「実は、今日の話、どこかで聞いたことがある話だったんだけど
どこで聞いたかわからないんだ。。。
何だか言い方違うんだが、でも、知ってるんだ。。。」

男は驚きながら、自分もそう思ったと話しました。

翌日、男はいつものように、ふと思いたってペンを取りノートを開きました。

何気に以前書いたところを開いてみると、はたと気がつきました。
昨日講演家が話した言葉を見つけたからです。

ページをめくってみました。
次のページをめくりました。

驚いたことに、そこかしこに、あの講演家の言葉がちりばめられていたのです。

男はノートを持って、仲間の家に行きました。
仲間の家に行く途中で、町の人があちらこちらで集まって何やらわいわい話しています。

何を話しているのかと近寄ってみると、みんなノートを持ち寄り、
お互いに見せ合って、この言葉だ、あの言葉だと話し合っているのです。

ノートはみんなそれぞれですが、男のノートと書いていることは同じようなものです。

講演家の話を聞かなかった人も、その不思議な出来事の話をそばで聞きながら、
うんうんとうなずき、いい話だ、いい話だと耳を傾け、
最近よくそう思ってたんだと目をまん丸にさせています。

みんな誰かに見せるわけじゃないから、ただ、思いつきを書いてただけだと
このノートの意味を深く感じることなく、
ただただ、自分の思いつくままにペンを持ったと言うのです。

男だけではなかったのです。

思い返せば、この数年間、町の様子は一変しました。

男は思い出しました。

以前は殺伐として何の変化もなく、未来への希望すら忘れ去ってしまった町のようでしたが、
男がノートに思いつきを書き始めた頃から町は次第に変化し始めていたこと。

そして、男の人生も、思いつく言葉を書き始めてからより豊かに、
安心で、幸せな暮らしに変わって行ったことを思い出したのです。

仲間や町の人に聞いてみると、ノートに言葉を書き出した人は、
男よりもずっと前から書いていた人もいました。
最近、書き始めた人もいました。

書き始めた時はそれぞれですが、みんな似たような言葉を書き、思いを持っていました。
不思議なものです。

あの講演家はなぜここに来たんだろう?と男は思いました。
彼も、ノートに書いていたんだろうか・・・
みんなのノートに彼の言葉が書いてあったのです。
でも、誰もそれに気づくことがありませんでした。

男は無駄なことを考えるのをやめました。
どうあれ、いま、男は満足していたからです。

人々の暮らしは、人生は、いつしか豊かで幸せなものとなり、
そこには、平和と喜びがありました。

みんな心の中に、平和と喜びを見出していたのです。

男も、町の人も、みんなそれからもノートへ思いついたことを書きました。

気の向くままに、気が向いたときに。。。


10月 25, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月15日 (土)

宇宙の真実を探求するわけ

宇宙の真実を探求する理由。。。

それは、人間として、生命として生まれ持った性(さが)だろう・・・

結局のところ、僕たちは、ひたすらに、
僕たちにしてみれば永遠というに等しい、
宇宙の根源へと還る道を歩いているのだろう。

その道は、あまりに遠くて考えることすら無意味に等しい・・・

それは、僕たちがバクテリアやプランクトンのような
小さな生物だった頃の魂を思い出せないように、

この先何億年という進化の中で、意識的な変容と進化を遂げた僕たちは、
いつしか人間という生命体だったことも忘れてしまうかも知れない。

遙かに進化した生命体、意識的な存在にとって、
僕たちのような肉体を持った存在として生きることは、
あまりに制約が多い。

しかし、肉体的、物質的な制約があるからこそ、
可能になることで、生命の本質や生の本質を理解できることもある。

最新鋭の戦闘機に素人が乗っても、一寸たりとも動かすことができないように、
それを動かすには、高度な理解と訓練が必要だ。

それができない僕たちには、地上でルールのある道を
自転車かオートマチックの普通のクルマで走るのが適当だろう。

永遠にも等しいゴール。宇宙の根源へと還る道すらわからないのに、
魂のコンパスはいつもゴールへと向いている。

自分に設定したナビは、いつもそこへと向かっているのだ。

それは、誰が設定したわけでもない。
自分自身が設定したものであり、それ以外には設定できないナビゲーションだ。

僕たちは、何もしなくてもそこへと誘われる。(いざなわれる)

途中、どんなに寄り道をしても、結局は、そこへと向かうのだ。

言い換えれば、地球上をいくら好きなところに旅しても、
地球は太陽の周りをまわり、太陽系は銀河系の中をまわり、
銀河系は大いなる宇宙を移動している。

僕たちは、地球ごと移動し、一秒たりとも同じところに留まってはいない。

その行き着く先は、究極のゴールだ。

いま、世界は生まれ変わるステージにいる。
それは、生まれ変わって、また、同じ世界を繰り返すのではない。
大いなるシフトの時。

それは世界を見ればわかるはずだ。
でも、その現実を認めたくない人は見ないだろう。
そこに感心のない人もいるだろう。
それはそれでいい・・・

ただ、これから起こることはみんな避けられない。

それは、オズの魔法使いでドロシーとトトが体験したことと同じ。

魔法の国に飛ばされたドロシーとトトが、
オズに会いに、黄色いレンガの道をエメラルドシティへと向かう途中で、
道は3方向に分岐する。

そこに案山子(かかし)がいて、あっちこっちと指さしてる。

どっちに行っていいかわからないドロシーは、
案山子にどっちに行っていいかわからないって言うと、
案山子は、どの道おなじだからという・・・

そう、黄色いレンガの道はどれもエメラルドシティにつながっている。

僕たちは、これと同じような分岐点に来ているのだろう。

どの道を進んでも、結果、究極の宇宙の根源へと向かう。

ただ、その道のり、プロセスはそれぞれに異なるのだ。

果たして、どんな旅がしたいだろう・・・

この先の世界は、あなたが体験したい旅を、体験したい世界を提供してくれる。

どの道に進んでも大丈夫。

あなたが楽しみたい世界に進めばいい。

大切なのは、どんな世界を楽しみたいのか・・・

自分の真実に正直に生きること。。。

そのズレがあればあるだけ、道のりは少し厳しいものになるかもしれない。。。
それを選ぶのも悪くはないけれど・・・

10月 15, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 7日 (金)

アラン・コーエンセミナー最高に充実した時間だった・・・

アランのセミナーが終わり、アランとの3日間は、とびきり充実したものとなった。

一昨日のイブニングセミナー、昨日は1日セミナー、
そして、今日午前中は、アランのスピボイインタビューだった。

最後に、アランとパートナーのディー、そして、今回、一緒にイベントを主催した
ダイナビジョンの百合香さんを空港に送り届けイベントは終わった。

主催者として、イベントの成功は大変充実したものとなったし、
参加者の方々からも大変満足したという声を聞き、
再びアランのセミナーに参加したいとの声も多く聞くことができた。

多くの人が、今回のセミナーをきっかけに、
人生の新しい一歩を踏み出すことにもなったと思う。

自分自身、自分の人生を見つめ直すこともでき、
新たなビジョンも描くことができた。

多くの友人も駆けつけ、参加してくれて、一緒に充実した時間を過ごすこともできたし、
何よりも、アランとの友情を深めることもできた。

昔、アランに言ったことがある。

「アランは、僕のマスターだ・・・」

アランは言った。
「Robin、僕は君のマスターじゃないよ。君のマスターは、君自身なんだ・・・」

この言葉は、僕のマインドセットを変え、その後の僕の人生をも変える言葉となった。

それでもやっぱり、アランは、僕の先生だ。

僕は、アラン・コーエンではないので、アランの同じような人生を生きることは望まないし、
そんな人生を生きることはできないけれど、

アランの生き方や哲学には、深く深く共感するし、
おこがましく聞こえるかも知れないけど、アランと同じように、
深く、心の平安の中に生きることができると信じている。

それは、僕だけじゃなく、全ての人がそうだ。
それぞれの最高の個性、その人の中で・・・

誰かに憧れることもいい。でも、その憧れは共感であり、
その感性を理解することができることは、
実は、自分自身がすでにそこにいると言うことだ。

アランが言う、魔法のマジックテープの原理だ。

感性で共感したものが、いまの自分ではないとしても、
それは、いつかそのようになる。

自分が望みさえすれば・・・

自分はどうしたいのか、どんな人生を送りたいのか。
自分の魂に真剣に問いかけてみれば、きっと魂は、その奥底から答えてくれる。

アランと久しぶりに会って、自分という魂のギターのチューニングができた。

自分が、自分であること。
自分らしく、自分の生きたい人生を生きる。

その時、最高の人生という音楽を奏でることができるのだ。

いま、イベントが終わって、心地よい疲れの中で、ゆっくりと充実感を味わっている。。。

参加された皆さん、ありがとうございました!

そして、協力してくれたスタッフの皆さん、お疲れ様でした&いつもありがとう!

また、開催できる日を楽しみに。。。

10月 7, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)