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2006年7月31日 (月)

屋久島スローライフ

0021_yakushima_umi 屋久島が偉くお気に入りになってしまった僕ですが、
屋久島は、昔懐かしい、古きよき日本がそのまま残っている。そんな感じの田舎です。

日本もいろいろと行くけれど、こんな田舎はそんなに残っていないのではないかな?
人々も素朴で、あたたかくて、そう、すれていないんです。

田舎に行くとあるでしょ、とにかく人が来てくれるのが嬉しくて、
すごく歓迎してくれて、別れ際には、泣いたりなんかして・・・
まるで、ウルルン滞在記・・・

子供の頃は、うちにお客さんが来るってことになると何だかワクワクして、
ふすまの隙間からお客さんを覗いたりね・・・
僕の母は鹿児島の県境の都城出身だから、
屋久島は、島だけど、鹿児島ってことで、親しみもあってね。

島の子供たちは、川でもよく遊ぶんだけど、タカ(屋久島出身)の弟の家の前が、
少し川幅の広い川で、海のすぐ近くなんだけど、ここに県道の橋が架かっています。
地域の子供たちは、ここの欄干から飛び込むんです。
高さは、7メートルくらい・・・たぶん皆さんが想像しているよりも高いです。

バッシャーン!と・・・

僕も、見ていて、思わず飛び込みたくなりました。

弟くんによると、昔から、先輩から後輩に伝えられる儀式、イニシエーションみたいなもので、
屋久島の男の通過儀礼みたいなものだそうで、
ここから飛び込むことで、屋久島の男として認められるような感じだそうです。

深さは十分ありそうですが、透明度が高いので川底が見えています・・・

屋久島は、山は特に雨が多いので、水がとにかく綺麗です。
また、山の森林がとてもよく保たれているため、保水力があって、
河口に流れてきても、土砂の流出による濁った水は流れていません。
だから、海の沿岸も綺麗です。

夕方、ぼんやりと山を眺めていると、山裾の集落から少し離れたところにログハウスのような家があって、
そこは、東京から移り住んだ写真家の家族が住んでいるそうです。
そのように、アーティストや作家さん、芸能関係の人なんかも、
別荘を持ったり、移住したりしているようで、
ここに暮らすっていうのは、どんな暮らしなんだろうなって・・・考えました。

海に囲まれて、日本の島では珍しく、非常に標高の高い山が聳え、
まるでマウイ島とかタヒチのボラボラ島のような、それでいて、日本昔話のなかから飛び出してきたような、
ちょっと湿気のあるムード。もののけたちと島民が自然との境界を引きながら、
見えないルールを守りながら、ゆっくりと暮らしている。
そんな島が、この屋久島なのかなと思うのです。

最近、スローライフやLOHASについて、本気で研究していますが、
より実践的な生き方として選択するそうした価値観は、
屋久島の人たちは、知らないままに、昔からそうして生きているんです。

島民の平均年収は、全国でももっとも低いランクにあるようですが、
自給自足でもあるので、そんなに苦労はないようにも見えます。

競争はしない。分かち合い、助け合って生きる。
こんなことは教えられなくても、小さな島で暮らす人々にとって当たり前のこと。
声高にLOHASだ、スローライフだなんて伝えないといけなくなった日本。

もっとみんな考えなきゃね・・・

7月 31, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月30日 (日)

ワロが出た・・・

ワロってなんだと思います?
屋久島では神隠しの話が良く出ますが、昨日も書いたように、
現代でも、よくある話だそうで、

屋久島出身の友人のタカは、子供の頃不思議な体験をしました。

夕方、お母さんからのことづけをもって、家から数百メートル下ったおばあちゃんの家に、
弟と二人で手をつないで出かけていったそうです。
狭い一本道で、昔は、草や木が鬱そうと茂っていたそうです。
しばらく歩くと、一台の車が登ってきます。

クルマが横に止まると、うち路のドアが開いて、見るとおばあちゃんが乗っています。
おばあちゃんが、二人に「はよー乗らんね」といって、
クルマに乗ることを厳しい口調で言ったそうです。

でも、おばあちゃんに用事があったのだけど、タカは、なにやら気が乗らなかったらしく
ふと運転席を見ると、親戚の自動車屋さんのおじさんが、運転席にいるのですが、
頭の辺りが、なんだか暗くて、よく顔がわからなかった印象があったようです。

結局、タカと弟はクルマに乗らないと言ったら、クルマは山の方に向かって走っていったそうです。
しかし、その道を先に進んでも何もなく、山に入っていく道しかないのです。

しばらく歩くと、親戚の自動車屋さんがあって、ふと見ると、
さっき運転してたはずのおじさんが、クルマの下に潜り込んで修理しています。

あれ?と思ったタカは、さっき、おばあちゃんと一緒だったのになんで?と聞いたら、
ずっとここで仕事してたと言ったそうです。
不思議に思いながら、おばあちゃんの家まで行くと、
なんと、おばあちゃんもうちにいるではありませんか・・・

おばあちゃんに聞いたら、おばあちゃんもずっと家にいたそうです。

おばあちゃんに話すと「ワロが出たなぁ・・・」と言ったそうです。

もし、タカと弟があのクルマに乗っていたら、神隠しにあってたかもしれません。

まさに、千と千尋の世界です。

タカの実家に行くときに「ここだよ」と現場を見せてもらいました。
話を聞いていたので、なんだか少し気味の悪い感じがしましたが、
近くに、新しい道ができていて、今ではそんなに鬱そうともしていませんが、
ここなら、何でも不思議なことが起こりそうだと感じました・・・

屋久島は、昔ののんびりした日本が残っていました・・・

09_yakushima_river_tashiro_bekkann 08_yakushima_river

7月 30, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月29日 (土)

屋久島の不思議な話

岡山に帰ってきました。

屋久島でのフィールドワークは、あっという間に過ぎてしまいました。

昨日、屋久島で書いたブログ、縄文杉はそもそも樹齢はいくつでしょう。
書いてなかったね。
一般的に言われているのが、7200年と言われています。すごいですね。
ぶっとい幹ですが、下の方は空洞になっているようです。
04_wilson その他の古くて大きな杉も、下の方は空洞です。
豊臣秀吉の頃に切り倒された、ウィルソン杉(後に学術調査に訪れたアメリカのウィルソン博士が発見)
ここも、縄文杉の道中にあるのですが、ここは切り株(といっても腰掛けら05_wilson_inside れる大きさではなく、中に入れる家のような大きさです(写真))も、このように空洞なのです。

屋久島でも、屋久杉といわれる樹齢1000年以上の杉は、標高1000メートル以上の場所にあって、台風や雪など、過酷な自然環境の中で、実に数千年も生き抜いたこの杉たちは、やはり、人間に比べて、遙かに神々しい存在なのです。
何しろ生き証人だから・・・

こうして、老木(そもそも老木といって、おじいさんかどうかわかりません。寿命がわからないんだから・・・屋久杉は、調査によると最近元気になっているようです)たちの前に立つと畏敬の念にかられます。
あ~僕たちはちっぽけな事に惑わされて、何やってるんだろうなって・・・

この縄文杉が見つかったのは、昭和41年5月に岩川さんという屋久町役場の職員さんが発見。それまでは、大王杉が一番古いものとされていました(推定3000年~4200年)。
03_diousugi これが大王杉・・・

そう考えると、もしかすると、密かに生き続けている巨木もまだあるのかも知れません。

何しろ、人が入ろうにも、山そのものは、ルートをはずれると非常に危険だし、すべての山を細かく調査することも現実的には難しいようです・・・

01jyoumonsugiroot_1 縄文杉が見つかって、この杉が傷つけられたり、にぎやかになってひっそりと生きられなくなった縄文杉の事を思い、この岩川さんは、発見を後悔したそうです。

02_jyoumonsugiroot_2 でも、大自然の驚異、力強さ、人知を越えたその存在が知られたことは、我々人類にとっても、この情報こそが大きな遺産だったと思います。
また、今という時代に、必要があって、知られた、そう、これこそシンクロニシティなのです。


さて、屋久島では、地元の人は、昔、山や海に入ることはほとんどしませんでした。
山や海は神様の住むところと信じられていたからです。

そんなことから不思議な伝説がたくさん残っています。

屋久島出身の親友タカから聞いたのですが、(ちなみに、今日のブログは長いです)
彼の家の裏手の山が、鉈折山(なたおれやま)といって、不思議な話が伝わっています。

ある木こりが、鉈を持って山に入っていきました。
しばらく行くと、少し開けたところがあって、よく見ると、
切り株を挟んで、二人の老人が何かしているのです。
何だろうと思って近くに行ってみると、老人たちは、切り株を碁盤に、
囲碁を楽しんでいたのです。
こんなところで妙だなと思いながらも、碁が大好きな木こりは、
老人たちの所に行って、勝負を見ると、これが名勝負。
鉈を切り株に立てて、柄の部分にあごをのせるようにして、
二人の接戦を観戦していました。
そして、最後の一手で勝負が決まったときあごが「ガクンッ」となって、
老人たちは消えてしまったそうです。

そして、気がつくと、先まであごをのせていた鉈は、さびて腐って折れてしまったのです。

不思議なことだと思いながら、日も暮れかかっていたので、
山を下りてきました。

すると、なんと、村では、その木こりの葬式をしているではありませんか。

木こりが山に入って、行方不明になって、人々は死んでしまったものだと思い、
葬式をしていたのです。

どうですか?不思議な話ですね。少し、浦島太郎に似ています。

こういうのもあります。
これは、縄文杉ルートや屋久島の男前ガイドさん、渡邊剣真さんに効いた話です。

山に、人々を怖がらせたり、殺したりする化け物がでるというので、
あるガキ大将が、本当にいるかどうか俺が調べてやるといって、山に入っていきました。
すると、その化け物が本当に現れて、そのガキ大将は、殺されそうになりました。
その時、機転を利かせたガキ大将は、なんとか話し合いをして、命を助けてもらいました。
その化け物は「ここであった話を絶対に人に話してはならん!」といい、
「もし、どうしても、この話を誰かに話したいときは、話した後に、この箱を開けろ」と言って、彼に小さな箱を渡しました。無事、村に帰ってきたガキ大将は、結局、
どうしてもみんなに話を聞かせたくて、話してしまった彼は、話し終わって、その箱を開けました。すると、中からその化け物が出てきて、ガキ大将は、食われてしまいました。

何とも、気味の悪い話です。

実は、最初の話に似たような話が、10年くらい前にあったそうです。
この話は、3年前に亡くなった実在の人物の体験談で、
その人は、私が会った人の知人でした。地域の人の間では有名な話だそうです。

その人は、蘭が好きで、山に野生の蘭を獲りに行ったそうです。
山の中で、蘭が群生している所を見つけて、採集しようとしたら、
そこに男の人が現れて「これは俺の蘭だから獲っちゃだめだ」
「もう少し先にもっといい蘭があるからついてこい」と言われて、
彼はついていったそうです・・・
彼は、水の中を歩いて、いろいろと歩いて行った先に、
素晴らしい蘭の花園に行ったそうです。
そうして花をいただいて、山を下りて来たそうなのですが・・・・

実は、彼が山に入って、すでに3日が経過しており、家族の方や地元の方々や消防など、
みんなで山を捜索していました。そこに、ひょっこり山道に現れたそうです。
大丈夫かぁ!という言葉に、みんなどうしたのかときょとんとしていたそうで、
蘭を取りに行ったと、背中のリュックの蘭を見せようとしたら、
蘭は一本もなかったというのです・・・

不思議で、ちょっと怖い話でしょ・・・
でも、これは実話らしいです・・・

こうした話を他にもいくつか聞きました。

さすがに、神々の島です。
家の中もどこも明るくて、街中では、夜眠ることを知りません。
神々が忘れ去られて、こんな不思議な伝承すらなくなっていますが、
屋久島では、いまだ、こんな伝承があり、不思議な現象が起こったりしているようです。

06_jyoumonsugi_tour_last_sun_set たぶん調べてしまえば、原因は別にあるのかも知れませんが、
こんな日本昔話のようなちょっと怖くて、何だか懐かしいようなお話しは、
そんなことがあったんだね。。。と、そっと大切にしていきたいなと思います。

屋久島、奥が深いです・・・

7月 29, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

縄文杉

いま、屋久島に来ています。
といっても本日、夕方帰るのですが・・・

一昨日、縄文杉を見に行ってきました。
イメージでは、ルートが整備されて、気軽に見に行けるように感じていましたが、
そんな甘いものではありません・・・

宮の浦に泊まっているので、まず、登山道の入り口まで、1時間。
そこから、昔、屋久杉を運び出すために使われていたトロッコの軌道を
3時間歩いて、そこから本格的な山登り・・・・
どんどん高度を上げていくと、樹齢数千年の古代杉がいくつも現れます。
2時間以上歩いて、ようやく縄文杉に到着します。

朝、5時にホテルを出発して、帰ってきたのは6時頃。
丸一日歩き通しで、なかなか疲れました。
カズ、ケイの友人2人とガイドさんをお願いして歩きましたが、
登山口に行ってみると、100人以上が縄文杉を見るために、登山の準備をしていました。
この日、実際に縄文杉を見に登山した人は約200人だったそうで、
過去に、多い日は600人くらい登ったといってました。

この数だと、実際に歩いてみた感じから、休憩やお弁当など、ゆっくりできる
スペースを確保するのが困難です。

登山道も整備されて、世界遺産の森を傷つけないように、できる限りの配慮が為されていますが、
それでも、昨年は、縄文杉の裏側にナイフを入れて、傷をつけた人がいたそうです。
どういう神経をしているのかなと思うのです。

Yakusugi 古代からの杉は、縄文杉だけだと思っていたのですが、実は、弥生杉、大王杉など、
数千年レベルの杉は、まだ、かなり残っていていましたが、
それでも、縄文杉は、やはり相当大きなものでした。

その昔、豊臣秀吉やその時代にも、巨木を切り倒して京都の寺院の床材などに使われているそうですが、
それにしても、よくあの時代に、切り倒し、その上、あんな大変な場所から運び出せたなと、
つくづく感心しました。

木は、細かく現場で加工して、人が背負子で背負って、少しずつ運んだそうです・・・

この古代の森に、たくさんの人が訪れることは、自然を理解する上で、
とてもいいことだと思うのですが、やはり、この森を大切に扱おうとする配慮がなくては、
ただの観光ルートになり、森はダメージをうけていきます。

屋久島は、とても特異な島です。
小さなイメージがありますが、意外に大きな島です。
周囲を車で走ると約2時間かかります。

この島に、1500mを超える山がいくつもあり、最高峰は1935m。

冬は雪で山は冠雪し、海からの高山にぶつかった湿度の高い空気は雲となり、
多量の雨を降らせます。
その雨量は日本一で、年間東京都の3倍も降るそうです。

たまたま、友人の父が屋久島(上屋久町)の町長で、町長とお話しする機会があったのですが、
いまは、200人弱の正規のガイドさんが活躍していて、
今後は、この自然を守るために、屋久島独自のパークレンジャー制度など、
この分野で進んでいるアメリカやオーストラリアの自然保護の仕組みを取り入れるなど、
積極的な動きが必要ですねとお話しすると、
実際に、世界遺産の屋久島をいろいろなカタチで保護していくプロジェクトや計画があるそうですが、
実際に動かして行くには、お金やスペシャリスト人材など、問題も多いようです。

ホリエモンや村上ファンド問題に見られるように、
お金はあるところにはあるというのに、自然を守るために、お金は集まらない。
悲しい限りです。

自然だけでなく、島の人々との交流など、屋久島のことはこの数日だけで、
ものすごくたくさんの情報をいただいたのですが、
やはり屋久島は、みなさんにも一度体験して頂きたいです。

ぜひ、機会があれば、この大自然を味わってみてくださいね。

7月 29, 2006 心と体 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年7月25日 (火)

2010

477710421401 いま、話題になっている本、メガトレンド2010を読みました。
はっきり言って、身震いした。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4777104214/503-9119084-4319930?v=glance&n=465392&s=gateway

それは、怖いという身震いではなくて、やっぱ本当にそうなってきてる。
いや、元来そういうもので、気づきの速度が加速されてきているということ。

そんなこといっても、何々って感じでしょう。

この本のテーマは、新しい資本主義をつくる7つのトレンド。

新しい資本主義!?なんてどういうことって思う人もいるかもしれない。
民主主義、社会主義、共産主義、資本主義もなんだかわからない人は、
インターネットで調べてね。

いま、私たちが生活の基盤としている世界は資本主義です。
実は、これまで行われてきた共産主義の実験も、正確には、資本主義をベースにした
富の再配分システムだったわけで、富あるところに、人間のエゴがからみ、
そこに必ず腐敗が生まれるのです。

お金というのは、水の流れと一緒で、流れないところには淀みができて、その水は腐るのです。
お金もそうで、お金を持っている人はしっかり使って、社会に還元する。
そうすればエネルギーの滞りは起こらないのですが、お金を貯め込む人が多いので、
ここに経済循環の問題も起こってくるのです。

あー、この話をしていると2010の話が書けない・・・

さて、この本の衝撃は、ある意味衝撃でもなんでもないのですが、そんな時代が本格化してきているというお話し。
資本主義は早晩崩壊すると言われ続けてきました。じゃあ、その後はどんあ世界になるの?
僕もそんなことをずっと考えてきました。

それについて言及するだけの知識は持ちませんが、言えることは、新しい資本主義がやってくるということです。
経済の仕組みは基本的に物資の交換をお金や交換価値のあるシステムでまかなうことは同じでしょう。
ただ、交換する時の思いや考え方、感性、意識の内的な変化が起こっているということです。

19世紀までは、富はいわゆる貴族階級や教会に集中し、その他の人々は貧しく、苦しい生活をしていたわけですが、20世紀に入り、ブルジョワといわれる、産業革命時に、大量生産の仕組みができて、それに伴う、様々な産業が急速に発展し、会社経営で大金持ちになった人々が台頭し、過去の貴族や王族をも揺るがす力を得た人々が続出、しかし、富は貴族、ブルジョワに集中し、富めるものは富、貧しいものは貧しく、この格差は大変なものでした。

そして、今日、多くの人々は、豊かな暮らしを手にするようになりましたが、
持てるものは、さらに莫大な富を手にしています。

これらは、資本主義の象徴的なかたちで、結局はゼロサムゲームなのです。
世界中の富は、全世界のGNP、つまり、世界でどのくらいものを生産できるのか、
その限界値があるわけです。同時に、現在世界にあるすべてのお金、富は、
いまの世界の経済循環のしくみの中でバランスのとれた量以上には生めないのです。

それは、なぜかわかりますよね。そのバランス以上にあると、世界はインフレになるわけです。

その世界中にある富を誰が自分の手に引き寄せるのか。
これがゼロサムゲームです。

こうした世界は、いつか崩壊するだろうと考えられています。
こうした仕組みが次の次元に行かなくては、世界が真に豊かにならないからなのです。

でも、富めるものが貧しきものに、富を分け与えればいいという簡単なものではないのです。
それは、もっと深いお話しで、貧しい人々が何故貧しいのかを考えなくてはいけません。
教育の問題もあるだろうし、価値観や文化の問題もあります。もっと言えば、前世のカルマもあるでしょう・・・

ここで、時代を変えるトレンドが、意識、精神性、スピリチュアルなのです。
そして、この2010は、これらを最大の波として、予測しています。

ユニークなのは、いま、非常に注目を集め始めている企業では、
経営者の能力、素質以上に、社員の中に精神性の高い人がいるかいないかが、
会社の業績に影響し始めているということなのです。

これは、注目すべき内容です。
会社で、瞑想を取り入れ、精神のバランスを養い、心を癒して、人間関係やコミュニケーションを
向上させて、業績へと結びつけている企業が増えています。

新しい資本主義をつくるトレンドとして、
1)精神性の力
2)意識の高い資本主義の夜明け
3)ミドルからのリーダーシップ
4)精神性がビジネスに与えるインパクト
5)LOHAS的消費トレンドが与える影響
6)スピリチュアルこそが企業の業績を上げる
7)あなたの投資が次世代をつくる

これだけ聞いてもすごいと思いませんか・・・
特に、僕のブログを読んでくれている皆さんには、ワクワクする世界だと感じていることでしょう。

このように、新しい資本主義というのは、人々の意識が変えていくのです。
それは、物質に依存するまたは、物質的満足を追い求める世界ではなく、
精神的充足への価値観への移行、ものではなく関係性や心の癒しこそ、
ニーズとウォンツの最大のファクターになりつつあるということです。

もちろん、そうした世界になるには、あと10年いや30年くらいかかるかもしれませんが、
少なくとも、確実に、世界はそこに向かっています。

皆さんが、何か商品を選択するとき、なぜその商品を買うのか・・・何が基準なのか、
何を満たそうとしているのか・・・どんな感情を得たいのか・・・

その価値観が大きく変わりつつあるのです。

だから、僕たちは、クリエーターとして、生産者として、何を生み出し、提供していくのか、
そこがとても大事になるのです。

そのためにも、意識を高めていく、自分を見つめていく。
僕たちに、もっとも必要なことだと思います・・・

7月 25, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年7月24日 (月)

腰布のガンジー

ユニークな話を思い出しました。

ガンジーがイギリス総督主催の晩餐会に招待されたとき、ガンジーはいつもの格好で出向きました。
そう、腰布一枚です。

会場に到着しましたが、その身なりのために、入り口にいた案内係が中に入れてくれなかったのです。

ガンジーは家に帰ると、使いの者に総督宛に小包を持たせてやりました。

その中には、スーツが入っていて、受け取った総督はすぐにガンジーを訪ねて意味をたずねたのです。

するとガンジーは答えました。

「私はあなたのパーティーに招かれましたが、この身なりのために、中にはいることを断られてしまいました。ですから、私の代わりにこのスーツに行ってもらいました」
総督は謝罪して彼の出席を懇願したそうです。

ロンドンでも、腰布だけで国王や女王陛下の前にでたそうです。

見かけって何でしょう。
人は見かけに左右されやすいものです。
それは人だけでなく、環境も同じです。

外見よりも中身だと言って、ガンジーのように振る舞うことは難しいでしょう。
あくまで、ガンジーは貧しいインドの大衆の仲間であることを示していたのです。

カタチよりも常に中身を大事にしていきたいと思うのです。

相手がどんな人であれ、その人の本質に近づくことが大事。
自分自身、魂の本質を表現していきたいと願っています。

7月 24, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月22日 (土)

気づきとは・・・

火薬は一度の火花で発火する。
木炭は短時間加熱させる必要がある。
濡れた石炭はまず乾かし、燃え始めるまで長時間加熱させなければならない。

シュリー・ラマナ

7月 22, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月20日 (木)

集中豪雨

それにしても、よく雨が降ります。

雨が降ると、よく浄化されるというのですが、これほど降るのだから、
すごい浄化の雨なんですね。

この雨で被害に遭われた方々もいるので、こんなこともいってられませんが。。。

明日も相当降るようで、いつまで続くのか、土曜には、12番から13番までの
やり残したお遍路をしなくてはいけないので、雨降りの25キロは辛いな・・・
その時は中止かな・・・

ここのところ、スピリチュアルな動きが加速していて、
どうも現実世界とのバランスが傾いているので、修正したいのだけど、
ヨガを本格的にやっていると、どうもこれまでの生き方に戻ろうにも
戻れなくなりつつあります。

まず、価値観はよりシンクロニシティベースに、
出来事は、自分が引き寄せている。
どんな出来事にも宇宙の法則が働いていて、起こる現象は、自分が過去に起こした結果として現れている。

そうして見ていると、やはり、すべてそのようになっていて、
だから、今やるべき事に注意を払うのですが、
そこが、コミットできていないことだと、どうも中途半端な結果になりがちで、
これはよくないと思うわけです。(あたりまえだけど・・・)

そうなると、もう、コミットできてないことはできないし、
やってはいけないということになります。

自分が中途半端に動くことで、本来動くべき人たちのじゃまをしていることになるのは
本当に迷惑だなと・・・

では、自分が一番コミットしていることに集中するなら何だろう。
もう、完全なコミットがないものをすべてやめて、
その中から、上位優先順位の3つのみに集中するとすれば・・・

僕の場合は、かなりのことを辞めなくてはいけない・・・

しかし、こうして、多くの人は、いろいろなことにエネルギーを分散させて、
肝心なことにエネルギーを集中できないんだなと、あらためて思うのです。

虫眼鏡で光を集めるように、レーザー光線のごとく、
エネルギーを集中させて、物事にあたるなら、万事できないことはないでしょう。

でも、あちらこちらに使っちゃうんですね。

よっぽど、生まれながらにして、大きなパワーの持ち主は、
たくさんのことを並列処理でこなします。

だけど、僕のように、あまりエネルギーの高くない人間は、やはり、効率よくいかないとダメなわけです。

アポロ13(じゅうさんじゃないですよ、サーティーン)の映画で、
宇宙船が、わずかな電力で危機を脱するシーンがありましたが、
まさに、やる順番やエネルギーをかけるものの選択は重要で、
そのためには、どこに行くのか、何をしようとしているのかを明確にしなければいけないし、そのために、わずかな資源をどのように使うのかとても大事です。

とすれば、やはり、何にエネルギーを使うのか、どういう結果を得たいのか。
そこが定まらないと上手くいきません。

この結果とは、もっと深く言うと、結果から得られる気分だったり、感情だったり、
どんな気持ち、満足感、充足感などのフィーリングや癒しなんです。

そこをどのように得たいのか。ここから逆算していくことになります。

アポロは、とにかく生きて地球に帰還することでした。
でも、生きて帰るだけでなく、飛行士たちが家族のもとに帰り、
元通りの幸せを得ること、それ以上に幸せになることが目的になれば、なんとしても帰るわけです。

もちろん、このミッションに関わった人たちは、それぞれに目的、得たい結果が生まれていたでしょう。

この気持ちがひとつになって、奇跡を起こしました。

では、僕たちに奇跡を起こすにはどうしたらいいでしょうか。

みんなそれぞれのミッションに向かって、みんなでひとつのエネルギーになって
互いに応援し合って、人生の成功、人生の成就というゴールに向かっていく。

集中することに集中しましょう。

7月 20, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月18日 (火)

サイバネティックス

サイバネティックスって知ってますか?
サイバネティックスとは、生物が手とか目、耳などの感覚器官から外界の情報を集めて、
それをまた手や声などを通じて、外界と関わることのようなものなのですが、
定義はいろいろとあって、ここではそんな事を論じる必要はありません。

そのサイバネティックスですが、この研究のお陰で
今のCG(コンピューターグラフィックス)はとても自然な動きができるようになったのです。

昔のCGはまるで操り人形のように、歩くときは足だけが動く、または、
手を振るくらい、何だかぎこちない動きをしていました。

でも、人間はそんな歩き方はしません。
例えば、右腕を上に上げてみてください。
上げましたか!!??

「宣誓!我々は、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」

というわけではなくて、右腕を挙げると肩が持ち上がり、脇腹が開き、
背骨が左へ曲がり、骨盤も傾きます。
細かくいうときりがないくらい、体のあちこちが同時に動き、変化します。

ヨガをやっていると、それを細かく観察していきます。
いつもはこのポーズで、なんでもないのに、今日はふくらはぎの下の方が引きつるとか、
首が回りにくいとか・・・

それって何が原因だろうって考えるんです。
理想の状態をイメージしながら、ゆっくりストレッチする。
そうすると、段々と柔らかくなってくる。

体の動きの対して、実は痛いところ、動きにくい所が直接の原因ではなくて、
もっと別のところが原因で、ある場所にストレスが来ているケースもよくあります。

サイバネティックスは、すべて連関しあって、動きを制御します。

たくさんの体の動き、筋肉や関節の状態のデータを収集し、それをプログラムに組み込むと、
とても自然な人や動物の動きになるのです。

このサイバネティックスは、ある意味で自然の法則です。
風が吹けば桶屋が儲かる。
アマゾンで蝶が羽ばたけば、ハリケーンが起こる。

アイスクリームを食べながら、ヘッドセットで携帯電話しながら運転する。
これだけでも、スゴイ芸当です。でもこうしたことをやってのける人間の処理能力はスゴイ。
飛行機の着陸時、フライトシュミレーターをやった経験から思うのですが、
大型旅客機は、重さもあって、着陸までにやらなければいけないことがたくさんあります。
突風は吹くし、エンジンは調整しなければいけない。フラットは下げる。
エンジンの状態を把握する。無線で交信する。操縦桿を調整する・・・・

会社の経営も同じで、プロジェクトを進めることは、やることがいっぱいです。

でも、これら分解していることを、当たり前のようにやってしまうのです。

すべてはつながっていて、原因はとことん突き詰めていけば、フラクタルの迷宮に入り込みます。

ある殺人事件が起こって、犯人の動機を調べます。
橋から落とした、殺意があったなどわかっても、どうして、その犯行に至ったのか。
なぜ、そのような人生のひずみに至ったのか・・・

追究すれば前世まで行くことでしょう。

人間関係もサイバネティックスです。
なぜ、あの人と上手くいかないのか、それは、あるパターンに反応してしまう自分があるからです。
それは個性なので、そこを変えるというのは、並大抵のことでは無理です。
ただ、意識のレベルを高めることで変化してきますが、そのためには、受け入れる力、
受け取る力が十分できないとうまくいきません。

サイバネティックスは、起こっている現実だけをみて物事を判断するのではなく、
その周囲で何が起こっているのか、もっと現象を深く見ていくことの大切さに気づかせてくれます。

今度、ハリウッドのCGを見るときは、サイバネティックスがいかにうまく働いているか、
それを意識しながら見てくださいね。

7月 18, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月17日 (月)

日本沈黙

今日は、沈黙の日。
のはずだったのですが、朝、カミさんが「ねえねえ・・・」の一言に、
「え・・・」で、沈黙は破られました。

昨日から、今日は沈黙の日にするから、伝えることはメモで協力してねって言っておいたのですが・・・
何事も周囲の協力が必要です。

沈黙の日は、次回にすることになりました。
しかし、朝起きてから、それまでの約2時間だったのですが、それだけでも沈黙はなかなか難しいものです。
ガンジーは週一日、沈黙の日をもうけていたようですが、会社のスタッフが言ってたのですが、
ワコールだったか、会社で午後3時から5時までの2時間かな???
黙って仕事をする時間をもうけたら、ものすごく効率が上がったという話を聞きました。

沈黙すると、内側にエネルギーが向きます。
ただ、しゃべらない、声帯を使わない。それがいかに大変なことか。
エニアグラムで有名な鈴木秀子先生は、カトリックの特別なシスターになるために、
8年間も沈黙の行をしたといいます。この話は、エハンのホムペで、
リアルエイジビデオの無料版の中にあるので、見てください。
http://www.echan.jp/

ところで、昨日夜、カミさんと映画、日本沈没を見に行きました。
うちの近くにTOHOシネマズのシネコンができて、うちからなんと15分の距離。
もう、映画を見ろって感じで、これまで夜は30分、昼間なら45分近くかけて、
倉敷のシネコンまでいってたのですが、設備もよくて、一昨日オープンしたばかりなので、
快適そのものでした・・・・

さて、日本沈没はなかなかのエンターテイメントでした。
この映画には、いろんな思い入れがあって、小学校の頃、最初の日本沈没がありました。
この映画は、主演が仮面ライダーの藤岡弘主演でした。

子供ながらに、この映画はショックで、本当に日本は沈没すると信じていました。

原作は小松左京ですが、一作目の映画は、この原作に忠実で、
主人公の藤岡弘扮する小野寺は、最後は傷だらけになりながら、からくも日本を脱出。
オーストラリアだったか、アメリカだったか、日本人の難民を乗せた長い貨物列車の
シーンで終わったような気がします。

20代の前半に、あらためてビデオで見ましたが、破壊のシーンばっかりで、
ゴジラ映画の延長線にも見えたような。

何しろ、この主人公は潜水調査艇の操縦士なのですが、
この潜水艇の名前が・・・「わだつみ」なのです。

「わだつみ」とは、日本の海の神様ですね。「海神(わだつみ)・ネプチューン・ポセイドン」
実は、私の本名は・・・・和田辰己といいます。「わだたつみ」なんです。
シンクロでしょう!

日本沈没はTVドラマにもなって、毎週日本のどこかの都市が壊滅していくという、
まるで、水戸黄門が各地を旅して、それで視聴率を上げるというような戦略ですが、
このTV版の主人公・小野寺は、村野武則でした。
潜水艇の名前は、ケルマティッック号。
ケルマティック海溝から名前をとってますね。なんで名前を変えたんでしょうね。

そんなわだつみ号ですが、今回の新作では、草彅剛が小野寺役でした。

彼のジャケットの背中には、わだつみクルーのマークがあり、
WADATSUMIと書いてあるのです。
WADATATSUMI・・・どうですか?
なんだか、他人とは思えない・・・

でも、このわだつみ号。日本を救うために過酷な運命に・・・
さて、わだたつみ号はどうなるんでしょうね。

リメイク版は、ちょっと、ちょっと、ちょっと~って感じのところ多数なのですが、
特に、草彅剛 がクライマックスでヘリで離陸するシーンに、
柴崎コウが現れるところは、何だか安っぽいメロドラマみたいで、
この挿入歌がうるさすぎるんですね・・・っま、でも、全体的にいい映画でした。

実際の所、日本は沈むのでしょうか・・・
この映画、実はかなりマジメに研究されています。可能性はゼロではありません。
何より起こりうることは、来たるべく必ず起こると言われる、東海、東南海地震、
関東大震災です。この時に、日本にどんなパニックが起こるのか、そう言う意味でも
この映画は一見の価値ありです。また、国際的には、移民や難民を受け入れない日本、
また、昨今、非常に増えている外国人による犯罪など、外国人を受け入れる場合の摩擦は、逆の立場で、国外脱出する日本人、また、難民化する日本人と難民受け入れ先の諸外国での国民とのトラブル、日本人難民受け入れ反対運動など、押し寄せる数千万人の日本人難民に世界はどう対処するのか・・・

世界では、いまも、各地の紛争や飢餓、異常気象による環境破壊で、
何百万人もの難民がいます。こうしたことは、この映画からぜひ、考えてみる
必要があるのではないでしょうか。

皆さんも、ぜひ、見てくださいね。わだつみを・・・

7月 17, 2006 心と体 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年7月16日 (日)

祈りの力

昨日は、カミさんのソフィーとスタッフのうたちゃんの三人で、
とあるイベントに参加してました。

それは、キリスト教系のセレモニーだったのですが、
6時間にわたって、神への祝福をひたすらに、歌い祈り続けます。

不思議なもので、一瞬、6時間!?って聞くと、すごく長く感じますが、
時間はどんどん過ぎていきます。

そして、やり終えた後に、みんなでこの祈りのセレモニーをやり遂げた喜びや
感動が会場を包みます。

皆さんは、本気で祈るってやったことありますか?
祈るとはこういうことを言うんですね。
Ruludo_power_of_pray 昨年、フランスはルルドに行ったときも、すごかった。
毎日、毎日、何千人もが祈りを捧げています。
一日中、どこかでミサが行われています。

何か実現したいときに、これほどまでに祈りを捧げることがありますか?
これが祈りの実現力だと思うのです。

宗教に抵抗のある人も多いことかと思いますが、
カタチは違えど、向かう道はひとつです。

普段、ビジネスオンリーの人々も、結局、仕事を通じて、
宇宙の真理に近づいているのです。
だから、僕は、分け隔てなくこのような素晴らしい機会があれば参加します。

ことさらに宗教に抵抗がある人は、
そこをよーく見つめてみるといいでしょう。
なんで、自分は宗教が嫌いなのかと・・・・
いまや、会社も国家も教育も、枠にはめる宗教家も知れません。
もしかしたら、自分という価値観、思い込みでさえ、
ある種の宗教とも言えるのです。
信条と宗教は同義語かもしれません。

宗教は嫌いでも、信仰は持っているはずです。
また、ご先祖様や神社へお参りに行くことでしょう。
それはなぜなのか?そこを考えてみると、横たわっているものが見えてきます。

今回のセレモニーは、いま、エハンやソフィーとやり始めた、
巡礼の旅に通ずるものがあります。
ただ、ひたすら一日歩く、この単調な中に、たくさんのものを見つめるのです。

昨日もそうでした。

そして、昨日は、偉大なる発見があったのです。
それは、カミさんであるソフィーが、自分のマスターだったということです。
まさに、カミ=神・・・・・

「おお、マスター、これまで、あなたを家政婦のようにこき使ってきた私をお許しください・・・」(笑)

この気づきは大きかった。
自分の師匠に、身の回りのことをさせて、好き勝手にやってきた自分を恥じたのです。

頭の中で、何度も「この愚か者よく考えろ」と言われたような気がします。
私たち人間が、成功や豊かさを夢見て拝金主義に陥る。

これを見て、宇宙のレベルで見れば、100億、200億、鼻くそのようなもの。

太陽の大きさは、地球の100倍。
シリウスは、太陽の2倍。
蠍座のアンタレスは太陽の230倍くらいの大きさがあります。

宇宙の大きさは、とてつもないのです。

200301a1280_wallpaper 添付の写真を見てください。
ここにあるのはほとんど銀河です。
つまり、私たちの太陽系があるような銀河が
星のように無数にあるのです。

私たちは、いったい何をしているのでしょうか。

まず、私たちの一番身近な人のことをちょっと考えてみたいものです。

その人があなたのマスターかも知れませんよ・・・

7月 16, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

お遍路珍道紀スタート!

四国巡礼の旅の記録となる新しいブログを作りました。

ロビン&ソフィーの歩いて四国巡礼1400キロ
「お遍路珍道紀」
と題して、エハンとカミさんのソフィーとで旅する巡礼の旅であった出来事や
感じたこと、考えたこと、友人であり、よき先輩であるエハンに学んだことなど、
このブログとはまた違った観点で、メッセージしていきます。

我々のような若い夫婦で・・・(ほんまに若いんかい!)
お遍路している人もそんなに多くないと思うので、
これからお遍路してみたいという方にもいい参考になるのではないかと思います。

まずは、たった3日間だったのですが、
たくさんの出来事があり、うちからわずか1時間半の徳島で、
こんなに素晴らしい体験ができるなんて思っても見ませんでした。

そんなこんなを皆さんにシェアできたらと思います。
また、エハンのブログでは書かれない、
裏エハンといいますか、エハンと話したことやエハンとのユニークな出来事も
シェアしていきますので、お楽しみに!

また、この「お遍路珍道紀」ブログは、夫婦で書くブログで、
ソフィーにとっては、初のブログデビュー!
ソフィーがどんなことを書くのか・・・

これも、パートナーシップですな・・・

お遍路の旅に出ていないときも、随時更新するので、
時々チェックしてくださいね。
また、お遍路やこんなメッセージに興味のある人がいたら、
ぜひ、ご紹介してくださいね!

では!
ロビン&ソフィーの歩いて四国巡礼1400キロ
「お遍路珍道紀」
http://robinstyle.way-nifty.com/ohenrochindouki/

7月 14, 2006 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月13日 (木)

四国八十八カ所の巡礼の旅、スタートしました。

四国巡礼の旅をスタートしました。
いわゆる、お遍路さんです。

すべて徒歩による巡礼で、約1年かけて四国を1週しようという計画です。
月に大体4日くらいを目処に、毎月歩こうと計画しています。
途中、海外に行く予定もあるので、ペースを守るために調整も必要ですが、
まあ、ほぼ問題なく実現できるでしょう。

この巡礼は、エハンが突如、四国巡礼をするということで、
その同行取材ということが発端だったのですが、いつかは行こうと思っていたのと、
何か強く引かれる、というか、呼ばれている感じもあったので、
巡礼の旅を決意しました。

その話を、カミさんのソフィーにしたところ、
「私も歩いてみようかな~」の声。
こんなことを彼女からいうことはなかったので、
それじゃ、夫婦で歩こうということで、パートナーシップを見直すいい機会と
エハンの快諾もあって3人で歩くことにしました。

ただ、今回の旅は、エハンにとっても、とても重要な瞑想の旅であり、
自己との対話の旅でもあります。

私自身も、同様に、自分を見つめ直す旅にすると同時に、
パートナーシップを考えることを最大のテーマとしました。
それは、ソフィーも同じです。

Img_9570というわけで、いきなりスタートしたお遍路巡礼の旅・・・

エハンのブログでは、エハンがこの巡礼で感じたことが
メッセージとして書かれています。
http://echan.thd-web.jp/

その裏ブログといっては何ですが、
私たち夫婦、ロビン&ソフィーの四国巡礼の旅のブログを立ち上げて、
ここに巡礼の旅の報告をさせて頂こうかなと思っています。

Img_9468というのも、おとといの7月11日から13日今日までの3日間だけで、
とんでもなく多くの収穫があったのです。

ただ、歩くということで、これほど多くのメッセージを受け取れるとは、
Img_9517全く予想外でした。

旅の途中での人々との出会いもまた格別で、
途中の札所で友達になって、一緒にお遍路することになった人や
出会った人々の巡礼の目的や思いを聞くにつけ、
Img_9433 みんなそれぞれ様々な思いで歩いているのだなと、
感慨深く思ったのです。

各札所(3番とか10番とか巡礼の番号のついたお寺)で、
クルマやバスでお遍路をしている方々が多いのですが、
歩くというのはまったく別物です。

とはいっても、お参りのしかたは自由で、
何がいいとか悪いとか言っているのではありません。

個人的には、歩くことに意味があると思っています。

徳島の一番札所、霊山寺を皮切りに、この3日で約60キロくらい歩いたのですが、
昨日は、約30キロ、今日は完全に山道で、もう登山でした。

お遍路の中でも最大の難所といわれるところがいきなりあるわけです。

Img_962811番の藤井寺から12番の焼山寺まで約12キロ。
山の中をひたすら歩きます。

そして、今日は帰りのバス停まで、5キロをさらに歩きました。

ペルーのインカトレイルもかなりハードなトレッキングでしたが、
4日間の全工程で約40キロくらい。
山道は、インカトレイルそっくりな場所もあって、ハードな面もありましたが、
今振り返れば、とても素晴らしい体験になりました。

歩くことは大変です。
お遍路さんの道はほとんどが、普通の生活道路です。
クルマも走っています。

クルマが当たり前で、何気なく走っている道ですが、
歩くことがこんなに大変だとは思っていませんでした。
一日歩いて、すごく苦労をしたと思っていたのに、
帰りにクルマで近くを通ったのですが、わずか30分足らず・・・

なるほど、文明にならされて、生きていることのありがたさを忘れてしまうわけです。

歩きながら、いろんなことを考えます。

山道のみならず、一日の後半は、足も棒になります。
そうなると、一歩一歩が本当に大変なんです。

目的地まで、何キロとか考えなくなります。

とにかくこの一歩を前に送り出すこと。
足も痛くて、また、次の一歩の事を考えます。

そうしていくうち、気がつくとお寺が現れる・・・

これこそ「今を生きる」といことです。

先のこととか考えず、ただひたすら今の一歩。そして、瞬間の景色や香り、
空気を感じる・・・

目的地は決まっているので、そこに向かって一歩一歩。
ただ今をしっかり歩くこと・・・

この旅では、これから何度も同じ事を思うでしょう。

何しろ、普段運動も大してしないカミさんのソフィーが、
何一つ弱音を吐かず、黙々と歩き通したことは、何よりの驚きで・・・
旅の途中で一緒に歩くことになった人たちに声をかけたりと、
なかなかの余裕なのには驚かされました・・・

カミさん恐るべし。。。

エハンとも時折、いろんな話をしますが、やはり、こうして苦労して歩く、
また、肉行というとちょっと違いますが、体を動かして考えると
全く別の回路が作動し始めます。

机に座っていては考えられないこと、苦しさの中でこそ気がつくこと。

思いザックが肩に食い込んで、足がガクガクしながら、
ふっと得られるインスピレーション・・・

キリストはじめ、多くの聖者が言っています。
「無知は罪」知らないことで、人は迷い、混乱し、物事を複雑化します。

知る方法は、本を読むことだけではありません。

知ることは思い出すこと・・・本当の叡智に近づくことです・・・

この旅は、これからほぼ1年になるので、新たなブログでエピソードなど
紹介します。エハンのブログには書かれない、
エハンの巡礼、裏話も書くことを伝えているので、そちらもお楽しみに。
ソフィーの初、ブログデビューにもなりますので、よろしくお願いします。
写真もたくさんのっけます!

9月か10月は、徳島の太平洋岸を3日歩いて、室戸岬へ・・・ここは考えるだけで、
すんごくハードな気がします・・・
どんな巡礼に、また、気づきの旅になるのでしょう・・・・。

お楽しみに・・・

ヨガ修行のブログも書くつもりなので、結構やることいっぱいだな・・・

7月 13, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月10日 (月)

本当の世界

相変わらず毎日ヨガです。

体重も遂に、64キロになりました。

食事がどんどん細くなって、お昼も抜いて、
夜だけ食べたりする日があったり、それでも快適だったりしてたのですが、
今朝は、異常なほどの空腹感に襲われて、
ヨガも途中でギブアップ・・・

軽いストレッチだけにして、空腹を満たしました。

この異常な空腹感はなんだったのだろう。

ヨガもいろいろと勉強していると、やはり、いわゆるみんながヨガだと思っている、
アーサナ(ポーズですね)よりも、瞑想や呼吸法、ライフスタイルにおいての
戒律の方が非常に重要であることがわかりました。

いくらアクロバティックなアーサナができても、
それ自体に意味はなく、人間の柔軟性または可能性の素晴らしさは知ることができても、
そこに執着しては意味がありません。

大事なのは、日々、ヨガ的な生き方を選択し、心の平和を保っていられるかということが
大事だということです。

そう言う意味では、本格的なヨガは信仰と一体化しており、
そもそもヨガの意味は、合一。つまり、神との合一なのです。

神とは何かという真理、また、宇宙の真理を探究することが
ヨガそのものとも言えるのです。

だから、フィットネス系のヨガは本来のヨガからかけ離れているとも言えます。

しかし、何はともあれ、入り口はなんでもよくて、
結局、私たちはいつかふるさとである多次元宇宙へと帰って行きます。

地上に降りてきたことは、肉体という拘束着を着せられているに等しく、
しかし、それ以上の至福があることに気がつかなければ、
この拘束着の世界しか理解できず、ここに執着して、その中での満足、幸せを探し求めます。

子供に自由を与えても、親元を離れて、何百キロも離れた場所まで気ままに
旅する子供はほとんどいないように、
それは、それ以上の世界が彼らの現実ではないか、
関心がないためだからだと思うのです。

私たちもそれと同じです。
知らないだけなのです。

世の中に白と黒しかないと思っている人は、グレーの存在も知りません。
すべては、白か黒で認識し、その中間は見えません。

周りの人が、微妙なグレーについて解説しても、
見えないわけだから、怒り出すこともあるでしょう!

でも、世界は極彩色です。

世界をどこまで知ることができるか、精妙な世界をどこまで認識できるのか、
これが、進化であり、進歩です。

そのためにも、自分の事に気を払う。
自分のことを知ること、見つめることが大事です。
精妙な世界は、自分に意識を向けないと見えてきません。

10分間、そっと目を閉じて、内観してみましょう・・・

7月 10, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 7日 (金)

情報は十分ですか?

昨日から東京です。

最近、東京での動き方が変わって、少し行く場所が変化しているためか、
何だか新鮮です。

クライアントのお仕事も、ずっと継続するようなお仕事もありますが、
ある程度カタチになると次のプロジェクトに移るものも多く、
そういうお仕事はジプシーのように、移動していくわけです。

そう言う意味で、最近、品川や銀座にご縁があります。

今日は、通販関係のアドバイス&ミーティングで会議をしていましたが、
様々な気づきもありました。

ここのところ、よく思うのが、人間にしても環境にしても、
見る人によって全く異なるということです。

先日もロビン・ウィリアムズのファイナルカットという映画の話を書きましたが、
人生の断片的な情報を集めて、その部分だけを見れば、
その人は、そのように構成されるわけですね。

Aさんが知ってるCさんと、Bさんが知ってるCさんは違うのです。

それは、Cさんについて、個人個人の体験が異なるためです。
「あ~彼はそういうところあるよねー」って盛り上がっても、
「へ~彼ってそう言うところもあるんだぁ」なんてすぐに言ってるわけです。

人を評するに、その人が体験したことだけで、
その人全体を推し量ることはできません。
ましてや、会ったこともない人間を評することは、
よっぽど霊感が強いとか、そういうことが見える人じゃないと難しいものです。

これは、情報量がすべてなのです。

情報量が多いと、解釈の幅が広がります。
情報が少ないと、例えば、○△□しかカタチを判断できないとすれば、
世の中のカタチは、すべてそれに近いカタチに形容されてしまう。
つまり、富士山は△、クルマは□?○って何があるかな・・・
まるで、モザイクがかかったように見えると言うことです。

でも、実際はもっと細かいわけです。

TVでいうと、ハイビジョンのような高解像度のTVほど
画質が細かいのをご存じでしょう。
これは、1インチ四方あたりの情報量が多く、密度が高いんです。

だから、きめ細かに見える。

人も、その人の情報が少ない内は、本当のことはよくわからないのです。
環境もそうです。

多くの人は、その人が得られる情報の範囲ですべてが決まります。

みのもんたの番組しか見ない人は、みのもんたがその人の世界、文化、価値観なのです。
そんな人はいないでしょう。

人々みんなが手を取り合って、仲良く平和になるためには、
お互いの情報をできるだけ多く持ち合うことが一番です。

国家間のことも、何もかも、情報を持たずに、だれかカリスマやリーダーたちの
情報を鵜呑みにしているケースは多いのです。

本当のことは、本人と神様のみぞ知る世界。

インターネットの世の中です。
それはすべてが明らかになる世界・・・

あなたの情報は十分ですか?

7月 7, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月 3日 (月)

映画から学ぶもの

皆さんは、「パッション」という映画を見たことがありますか?
メル・ギブソンが監督したものです。

ずっと以前にエハンに薦められて、見てなかったもので、
1ヶ月前、クライアントのY氏がこの映画を映画館で見て、
終わっても立てなかったと言わしめたことから、見ようと思いながら、
遂に、見ることができました。

すごい、素晴らしい映画でした。
この映画に含まれたメッセージは、とても深くて、
映画の評価では意見が二分していましたが、これはどこまで
この映画を深く見たかの違いだと思うのです。

表面だけ見れば、イエスが悲惨な拷問を受けた上に、十字架を背負わされて、
ゴルゴダの丘へと歩き、十字架に駆けられ、昇天するまでの
それだけの映画です。

しかし、イエスのパワーのすごさは、また、この映画のパワーとは、
これだけのストーリー・・・の中に、イエスが説いた「愛」とは何か。
真理とは何かをしっかりと語っていると思うのです。

人物像としてのイエスの扱い方は、もう、これはメル・ギブソンの解釈であり、
個性なので、そんなことは彼の作品だからどうでもいいことです。

悲惨な拷問シーンには目を背けたくなりますが、
これを見てこそ、全人類の罪を引き受けたイエスの慈愛の意味を理解できるのではないでしょうか?

さて、もう一つ、いい映画をエハンから聞きました。

それは、ロビン・ウィリアムズ主演のファイナルカットです。
この映画は、まだ、DVDになってそんなに経っていないと思います。

舞台設定は未来に見えないけど、それも意図的。
近未来に、脳内に目と耳から聞いたものをすべて記録するバイオチップを
生まれる前から埋め込み、死んだ時に取り出して、
亡くなった人の弔いに、それを編集し、上映会をする。
そのためにその人の体験を映画にする専門家がカッターという人たちで、
そのカッターの苦悩を演じるのがロビン・ウィリアムズなんです。

この映画については、多くを語りませんが、
最近、注目している「記憶」について、考えさせられる映画です。

実は、この映画!!スゴイシンクロです!
いやー、シンクロの話がないと、テーマがシンクロなんで・・・

フレッチャーという配役の助演の俳優はナント!!!!!
先ほどの「パッション」でイエスの役を演じた、
ジム・カヴィーゼルだったんです!

なんという、奇遇。まさにシンクロ!ヒャー興奮です。

さて、「記憶」とはいったい何なのか。
その人の体験は本人と神のみぞ知ること。
しかし、カッターは、その人の記憶をたどる。

本当のその人は、その人と付き合う人との関係の中でしか構築されないのです。

つまり、他人がその人の接して得られた、断片的な情報を集めて、
人それぞれの意識の中で、その人という人物を再合成して、その人を見るのです。

でも、その人とは、他人の中で作られた虚像。

本当のその人は、すべてなくてはその人ではないのです。

よく人は、人のことをあれこれいいますが、本当にその人は、
そのあれこれと言われるような人なのでしょうか?

断片的なところ、部分だけをつなぎ合わせて、人を評する。
私も多いに反省したいところです。

文句がでるのは、多くは、いま、期待する状態に環境が合ってない、
自分の思うようにならないことから文句が出ます。

暑さ寒さ、喉の渇き、空腹にも腹が立つ人がいます。

でも、自然の摂理だし、なぜ、そのような環境に自分があるのか
よーく、考えることが必要です。

すべては自分から発信しています。
そうして、発信した結果が身の回りの環境を創ります。

その人が気に入らない、不快だ。
これも、その人のどこを見ているのか、自分が見たいところを見ているのです。

それが意識の現れです。
そう考えると、自分を省みることができる。

ファイナルカットでチップを埋め込まれた人が、
ある時、チップを埋め込まれていることを知り。
過去に犯した罪が、すべて記録され、それを誰かに知られることを恐れ、
最後には自殺するという話が語られる場面があります。

皆さんの体験した経験は、死んだときには、閻魔様の前で、
すべて追体験させられ、その時は、様々な過去で相手が経験した感情を
そのまま、自分も感じさせられるそうです。

人殺しなら、相手がどんな恐怖と苦痛を味わったのか、
本人がそれを感じるのです。

ひどい言葉を言ってしまったとき、それも感じさせられるようです。

結局、現世なのか、死後なのか違いはそれだけ。
チップがあっても、なくても、神様の目を盗めません。

明日から、また、反省して生きていこうと思います・・・(笑)

さて、先日話した映画の話。
そう、死刑になった殺人犯がある薬で更正する話。
題名がわかりました!

「コントロール」です。
主演はレイ・リオッタとウィレム・デフォー

レンタルビデオ屋さんにもあると思います。
ぜひ、見てくださいね。

なんだか、最近は映画評論が多いな・・・

7月 3, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

eigakara

皆さんは、「パッション」という映画を見たことがありますか?
メル・ギブソンが監督したものです。

ずっと以前にエハンに薦められて、見てなかったもので、
1ヶ月前、クライアントのY氏がこの映画を映画館で見て、
終わっても立てなかったと言わしめたことから、見ようと思いながら、
遂に、見ることができました。

すごい、素晴らしい映画でした。
この映画に含まれたメッセージは、とても深くて、
映画の評価では意見が二分していましたが、これはどこまで
この映画を深く見たかの違いだと思うのです。

表面だけ見れば、イエスが悲惨な拷問を受けた上に、十字架を背負わされて、
ゴルゴダの丘へと歩き、十字架に駆けられ、昇天するまでの
それだけの映画です。

しかし、イエスのパワーのすごさは、また、この映画のパワーとは、
これだけのストーリー・・・の中に、イエスが説いた「愛」とは何か。
真理とは何かをしっかりと語っていると思うのです。

人物像としてのイエスの扱い方は、もう、これはメル・ギブソンの解釈であり、
個性なので、そんなことは彼の作品だからどうでもいいことです。

悲惨な拷問シーンには目を背けたくなりますが、
これを見てこそ、全人類の罪を引き受けたイエスの慈愛の意味を理解できるのではないでしょうか?

さて、もう一つ、言い映画をエハンから聞きました。

それは、ロビン・ウィリアムズ主演のファイナルカットです。
この映画は、まだ、DVDになってそんなに経っていないと思います。

舞台設定は未来に見えないけど、それも意図的。
近未来に、脳内に目と耳から聞いたものをすべて記録するバイオチップを
生まれる前から埋め込み、死んだ時に取り出して、
亡くなった人の弔いに、それを編集し、上映会をする。
そのためにその人の体験を映画にする専門家がカッターという人たちで、
そのカッターの苦悩を演じるのがロビン・ウィリアムズなんです。

この映画については、多くを語りませんが、
最近、注目している「記憶」について、考えさせられる映画です。

「記憶」とはいったい何なのか。
その人の体験は本人と神のみぞ知ること。
しかし、カッターは、その人の記憶をたどる。

本当のその人は、その人と付き合う人との関係の中でしか構築されないのです。

つまり、他人がその人の接して得られた、断片的な情報を集めて、
人それぞれの意識の中で、その人という人物を再合成して、その人を見るのです。

でも、その人とは、他人の中で作られた虚像。

本当のその人は、すべてなくてはその人ではないのです。

よく人は、人のことをあれこれいいますが、本当にその人は、
そのあれこれと言われるような人なのでしょうか?

断片的なところ、部分だけをつなぎ合わせて、人を評する。
私も多いに反省したいところです。

文句がでるのは、多くは、いま、期待する状態に環境が合ってない、
自分の思うようにならないことから文句が出ます。

暑さ寒さ、喉の渇き、空腹にも腹が立つ人がいます。

でも、自然の摂理だし、なぜ、そのような環境に自分があるのか
よーく、考えることが必要です。

すべては自分から発信しています。
そうして、発信した結果が身の回りの環境を創ります。

その人が気に入らない、不快だ。
これも、その人のどこを見ているのか、自分が見たいところを見ているのです。

それが意識の現れです。
そう考えると、自分を省みることができる。

ファイナルカットでチップを埋め込まれた人が、
ある時、チップを埋め込まれていることを知り。
過去に犯した罪が、すべて記録され、それを誰かに知られることを恐れ、
最後には自殺するという話が語られる場面があります。

皆さんの体験した経験は、死んだときには、閻魔様の前で、
すべて追体験させられ、その時は、様々な過去で相手が経験した感情を
そのまま、自分も感じさせられるそうです。

人殺しなら、相手がどんな恐怖と苦痛を味わったのか、
本人がそれを感じるのです。

ひどい言葉を言ってしまったとき、それも感じさせられるようです。

結局、現世なのか、死後なのか違いはそれだけ。
チップがあっても、なくても、神様の目を盗めません。

明日から、また、反省して生きていこうと思います・・・(笑)

さて、先日話した映画の話。
そう、死刑になった殺人犯がある薬で更正する話。
題名がわかりました!

「コントロール」です。
主演はレイ・リオッタとウィレム・デフォー

レンタルビデオ屋さんにもあると思います。
ぜひ、見てくださいね。

なんだか、最近は映画評論が多いな・・・

7月 3, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 2日 (日)

エハン・デラヴィ講演会

昨日、一昨日と広島、福岡でエハンの講演会をサポートしてきました。
http://www.echan.jp/

エハンもいつものようにパワフルな講演で、
初めての参加者は、かなり圧倒されていたかもしれません。

両会場ともとても盛り上がり、みなさん、様々な気づきを得られたことと思います。

今回のテーマは、エハンの新刊、キリストとテンプル騎士団、
人間イエスを科学する―キリストの心理分析 の2冊の出版記念講演ということで
ダ・ビンチ・コードの秘密とこれからの世界と題して、
講演を行ったのですが、内容はこれにとどまらず、

様々な角度から、いま世界で起こっていること、
これからの世界はどうなっていくのか、エハンの最新の研究と
これまでのエハンの活動のエピソードを絡めて、
たっぷりと語ってくれました。

今回は、広島は、八納さん(ケイ)、船崎さん、ジュディ、アーサー、
横山さん、吉松さん(女子大生・・・あっ深い意味はありません)を
中心に、広島の有志の皆さんのご協力で、開催することができました。
ご協力くださったみなさま!本当にありがとうございました!

また、福岡は、吉田さん、サキ(ウサ)ちゃん、バロン夫妻、ドクロ夫妻他
皆さんのご協力で実現することができて、本当にありがとうございました!

福岡、広島では、エハンもこういうカタチでの講演は初めてだったのですが、
参加者の皆さんも、もっと話を聞きたいというリクエストも多く、
秋にも再び、実現したいなとさっそく画策しております。

その時は皆さん、また、ご協力よろしくお願い致します!

さて、エハンの今回のお話しは、広島と福岡では別のお話をしたのですが、
素晴らしいパフォーマーでもあるエハンは、
いまもっとも知っておくべき重要かつ理解しがたい情報を
とても楽しく、ユニークな切り口で、わかりやすく語ってくれました。

一言ではお伝えできませんが、
やはり、焦点は2012年。
世界は、ここに向かって大きく動いているということです。

これから、大きな試練の時が私たち人類を待っている。
でも、この試練をどのように受け取るのか、その人の態度と意識の問題であり、
必ず越えていけるものだということです。

これからの時代は、ますます混迷の度合いを深めていくことでしょう。
しかし、私たちは、素晴らしい未来に向かって、それを越えて行かなくてはいけません。

世界中で起きている出来事をよく観察してください。

それらの点と点を結んでいくと、見えてくるものがあります。
様々な事象がたくさん現れてきます。人によっては、ネガティブな捉え方をするでしょう。

エハンは、これらの試練は、赤ちゃんが産道を通って生まれる事に等しい試練だと
言っています。そのような覚悟が皆さんに必要かも知れないと警鐘を鳴らしています。

決してネガティブに捉えるべきことではありませんが、
真剣に考えて行かなくてはいけない話です。

私がエハンに最も共感するのは、いまこそ、自分の存在に焦点を合わせる時だと思うのです。
自分とはなにか。
宇宙の中で、自分はなぜ生まれてきたのか。
自分は、この世界で何をしているのか、また、何を為すために存在しているのか・・・

そのために、自分を見つめる時間を持って頂きたいのです。

もう一度、散らばったエネルギーをセンターに集めてください。

そうして、いま世界で起こっていること、起こりつつあることを、
インターネットを使って、自分自身で調べてみてください。
様々な情報、真実に巡り会うことができるでしょう。

自分で脳みそを使うことが大事です。
自分の事を考える、感じることが大事です。

エハンの話を聞くチャンスがあれば、ぜひ、聞いてみてください。
それをどう理解し、感じるかは、あなた自身の選択の中にあるのです。

また、岡山でもエハンを呼びますので、ご興味のある方、お楽しみに・・・

7月 2, 2006 心と体 | | コメント (7) | トラックバック (0)