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2010年3月26日 (金)

本当の自分を生きることと怖れ

心を扱う言葉として、正確な言い方ではないのですが、
本当の自分と本当ではない自分=演じている自分があるというのは、
意外に知らない人も多いものです。

でも、少し自分の人生に目を向けてみれば、
仕事や人間関係、住んでいる環境や生き方そのものなど、

本当はこんなの嫌だな、なんで自分の人生はこんなのなんだろう?
もっと自分らしく生きたいと、自分の人生を振り返る人も多いと思います。

ほとんどの人は、創り上げた虚像、本来の自分ではないけれど、
生きるために培ってきた知恵を持った自分を生きています。

もし、あなたの身の回りの世界が、完全に安全で、安心して生きられる、
真の平和の中にあって、その中に生まれ、育ってきたならば、

世界が自分の存在を脅かす場所ではなく、身体への危険も、
生存への不安もない場所なら、

私たちは、何の不安や怖れを覚えることなく生きられるはずです。

私たちは、怖れをどこかに抱きながら生きています。
それは、無意識の中に抑圧している怖れだと、
顕在意識では気づいていないことも多いかも知れません。

いま、私たちが抱える怖れとは、生存(死への怖れ)や身体的、精神的な痛みです。

私たちは、痛みを避けて、快楽を得たい存在です。

快楽を得る前に、痛みを避けます。
痛みを抱えたまま、快楽を求めるということはほとんどないでしょう・・・

痛みは、危険を理解するためにあります。
それによって身を守ります。

私たちは、痛みがあることで今日まで生存し、種を保存してきました。

そう考えると、怖れとは、生存し、命をつなぐために必要なものだったのです。

恐れを克服するために、生きるための機能として備わっているもの、
人類の身体的、意識的な成長のプロセスの中で、育んできたものが、
この自分という存在を、世界に、社会に、人間関係に適合させるための
安全装置としての『アイデンティティ』なのです。

そして、そのアイデンティティが、自分にとって、あまりにもリアルで
自分にとって馴染みがあるために、アイデンティティそのものを
自分自身だと思いこんでしまっているのです。

本当の自分を生きるとは、本当の自分を思い出すことから始まります。

やりたいことをやって生きる。

これも本当の自分を生きることかもしれませんが、
やりたいことというのは、実は、生きるための知恵であるアイデンティティが
生存するためにやりたいと思っていること、思いこませていることかも知れません。

本当の自分ってどんな自分でしょう・・・?

本当の自分を生きると言うことは、

アイデンティティの鎧、または、服を脱ぐと言うことです。

パーティーに出かけるときに、周りの人々に、よりよく自分を見せるために
華やいだ、おしゃれなドレスやスーツに身を包むように

アイデンティティも同じように、周りの環境に対して、
自らの外側の自分、アダプターとしての自分を作ります。

世界に対する怖れや生きる事への怖れを手放すことができれば、
本当の自分、そのままで生きることができます。

許可なく自分らしさを生きていいし、
そんな自分を許さず、許可を与えてないのは、
他でもない、自分自身なのです。

怖れとは、自分の心がつくり出す幻想です。

怖れという感情はあっても、本当は怖れる実体はありません。

だから、僕たちは、怖れとは何か?
なぜ、怖れるのか?
何に怖れているのかを深く見つめてみなければならないでしょう。

怒り、いらだち、許せない気持ち、焦り・・・

豊かさも、利便性の追求も、
貧しいと感じたり、不便であるという思いからの怖れから発していると言ってもいいかもしれません。

怖れとどう向き合うかは、本当の自分を見つめる意味でも
とても大切なことなのではないでしょうか・・・

3月 26, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 8日 (月)

エネルギーの奪い合い

世の中何でも白黒つけたがるけれど、それはなぜだろう?

白黒明確にしたいのは、そうすることで何かを得たいから・・・

あいまいだと、はっきりしないから。。。

もし、そこから何かを得ようとしないなら、

はっきりしなくてもいい。

何かってのは、権利だったり、利益だったり。。。

これらはすべて、エネルギー・・・

エネルギーって何?どんなもの?って言っても難しい。。。

それは、それ自体が、何かを作用させる力を持っているんだけれど

気だってそうだし・・・・プラーナもそう・・・お金もそうだし・・・

人の存在、生き物の存在も、それ自体にエネルギーがある・・・

見えないけれど、そこにあるもの。

ビジネスでも、お金のやり取りをしているけれど、

お金というカタチで、本当はエネルギーのやり取りをしている。

目に見えるカタチのエネルギー

感情もエネルギー・・・怒りや悲しみ、喜びや楽しみもエネルギー

だから、楽しい気分でいたいから、それを人からもらおうとする人もいれば
奪おうとする人もいる。

本当は、エネルギーは自ら生み出せるのに。。。

感情はエネルギーだから、放出したり、吸収したり。。。

怒りや悲しみも、自分で耐えられなくなったら、
人にぶつけることで、逆に、関心や罪悪感を満たせることで
その人のエネルギーを奪う・・・

実は、こうした、エネルギーの奪い合いが、いろんなところで日々日常起きている。

愛とは、無限のエネルギー。

愛から発するエネルギーは経ることがない無尽蔵のエネルギーだから

どんどん人にも与えられるし・・・自分も愛の自家発電機になれる・・・

でも、愛を与えさせるとか、何かの引き換えに愛を与えるというのは

それは愛じゃない・・・

すべては、エネルギー・・・

愛から世界とつながれば、エネルギーを奪うことはないのだ。。。

3月 8, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

この先どうなるんだろう。。。

人間の創造力とテクノロジーはとどまるところがない・・・

この不思議なロボットの動き。。。考えさせられるなあ・・・

3月 8, 2010 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月 4日 (木)

自然の流れの行き着く先は・・・

自然とは何でしょうか?

自然とは、ただあるがままであり、

人間の意図が組み入れられていないものといえるでしょう。

この世界で、人間だけが創造することができます。

ビーバーがダムを造ったり、鳥が巣を作るのは、習性です。

ビーバーは、こんなデザインのダムを造ろうなんて、イメージしません。

人間は、イメージして、構想し、具現化のために知恵を使います。

人間だけが、自然と関わりながら、自然に意図的な介入をして生きるのです。

ですが、これも、大きな意味では、自然の法則の内にあると言えます。

人間も、自然の産物です・・・

自然の法則には逆らえません。

僕たちが、何かをする時には、必要があってする場合と、

こうしたいという欲望があってする場合とあります。

たいていの場合、この両方が混ざっているケースがほとんどです。

欲望によって行われることは、自然の法則に従っているのでしょうか?

欲が起こるのは、人間に備わっているので、自然に起こるものです。

でも、その欲に従うかどうかは、人間の意志によって選択することができます。

どちらを選んでもいいでしょう。

結果は、いずれ同じところに行きます。

時間的なずれがあるだけです。

それが自然の法則です。

自然の法則は、水が高いところから低いところに流れるようなものです。

自然の法則に反したことは、上手くいかないのです。

自分の行いが、自然の法則に従っていなければ、なかなか上手く行かないものです。

逆に、自然の法則に従っていれば、極端に言うと何もしなくても進むものです。

自然の法則を利用すれば、たいした努力もなく上手くいくのです。

では、自然の法則に従っているかどうかをどうやって、

見分けることができるのでしょうか?

ここが大切なところです。

「違和感」

自分の中の違和感に注意してください。

感性が研ぎ澄まされていれば、直感も働きますが、直感はあっても、

受け取る力が鈍っているとせっかくの直感もわかりにくいものです。

でも、違和感は、意外によくわかるものです。

違和感を感じてみてはいかがでしょうか?

違和感を感じるものは、あなたに合っていないのです。

違和感を感じるものは、あなたにいつか必要になるかもしれませんが、

いま必要ないものかもしれません。

自然の法則に従ってみてください。

流れに身を任せてみてください。

運命という小舟が流れ着く場所は、きっとあなたが本当に行きたかった、

癒しの地ではないでしょうか・・・

3月 4, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 3日 (水)

何かになろうとするのはなぜ?

成功したいという思いは、多くの人が持つようです。

僕も、若いときは、ひたすらに成功したいと思っていました。

最初は、成功という言葉よりも、

若きデザイナーとして、名声を我がものにすることを欲していました。

お金のことは考えたことはありませんでした。

たぶん、著名なデザイナーになれば、その報酬は当然だからでしょう。

お金のために何かをするという考えはなく、

価値あるデザインを創造する思想家になりたかったんじゃないかと

いま振り返って思います。

でも、年を取る毎に、挫折が始まりました。

10人程度のスタッフを抱えるデザイン会社を経営するようになり、

会社はまるで、暴走機関車のように、ひたすらに走り続けていたようにも思います。

その頃には、売り上げ思考にもなっていました。

そして、成功哲学や自己実現と言う言葉を知り、

より効率的に、経済的自由への道を目指したこともありました。

それはそれで、今思えば、すべて必然で、いい経験だったと思います。

いまの僕の価値観を形づくる。。。いや、本当の自分の姿を思い出すために

不必要な価値観を手放すために体験し、

体験することで昇華し、燃焼させる。。。成仏させると言ってもいいかもしれません。

幽霊が現れるのも、自分の存在に気づいて欲しいパターンは多いわけですが、

自分がどんな価値観を持っていて、その価値観が自分を縛り、

自分に苦しみを与えていたりします。

一見、素晴らしい成功、富と名声を得ていても、いつも不安にさいなまれている人も多いのです。

何が、そうさせているのか、何故にそうしなければならないのかを見つめていくことで

本当の自分に気づきます。

いらないものを手放したいけれど、何が不必要なのかわからなくなっているのです。

あまりにも、長く接していると、感覚がマヒして、それに違和感がなくなるものです。

そして、慣れ親しんだもの、環境からは、なかなか離れられません。

新しい環境へ適応する不安、変化の不安があります。

不必要なものでも、慣れ親しんだ環境の方が、新しい環境への不安よりましなのです。

それも、必要があってのこと、でも、いつしか、そこを離れるときが来ます。

離れたくても離れられないのは、その体験を味わい尽くしていないからです。

同じ過ちを繰り返す人は、顧みることをしません。

その体験を味わう。その体験がどんなものなのかじっくり感じてみる。

感情はどうなのか、怒りがあるのか、喜びの中にいるのか、淋しいのか。。。

そして、どういう意味があるのか、何をもたらそうとしているのか、何を得ようとしているのか。。。

体験を味わい尽くすと、昇華してなくなります。

それは、喜びや楽しい体験も同じです。消えていきます。

だから、恋も終わるのです。

ただそこには、愛が残ります。本当の愛が拡大し始めます。

恋は執着がありますが、愛は、自由で、束縛がありません。

体験することで、その体験が味わい尽くされたら終わるのです。

苦しみも、悲しみも味わい尽くさない限り終わりません。

それは、自分で感じること、自分の中で味わうことです。

辛く、苦しい局面もあるでしょう。でも、それを深く深く味わい尽くすと、消えていきます。

昇華するのです。

何かになろう、どこかに行こうとするのは、それを体験したいからです。

満たされていないからです。

体験し、味わいつくして、満たされるとそれはなくなるのです。

人として、人というプロセスをすべて味わい尽くした人は、もう、そのプロセスはお終いです。

死というものではなく、プロセスの終わりであり、次のプロセスへ移行します。

何かになろうとするのは、体験したいから・・・

本当は、何もしなくていいんです。したくないなら。。。

する気が起きないというのは自然なことです。

その感覚を大切にしてみませんか・・・

自分を大切にすると言うのは、そうした、自然のままの自分を許すことであり、

その先に、本当に自分がやりたいことは、起こってきます・・・

自然に動き出すのです。

それが、本当にあなたがやることであり、必要としていること・・・

生きるために何かをしなくてもいいんです。

必要があって、生を授かり、生かされているのですから、

それに身を託することです。

そうすれば、必要なものがもたらされます。。。

どこかに行こうとするのはなぜか、じっくり考えてみるのはどうでしょうか?

3月 3, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 2日 (火)

全てが自分

あ〜あんなこと言わなきゃ良かったとか

なんでこんなことしちゃったかなって、後で後悔することがあります。

失敗したと思うことがあります。

確かに、そう思ってしまいます。

でも、事実として、言っちゃったり、やっちゃったりするわけです。

なんでそうしたのか、なんでそうなってしまったのか、

やっぱり意識的にも、無意識的にもそうしてしまったわけです。

そこに至る過程はあったと思います。

でも、発言や行動に後悔を感じるわけです。

人によって、同じ事をやっても、後悔する人としない人がいます。

その人の価値観の問題です。

人によって価値観はみんな違います。

生きてる世界が同じ人なんていないんです。

たぶん相当近い人はいますが、限りなく近い人もいるかもしれません。

でも、やっぱり違うんです。

世界で60億の人がいるなら、それだけの違いがいまの世界に必要なんです。

この世界に1人しかいなかったとしたら、1人でいいんだと思います。

すべては、体験です。

体験のエネルギーは宇宙に還ります。

宇宙は、僕たちを通じて体験のエネルギーを得て、糧として、

宇宙を成長させています。

僕たちに成長のプロセスがあるように、宇宙にも成長のプロセスがあります。

宇宙とは、神様と同義語です。

もし、宇宙が完全で、満たされているなら、宇宙も、僕たちも必要ないでしょう。

必要だから在るんです。。。

僕たちの体験は宇宙へと還っていきます。

宇宙は、満たされたいんです。

1人では足りなくて、60億もの人が存在するようになって、

植物や虫、魚や動物がいて、土や空気、水があって、あらゆる性質のものがある

これは、すべて宇宙の体験なんです。

だから、ひとつの存在は、その存在として、体験したいことを体験します。

お互いが関係し合って、そこで体験が生まれるだけです。

そこで抱く感情は、起こってくる感情は、その人のものです。

そのエネルギーは宇宙に還っていきます。

相手がこう思うんじゃないか、ああ感じたんじゃないか・・・

その通りでしょう。思ったり、感じたりします。人は感情の生き物です。

喜怒哀楽を感じるようになっているんです。

クルマに、エンジンがあって、ハンドルがあって、タイヤがあるように

喜怒哀楽があって人間なんです。感じ方はいろいろです。

相手が思うこと、感じること、抱く感情は、その人のものです。

どう思っているか、感じているかはその人以外にはわからないんです。

自分のものではありません。その感情を引き受ける必要はないんです。

だから、本当は、後悔なんてないんです。

だから、失敗もないんです。

自分が体験しているようで、本当は宇宙が体験しているだけ。。。

自分が宇宙と別ものと思うから、思えるから、自分の体験で、自分の価値観で

自分を責めたくなります。嫌な気持ち、哀しい気持ち、恥ずかしい気持ち・・・

でも、宇宙と自分は一体不可分です。もっと言えば、宇宙そのものです。

自分も体験したかった、相手も体験したかった・・・宇宙が体験したかった・・・

それだけです。

価値とは、相対的です。何かの尺度があって価値が生まれます。

価値がないと考えるのは、何かと比較するからです。

その体験は価値があったのか。。。

価値なんて自分に必要かどうかだけです。

宇宙が必要だから、自分を通じて、体験しているんです。

宇宙=自分ですから。。。ということは・・・


宇宙=自分=他人=全て


すべてがひとつであり、全てが自分なんです。。。

だから、後悔なんてないんです。。。失敗なんてないんです。

3月 2, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)