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2009年7月17日 (金)

意識はヴァイブレーション

意識について考えること自体、パラドックスに落ち込むことになる。

それは、なぜかというと、意識は、3次元的空間プラス時間で

4次元的な時空間では、意識の本質は捉えられないからだ。

意識の本質は、5次元以上の世界にあって

意識の本質を我々の思考の時空間で捉えようとすることは

永遠に続くモグラたたきゲームで、答えはでない。

意識について、語るとするならば、

荒い意識と精妙な意識があるといえる。

わかりやすく平面的に、二次元波動で表現してみると

荒い波動は、Aのように大きな波となっている。

精妙な波動はBのように、細かなバイブレーションで表現される。

Photo


人生の時間的長さを同じとするならば、という表現自体おかしいのだけれど、

なぜなら、時間は、一人ひとりが自由に創造できるものだから・・・

この話は、またにしよう・・・


仮に、同じとするならば、バイブレーションの荒い人は、大きなアップダウンがあるように

人生の中で、大きなトラブルが何度かある。

本当は、いろんなストレスがかかっていても、
そこに気づかず、また、見ようとしていない。

そのために、ため込んだネガティブなエネルギーが大きな現象を引き起こす。

意識が精妙になっていくと、こうした人生を激変させるような大きな問題は
起こらないかもしれないけれど、

実は、日々、もっと言えば毎瞬毎瞬、小さな感情の変化に気づくことになる。

意識が精妙になってくると、ネガティブなエネルギーをため込まなくなるので、

こうして小さな感情の変化を見つめながら、それを観察し、内省して、
うちなる自分へとフィードバックしていくことで、
より意識は精妙さを増していく。

荒い意識は、自分の感情の問題を、他人せいにしたり、自分で責任をとろうとしない。

自分の宇宙で起こる全ての出来事は、
自分自身の中で起こっているのに。。。

意識のバイブレーションが荒いと、波動のピークの数のように、

「知っている」数は、この山の数と同じ。
荒いと山の数は、例えばAなら5つ。

つまり、誰かのことを知ってるというのは、5つの情報しか持っていない、
いや、持てないからだ。持とうという意識もない。
バイブレーションが5つの山しか許容しないからだ。

だから、こういう人たちは、こうしたわずかな情報で人や物事について判断し、
そうしたものだと決めつけてしまう。

同様に、自分自身についても、知ろうとしないし、
知り得ることもできないということになる。

意識が精妙になってくると、Bのように小さな山が無数にあるように
この山は、いわゆる触覚、センサーのような役割をもつ

人についても、世界についても、物事についても
その微細な感覚を掴んで、たくさんの情報を瞬時に5時限的に把握して
理解することができる。

だから、その人や物事について、やたらに決めつけたり、判断したりしない。
判断しないから、比較もしない。

判断はできない、なぜなら、本質から見れば、その人や出来事の一時的な側面は
一時的な部分が現れているに過ぎないことを知っているからだ。。。

荒いバイブレーションは、川の上流の大きくて、ごつごつした岩のようなもの。

精妙なバイブレーションは、川の下流の丸い石ころ。

そして、石ころは、さらに丸められて小さくなって、

最後は、小さな小さな砂粒になって、大いなる海へと還っていく・・・

意識もそうして、大いなる中へと還っていくのだ。。。

7月 17, 2009 心と体 |

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コメント

マインドとバイブレーションの考え方に
すごく共感できます。

時間の話楽しみにしています。

投稿: 松本  康 | 2009/07/18 13:01:05

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