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2011年2月26日 (土)

深海魚2

以前も紹介したサイトですが、

The Deep

http://www.press.uchicago.edu/books/nouvian/index.html


今日は、阿佐ヶ谷でのクエストカフェでしたが、
ここでも、深海魚のお話をしました。

何の会やねん。。。笑

クジラについても同じようなことを思っていたのですが、
それは何かというと、


例えば、この深海魚くん。。。


何とか魚の姿で泳いでいますが、こうやって、撮影のために光を当てるから、
姿が見えますが、通常は、光の届かない真っ暗な世界に住んでます。

こういう魚は、もしかすると、すごく深い瞑想状態に等しい世界にいるのではないかと考えるのです。

物質的な存在でありながら、実は、精神的な意識世界に生きている方が、
圧倒的に多く、物質的な感覚では生きていないと思うのです。

過酷な物質的な領域に、在ることで必要な深海魚くんの魂のニーズがあるのだと思うのです。

でも、瞑想という言葉は、魚にはちょっと合わないと思います。

というのも、魚には、自我がないからです。

ともあれ、深海で生きる深海魚くんたちはとっても興味深いです!

ギョギョッ!!Shale_p52_72


2月 26, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年2月23日 (水)

信じるということ

一昨日のサーフィンで、どうやらウニを踏んでいたようで。。。

今頃になって痛いがゆい。。。

右足、薬指の下辺り、7カ所くらい、、、でも、深くはないので、大丈夫。。。

上がった後に、どうも、痛いし、穴が空いてると思ったんで、
ウニかなと思ったけれど、とげが見えなかったので、そうは思わなかった。。。

いまは、赤紫になってる。。。

浅いので、放っておけば、次第に溶けてなくなるそうなので、
ここ数日我慢するしかない。。。。


さて、信じるということの大切さをふと思ったのです。

うちの会社は、スタッフと共に、外部のスタッフもチームとして一緒にやるのがほとんどです。

クライアントもいろいろなタイプの会社があるので、

適材適所、やはり、その会社にあったベストな組み合わせで望みたいのです。

デザイナーやライターも、カメラマンも、個性があります。

特に、デザイナーはどういうタッチが得意かで、苦手な表現になるととたんに
いつものセンスがでなくなったりします。

オールマイティなデザイナーもいますが、仕事がいっぱいでお願いできなかったりします。

社内のデザイナーも得意、不得意があります。

それぞれに振り分けて、何よりも、クライアントのための仕事なので
何がベストかを考えるのです。

仕事をスタッフにお願いするときに、僕が会社をやり始めていた、
18年程前からの10年間近くは、なかなか部下を信じることができずに、

手直しをしたり、何度もやり直させたりしていました。

もちろん、品質が必要な基準に到達していないので、クライアントには、見せられないから当然なのですが、

そもそも、信じていなかったような気がします。

期待していなかったというのか。。。

最後は、僕が直せばいいやくらいに思っていたと思います。

自分が何でもできるという慢心から、同時に、君たちにはできないだろうという見くだした思いがあったのです。

若いデザイナー、経験の少ないデザイナーが、最速で上達し、優れた表現者になるには、
何よりも、量稽古が大事です。

デザイナーに限らず、なんでも、ある一定のレベルに達するには、量稽古がものをいいます。

信じるというのは、そこを信じてあげると言うことです。

必ずできる。この一歩を前に出れば、また、ゴールに近づくんだ。。。

そう信じて、一歩一歩前に進む。

その上で、自社の品質に合わせて、対応していくという姿勢です。

それは、スタッフだけでなく、実は、自分自身にも言えるのです。

自分を信じてないから、諦めたり、モチベーションが下がります。

すべては、プロセスの中にあって、真実のゴールは、永遠の先にあります。

どんなに優れた芸術も、未完の大作なのです。

極めれば先があります。

でも、表現者が制作をやめた時点で、表現者がこれで完成だといった時点で、作品は、止まってしまうだけです。

人間は、年を取って、老いていくわけですが、

肉体的には、筋力も落ち、肌もしわになって、だんだんと活力が落ちていくようですが、

それが、終焉に向かっているのではありません。

今度は、内なるものが、磨かれていきます。

いよいよ、内なるものを見つめて行かざるを得なくなっていくのです。

信じると言うことは、他人ではなく、まず、自分を信じること。

だから、他人を信じることができる。

すべては永遠のプロセスの中にいる仲間。
魂の成長を見守って行くしかないのだと思うのです。。。

2月 23, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月21日 (月)

サーフィンGO! GO!

今日は、今年初のサーフィンに、仲間と一緒に高知に行ってきました。

高知と言っても、ずっと南、中村です。

よく行くポイントの平野ビーチは波が大きいものの、コンディションがよくなく、

さらに南下して、土佐清水市の布という漁港の前にある、
ロック。。。海底が石、岩のポイントです。

そちらに移動。。。

朝イチは、波があまりなくて、

さらに、奥の方に、狩津というポイントがあり、
バッチリのコンディションだったので、さっそく入りました。

さすがに、ここまで南に来ると、今日、全国的に温かかったと思いますが、
春のような暖かさでした。

水温も、思ったよりも冷たくなくて、すぐに慣れてまったく問題なく・・・

ロックは、ポイントブレイクで、波が崩れる場所が、ほとんど決まっているので、
アウトに出る時も、ほとんど波をかぶらずに出て行くことができます。

波も、そこそこのサイズで、かなり楽しめました。

潮が引いて、波の状態も悪くなってきたので、
布に移動。。。

逆に、こちらが、すごくいいコンディションになってて。。。

再び、入って楽しめました。

でも、さすがに、3ヶ月も行ってなかったので、身体がぜんぜんできてなくて、
せっかくのいい波も、身体がついていかず、残念ながら6割程度。。。

それでも、いい波にあたってよかった〜!

今年も、時間があるときは、できるだけいっぱい行きたいなと。。。

あらためて、海と仲間とサーフィンと。。。いい一日になりました!

2月 21, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月17日 (木)

愛が満ちるとき

僕たちの理解できるもっとも大きな宇宙原理とは、

「すべては、ひとつ」だってことです。

今日の岡山でのクエストカフェのテーマは「愛の源泉」なんですが、

"愛とは→結び" なんですね。

それは、結ぶ力、ひとつになろうとする力です。

その反対は分離です。

愛はすべてを受け入れて、ひとつになろうとします。

または、愛は、全体そのものといえるので、分離があれば、それはひとつに戻ろうとしている。

そもそも、愛とは、水の中に泳ぐ魚の水そのもののようなものです。

愛を否定しても、愛そのものの中にいる僕たちは、愛の一部でしかなく、
同時に、愛そのものでもあるのです。

そして、もうひとつの大きな原理は、すべては意味があって、縁があるって事です。

でも、この原理は、その意味を理解するには、とても複雑なものもあります。
あまりに大きな流れの中では、それがどこに向かっているかわかりません。
流れていることすらわからないということです。

川の流れや海岸線の潮流の流れはわかっても、
海流の流れや地球が宇宙を移動していることは体感できません。

だから、僕たちが運ばれているということに気がつかない。

気がつかないものは、認識しようがないので、背景で何が動いているか知るよしもないのです。

1つ前のブログで書いた、三層構造ですが、
これは、ボディ・マインド・スピリットなわけです。

目の前に起こる現象、出来事、僕たちの行動に対するリアクション、
僕も含めて、ごくごく普通の人が、普通に生きている領域、
それがボディ領域であり、物質的な領域です。

起こる出来事には、それが起こる背景があって、そして、その現象が起こっている意味があります。

本質的には、その意味が生み出すエネルギーを味わうために、
その背景を生みだし、行動や物質的な現象を創造していくのです。


深い領域からのエネルギーは、ほとんどコントロール不能です。

無意識の領域であり、そこからの意図が、勝手に環境を創造していくからです。

自分がクリエイトした環境で、自分が無意識に演じている。そんな感じです。

それを拒絶しようがどうしようが、すべて、自分のクリエイション=創造の産物なのです。

だから、起こる現象は、どうあっても、味わってみる。
それが、僕の基本的な行動原理です。

そうやって、味わっていると、本来不必要なものは味わう必要がなくなって、
楽し、楽しの出来事しか創造しなくなります。

深い領域からのエネルギーは、コントロール不能だと言いましたが、
そもそも、エネルギーがクリアなら、コントロールの必要すらないのです。

だって、必要な事しか起こらないから。。。

否定的な出来事が起こる背景には、感情レベルの怖れや怒り、悲しみがあって、それが否定になります。

過去に味わったネガティブな感情パターンを味わうと、二度と味わいたくない。
だから、受け入れたくないわけです。

でも、もともとネガティブなものはなく、愛という”ひとつ”から、エゴ意識が分離しようとすることで、
愛である”ひとつ”を学ぼうとしているのでしょう。


愛の原理は、一見複雑なようで、もっともシンプルな原理のひとつだと思います。


難しくしているのは、愛を受け入れられない思い。
それは、自らが満たされていない欠乏感というマインドが、そのような幻影を見せているのです。
自分であろうとするのは、この世界では大切な事ですが、
本質の世界では、個は分離です。

これからの時代は、個を越えて、分離を越えて、またひとつに戻ろうとしているのです。

ネットも、つながることがコンセプトです。

半分冗談ですが、AKB48のように、いまや団体チーム花盛りです。

個というカリスマの時代ではないのです。

個を越えて、自分を越えて、自他との境界を越えていく・・・

そのように、意識の拡張が自然なかたちになっていくのだと感じています。

すべての人には、しかるべきタイミングがあって、

種も、温度と水が適正な状態になって初めて、発芽に至ります。

その後で、光を浴びるために、双葉が出るんです。

いくら光を与えても、種に必要なのは、温度と水です。

これと同じで、人も、光を受け取る前に、意識の拡張と生きる環境みたいなものが、
適度にマッチしないと、その人に必要な光を受け取る準備ができないものです。

でも、光は常に、いろんな光量であるので、適度な光量がその人それぞれにあるのです。

いま、一斉に発芽しようとする春間近です。

Sedonaneru


2月 17, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月15日 (火)

起こっている出来事とは?

物事は、起こっている事実だけを見るのではなく、

その出来事が起こった背景やその裏側で何が起こっているのかを
同時に見ていかなければ、物事の真実はわからない。

メディアのニュースや情報は、限られたスペース=時間と出口で、
しかも、マジョリティ=多数の人々にわかりやすいように、
薄められた情報が伝えられる。

それだけではなく、情報を伝える側の意図が入る。

つまり、彼らが公正だと思っている、信じている価値観によるフィルターで伝えられるか、
意図的に情報が加工されて、届けられる。

彼らが公正だと信じていても、それは、例えば、日本、例えば、メディア会社の
信念体系の中で、限りなく疑いなくそれを表現していることも多い。

それを、ちょっと聞こえは悪いが、文化的マインドコントロールとでも言おうか。。。

すべての人は、この文化的なマインドコントロールを受けていて、

それが悪いことではなく、どの世界に住んでも必ず、その影響を受ける。

例えば、客船が遭難して、小さな少年が、たった一人、
絶海の孤島に流れ着いて生き長らえることができたとする。

そこで、半野生化しながら生きながらえたとして、

その彼は、人間社会という文化的なマインドコントロールを受けない。

しかし、彼は、ある時は過酷で、ある時は豊かな自然と対峙して、

その環境に適していく中で、文化的マインドコントロールとは異なる、

環境対応という、自然からのマインドコントロールを結果的に受けることになる。

自然は、コントロール、つまり、操作するという恣意的な意図はないけれど、

そのような環境に適応しようとする意味で、身体感覚の深い記憶の中にも
そのような価値観を内的体験としても、育てていくのだ。

話は、飛躍してしまったけれど。。。


いずれにしても、できごとの背景には、表に出ていない、それが起こっている何かがあって

常に、それを同時に見ていくように意識していけば、

表面的な出来事に反応するように、感情を惑わされることが少なくなるだろう。

物事を奥深く見ること=立体的に見ていくこと

どこまで深く見ていけるか、そうすることで、自分自身の行動や思いも、深く見つめられ、

人生を深く生きていくことができるのだ。

Photo


2月 15, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

花が咲くのも、花それぞれ

花と言っても、多種多様な種類の花があって、

色カタチ、香り、生育環境、成長速度、寿命など、そのバリエーションは想像以上だろう。

数日で成長して、花を咲かせる小さな植物もあれば、

何十年、何百年に一度しか咲かないというような花もある。


僕たちが普段生きている世界には、何となくみんなが信じている一般的なものの考え方があって

それを、常識的と言ったりする。

みんな同じ方向を向いていると安心するものだ。

特に、日本人は、同じ方向に向いていると安心する文化習慣がある。

それは、異質なものを排除しようとする傾向にもつながる。

そんな世界では、多種多様な花は咲きにくい。

ある程度決まった範囲の花しか咲くことができないものだ。


でも、実際の世界は、その多様性で成り立っている。

その多様性を受け入れると、国としてのまとまりを維持していくのは、難しいのかもしれない。。。

いまの世界の仕組みは、その多様性を受け入れて、ハッピーに生きていけるようにはできていないのだろう。

その仕組みを受け入れて生きていくには、そのパターンを受け入れていくことができなければならない。

そのパターンに適する人々には、とても快適な環境だ。

マジョリティとマイノリティ。


この世界をうまく生きていけることを成功という。

うまく生きていけば、報酬もたくさん受け取ることもできる。


この世界に適合しないマイノリティの半分は、自分は、適合しない人間だと挫折する。

もう半分は、適合しないことに安心を得たり、独自の世界を構築し、生きていく。

誰の評価もいらない、自分の喜びを求めて、そこに浸る。


マジョリティの中心は、変遷する。

昨日のマジョリティは、今日のマイノリティになるかもしれない。

でも、この時空の世界では、その変遷も、範囲が決まっている。

それを外れたマイノリティに、真実の世界を見据える者がいるかもしれない。


見たこともない美しい花が、世界には存在する。

その花は、人の目に簡単に触れられるような場所では咲かない。

いや、目の前に咲いていても、誰も気づかない。


そして、その花は、何十年に一度、何百年に一度しか咲かないのかもしれない。

だから、その花に触れられる人は幸運だ。

僕は、そんな花を見てみたい。そんな花が世界を変える始まりになるのかもしれない。。。

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2月 15, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月14日 (月)

火と雪

昨日、岡山に戻りました。

今日は、雪が降っています。。。

庭には、どんどん雪が積もっています・・・

明日は、5センチくらい積もるかもしれません・・・

2月3日に、我が家の風物詩。芝焼きをしました。
その後、庭の芝は真っ黒だったのですが、

今日は、一転真っ白です。。。

春のように暖かい日になったと思ったら、真冬のような天気になる。

不思議なものですね。。。


ところで、昨日までの3日間、断食合宿に参加していました。

来週、スピボイにアップする予定ですが、広島大学の町田宗鳳先生をインタビューしました。

その町田先生にお誘いいただき、先生主催の断食に参加したわけです。

何を隠そう、僕は、断食は初めてです。

自己流で、1日半くらいはしたこともあるし、
夜まで食べられなかったとか、人間ドッグで前の夜食べられないとか、ありましたが。。。

でも、やっぱり二日程度の断食は、対してきつくないですね。

柿の葉のお茶もいっぱいいただき、酵素を飲んだり、
野菜ジュースも少しですがいただきました。

体は、正直で、お昼頃や夕方には、やっぱり空腹感がやってきます。

でも、それを越えるとまた、何でもない気分になります。

昨日の断食明けには、大根を煮たものと梅干しをいっぱい食べて
野菜もたくさん食べました。

すると1時間少々で、宿便が出ます。。。

身も心もスッキリでした!

断食したことない方は、お薦めですよ。

2月3日のファイヤーガーデン

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今日のスノーガーデン

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2月 14, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月11日 (金)

変化のサイクル

この世に存在するものは、すべて変化する。

永遠に同じ状態のものは、存在しない。

石や山のように、一見、何も変わらないように見えて、

長い時間をかけて、変化している。

変化は、ただ変わるだけではなくて、ひとつのサイクルをもって変わっていく。


1. 安定 → 2. 不安定 → 3. 混乱 → 4. 秩序 → 1. 安定


というように、変化していく。

そして、安定から不安定へ、不安定から混乱へと変わっていく間に、移行期がある。

ただ、変化するのではなく、変化しながら、スパイラルのごとく成長発展していく。

変化は、成長のために脱がなければならない、殻のようなものだ。


人生の中で、いろんなものごとが変化していく。

変化には、常にサイン=兆候があって、

現代人である僕たちには、なかなか感じられない部分だ。

僕たち人間は、人間が暮らしやすいように、自然に手を加え、

生きる環境を変えてきた。

それは、当然で、人間に備わった創造性故の自然な行為。

でも、それがエゴと結びついたとき、人間に暮らしやすい環境、
楽しみが快楽への欲望と変わり、そこに溺れて、次第に、生きる力を蝕んでいく。

それによって、鈍感になっていくのだ。

人生は、サインに満ちている。

料理人が、いい素材を一瞬にして見分けたり、味を判断する。

金属加工の技術者が、表面をひとなでしただけで、ミクロン単位の荒れを感じ、手直しする。

こうした、専門分野で、その技術を磨き上げた人たちは、

その感性を以上に発達させている。

僕は最近、よく縄文人の話をするけれど、縄文人は、ものすごいエネルギーを持っていたそうだ。

もし、縄文人が、渋谷の交差点に現れたら、

もちろん、いわゆる髪がぼさぼさで、石斧を持った、原始人のような格好なら、
誰もが、注目するだろうけれど、そうではなく・・・

例え、身なりを整えて、現代人に混じって雑踏に立ったとしても、
その圧倒的な存在感、オーラは、驚くべきものになるのではないかと思う。

それは、生命の輝きが、現代人とは異なるから。

彼らには、身近に死があり、生命の危機と隣り合わせに生きていた。
自然そのものと生きて、彼ら自身が、自然と一体になっていた。

そこでは、命のスイッチ、生きる力のスイッチがONになていないと生きていけないから。

五感だけではなく、第六感、第七感、第八感くらいまで、開いていたんじゃないかと思う。

第八感? これは、自然の声、宇宙の声を聞く能力だったかもしれない。。

僕たちには、僕たちなりの、現代の縄文スイッチがあると思う。

生きる力=生命の輝きを取り戻すこと。

僕たち本来の喜びに目覚めることなのだと思うのだ。

感性に磨きをかける。。。


変化を読み取って、その変化を楽しんで行く。

それは、成長の喜びへとつながる。

不安定も混乱もまたよし・・・

変化を自らのものとするのだ・・・

Photo


2月 11, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 8日 (火)

なぜ、怒るのだろう。。。

僕たちは、感情をもっているけれど、

感情を持っているのは、人間だけじゃない。

動物だって感情があるし、植物も感情があるようだ。

植物は、微弱な電気的反応でそれを確認できるようだけれど、
現代の科学的には、それを感情と認めるかどうかは別かも知れない。

感情は、面白いことに、意識と関係があるようだ。

意識は、以下の段階があって、

0. 死
1. 昏睡
2. 知覚がある状態
3. 自我がある状態
4. 観察する自分がある状態

これは、明治大学の蛭川先生によるもの。

面白いことに、魚類、両生類、は虫類は、3の知覚がある状態までで、
自我が無いらしい。
つまり、自分という意識が無いと言うことだ。

自我があるのは、鳥類、ほ乳類で、これらの共通点は、恒温動物ということ。

そして、観察する自分がある状態の意識を持つのは、

チンパンジーやゴリラ以上の、高度な霊長類だそうだ。
もちろん、人間はそうだ。

でも、どうだろう、観察する自分である状態の自分。。。

あなたは、いつもそういう意識状態にありますか?


何かの出来事に、怒りが爆発する。辛い出来事で、悲しい気持ちが収まらない。
自分の欲望のために、私利私欲に走る。

これらは、観察する自分の意識状態から少し離れているかもしれない。

観察する自分が無い状態では、自分を省みることはできないから、
それを期待することは意味がない。

犬は、条件付けでしつけはできるけれど、それは反応を記憶していくだけであって
何かの出来事に対して、反省したり、顧みることはない。

自分を観察しながら、その状況を判断しているわけではない。

でも、人間からすると、さもそのように行動しているように見えることもある。

中には、超常的に、そのような動物もいるかもしれないけれど。。。

さて、感情は、その感情の中にいては、自分がどういう状態かわからない。

だから、観察する自分がある。

興奮する犬は、ひたすら吠え続ける。

アクション映画で、相手を殺そうと最後の一撃を加える直前に、
グッと噛みこらえて、その拳を下げるシーンがよくある。

観察しているのだ。

人間の感情は、怒りや悲しみ、怖れ、受容、喜びなどが、バラバラにあって、

それが、状況に合わせてわき起こってくるのではない。。。

感情には、段階があって、ある意味で団塊とも言える。。。

つまり、ネガティブな感情からポジティブな感情へと解放されていく・・・

ネガティブな感情も、よりネガティブなものから、ゆるいネガティブへと解放されていくのだ。

強固なネガティブ感情は、失意の中の深い悲しみ。。。。

この状態では、周囲の何の支えも響かない。。。

本人が、その深い悲しみを味わい尽くすまで、そこに留まってしまう。

普通の社会生活を送れる人なら、悲しいことがあっても、しばらくすると気分が変わって持ち直す。

でも、悲しみの淵を生きる人は、簡単には浮上しない。
それほど、悲しみがあるのだ、、、

すべての感情は、味わい尽くさないと、解放へと向かわない。

団塊といったのは、塊のようなものだから。

同じ物質が、固体、液体、気体と変化するように、
意識も、固まった意識、ゆるやかな意識、軽い意識と、拡張していく。。。

怒りを十分に味わった人は、それ以上に怒りを表現する人はいない。

お年寄りに、穏やかな人が多いのは、そのためだ。

もちろん、お年寄りでも、怒りまくる人もいる。
そういう人は、怒りから逃げてきた人、ごまかして来た人、抱えきれない怒りがあって、
いつまでも昇華しきれない人など、年を重ねても、怒りを味わい尽くせなかった人と言うことだ。

喜びも同じ。

喜びを味わうことに罪悪感を持っている人もいる。

だから、喜びを表現しなかったり、味わっていない人は、喜びを求める。

喜びを求めるのは、当たり前だと思うかもしれないし、喜びがなくなったらどうなると思うでしょ。

その先には、平和があります。そして、最後には、悟りがあります。

本質的には、悟りは最後ではなくて、さらなる高次の感情レベルがあるけれど、

人間という存在レベルで、そこを感じ取れたり、表現できるのは、悟りまで。。。

だから、その先に何があるのかは、わかりません。。。。

もちろん、僕は、これが悟りだとは、いいにくいけれど、
でも、きっと誰もが悟りを体験したことがあると信じている。

この話は、また今度にするとして、

いずれにしても、感情は、味わい尽くさないと、必ずその感情は、また、現れてくる。

だからといって、怒りにまかせて、火山噴火を繰り返すのではなく、

そこで、観察する。怒りの根源は何か、なぜ、怒っているのか。
怒っている自分を観察する。

感情が起こるのは、過去の体験が響いている。
同じようなシチュエーションが起こったときに、過去、特に幼少期の満たされなかった思いが
再現されているのだ。

そういうところを、しっかりと見つめる。
自分は怒っているということを認めて、受け入れるところから。。。

あ〜長くなった。。。笑

続きは、また今度、、、ブログだからね、、、

自分を観察しました。。。笑

Angertiger


2月 8, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 6日 (日)

永遠の旅の途中

世の中には、完成されたものはない。完成された人もいない。

比較したときに、自分が理想とするかたちに、すでになっているものがあったりする。

自分がそれになっていないと、自分は、できていないと思う。

あの人は、成功してていいなとか、実現=完成してていいなあとか。。。思うのだ。

その人が、先に行っている感じたときに、自分は劣っていると感じたりする。

だから、その人を妬むこともある。おとしめたくなることもある。

でも、その人自身が完成していると思っているかは、その人がどう考えているかだ。

まだ道半ばと思っている人も、ある人から見ると、

あ〜素晴らしいな、完成しているな・・・と見られているかもしれない。

料理は、食べられる状態になっていると、完成だ。

でも、料理にこだわる人にとって、いつも完成=完璧だとは限らない。

焼き物を見てみれば、焼きすぎると焦げてしまう。

適度な焼き加減が、ベストな完成状態だけれど、

その焼き具合に、バランスとしての完成度がある。

人も、年をとったから、完成ではない。

自分が、完成だと思ったところが、ひとまず完成・・・

だから、完成を追いかけると、ある意味できりがない・・・

みんな、究極のゴールに向かっている。

それは、人知を超えたゴールだ。

小さな小舟に乗って、大海にこぎ出したときに、ゴールは未知の世界となる。

永遠を切り取って、その束の間の完成に身を躍らせる。

しかし、真のゴールは、未知の世界。

ならば、その束の間をもっと味わおうと思う。

自分が、どのような状態であれ、みんなと同じプロセス=道半ばの中にいるのだ。

究極の完成を求める余り、目の前の愉しみに気がつかないのはもったいない。

自分のプロセスを信じるなら、そのままで大丈夫。焦ることはない。

何もしないわけではなく、自分が、望む方向へ旅すればいい。

自分が味わいたいことをすればいい。

それがあなたの進路だから・・・

あなたの旅の地図は、あなたの感性の中にある。

インスピレーションこそが、最高のナビゲーション。

未完の中に喜びを見出せば、満足の花が咲く。

すべては、プロセスの中にあるのだ。

地球は、そんな僕たちを乗せて、自らの旅をしている。。。


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2月 6, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 5日 (土)

旅に出よう!

言語によるコミュニケーションは7%程度だといわれる。

ということは、90%以上が、言葉以外でコミュニケーションされているということ。
それは、態度だったり、顔の表情だったり、擬音とか叫びだったり、
ため息だったり。。。臭いなんてのもある。

僕が、シャープでデザイナーとして働いていた頃、21歳くらいかなあ。。。
奈良の工場にいたので、お休みの日には、よく大阪に遊びに。。。
いや、デザインの情報収集に行ってた・・・

当時は、まだ、バブルの最後だったから、
どこもすごく活気づいてた。。。

心斎橋を歩いていると、すれ違いざまに、
かなりきつめの香水が薫る。。。

ポワゾンだ。。。いま、ポワゾンなんてあるのかな・・・?

あの薫りはやばかった。。。きっとフェロモン成分が入ってたんじゃないかな。。。

と、今回もネットで調べることをせず。。。笑

思わずついて行ってしまいたくなるような、悩殺香水だった記憶がある。。。
21歳のウブな僕には。。。。

ん〜・・・ついていったかもしれない。。。笑


え〜っと、そんな話ではなくて、コミュニケーション・・・
味もそうだ、、、

例えば、一緒に、食事をする。。。これも、味なコミュニケーション。

同じものを一緒に食べて、盛りあがる。
おいしいねとか、これは僕は苦手だとか。。。
それは、言葉だけど、そういう場の共有感というものがある。。。

同じ体験をする、同じ夕日を見る、同じ音楽を聴く、ライブを見る。。。
サッカーのワールドカップなんかも、多くの日本人がひとつになったりする。。。

いずれにしても、言葉はなくても、かなりコミュニケーションはできるものだ。。。

世界中、いろいろと旅をしてみて、英語が通じるところは、もう、知らない国に感じない。
日本にいるのと変わらない、何の不自由も感じないのだ。

でも、知らない言語の国に行って、英語がないとさっぱりわからない。

お隣の韓国だって、街中はよその星に来たのかってくらい、ハングルは宇宙文字。。。
もっとも宇宙文字っぽいのは、イスラエルの文字。。。

השפה הישראלית, השפה נראה כמו היקום. אני אכתוב את זה נכון.

訳すと・・・イスラエルの言語は、まるで宇宙語みたいだ。右から書いていくんだね。

そういう言葉がわからない場所に行くと、とたんに、生命力が活性化する。

何とかしなきゃって、生きようとする力が、グンって上がり、
脳みそフル回転で、コミュニケーションしようとする。。。

こういう時に、人は、本来の人になる。

脳みそもフル回転するけど、体の細胞まで、きっと活性化してるはずだ。。。
だから、とにかく、旅はいい。。。知らない環境にいくのはちょっと怖い。

でも、だからこそ、生きる力のスイッチが入る。。。

その時、怖れではなく、好奇心を全開にして、旅の恥はかきすてで行くのだ・・・
だからこそ、得られるものがいっぱいある・・・

もっと旅に出よう。。。

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2月 5, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 4日 (金)

アリとキリギリス

アリとキリギリスのお話は誰もが知っている。

日本人には、特に、この話は響くかも知れない。

キリギリスのように、遊んでばかりいたら、

冬が来たときに、食べ物もなくて、苦しむことになる。

だから、アリはせっせと働くんだ。。。

このもっともらしい寓話は、ある意味で、残念なマインドコントロールでもある。

それは、怖れがベースになっているから。。。

「まずいことになるかもしれない」

「よくない結果をもたらすかもしれない」

だから、事前に行動する。

これは、決して問題ある行動ではないけれど、

ネガティブな動機から行動しているのは、何故か。。。

「問題はないけれど、冬には食べ物が少なくなるから、そのために十分な食料を確保しておく」

という、ニュートラルで、ニーズを満たすために、行動するのはgood。

さらに、冬も楽しく、暮らしたいから、十分な食料を確保していく。。。。

こうなるとSo smart!

でも、あの寓話で、アリはいぶかしげにキリギリスを思うのだ。。。

キリギリスもキリギリスだけどね。。。

いずれにしても、あの中間となる虫は、いないものか。。。

う〜む。。。何だろうコオロギくらいしか、思いつかない・・・

コオロギはどうしてるのかなあ。。。。。

2月 4, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 3日 (木)

カラータイマー

今日は節分&立春です。。。
そして、新月・・・

新月は、願いが叶うそうですから、今日のこの日に、
いっぱい願い事しちゃいましょう!

さて、ふとウルトラマンのことを思ったのですが、
最近のウルトラマンは、どうなのかな。。。?

僕たちの時代のウルトラマンは、地球で戦える時間は3分間しかなかったわけだけど、

いまのウルトラマンは、そんな制約あるのかな?

そもそも、最近は、ウルトラマンシリーズやってんのかな。。。
と、ネットで調べることもせず。。。笑


僕たちは、水の中では呼吸ができない。。。

呼吸はできないけど、息を止めて、3分以上潜っていられる人もいる。

映画で、よく水中シーンがあって、例えば、沈没しかけている船の中とか、
船室から船室へ、潜って移動するとか。。。

どうあっても、あんな芸当は不可能に近い。。。

あのようなシーンの時、なぜか僕は、主人公と一緒に息を止めてしまう。

だから、水中シーンの映画を見るのは、息苦しい。。。


僕は、素潜りが結構得意で、比較的長く潜れると思うけど、

水の中は、水圧や水温、皮膚呼吸できないせいか、
普通に息を止めるよりも、かなり短い。。。

パニックになるとなおさら、息は続かない。。。


僕たちは、この世界にいて、呼吸して生きているけれど、

宇宙の時間から見れば、ウルトラマンの3分間よりも遙かに短い一生だ。

星の瞬きよりも短い。

僕たちが生きている世界は、本当の世界からすると、

息を止めて、素潜りで水中を泳いでいるようなものなのかもしれない。

息が続いているうちは世界は美しく、楽しんでいられるけれど、
息が続かなくなれば、息継ぎしに、水面に顔を出さないといけない。

そして、また、水中を楽しむのだ。

人生は80年という時代。

これからますます、寿命は延びるかも知れない。

それでも、人の一生なんて、星の瞬きよりも短いのだから、

お米一粒一粒を味わうように、

一瞬一瞬も大切に生きて、人生を楽しみたいと思うのです。。。

僕のカラータイマーは、あと1分半も残ってないかも。。。笑

2月 3, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 2日 (水)

深海魚って、僕たちも同じ・・・?

深海には不思議な生き物がいる・・・

深海は、ほとんど光が届かないし、とんでもない水圧がかかっているから、
異様な姿をした生き物ばかりだ。

ある程度の深さまでは、光を集めるために、
どんどん目が巨大化して、赤い魚は、視認性のために赤なんだろうか。。。
(金目鯛大好きなんだけど。。。赤メバルもおいしい・・・)

さらに深くなると、光がほとんど無いので、目が役に立たない。

だから目が退化する。

それでも、彼らは環境に適応して、さまざまな感覚器官を進化させて生きている。

僕たちは、例えば目が見えなくなったり、音が聞こえなくなると不安だ。

それは、本来あるはずの感覚がなくなるから。

でも、そもそも、その見えていたはずのもの、聞こえていたはずのものによって
世界を認識していただけで、それが無くなると、世界を認識できないことの不安であって、

世界は、それだけでなりたっているわけではない。

蛇は、舌先で臭いを感じ、マムシやハブは赤外線を感じる。

人間は、大脳が発達していて、情報処理能力も高いので、
さまざまな情報を扱えるから、視覚や聴覚が使えなくなると混乱するのかも知れない。

もちろん、その代わりの感覚器官がすぐに発達するわけではないので、
さらに進化ともなれば、かなりの時間を要する。

でも、こんな仮説もあり得る。

それは、僕たちは、気がつかないうちに、この何千年かをかけて、

新たな感覚器官を発達させているのかもしれない。

昔の人間にはなかった能力、退化させた能力。。。

今日のように、インターネットによる超高度な情報社会や人類が宇宙で活躍する時代に適応した人類は、遺伝子がそれを予期していたかのように、人知れず進化し、いまというタイミングで、
特殊な感覚器官、能力をもって、この世界に生まれているのかもしれない。

その新しい人類は、いまは、少数派だけれど、
これから静に、数を増し、いつしか人類の主流になっていくのだろう。

それにしても、環境に適応すべく、必要な感覚器官を進化させた深海魚を異様な姿と見るのは、僕たちの常識から見るもので、彼らから見れば、僕たちが異様なはずだ。
(こうやって見てると、深海魚も愛らしく見える)

そもそも、光り輝くこの世界は、彼らには眩しすぎるし、目が退化したものには、光は見えないのだ。

僕たちにとって、宇宙の本質の光とは、これに等しいように思える。

本質の光は、あまりに眩しすぎて、僕たちには見ることができない。。。

僕たちは、あちらの世界からすれば、まだまだ、深海に暮らす生物に等しいのかもしれない。。。

それぞれに、生きるに快適な場所があるということだろう。。。

これ面白いよ・・・

The Deep
http://www.thedeepbook.org/

Widder_stomias_72


Deep5


Raskoff_crw_72


2月 2, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)