« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月26日 (木)

ウォンさんのコンサート

岡山にて昨年に引き続き、2回目のウォン・ウィンツァンさんのコンサートを行います。
ウォンさんのことはご存じの方も多いと思います。

NHKの番組テーマ曲や特集番組の音楽、映画音楽なども手がけ、
ピアニスト、作曲家として、素晴らしい音楽を生み出しています。

ウォンさんのWebサイトはこちら。
http://www.satowa-music.com/
音楽も試聴できます。

ウォンさんの音楽は、癒し系、ヒーリングミュージックと言われる部類になるのかと思うのですが、
ウォンさん自身は、ご自分の音楽をヒーリングだとは思っていないそうです。
純粋に自分が聴きたい音楽、自分の意識の中に響くメロディや音を音楽として再現しているらしいのですが、
結果的に、ウォンさんが生み出す音楽は、とても心地よくて、気持ちが落ち着き、
心も体も楽~になるのです。

ウォンさんは、もともとジャズミュージシャンでもあり、
現在もジャズアーティストとしても活躍されています。
僕は、ウォンさんのインプロビゼーション(即興演奏)がとても好きで、
すごくクリエイティビティを感じます。

ウォンさんの創造の源泉は瞑想です。
瞑想体験の中から様々なアイデアを受け取るそうです。
僕も毎日瞑想してますが、ウォンさんのように創造的なアイデアをもっとキャッチできたらと思うのですが・・・

さて、そんなウォンさんの岡山でのコンサート。
昨年に続き2回目となりますが、今回も、くらび舎という蔵を改造した、
とてもおしゃれなミニコンサートホールという、素晴らしい環境で、
80名様限定のプライベートな雰囲気でのコンサートを行います。
Wong

このホールは、最高峰のピアノと言われるスタインウェイが設置されていて、
最高の音響環境の中で、ウォンさんのピアノを生で聞くということがとても価値があるのです。

生演奏を聞く価値は、特にピアノなどの共鳴楽器は、スピーカーを通さないので、
弦を叩く音のバイブレーションが、ピアノの共鳴箱で拡大され、
そのバイブレーションは、聴く人の耳だけでなく、身体全体に伝わり、
それは、メンタルレベルの身体にも共鳴するのです。

CDなどでは、どうしてもスピーカーやアンプなどの音源の性能に
影響を受けて、その再現性に限界があります。
ウォンさんの指から伝えられるウォンさんの世界を直接味わえるのは
やはり、生の演奏でしか得られないのです。

今回も素晴らしいコンサートになるでしょう。
ぜひ、皆様お誘い合わせの上、ご参加ください。

***************************************************************************
              ウォン・ウィンツァンコンサート in 岡山
         ~陽だまりのダンス~   開催のお知らせ
***************************************************************************

開催日:2006年12月3日(日)
開 場:13時30分より  開演:14時30分スタート
会 場:岡田音楽サロンくらび舎(くらびや)
    岡山県玉野市槌ヶ原1312
    地図はこちら→http://www.perception.co.jp/kurabiya/
会 費:早割チケット5500円(10月31日までにお申し込みのお客様)
    一般チケット6000円(11月1日以降当日まで)
お問い合わせ:(株)パーセプション TEL086-296-0988  携帯 090-6833-3711  
        担当:今井  info@perception.co.jp

お申し込みは、こちらから↓↓↓↓↓↓↓
http://www.perception.co.jp/concert/

---------------------------------------------------------------------------
【ウォン・ウィンツァン】(黄永燦):プロフィール  Wong Wing Tsan

ピアニスト、作曲家、編曲家。1988年、瞑想の体験を通して自己の音楽の在り方を確
信し、独自のアーティストスタンスにてピアノソロ活動を開始する。91年、自主レー
ベル SATOWA MUSICを発足。ファーストアルバム「フレグランス」以降コンスタント
に18枚のCDをリリース、ロングセラーを続けている。97年、童謡を瞑想的なインプロ
ヴィゼーションで表現した「Doh Yoh」を発表。同年、NHKスペシャル「家族の肖像」
(ギャラクシー大賞受賞)のテーマを作曲し話題になる。2000年、オムニバスアルバ
ム「Feel」に唯一インディーズから楽曲提供(「運命と絆」~「家族の肖像」テー
マ)、ミリオンヒット。2001年、ハイビジョン&NHKスペシャル「世界遺産 中国・九
寨溝」の音楽を作曲、同番組は視聴者人気投票でも高い支持を得る。現在、教育テレ
ビ「こころの時代」テーマ放送中。ジャズトリオWIM、美音志とのユニット、地雷犠
牲者救援CD「もしも地雷がなかったなら」など音楽活動は多岐に及ぶ。年間40本近く
のピアノコンサートを行いながら、最近は写真作品も発表、2004年には個展が開催さ
れた。その作風は音楽とともに瞑想の香りがすると好評を得ている。

ウォンさんのWebサイト(サトワミュージック)
http://www.satowa-music.com/

===========================================================================

10月 26, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月25日 (水)

マスターサドゥー犬 アムリタ

リシケシでラムジューラと呼ばれる吊り橋がきれいに見えるところに、
対岸に行く渡し船がある。
ラムジューラは、人とバイクやリヤカーしか通れない。
対岸に渡るには、渡し船の方が都合がいい。

ラムジューラは一度は渡ってみたかったので面白かったが、
人や牛!?の通行やバイク、リヤカーも多く、
さらに、乞食や魚のえさ売りの子供たちがお金を求めてくるので
彼らには申し訳ないが、なんだか面倒くさくて、
結局、渡し船は乗ってれば対岸に着くし、
そのまま、移動も都合が良くて、結局、渡し船を何度か使った。

渡し船はお金がかかるので、往復15ルピーくらいだったか・・・
乞食や子供に恵んであげるのも同じなのだけれど、
お金の問題ではなくて、やはり、便利な場所にあるというそれだけだ。

その渡し船の隣にアムリタというレストランがある。
ここにユニークな犬が飼われていた。

インドは野良犬ばかりなのだけれど、
飼われている犬は初めて見た・・・

犬らしい犬はよく見たけれど、この手の犬を見るのも初めて・・・
Master_dog1

何とも言えないくたびれ具合・・・いや年季というか、
とてもいい味をだしている老犬・・・

この姿にただならぬ気配を感じた僕は、すかさずシャッターを切った。
望遠レンズに変えて、シャッターを切り続けた。
ファインダーに写るこの老犬は、どこから見ても不思議な魅力がある・・・
なんだろう・・・

時折、カグアックシャン!っとくしゃみなのか咳払いなのか
かすれた奇声をあげる。

ふと、この老犬、もしや犬のサドゥーではないかと気づいたのだ。

するとおもむろにガンガー(ガンジス川)に歩いてゆき、
なんと水につかり、沐浴を始めたではないか・・・
しかも、人間と同じ夕方の沐浴だ・・・
Master3

僕はまさしく、ここに、犬のマスターを見たのだ・・・
リシケシはヨガの聖地とも言われ、多くのサドゥーもいる。

そして、深い瞑想に入ったのだった・・・Masterdog2

10月 25, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月24日 (火)

日本語の上手いインド人には気をつけろ!

ブッダガヤ・・・旅行のガイドブックにも日本語を話すインド人に
気をつけるように書かれています。

知人も、ブッダガヤはペテンまがいの話に気をつけろと・・・

コルカタを寝台列車で夜8時半に出発・・・ブッダガヤのある
ガヤという駅に早朝5時3分に到着・・・

寝台列車は意外にも快適だったのですが、途中何度も停車し、
また、発進する・・・どこかの駅に停車するのです・・・
Photo_3

インドの列車は、日本と違ってとても不親切です。
もちろん放送なんてないし、表示もない。
時間も正確じゃないんです。

しかし、ほぼ時間通りに到着すると聞いていたので、
30分前に起きて、降りる準備をしました。
4時40分過ぎに、列車が停車・・・僕は2段目のベッドで窓がないので、
他の人は寝ているから、不安になりながら、降車口に。
窓の外を見ても、何も見えない。
駅なのかどうかすらわからない・・・おまけに、窓そのものも、
ひどく汚れ、痛んでいて、外が見えないんです。

再び発進・・・もしや、さっきのところがガヤだったらどうしようと、
若干不安になりながらも、しばし乗車。
4時50分再び列車は減速し、外をみると、ぼんやりではあるが
外に明かりが見え始め、どうやら大きな駅到着。
予定より10分も早い。降車する人に聞くとガヤだという。
よかった。

駅は薄暗く、路上にはおびただしい数の人々が寝てたり、座っていたり・・・
ホームレスなのか列車待ちなのかもわからない・・・
ホテルまでの迎えを手配しておいたので、待っていたら、
何人かが日本語で話しかけてくる・・・

20代前半の男が話しかけてきた「鈴木さんですか?」
彼の目を見ながら無視・・・
「おはようございます。鈴木さん。日本人でしょ?」
どう考えても、迎えじゃないので、遊んでみる。
「鈴木さんだったら?」
「鈴木さんですか?」
「だから、だったらどうよ?」
「鈴木さん?」
どうやら、僕が言ってる日本語はわからないようで、
「私は鈴木さんではありません」
というと「なんで、おかしいなあ・・・日本の友達が電話ね。
あなた、迎えに来るように言われた。あなたでしょ?」
へんなイントネーションで・・・

「だから私は、鈴木じゃないって」
彼は「なんでぇ~だったら、だれ僕に電話したの?」

「おいおい、俺に聞くな!お前の問題だろう!
もういいから、あっち行けあっち!」
と追い払った・・・

こうして、何人かが声をかけてくる・・・

ようやく迎えが現れて「Hello!Hello!Are you Wada-san?」
「Yeah!Morning!」
1gaya

ホテルでシャワーを浴びて一休みして・・・
今度は、ブッダガヤのメインテンプル。

ここはご存じの通り、釈迦が菩提樹の木の下で悟りを開いて仏陀になった場所。

ここでも、ガイドを雇っていたので、
彼と話をしながら入っていくと、怪しい40半ばの男が、流暢な日本語で
日本からですか?とても普通の日本語。
どうも怪しいと思ったけど、ガイドに話すと(ガイドは英語しか話せない)
彼は知り合いだという・・・少し安心して、日本語上手いねって話し始めた。
昔、ガイドをやっていて、日本人をたくさんガイドしたらしく、
ブッダガヤの大学で日本語を教える先生でもあるという。
いまは、メインテンプルの片隅でおみやげ物屋をやっているというのだ。
2meintemp

彼の案内でメインテンプルを廻る。
日本語の方がわかりやすいので、いろいろと話を聞いた。
彼の助手で日本語の生徒だというブッダガヤ大学の学生がやってきて、
彼も日本語を話すのです。
3bodaijyu
釈迦はこの菩提樹の下で悟りをひらいた。
この菩提樹は三代目。DNA的には同じものだそうだ・・・

お祈りをして、一通り見学が終わって、話をしていると、
これからの予定を聞かれ、いつしか心をひらいた僕は、うっかり素直に
予定は決めてないことを話した。時間もまだ10時。
たっぷりあるけど、ブッダガヤのみどころは、こことスジャータ村だけ。
ホテルからわずか10分。

彼からラージギルに行かないかと誘われ、ガイドに話すとOKだということになり、
ただ、安全の責任があるからということで、僕が雇ったドライバーにガイド、
そして、なぜかこの日本語を話す怪しい男と助手の5人で行くことに・・・

いま、思えばすごくおかしい。
いや、その時も変だと思っていたが、土産話になると思って、
この不思議な旅を楽しむことにした。

なんで僕の旅におっさんたちが4人もついてくるのだ・・・

車中いろいろと話ながら、ラージギルに。
ここビハール州は貧しくて、あまり治安が良くない。
山賊もでるという・・・
ラージギルは釈迦が14年間修行した場所。
4rajigiru

無事何事もなくラージギルを後にして、僕もガイドもいるからと
ずいぶん気を許し、途中またもやクルマがパンクしながら、
5flattire
6pamku
釈迦が4年間修行したという最後の訪問地の山の洞窟へ(名前を忘れました・・・)。

日は沈んでしまって、あたりは、まさに山賊たちの格好の活動場所!?
7dokutsu

チベットのお坊さんが守る小さな寺院の洞窟で、お布施をしてあげてくださいと
日本語の巧みな男は言ったので、そのつもりだというと。
できたら、ドルでできるだけたくさんしてあげてくださいという。
この地域は、石の切り出し加工で、結核の人が多く、
彼らを助けるためにお金が必要だというのだ。。。

ここにおいてと言われるままに、仏像の手の上にお金を置いた。
ドルだ。

どうも怪しいとすでに感じていた僕は、洞窟を最後に出ようとするが、
若い弟子は僕の後ろに回ろうとする・・・ますます怪しい。
まあいいかと、先に出ることにした。

その時、僕の視線に彼の動きを見た。

洞窟を離れながら、ちょっと確認したいことがあると言って、
そのお弟子君を引き連れ、洞窟に戻ろうとすると、
お弟子君は、もう、日が落ちて危ないから急ぎましょうという。

んにゃ、あかん!一緒においでと、
彼を引き連れて洞窟に入った。ない!お金がやっぱりない!
思った通りだった。

彼にお金はどこにやったと詰め寄ると、知らないとしどろもどろ・・・
あげくに祭壇のものをあちこち動かして、花を持ち上げると・・・
あった、小さな花瓶の下に・・・

「ここにあるよ」なんでそこにあるんだって聞いたら、
僕がここに隠したと・・・地域の住民は貧しいから、取られちゃマズイから
ここに置いたと・・・

話がおかしい!どう考えてもおかしい。
最初は知らないと言い。祭壇のものを動かし、見つけたくせに、
自分が動かしたことを告白。
暗くて最初は解らなかったが、仏像の下に、大きなドネーションボックスが
あるではないか。しかも鍵付きだ。

おいおい!てめえら、最初から・・・!!!
はめやがったなあ!と感情が高ぶるも、ここは釈迦が4年間修行した
神聖な洞窟、とにかく外に出て、顛末を問いただす。
ガイドにも聞かせなくてはと、英語と日本語がごちゃごちゃになって。。。

もう、山賊どころではない。
このまま、返すわけにはいかない!
結局、80キロ以上の道のりを、その男たちと狭い車内で肩を寄せ合い・・・
ホテルまで連れ戻った。

ガイドを交えて、ホテルのロビーで反省会。

結局、いろんないいわけをするも、つじつまが合わない。
最初からドネーションボックスに入れるように言えばいい。
または、花瓶の下に隠すように言えばいいのだ。
ドルを指定したのは、日本人は高額のルピーは最初から持っていない。
物価が安いので、1万円づつくらいの両替でかなり過ごせるから・・・
ドルなら高額紙幣が出ると踏んだわけだ・・・
洞窟を後にして、弟子が忘れ物と言って、取りに戻る算段だったのだろう・・・

あげくにその男は言った。
「もし、私が取ったとしても、そのお金は、私が寄付したら、
それで同じでしょう。私はよく寄付してるよ・・・」

この理屈にはマイッタ!でも、おかしくなった。
彼らの思考パターン、意識のレベルに、攻めるだけ無駄。
自分がうまく彼らのストーリーに怪しいと思ったとは言え、
なぜ、怒ったのか。それはやはり、自分が彼らにしてやられたという
思いがあったから・・・

結局、彼らには、約束のガイド代をあげて、まあ、日本人を
がっかりさせるようなことはしないでくれと言っておいた。

彼らに反省の色はないだろう。彼らの暮らしもまた厳しいのだ。

彼らは大きな悪意はないかもしれない。
日本人はお金持ちだから。気持ちよくさせて、少しこっそり
いただきましょうと言う感じかも。

僕も、知らない顔をしてもよかった。
一度手放したお金だ・・・でも、僕が手放したお金には意味があった。
それは結核のためのお金だ。目的通りに使ってもらいたい。
しかし、それすらも執着かなと・・・

いろいろと考えさせられるブッダガヤ。
実は翌日もう一つ、ショックなことがあったのです・・・
それはまた次回に・・・恐るべしブッダガヤ・・・
釈迦は、何を悟らせようとしたのか・・・

10月 24, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年10月22日 (日)

最初からハプニング

9日にコルカタ入りして、翌日にはサガール島に出発しました。
サガール島はヒンドゥーの聖地の中でもとても重要な場所とされています。
なぜ、ここが重要かというと・・・ガンガー(ガンジス川)の流れが
この地に流れるようになった神話があるのです・・・

昔々・・・アジョッダという王様がいました。
その頃、王様の力を示すために馬が放たれるということをしていました。
その馬がどこまで遠くにいけるかそれによって王様の力を示したのでした。

しかし、ある時、王様が放った馬が行方知れずになってしまいました。
馬の行方を案じた王様の息子二人が、馬を探しに出かけました。
馬は、アッサム地方で消息を絶っていましたが、
息子たちは、コピンムニという仙人が馬を捕まえているということを知り、
コピンムニのところに行きました。
しかし、二人は、この仙人に灰にされてしまったのです。

息子まで行方不明になった王様は、今度は息子を探しに出かけていきました。
コピンムニが息子を灰にしたという話を聞き、王様は嘆き悲しみ、
コピンムニのところに出かけていきます。

王様はコピンムニに会って、なぜ息子を灰にしてしまったのかと聞きました。
するとコピンムニは、馬や息子たちが瞑想のじゃまをしたというのです。
なんとか息子たちを返して欲しいと嘆願した王様に対して、
コピンムニは、ガンガー(ガンジス川)の流れをここに変えれば、
息子たちを返そうといい、そのためのお祈りや業法を王様に伝えました。

それから何年も王様は息子たちのために祈り、厳しい業を積んで、
遂にガンガーの流れを変えたそうです。

そして、ガンガーの流れが今日のようになっているということです。

サガールというのは「海」と言う意味で、ガンガーサガールというのは、
ガンジス川が海に注ぐところと言う意味です。
ガンジス川の河口に、サガール島という島があって、
コルカタから100キロほど南にクルマで走り、
船に乗ってサガール島に行き、そこで、再びクルマを手配して、
約30キロほど走るとヒンドゥーの聖地ガンガーサガールに着きます。
ここにはコピンムニが祀られています。
2sagarujin
Sagarujiinn
広々としたこの聖地は、年に一度の大祭に、インド中から何十万人もの
人々が訪れ、そのために、ここには簡易の宿泊施設やお店が建ち並ぶそうです。
3

写真ではうっかり取り忘れてしまいましたが、
ベンガル湾が目の前に広がります。
写真は、ヒンドゥーのバラモンにご祈祷してもらっているところです。
4inori

アリがたかりまくっているお供え物を海に流します・・・
このご祈祷が1000ルピーと言われました。
約2500円くらい。日本の貨幣価値だと2万5千円くらいの感じです。
どう考えても高いので、頼んでいたガイドに言ったら、
なんと30ルピー・・・
つまり、80円くらい。まあ、日本では10倍の800円くらい。
確かに、お祈りを唱えてもらっただけです。
お供えは自分で買うのです。これも、30ルピーくらいだったと思います。

まあ、僧侶もえらくふっかけてくるもんだなと思いました・・・苦笑

さて、ここに来るのに、クルマとガイドを雇いました。
クルマはドライバー付きです。
つまり、僕のためにドライバーとガイドがつくのです。

クルマは1950年代設計の国産車。国営企業だったと思いますが、
ヒンドスタン社のアンバサダー。
古そうに見えますが、このクルマ、まだ、10年しか経っていないらしい・・・
いまも製造しているのか・・・まだ調べていませんが・・・

何しろ道中でパンクしてしまい・・一度ならず二度も。
一度目のパンク。
1sagaru
2sagaru 

これは2回目・・・トホホ。ドライバーもトホホ・・・
3sagaruflat_tire

一回はスペアタイヤがありますが、2回目はもうどうにもならず。
運良く、船着き場まで4キロほどだったので、
付近の荷物を運ぶ手作りのような三輪バイク?トラックに
乗せてもらって、走りました。
4sagarutoraikuru
まったく、ひどい乗り心地だったのですが、こんな経験はまずできません。
なので、楽しかった・・・
運転しているドライバー!?の青年が、行く道々で仲間に叫んでいます。
どうやら、「おい!見ろ見ろ!」って行ってたようで、
彼らにとっては珍しい東洋人を乗せて走っていることが自慢だったようです・・・(笑)
5sagaru

ガンジス川もこの辺りはもう泥が混ざって黄土色です。
写真でもわかるかと思いますが、細かな土がとけ込んで、泥水になっています。
6sagarukakou
8

船に乗ると、珍しい東洋人、いや、異人・・・日本なんて知らない人ばかりです・・・
が乗り込んできて、みんなジロジロ・・・
スゴイ視線です!何をしてもとにかく視線があります。
カメラで撮影してると、ファインダーに目線が飛び込んできます・・・(笑)
みんな好奇の思いなのです。
9sagaruferry

ここに来る道中は、ほとんど一直線の道で、その途中。
何キロか毎に、道の回りにバザールがありました。
その他は、農民の家々が道路の近くに点在していて、
みんな土の家に住んでいました。
5nouminnnoie
水道などはなくて、雨水を池に溜めて、その水を沈殿させて飲むらしく、
そのため池で沐浴し、魚も育つので、魚を捕り、
なんでも、その池を活用します。
6ike

見渡す限りの田んぼが広がりますが、牛で耕し、すべて人力で刈り取りします。
気の遠くなるような感じがしますが、何しろ人手がたくさんあるので、
そういうシステムが成り立っているのです。
7ricefeild

バンガロールを中心にIT産業で沸くインドのイメージからはほど遠い。
実はこのような世界が、ほとんどのインドを占めているのです・・・

10月 22, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月21日 (土)

インドに見る~幸せと豊かさ

というわけで、インドから帰国しました。

日本に帰って、一番に思ったこと。
これは多くの人が思うことと同じでしょうが、やっぱり日本は本当に豊かな国だなと。

ニューデリーはそれなりに近代化されていましたが、それはほんの一部で、
街も道路は比較的整備されていましたが、全体的にはインドらしい姿。
きっと、ITで飛躍的な成長を遂げていると言われるバンガロールも、
薄汚れた街に、突如、近代的なビルが姿を現していると言うような状態なのかも
しれません。次回は、バンガロールに行ってくるので、実体がわかるでしょう。

上海もそうでした。もう4年前なので、もう少し近代化したと思います。
スラムのような貧民街に対して、道路を隔てて超近代的、いや、現代的な
ビルが建っているのです。

その点、日本は、どこにいっても、とても整備されていて、きれいで、
清潔感があります。

インドは、いや、インドだけではありません。
世界中で日本ほど整備された国はないかもしれない。
ヨーロッパに行けば、フランスはとても美しい国です。
同じラテン国でも、スペインやイタリアはどうでしょうか?
美しさは価値観や文化の問題もあるので、総体的ではありますが、
日本は美しいと言うよりも衛生的というか、現代的というか。
いろんなものが新しく、どんどんスクラップアンドビルドされて、
大体どこをみても、新しくリニューアルされています。

特に公共の場所で、50年以上前のものがそのまま使われているところは
ほとんどないのではないでしょうか?

これは、経済的な豊かさの象徴です。
インドが薄汚れているのは、国民の意識や価値観の問題もあるでしょうが、
何よりも、経済的な問題は大きいでしょう。

お金があるところにはあって、そう言うところはとてもきれいです。
リシケシに行って、そこからガンゴートリーというガンジス川の源流の街がありますが、
そこに向かう道を30キロほどいくと、タールバッティという
シヴァ神の奥さんを祀った寺院がとある山頂にあって、
ここに行ったわけですが、その途中で、この地域のマハラジャのお屋敷!?
お城ですね、の前を通りました。写真がそのお屋敷。
もう一枚は、マハラジャの城下町といってもいいでしょうか。
山頂にあるお城の背後に小さな街がありました。
Maharajya1
Maharajya2

マハラジャはベンツに乗り、ヘリコプターで移動するらしく、
富はここに集まっています。

リシケシの街には、サドゥー(行者)がたくさんいて、物乞いもいます。
サドゥーも物乞いもお金をくれという意味では、同じです。
いや、サドゥーの格好をしてますが、観光サドゥーと言われる
偽行者も多く。その見分けはつかないので、喜捨はします。
Sadxu

こんな話がヨガナンダさんの本にありました。
12年に一回。リシケシから1時間くらいの街ハリドワールで、
クンバ・メーラという大きなお祭りがあります。
ここはヒンドゥーの聖地で、この年に、何万人もの人々が集まります。
ヒマラヤで修行する聖者たちもみんな降りてきて集まるのです。

ヨガナンダさんがユクテスワというグルについて学んでいるときに、
このクンバ・メーラのお祭りに行くのですが、そこで、ババジという
聖者に会います。ババジはインドのみならず、世界的に有名な聖人です。
何千年も生きていたそうです。

ユクテスワさんの師匠が、ラヒリ・マハサヤで、その師がババジです。

ババジは、乞食行者の足を洗っていました。
なんでそんな事をするのですかと聞くと、ババジは、彼はババジのグルだという
一説があります。

つまり、聖者はいろんな姿に化身して、修行者の前に現れ、
修行者は試されるのです。

僕たちは、修行者であると自覚してなくても、この世に生きていることで
すでに魂の修行者なのです。その修行のかたちがどのようなかたちにせよ。

でも、僕たちには、目の前に現れる人が聖人かどうかはわかりません。
聖人だから扱いを変えるというのはナンセンスでしょうが、
すべての人は結局聖人なのです。僕たちに様々なことを学ばせてくれる。

だから、乞食には喜捨をし、丁寧に扱うのです。
インドでは、多くの人が乞食に喜捨、つまり、お金をあげます。
乞食を見つけるとわざわざお金をあげに行く人をたくさん見ました。

それは、いくらでもいいのです。
サドゥーも乞食も、あげた金額が気に入らなくて、もっとくれっていう
ふとどき者!?もいますが、自分が払いたくなければはっきりと言う。
喜捨をするのに、見返りは求めないので、瞬間瞬間で判断して、
小銭をあげるのです。

乞食にお金を恵むと彼らは癖になって、働かなくなるとか、
まともに暮らせなくなるということを言う人もいますが、
ほとんどの人はなんとかしたいという気持ちがあるのではないでしょうか?
でも、インドの厳しいカーストや人口の多さ、社会のシステムなど、
彼らが仕事を求めても働けなかったり、体が不自由で、
社会から見放されて生きている人たちも多く、喜捨を求めるしかないのです。
Jitennshasadoux
最近のサドゥーは自転車やバイクの乗るらしい・・・!?
このサドゥーの自転車はマウンテンバイク・・・
どうなんだろう?プロパンガスも乗っけてるし・・・ネ

ハリドワールの駅で、デリー行きの列車を待っているとき、
夕方でしたが、駅は薄暗く・・・気がつくと目の前にもそもそと
何者かが床を這ってきました。年の頃、10代半ばといった
男の子がお金を求めてきました。彼の足は麻痺してねじ曲がり、
手は奇形していて、甲はふくれあがり、指は短いものが3本しかありませんでした。
服は汚れた短パンと真っ黒になったシャツのみ・・・
ポケットのわずかなお金を差し出しました。
彼は器用にお金を受け取るとお金を額につけて、お礼を言いました。
そうして彼はまた這っていきました。

このように体が不自由で社会から放置され、それでも自分で
生きていかなければいけない人々がたくさんいました。
しかし、インドでは、そういう人々もあちこちでみられ、
何もかもが一緒くたになって、存在しています。

これには、彼らの深い宗教観もあると思います。
ヒンドゥーでは、これはムスリムもそうでしょうが、
カルマの法則が根付いていて、輪廻転生の考え方は当たり前なのです。
だから、すべての人は、この人生を選んでこの世にやってきた。
この世に生きているということです。

だから、こうした人々も大変厳しい修行ですが、自分が選んでいるという
前提の考え方があるのです。

こうした人々にもヒンドゥーの教えはあって、
苦しいながらにも功徳積んで、来世では、よりよい人生を送ろうという
考え方はあるようです。

だから、カースト制度を受け入れているというところもあるのです。

貧しい人々は年収わずか1万円程度しか手にできない人から、
大実業家まで混在する世界。
日本では考えられません。社会保護なんて概念は適用できない。
貧しい人たちは、お金がないので教育が受けられません。
なので子供の時から当たり前のように働きます。

これはバナラシでボートこぎの仕事をする子供。
僕の娘と同じ、12才です。
彼の水揚げは、ほとんど親方に持って行かれるのでしょう。
よくがんばってくれたので、チップを多めにあげました。
Boat_rawing

インドでは、豊かさや幸せについていろいろと考えさせられます。
世界は、そのほとんどがこのように貧しいのです。
でも、日本や欧米の豊かな世界しか見ていないと、
世界の現実はなかなかつかめません。
ニュースやTV、情報を知るだけでは、実体は体感覚ではわからないものです。
やはり、その世界に飛び込んで、その空気を吸って体験しないと、
ほんとうの世界はつかめない。

僕はインドで、いろんなものを見たけれど、
これまでいろんな所に旅をしてきましたが、自分の見たいものしか
見てなかったなと・・・
もちろん、どこに行っても見たいものしか見ないし、
見えるものしか見えないのです。例えそれが目の前にあっても。

だけど、このインドの旅は、自分が想像した以上の世界を見せられた
そんな気がします。

豊かさや幸せとは何かを探して、また、世界を見に行きたいと思ったのです。

10月 21, 2006 心と体 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年10月19日 (木)

ニューデリーでようやくメールできました!

いま、インドのニューデリーにいます。
といっても、この後帰国します。

何しろ、ネット環境が悪くて、ブロードバンドは田舎でもあるし、
ネットカフェもあるけど、マイPCが使えないと意味がありません。
そんなわけで、ニューデリーでやっと使えたわけです。
でも、光ファイバーじゃないんですね・・・

9日に出発して、コルカタから100キロほど南にあるガンガー(ガンジス川)の
河口にある島。サガール島からコルカタに戻り、
ブッダガヤ、バナラシ、リシケーシュと廻って、
ここニューデリーに・・・

あっ、いま、停電です。
でも、パソコンはとりあえずバッテリーで動きます。

インドは、停電は日常茶飯事です。
街中では、夜、停電に備えて、電池式の照明やロウソクをぶら下げていたりします。
街が突然暗くなるのですが、100メートル先は電気が来ているとか。

いま、ニッコーホテル(JAL)のホテルにいますが、
デリーでは、最高級のホテルの部類に入るでしょう。
一泊のお値段は、日本の同等のクラスと変わりませんが、
こちらでは、一晩、庶民の1ヶ月分の所得くらいでしょうか・・・

日本の高級ホテルのスイートくらいかな・・・

そんなホテルでも、電力需要が間に合わず、突然、停電です。
いま、こちらは6時です。外は真っ暗です。

さて、インドは初めての旅。一人旅です。
ヨーロッパやアメリカ方面なら勝手がよくわかっているので、どうにでもなりますが、
インドは、何しろ勝手な妄想が広がって、ごみごみして、不衛生で、
ホームレスや乞食がたくさんいて、牛も山羊も野良犬もうようよしていて・・・
そんなところで大丈夫かなと心配をしていました。

いろんな人から事前にいろんな情報をもらいましたが、
やはり、そう言う場所だと・・・

旅行会社に自分の行程で旅の手配をすると、コルカタに入るには、
タイエアーでバンコク経由がいいということで、バンコクで8時間も待ってトランジットをこなし、
そんなに待ったにもかかわらず、バンコクからたった2時間でコルカタに。
真夜中の2時半にコルカタに着きました。
コルカタは予想通り、いやそれ以上の街でした。貧困とスラムと化した街。
真夜中の到着の上に、いきなり路上には人がそのまま寝ています。

しかし、そんな現実も、こうしてインドの旅を終えようとしている今。
まったく、なんともなくなってしまいました。
インドにはインドの暮らしや文化、価値観があって、それに馴染めばなんでもなくなります。

ここデリーは、僕が廻った他のインドと異なり、とても(それなりに)洗練された街です。
道もきれいだし、近代的です。
きっと、IT産業で脚光を浴びるバンガロールやムンバイーはもっと洗練されているかもしれません。

次回は、近いうちに南を廻ろうと思います。

さてさて、今回の僕の旅は、ガンジス川を河口から遡り、一番行きたかったリシケシに行くことでした。
最初、思い立ったときは、リシケシでヨガをやろうと思っていたのです。
しかし、インドのことをいろいろと調べているうちに、インドそのものがとても興味深くなって、
遂に、インドの精神的なシンボル、シヴァ神の化身でもあるガンガー(ガンジス川)を
遡ってみようということにしました。

ガンガーの河口のサガール島はヒンドゥー教にとってはとても大事な聖地で、
ガンガーの川の流れが、ここに流れているのも、ここに祀られている神様、
コピンムニという仙人だったようですが、彼とアジョッダという王様の物語から
ガンガーの流れがここに流れるようになったと言うことで、話せば長いのでいいませんが・・・

このサガール島は、日本人はほとんど行くことはありません。
ここに行く途中、クルマをチャーターして、ガイドをつけたのですが、
なんと、2回もパンク。クルマは1950年代に設計された、
国営企業ヒンドスタンのアンバサダー・・・いかにも昔のクルマです。

2回目のパンクで、スペアタイヤがなくなり、田舎の三輪トラック・・・!?
手作りのバイクのような・・・に乗せてもらって、移動するなど、
のっけからハプニングだらけです。
この辺りはほとんど農民で、ほとんど自給自足のような状態です。
みんな土の家に住んでいて、かなり貧しい生活です。
Blog2

彼らの暮らしをみながら、また、サガール島では、聖地であり、
観光地でもあるので、乞食も多く、いきなり、インドの洗礼を受けた感じでした。
そうした現実に、豊かな国から来た僕は、いろいろとショックもあったのですが
貨幣価値、通貨の感覚もよくわからなくて、すごくたくさんチップを渡したり、
ボラれたり、旅の後半でようやく感覚がつかめたのですが、
ぼられたと言っても、貨幣価値は日本の十分の一。
1ルピーが約2.5円くらいで、そこそこいいレストランでいいもの食べても、
150ルピーから300ルピー。大体500円前後。
でも、こちらの感覚だと、日本円で3000円くらい使った感じになるのです。
ミネラルウォーターがだいたい1リットルばかりで、12ルピー。
30円しません・・・

なので、インドの旅はうまくすれば本当にお金を使わないんです。
Blog1

お金が出ていくとしたら、観光地でドルでふっかけられて買い物をしたときとか・・・
僕もバナラシで、類に漏れず有名なバナラシのシルクを買いましたが、
後から考えると、どう考えても3倍は払ったなと思いました。
でも、日本の値段だとそれでも安いんだけどね。なので、みんなまあいいかって。
だから、日本人はボラれます。

リキシャーといって、人力やバイクみたいな三輪がありますが、
悪いリキシャマンだと、3倍はふっかけてきます。なかには一桁違うだろうっていうのも
あるらしいのですが、僕はあたらなかった・・・

インド人は、基本的にいい人ばかりでした。
一見怖そうに見えて、話しかけるとみんな喜びます。
大体、田舎では日本人なんて見ないから、好奇の目で見られている。
ジロジロとスキャニングされるのです。その視線に耐えられるようになれば
インドはどこでもOKだと思いました。

ジロジロ見られて、ムムっ!って見返すと、普通目をそらすでしょ。
笑っちゃうのが、目をそらさない。それでも、じっと見てる。
それで、ニコってやると、ニヤっとする・・・

インドは働いているのはほとんど男性で、女性は家にいることが多いようです。
デリーでは多くの女性が働いているようですが、それでもまだまだ少ないようです。

ずっと廻って、インドにはカースト制が根強く残っていました。
考えたのですが、このカースト制が、インドのバランスを生み出しているのかなと。
とにかく人が多いのです。ホテルでベッドメイキングにやってくると、
男性が3人来て、みんなで手分けします。
掃除機なんてありません。短い柄のほうきでしゃがんでやるんです。
もちろん労働力としては、非常に低賃金でしょう。

インドは一見遅れているように見えますが、これだけの人口を抱えて、
このように仕事を生み出しているのです。
もし、日本のようになんでも自動化、機械化すると、人々はどんどん失業します。
もし、インドが高度に近代化されると、多くの人々が食を失い、
街はスラム化するでしょう・・・

貧しくとも、働いて暮らせる環境。それに加えて、カースト制度がうまく機能して、
この不思議な社会を創り上げているのかなと思いました。Blog3

それにしても、インドは話を聞いたり、写真を見てもダメです。
この中に飛び込まないと、この空気はつかめません。
ぐちゃぐちゃの交通環境に鳴り響くクラクション、のら牛やのら山羊やのら犬が
あちこちにいて、何もかもが一緒くたになっています。

ボロボロの建物、ガラスは薄汚れていても、中には古っぽいパソコンがあり、
ネットカフェなのですが、一応、ブロードバンド。でも、入り口にのら牛が
寝そべっている。そういう所です。
Blog5

インドは、他民族国家であることは理解していましたが、
これほどまでにバラエティーがあるとは思いませんでした。
東西南北、顔つきや体格も様々です。インド人って、みんなターバンを巻いていると
思っている人がいるようですが、彼らはスィーク教徒で、パンジャーブ地方に多い人々です。
パキスタンの近くです。
インドの公的なところやホテルのドアマン、衛兵はターバン巻いてますよね。
これは、ほとんどがスィークの人か、その演出だそうです。
もともと彼らは、アレキサンダー大王が東に遠征したときに来た中近東系で、
アレキサンダーがいなくなっても残った人たちらしく、
その系譜は、みんな兵士だったようです。

そのためかスィーク系、パンジャーブ系の人はがたいが大きくて、
兵士の血を引いているので、いまでも、そう言う仕事に就く人も多いと聞きました。
彼らは髪を一切切らないので、ターバンで巻いているのです。

さて、そんなわけで、インドの旅いくらでもネタがあるので、
ニューデリーからはこのくらいに。
Blog4

それにしても、だまされかけたり、だまされたり・・・きっと。
ビハール州では、ちょっと危険な目にあったり・・・
本当に面白い体験をたくさんしました。

まあ、無事インドを出発できそうです。

インドはとにかく地方に行って欲しいです。
ここニューデリーでは、生のインドの香りがしません・・・(笑)
インドは体験して損はない。豊かさに慣れてしまっているからこそ。
世界の生々しい現実を見る意味でも、インドにはすべてある。
そんな気がしました。

日本に帰って、また、気づいたことなどシェアしたいと思います。

10月 19, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月12日 (木)

遂にインドにやってきました!

パソコンの環境はあったけど、時間なくて
いまカルカッタからブッダガヤへ向かう寝台列車の中です!

カミさんにメールしてアップしてもらってます!
正直インドを誤解してました!

インドになぜみんながはまるのか…
このたった二日でよくわかった!

カルカッタに着陸し空港をでる時は
まるでプライベートライアンの上陸作戦の舟艇か空挺部隊で
飛び降りる兵士のような緊張感がありました…

まあそこまでじゃないけど…
インドにめちゃくちゃ馴染んでいます!

昨日はガンジス川のほんとの河口でベンガル湾に注ぐ
ガンガサガールという聖地にいきました。

日本人なんて行かないから道中好奇心の目が注がれます…
カルカッタから百㌔ベンガル湾に
足を浸してガンジス川を上る旅のスタートです…

田舎で自給自足の農民たち、
機械なんて使わないのにどこまでも広がる田園地帯…
そこに暮らす素朴な人々との触れ合いや、
景色に涙が溢れてしまいました。

でもインドの人は超タフです!
交通期間はまともにないのでクルマとガイドさんを
お願いして行きましたが
クルマがなんと2回もたて続けにパンク…

最初は拒まれてるのかと思いきや、
すぐに地元の手づくりのような三輪バイクというか
耕運機みたいな丸裸の三輪トラックを頼んで
渡し船乗り場まで行きました!

これにのるためにパンクしたのだと思うのです!
こんな体験できません…運転してた十代とおぼしき彼は時折、
大きな声で人々に声をかけます…

なんと村人に日本人を運んでいることを
誇りながら快走しているのです!
乗り心地はひどかったけど、みんなの視線も眩しかった
けど、笑いながら、ウルルン滞在記で
なんで泣けるのかよくわかりました。

…溢れてくるんです…かってに…
書きたいことがいっぱいだけど携帯だから、
続きはまた…写真を送れないのが残念!

10月 12, 2006 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年10月 6日 (金)

多次元意識のお話し~パート2

昨日、多次元意識について書いたけど、書くことはすごいね。

頭の中がすごく整理されて、このことについて、その後も思考が続いた。

お陰様で、友人からメールを頂いたりしました。
会社のスタッフに、この話どう?って聞いたら、
う~今ひとつ、わかりにくいということで、
もう少し解説してみたいなと思います。

再び登場する多次元意識の解説図・・・
Several_dimension_1

Aの状態が普通の人の意識状態。意識の世界は無意識に近くて、
意識的世界を理解しているのは、思考の世界やぼーっとしていて思考の中で
勝手にストーリーが始まったり、映画やテレビを見ていると、
そこに語られる内容に対して、頭の中で脳内会話しているとか
これは本を読んだり、インターネットの情報を取得している時も同じ。

思考の世界は意識の世界。一般的には脳内現象とされてしまうわけだけど、
僕は、脳の中だけで起こっていることではないと思っている。

脳は、受信装置にすぎないと・・・なんの証拠もないけど。

現実の物質世界を生きながら、意識の世界に触れている部分もあって、
それは思考とか頭で考えていることとして、普通は切り離してしまう。
よく、お母さんが「ヒロシ!そんなくだらないことばっかり考えてないで、
配達手伝ってちょうだいっ!!」そんなヒロシくんが考えていることも
意識の中の世界・・・

お母さんにうるさく言われて、思考停止・・・彼の夢はもろくも崩れ、
そんなことは叶わないと思い込みを強めて、
こうして、現実世界にはまっていきます。

だいたい、こういう感じで皆さん生きています。

Bのパターンは、物質世界である現実の暮らしがどこかに行って、
意識の世界が中心的にその人を支配してしまい、
普通に社会に属する人間としての関係性から離れていってしまうケース。

カルト宗教にはまったり、ひきこもりや特定のグループとしか
コミュニケーションしなくなったり、社会から孤立化していくというのは
こういうことかな。
自分や仲間たちと創り上げたストーリーの中に入って、
その世界で行動する。現実的な世界や社会を受け入れないという状況に
なってくると、その意識的な世界は妄想の世界になってくる。
スピリチュアル系と言われる人の中にも、こういう人が結構いて、
あと、自分の生活を投げ出してまで、奉仕の世界に向かう人々も
素晴らしいことではあるけれど、それによって自らが不幸せになるようならば
これはどうかなと思います。

このパターンは決して特殊なケースではなくて、近年特に多いよね。
自分や自分たちのマトリックスに入ってしまう。それは思い込みの世界になる。

僕の言ってる世界も思い込みの世界かもしれないといつも注意しているけど、
現実の社会との関わり方、コミュニケーションが鍵のような気がしています。

そして、いま、もっとも増えつつあるのがCというタイプの人々。
LOHASに代表される人々などはこういう感じかな。
僕がスピリチュアルと言うとき、基本的にはこういう人たちのことを言います。
現実的な生活、人生も幸せで、経済的にも適度に豊かで、
多次元的な意識世界を信じ、また、認識して、物質的なこの世界に起こる現象の
根本原因を、自分の意識、心のありようにあると考えていて、
ものごとの意味を考え、感情や態度を冷静に保ちながら、
意識的な世界、ものごとの意味の解釈を大切にして、生き方やものごとの選択、
判断をしている。
こういう人々は、シンクロニシティが特に頻繁に起きます。

でも、100%スピリチュアリティを生きることはもう少し難しいので、
その過程にある人たちというところです。

これがもう少し進むと、意識の世界が、現実的な物質世界に降りてきて、
もっと物質世界に、意識的な世界が融合し始め、もはやシンクロニシティは
当たり前で、思いは簡単に実現し、ものごとの選択、判断を
すべてスピリチュアルベースで見ています。
行動することも、物質世界に起こる出来事の中に様々なサインを捉え、
人生においてもトラブルにあったり、地雷を踏むようなことはほとんどありません。

宇宙の法則に身を委ねて生きているので、
問題を引き寄せることがほとんどないスムーズな人生を
快適にクルージングできるといった喜びがあります。

実は、今日、新たに創ったのがこの図です。
Photo_2

「リングが消える・・・」

そうです、リング消える。
太陽の光って見えますか?

見えませんよね。
でも、プリズム(分光器)を通すと、光は虹色に分解されます。
これが、可視光線の世界で、皆さんが見ているものの色と言うことになります。
光は全部重なると透明になるんです。

ものには色がありません。それぞれの表面の素材の状態に光が当たって、
反射したときに、物質に吸収される光と跳ね返る光がある。
その跳ね返った部分がそのものの色になるんです。

だから、皆さんが見ている世界は、色の世界であり、光の世界なんです。

で、太陽の光は電磁波で、色として見える光と見えない光があって、
色として見えないのが、紫外線や赤外線、電波やX線、ガンマ線とかいろいろあります。
もっと違うセンサーが開発されたら、これまで確認できなかった
性質のものもキャッチできるでしょう。

そんな感じで、現実的な物質世界と意識的な世界が融合したときに、
この世界は消滅するという仮説です。
だからリングがなくなる。

つまり、何のためにこの物質的な世界があるのかということ。

物質的な世界は、学びの場で、それは意識的な世界では学べないことを
学ぶための場所であって、物質そのものを追究する世界ではないよということなのです。

意識的な世界ではなぜ学べないのか。それは、真の意味で自由だから。
完全にフリーです。

だから、思っていることはすべて瞬時に実現する。
そうなるとどうなるかというと、同じ周波数、バイブレーションのエネルギー
つまり、人ですが・・・集まるわけです。

類は類を呼ぶのは、物質的なこの世界とは違って、こちらでは瞬時にそこに行ってしまう。
だから、死後の世界も同じわけですが、
天国と地獄なんてシンプルなものじゃなくて、無数のエネルギーの集まりがあって、
自分の思いとか意識の状態によってそこに飛んじゃうわけです。

だから、昨日の図に示したチャンネル、フジテレビとかNHKとか
書いたのは、わかりやすくするつもりだったけど、
結局、自分の見たい世界にチャンネルを合わせるどころか、
その世界に自分が飛んでいってしまう。

すると楽しいわけです。もう似たような仲間が集まって、
楽しい世界を創っている。物質的なものにとらわれるなら、
ほとんどいまの世界と同じような世界があるように創られるでしょう。

こういう世界にいると、いつも楽しくて、完全で、なんだか進歩がない。
だから、どこか進歩したい、進化したいと言う思いが、かたちになって
今度は、今の物質の世界みたいに、みんなが一同に集まれる世界が
また、時空の中に生まれる。だから、この世界は玉石混淆。
そして、死んだら、自分の帯域の世界に行くわけです。

ダンテは、こうした世界を見てきて、天国と地獄を見た。
でも、それってもしかして、ダンテにとって天国であり、地獄だったのかも。
やくざの事務所を訪ねて、怖いお兄さんが出てくると、
やはり身構える。でも、この事務所の人たちは、お互いに怖くないわけです。
ロード・オブ・ザ・リングのオークたちも、お互いの醜さが怖かったら、
みんなビビりまくって戦いどころじゃない・・・

でも、彼らは一丸となって、ガンダルフたちと戦うわけです。
すごい結束力。

だから、それぞれのエネルギーが集まった世界って、その人たちにとって、
端から見る世界とは違う。

オタクの世界っていうと、特別に感じるひともいるかも知れないけど
オタクのそれぞれのジャンルに集まる人々にとってはとても快適なんです。

だから、ある意味、みんな死んだら、それぞれの意識レベルのもっともとんがった
強いところに飛んで行っちゃうと考えると、みんな意識レベルの
オタクの世界に行くのです!(笑)

オタクをあくまでも専門的な領域を愛好する人々の世界。
エンスージアスト(熱狂的な人々)の世界とすると似たようなもんです。

そんなことで、人間進化すると、それらの個別の領域を凌駕し、広がって、
もっと大きな意識レベルになって、小さな意識レベルを包括するようになる。
他との違いの認識、いろいろな個性が融合して多様性を受け入れる
密度の高い存在へとなっていく・・・

そうなっていく段階は、ずっとずっと先まであって、人間の意識レベルからすると、
真の宇宙の根本意識なんて、まったく把握できない世界にあると考えられます。

それで、まあ、とりあえず、もう少し学びたいな、少し進歩したいなって思うから、
そんな場所ないかなって思い始めて、そうした次元空間が創造された。
この世界は神様が創ったんじゃなくて、神様は、こうした次元を
創造できる自由と能力を与えたのであって、
この世界はわれわれが創り出しているのです。

おお、なんか神がかってきたなあ・・・(我ながら・・・大丈夫か!?)

だから、そうした次元から考えると、やはり般若心経の世界で、
色即是空空即是色

あるように思うからあるのであって、ないと思えばない。

この世界がみんなあると思っているからあるんです。
この世界なんて本当はないんだって、絶対に思えないでしょう?
僕だけが思ったって、みんなが思っているのが圧倒的だから、
どうしてもないって言ったり、思っても、なかなか消えてくれない。
自分も潜在意識レベルで、あるとどこかで思っているから消えない。

もし、世界中のみんなが、「あーそうなんだ、やっぱ、なかったんだね、
なるほど!」なんて、気づいちゃったら、一瞬のうちに
この宇宙は消えちゃうんじゃないかなって思ったりするんです。
それは何億光年も彼方の宇宙ですら・・・

でも、この宇宙には、僕たち地球人と同じようなレベルで世界感を持っている
人たち、宇宙人たちがいる。だから、そんな彼らとこの宇宙を共有しているだけ。

そして、この宇宙は、もう少しバンド(帯域)が広くて、
ラジオみたいに
600MHzから1500MHzまではここで受け入れますみたいな
物質次元空間なのかなって・・・
そしたら、かなり進化した宇宙人もいたりするわけです。

話は戻るけど、人だけの図ってのは、そう言う意味で、
みんながないと思えるまで、意識の進化が続くのかなって思います。
それか、ある程度の母数、意識レベルが集まって、
臨界数に達すると、突然一気にシフトするということが起こるんだろうなと。

それがどんな世界かはわからないけど、
その時にもしかすると、その帯域に達した人たちは、
新しい世界に、達しなかった人たちは、残念ながら、
別の世界に・・・となってしまうこともあり得るのかなって思います。

最近の世界の動きを見てると、やはり、意識の輪っかと物質世界の輪っかが
段々と近づいて、僕たちの世界がそのために変わりつつあるように思います。

このふたつの世界が近づけば、近づくだけ、意識の世界で思ったことが実現する
スピードは速くなります。また、実現する可能性が高くなります。
それはネガティブなことも。

だから、僕たちはクリエイティブ、創造的じゃなきゃいけない。
調和して、平和で、美しく、安らぎがあって、豊かな・・・

そんな世界になっていくために、そう言う世界を創造するために・・・

僕たちは、生きている。

そんな世界が近づいていると思っています。

10月 6, 2006 心と体 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年10月 5日 (木)

祝!マイブログ1周年!

おめでとう!おめでとう!
今日は、このシンクロ・ないす・ド・ワンダーランドがスタートして、
1周年になりました。

早いものですね。
1年間、最初は書くネタがなくなるんじゃないかと思っていたのですが、
なんだかんだとつづきました。お陰様で書くことに喜びも生まれ、
表現力もついたなと我ながら思うのです。

思えば、昨年は大きく変化したきっかけになった年でした。
1月にニューヨークに行って、セドナ、グランドキャニオン、
アリゾナのホピ族の居住区、カリフォルニアはビッグサー・・・
ハワイに、ペルー、カナダはロッキーの街、ネルソンなど
いろんな所に行きました。

何よりもペルーに行って、インカトレイル、マチュピチュ、
アマゾンでのシャーマニックな体験は大きかった!
この1年を振り返ってあらためて、あの旅に深い意味があったなあと思います。

ペルーから帰って、すぐに始めたこのブログ。
自分が考えていること、思っていることを書くことは、
なによりも自分自身のアイデアの整理になったきがします。

書きながら自分はこう考えていたんだとか、こういうことが伝えたかったのか・・・
なんてことをいろいろと思ったりして・・・

この1年のブログを振り返ってながめて見ると・・・
たまにはいいこと書いてるなって思いました・・・(笑)

今後、本も出版したいので、ここに書かれたアイデアがソースになって
行くのだろうと思います・・・

さて、そんなことで、1周年記念ということで、
最近、考えている意識の世界を生きると言うことについての仮説を
少し書きたいと思います。(なんこっちゃ1周年となんの関係もない・・・)

この地球上でもっとも優れた生物は、人間である。
どう思いますか?

僕はもしかすると違うんじゃないかなと思い始めています。

人間は、いろいろなものを作ることができます。
思考し、科学し、地球上のあらゆることがかなりわかったような気がしています。
地球環境について、大気や気象、海流や海、大陸、地層・・・
いろんなことがわかりました。
人間や生物についても、からだの構造やDNAのことまで、
かなり詳細なことがわかっています。
科学技術で物質的にも豊かな文明を築いています。
人間社会のこと、人の心理、哲学、ありとあらゆる分野で研究が為されて、
僕たちを取り巻く世界のことを知っています。

それでも、もしかしたら、人間はもっとも優れた生物じゃないんじゃないかと
思うのです。

多次元意識・・・

私たちは、起きているときに、顕在意識があって、無意識の潜在意識があります。
顕在意識で起こっていることは基本的に理解しています。

潜在意識で起こっていることは無意識ですから顕在意識で理解していません。

多次元意識という考え方は、僕たちが生きている、
感じている顕在意識の世界だけではなく、潜在意識の領域とつながった、
この宇宙、この世界は、僕たちの通常の知覚、認知ではわからない
多層な次元があるのではないかということを前提にしています。

僕たちが暮らしている、把握しているのは、通常、たて、よこ、高さの
空間的な3次元と時間を加えて、4次元の世界です。

ここに意識が入ると5次元。

考え方によっては、いくらでも次元は広がります。
意識が入るとというのは、意識の持ち方によって、時間や空間の知覚は
変わってしまうからです。

会いたい人を待っている時間は長く感じるし、
楽しいことをしてるとあっというまに時間は過ぎてしまいます。
空間認識も似たように、意識の持ちようで変化します。

いま、見えている、理解している世界しか存在しないとすれば、
物質的な世界を追究すればいいのですが、どうもそうではないらしい。

どうも顕在意識で理解できる以上の世界が広がっているのではないか。

僕は、ボリビア国境近くのペルーアマゾンで、シャーマニックな儀式を受けて、
その時に、あるメッセージを受け取りました。
それは、意識の世界で宇宙の中心に行ったとき、
「人間の知性では、これより先にいけない」というものでした。

後日、なんとなくわかってきたのは、人間がどんなに知的に研究し、
考察しても、人間の知の領域を超えて理解したり、認知することは
できないわけです。もし、人知を超えた世界があったとしても、
僕たちが人間である以上、それはわからないというパラドックスです。

昆虫は人間の知覚や思考の世界を絶対に理解できません。
それと同じように、人間という生命体を超えない限り、
本当のことはわからないのです。

もし、映画「マトリックス」のように、僕たちがマトリックスの中に
暮らしているとしたらどうでしょうか。
あの映画のように、実際にはコンピューターやメカたちの発電機になっている
というのはナンセンスですが、本当は、この現実と認識している、
させられている世界は、実は、本当の実体ではなくて、
意識の世界こそが実体だとしたら。

僕たちが感じる知覚、認識は、コンピューターゲームの中で、
操るキャラクターたちが、3D空間の中を歩き回ったり、
撃たれて怪我したりしますが、そのようになるように
プログラムされているとしたら、

僕たちが僕たちであるように、知覚認識するようにプログラムされているとしたら・・・

僕たちは遺伝子でプログラムされているとしたら・・・

やはり、どう考えても、多次元世界、多次元意識の世界はあるようです。

僕の現在のスタンスは、この知覚している物質的な次元世界は、
本来僕たちが生きている世界の一部であって、生命はすべて、
いや、鉱物や水、空気などもすべて、同時に多次元的な存在であるということです。

わかりますか?

だから、もっと他の次元に意識を広げてみよう。
他の次元を認識してみようということです。

すると、この物質的な認知の世界にとらわれる必要がないねってことなんです。

アボリジニは、オーストラリアの砂漠や熱帯のジャングルに暮らしています。
オーストラリアの政策で暮らし方は変わってきていますが、

彼らは猟で10キロ先で獲物を捕って、大物のために人手が足りないとき、
テレパシーで仲間を呼ぶそうです!?(ホントか?)

彼らはふんどし1枚で、たいした家を持たず、暮らしています。
でも、彼らは多次元と常につながっていて、意識的な世界が彼らの中心だそうです。

だから、この世界で起こることは、彼らにとって、意識の世界との
つながりの中でのメッセージとして受け取るわけです。

いわゆる文明世界に慣れている我々からすれば、太古の暮らしをしている
ようにしか見えないけれど、実は、彼らは現世の物質的な世界よりも
広大な意識の世界に同時に生きているわけです。

ちょっと言葉ではわかりにくいので、図をい描いてみました。
多次元意識の世界が僕たちの物質世界とどのようにかかわり
認識されているかをイメージ的に解説したものです。
図をクリックすると大きくなります。

Several_dimension

一般的な人は、Aのパターン。スピリチュアル・オタクに多い人のパターンはB。
最近増えているLOHAS系の人を含む、スピリチュアル系の人はC。
スピリチュアルな世界を生きている人はD。といった感じです。

そのように考えると、いきなり飛躍しますが、人間と同じくらい
大きな脳を持った生命体。そう、イルカやクジラ・・・

(イルカもクジラで、3メートルより小さな種類がイルカだそうです・・・)

実は、彼らが地球上でもっとも進化した姿。
または、地球上における究極の意識的な存在なのかもしれません・・・
おお~大胆仮説・・・!

彼らは、家も持たず、文明も築かず、平和的な生命体です。
環境を汚染することもなく、お互いを傷つけあい、戦争をすることもない。

彼らはもしかすると、アボリジニの説のように、
そのほとんどを意識的な世界で生きていて、生命体としての魂の進化のために
必要なだけこの地球に物質化している。

そして、必要なカルマ的なエネルギーの浄化が終わると、
もう、永遠に多次元に行ってしまう。

生まれ変わるとしたら何がいい?
人間以外はいやだね。考えられないよ・・・

多くの人はそう思うでしょう。

しかし、意識の世界が80%とか、90%の存在になったら、
そちらがベースになっていることを理解しているし、
人間の知性のレベルでの不自由な人生を歩むことになんの魅力があるでしょうか。

クジラにもいろんな危険があるけど、もしかしたら、
死ぬことを予測できたり、死に対する恐怖とかは人間が考えるようなものは
ないんじゃないかなと・・・あくまで仮説です。
進化した生命体がオキアミやいわしを食べるのか?

彼らは物質的な世界に生きていないので、単なるエネルギー源としか
捉えていないかもしれません・・・

人間でも、悟りを開けば、マハーサマーディーです。
肉体から離れたいときに、自ら魂が離れていくのです。
自殺じゃないよ。

そんなことを考えていると、う~む、人間というのは、
かなり、カルマが深くて、浄化されなければいけない存在で、
学びの多い魂、エネルギー体であって、そのために人間をやらされているのかなと。

そう言う意味では、地球上の生命体の中でも、
決して上位ではなく、全部を10段階とすれば、7段階くらいの存在なのかも。

神は、人間を神に似せて創ったと言われるけど。
これは、人間に近い種族で、人間より上位の存在が人間をクリエイトした。
神的な次元は、人間より上位すべてで、究極の神とは、
宇宙そのものだと思うし、僕たちも神という存在の中にいるわけです。

つまり、神はすべてのものの中に偏在している。
電波みたいなもので、見えないけど、チューナーがあればTVが写ったり、
ラジオが聞こえたりする。

僕たちは、多層な次元の中で、いま、この物質世界にチューニングされていて、
TVのチャンネルをTBSに合わせているのか、NHKに合わせているのかと
いうことで、例えば深い瞑想をすると、フジテレビを受信できたり、
死ぬと、テレビ朝日に行くというような感じかなと。

多次元的に生きている存在は、NHKに暮らしながら、同時に、
フジテレビや日テレを認知することができる。

クジラは、日テレの世界に80%生きながら、
物質的な空間世界として、NHKに20%存在しているみたいな感じ。
または、日テレの中で、NHKを見ている、体験しているみたいな・・・

多次元世界が実体だとしたら、現世的なものを追いかけても、
それ自体には意味がないものです。

ただ、その現世的なものとどのように向き合うのか、
追いかけるもよし、それらを見つめるもよし・・・

選択は自由ですが、そこから何を学ぶのか、意識の成長の糧とするのか。
ここが大事であって、物質的な富をてにしたこと、
名声を得たことそのものには、何の意味もないのだと言うことです。

せっかく得るなら、そこから何を学ぶのか。
そのために、現世の利益を追いかけてみる・・・
それならば、意味があるかも・・・

多次元の存在をイメージすると、少し人生が広がって、
きっと意味深いものになります。
意識的な世界を生きること・・・これからの課題ですね。

1周年記念で、長~い、ブログでした。

10月 5, 2006 心と体 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年10月 3日 (火)

快適、快適

今日、遂に17インチ液晶モニターとキーボードを買いました。
写真に撮ってお見せしようと思いましたが、机の上が雑然としているので、
写真はとりやめ・・・

いままで、バイオのモバイルパソコンでTR-5Bという10インチワイドの
モニターのコンパクトなパソコンで仕事をしていました。

本体が熱くなって、狭いキーボードで画面も文字も小さくて、
でも、慣れたらこんなもんかと使っていましたが、
すでに2年経って、どうも長時間文章が打てません。
肩こりもひどい・・・

うちの会社には、マックがたくさんあって、画面もでっかいのですが、
ことワードとか、メールとかはウィンドウズが使いやすくて、
仕事はもっぱらこっちでした。

マインドマップを作るのも、マインドマネージャーというソフトが
ウィンドウズなので、やはりこれで・・・

しかし、よくやってたなぁあ。
よく使ってました!

今日、このモニターで仕事して、おお快適じゃねえか!この野郎!
と何度江戸っ子になったことか・・・・

キーボードはフルサイズで、なるほど、僕ももと工業デザイナーとして、
某家電メーカーで、書院なるワープロをデザインしていましたが、
キーボードの使いやすさはさんざん研究していたにもかかわらず、
自分のカラダを機械に会わせるということをしていました。

あまりに使いにくいので、もう一台、バイオを買って・・・
外付けハードディスクで共有化するなんてことを
スタッフに相談していたら、そうか、モニターとキーボードさえあればいいのだ・・・

ということに気づき、早速購入。

もう、なんというか、目の高さ、腕の位置。。。キーボードの高さ・・・

ああ、思い出す、若き日の工業デザイナーとしての苦節のノ日々・・・

これで、バリバリ本も書けようというもの。

ノートパソコンを使っている方は、
一度検討するといいですよ。
出張はノートで、オフィスでは、こちらに接続。
作業性が格段違います!!

モニターも安い!2万円くらいから3万円台、17インチならね。
キーボードも1500円くらいから3000円くらい。
キーボードの安さには驚いた!
ついでに、ワイヤレスのマウスも購入。

文明とはありがたいものです。
今日も感謝!感謝!

10月 3, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 2日 (月)

影響力

影響力があったり、社会的な地位がある人に多くの人は流されます。
これは、面白いことです。

社会的な地位があるとか、何らかの影響力があるから流されるのではなく、
この人はすごいとか、この人は偉いんだぁ~と思っている人にとって、
その人はスゴイのであって、影響力を発揮します。

浜崎あゆみがすごいといっても、興味のないひとには全く興味はなく、
おばさまたちがヨンさまに熱狂しても、おじさまたちは無関心ということです。

影響力を持った人を何か特別の存在のように思うのは間違いです。
特に、無意識にその人の影響下に入って、宗教家と信者のような関係に
なってしまっては大変です。
影響力下にあるということは、コントロール下にあるに等しい・・・

その人、つまり、影響力のある人が、何らかの社会的な地位を獲得したのは、
その人にとって、そのポジションがその人の人生、魂の学びとして、
もっとも価値があり、意味があるからそうしているだけなのです。

それを意識していようとなかろうと。

宇宙の法則からすると、その人が一般的にどんなに偉い人であろうと、
素晴らしいといわれる人であろうと、その人の人生はその人の問題であって、
その人のプロセスでしかありません。

ただ、その人の生き方とか、考え方に共感し、深い学びを得るというのは、
当然あって素晴らしいことで、だからといって、自分よりすごいとかなんとかという
問題ではないのです。人間の関係は本質的には常に対等です。

インドのアショーカ王は、インドの歴史の中でもっとも偉大な王様と言われています。
政治も素晴らしく、インドを大きく繁栄させて、
最後には仏の道に入り、深く帰依しました。

確かにすごいし、素晴らしい・・・・
でも、どうですか?アショーカ王の名前すら知らない人もいるでしょうし、
ほとんどの日本人にはピンとこないでしょう・・・

結局、影響力とか、社会的なポジションなんてそんなものです。

そういうポジションを持った人に憧れたり、嫉妬したり、
そうした人が、たまたま自分のやりたかったことを自分より先にやっていて、
しかも、とてもうまくやっているように見えるとき、
自分はなんでうまくできないんだろうとか、自分にはできないんじゃないか・・・
なんて思うことはしばしばでしょう。

でも、関係ありません。
それはその人の人生であって、それをうらやむ人の人生ではないから。

例えば、あなたがそんな思いをどこかに抱くことがあるとしたら、
そんな無意味な無価値感(自分なんて価値がないんじゃないかというもの)
に襲われることはないのです。

あなたの価値は、あなたにとってどういう意味があるかだけです。

だから、意識しているか、無意識なのか、自分の人生を選んでいる自分がいるのです。

影響力のある人になりたいけどなれない人は、
影響力のある人間になると困るという無意識がどこかに働いて、ブレーキをかけています。
多くの場合、影響力が大きくなって、社会的なポジションを得ると、
いまの人間関係を壊すことになるケースが多く、
その関係性のコントロールができない人が多いのです。
もちろんそれだけではありませんが・・・

キリストも言っています。
毎日生まれ変わること。

人は日が昇るたびに生まれ変わっています。
過去のことを思っていてもしかたありません。
今日を毎日、新鮮に生きる。

人間の価値は、社会的なポジションではなく、
その人が自分に正直に生きて、安らぎと平和を獲得しているか、
自分の人生に満足しているかどうかで図られるもの・・・

人生をどう生きているか・・・それだけだと思うのです。

10月 2, 2006 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年10月 1日 (日)

昨日、エハンの講演会を岡山で開催

昨日、エハンの講演会を岡山にて開催しました!

定員80人のところ、20人超えの100人と超満員となりました。
今回のテーマが、「激変する世界~人類の進化とDNA」という
ちょっと思いタイトルにしたので、出だしが悪く・・・
テーマが難しく感じられたのではと思ったのですが、

結局、たくさんの皆さんにお集まりいただき、驚きました。
お集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました!
Echanseminar1

今回も、九州から関西、山陰、四国や広島などからも
皆さんお集まりいただきました。

今回のお話しのコアは、DNAですが、このDNAが私たちの意識の進化と
どうかかわっているのか、DNAの先端科学の研究情報とエハンのネットワークならではの
貴重な情報をベースに、エハンの研究の成果が、とてもわかりやすく語られました。

ネズミやチンパンジーと人間の遺伝子の違いはほんのわずか、
アメーバのようなバクテリアと人間は遺伝子的には半分くらいしか変わらないことや
部室的な肉体を構成する遺伝子は、わずか3%程度で、
その他97%は、いまだ何のためにあるのか解明されていないなど、
DNAに関する情報が示され、話は、いま、もっとも注目されている、
電気的宇宙論にまで及びます。

太陽が電気的な存在だとすれば、電磁波の影響で、我々の遺伝子は大きな影響を受ける。
その太陽がいま、大きく変化しているというお話しです。

つまり、太陽の変化が、我々人類のみならず、地球上の生物、非生物に至るまで、
変質、進化させるというお話しなのです。
Echanseminar2

エハンの話は、とても高度なので、ここで簡単に語るわけには行きませんが、
ご興味のある方は、後日、DVDも発売致しますので、そちらをぜひご覧ください。
エハンのユニークなパフォーマンスもお楽しみです!!

さて、それにしても、DNAというテーマで、これだけ皆さんが集まったのも
主催しながらすごいなと思ったのですが、
そのうち8割は女性だったというのもすごいなと・・・

これは決して、女性に偏見があるわけではないのですよ。
果たして、10年前、20年前だと、DNAのテーマで、女性が集まったかなと・・・・

さすがに、いま、そしてこれからは、女性の時代です。
女性に焦点を向ければ、いろんなものごとが見えてきます。

それを強く感じました。

ますます楽しみな時代になってきました!

10月 1, 2006 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)