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2010年11月15日 (月)

表現すること・・・

何某かの特別なスピリチュアルな能力を持つことと、
意識的な悟りは関係ないようです。

何か特別な感覚や情報を受け取ることができる人は、
ただ、そのような能力が生まれつき備わっていたり、開発されたりする。
それは、臭覚、味覚、触覚など五感で感じ、認識するものと変わらぬ能力のひとつなのでしょう。
いわゆる、シックスセンス・・・

そのような特殊な能力をもっているからといって、
その人が悟りを開いているとか、言動が真理に基づいているとは限らない・・・

よく、カンフー映画にもあるけれど、
武術に長けた人が、武術を武器に、人々を脅かす存在になる話はよくあること。
その能力をどのように扱うかは、別問題。

そういえば、ジャッキー・チェンのベストキッドもそんな感じですね。。。
http://www.bestkid.jp/

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逆に、何の特別な能力を持たない人で、素晴らしい人格、人間性を感じる人も多く、

また、特別な感性を持っていても、決して、それを表に出さない人もいる。

聖人とよばれるような人でも、そうした特別な感性を全く持っていない人もいるのです。

能力は何のためにあるのか・・・

能力は使ってなんぼのものではない。

使うべき時に使う。
使いたいときに、いつでも使える。

そういうものであればいいと思うのです。

それは、元来備わったものでも、努力して獲得したものでもいいわけです。

能力を見せたい人がいます。
そういう自分に気づいていない人もいます。

なぜ、見せたいのでしょうか?

自分の能力を見せたい。。。
私には力がある。こんなものを持っている。
周りにいる人は、その人が持っている能力を知らない。

そう思っている。

だから、その能力を見せて、自分の力を知らしめたい。

その人がそのようにあるのは、その人が見せたいという思いを持っているだけではなく、
周りにいる人も、その人が能力を持っていることを知らない。
持っていると信じていない。関心がないために起こるのです。

Spidernetsmall_2


もし、人々がお互いに全ての人には、何某かの素晴らしい能力を秘めている。
その能力がどんな能力であっても、等しく100%認めてあげるならば、
あなたは素晴らしい能力を秘めていると知るならば、
みんな認められていることを知り、満たされます。

それがどんな能力でもいいのです。

愛とは、そうして何も区別せずに、ありのままに認めることができる力。

自らが満たされている人は、地中深くから蕩々と湧き出す泉のように、
内なる喜びから表現され、それは、誰のためでもなく、
自らの発露として、現れるダンスのようなもの・・・

それは、あまりにも自然で、美しく、喜びに満ちているので、
周りの人々も、それに魅了されるわけです。

本来、すべての表現とは、そのようにあるのが自然です。
それは、相対的、二元論的なものではなく、つまり、対他が存在しなくとも表現される。

自らの喜びとして輝くわけで、太陽のようなもの。
太陽は、地球や私たちの感謝の度合いによって、
その光の加減や温かさを変えることはありません。

何のために、表現するのか・・・

表現とは何か・・・

何かのために表現するのは、何故なのか・・・


少し考える必要がありそうです。


11月 15, 2010 心と体 |

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コメント

そうだ。そうだ。

投稿: チャリーモ | 2010/11/15 22:15:01

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