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2011年6月29日 (水)

子宮で考える力

今日も朝から草取りの瞑想行・・・ってか、早朝じゃないと暑くてできない。。。

そんな草取りをしながら、いろんなことが思い浮かぶ・・・

ふとやってきたインスピレーション、それは・・・

「女性は子宮で考える」

というメッセージ・・・

そうだ、女性は子宮でものごとを直感的に感じ取っているのだ。。。と

いまの原発問題、放射能汚染の問題も、子宮で考えればあり得ないことばかり。

僕は子宮がないので、想像するしかないけど。。。

一番には、小さな子供を持ったお母さんの我が子を守る思いは、
宇宙が定めた、本能的な思いであり、行動。

そして、子宮には卵子があって、この卵子が傷つくと、
それが生まれてくる子供に影響する。

いまの福島原発の問題も、原発を再稼働させようとする問題も、

その運営者、推進者の中に、マスコミに登場する人々の中には、
女性の存在は、まず、見られない・・・

東電幹部に女性の姿はない。
原子力保安院、原子力安全委員会など、会見に女性の存在もない。。。

あっ、西山審議官。。。女性の存在あったね。。。

表に出てこないところに女性の姿があるのかも知れないけれど・・・
政府でも、目立ったところでは、蓮舫さんくらいのものだ。

そもそも、原子力の世界って、男による、男が考える、男だけの世界って感じがする。

男の子のための、すごいおもちゃなんだろう・・・原発って・・・

そもそも、パワー=力って男の世界。

ものすごいみなぎるパワーを生み出して、配分する。。。もう精力剤の世界か。。。!

狩りに行って、大物を仕留めて、村に持ち帰り、みんなに分け与える。。。

それに近い発想なのかもしれない。。。本能的な。。。

だから、やめられない。。。大物を仕留める快感から抜け出せない。。。

原発の利権に群がるのも、やはりスーパーゼネコンや技術系大手、そして、商社。。。
あまり女性がリーダーを務めたり、女性が幹部で活躍してきた世界ではない、、、

女性が、原子力関係のリーダーならどうだろう。。。今のような状況になっただろうか・・・

子宮で考えるなら、このまま原発を推進できるのだろうか・・・?

政治の世界も、いまの原発問題も、もっともっと、いや、女性中心で考えてみてはどうだろう。。。

NASAは火星への人を送り込む計画をしていて、ずっと研究を続けている。

何しろ、半年から10ヶ月近くかかる距離。
宇宙船の中での乗組員の人間関係が、実はもっとも大きな問題だったりする。

以前、NHKスペシャルで、「女と男」という番組をやってたけど、

数週間だったか、ひと月だったか、宇宙線を模した環境で、男だけで過ごすミッション、
女性だけで過ごすミッション、男女混成チームで過ごすミッションと実験して、

当然かもしれないけれど、混成チームが成功の確率がもっとも高かった。

男性だけでは、権力争いが起こり、ミッション失敗。
女性だけでは、緊急事態に、決断が遅れ、ミッション失敗。

男女混成チームは、バランスよく事態に対処していく。。。

国家的な重要事に、特に女性と子供に大きな影響がある原発問題。。。

もっともっと、女性が中に入り、女性の意見を中に入れて、考えるべき!

男性諸氏、女性の意見をもっと送りだそう!

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6月 29, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月28日 (火)

サーファーズハイ

サーフィンを初めてやったのは、21歳の時。
伊勢の国府でデビュー・・・

何にもわからず、シャープで働いてた頃奈良に住んでて、
海のない奈良にサーフショップがあり、興味があって覗いたのがきっかけ。

その頃は何回行ってもさっぱりだった。。。

岡山に帰って、何度か高知に行ったけど、当時はフェリーに乗って、
高速がないから地道で5、6時間かかった気がする。

28歳で、岡山でもサーフィンをやってる仲間に出会い、
そこから、本格的にサーフィンの世界へ。。。

それからずいぶん経ったけど、、、
今頃になって、本当にサーフィンが楽しいと思う。

ローカルとも仲良くなったり、波を選べるようになって、
自分なりの乗り方やサーフィンの楽しみ方がわかるようになってきた。

サーファーにもいろんなタイプがあり、生き方のスタイルがある。
ガンガンに攻めたいタイプ、
コンディションがハードになればなるほど燃えて、スリルを楽しむタイプ
リラックスして、のんびり楽しみたいタイプ
メローな波で、波との対話を楽しみたいタイプ
サーフィンのスタイリッシュな世界を味わうタイプ
などなど・・・

僕の場合は、波との対話を楽しみたい系かな・・・

波待ちしてるときが一番好きで、
どんなセットが入ってくるかなとか、
今度はこんな風にいけたらいいなとか。。。
遠くにセットが見えて、さあ、来た来た〜と
待ち構える時が一番楽しい。。。

そして、自分だけの波と出会う瞬間があって、
そんな時、なぜか、誰もテイクオフしなかったりする。

そして、最高のポジションで一気に滑り降りながら
深くターンを決めて、リップに向かい、
ビシッってカットバックして、ターンが決まったら最高!

そんなターンを数回繰り返し、
インサイド手前でフィニッシュ。。。。

その間、わずか15秒もないのだ。。。

でも、そんな短い時間の中に、
サーフィンの全てがあって、無限に拡がる宇宙を体感する・・・

サーフィンはドラッグみたいなものかもしれない。

一度、それを体験すると・・・

また、あの時のフィーリングを味わいたくなる・・・

きっと、脳内のエンドルフィンが出るんだろう。。。

ランナーズハイってあるけど。。。

サーファーのそれは、短時間の体験で出るからこそ、
中毒性が強いのかもしれない。。。

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6月 28, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月26日 (日)

気仙沼でのボランティア

再び三陸沿岸の津波の被災地に入りました。

今回は、実質2日間だけですが、ボランティア活動です。

被災地のボランティアは、多くの人にとって、
思いの外敷居が高いというのが実情のようです。
それは、被災地へのいろんな思いが交錯しているからでしょうか?

被災地が、いまだ大変な状況であることは事実ですが、
それでも、ガレキの撤去などは、以前に比べるとかなり進んでいます。
道路などは、ほとんど通行できますし、被災地へのアクセス事態に何の問題もありません。

コンビニなども普通に営業していますし、同じ地域でも、
被害の少ない場所では、仕事や環境は別として、
普段の生活が戻っているようにも見えます。

東京から被災地に行くのも、仙台でも新幹線で2時間はかかりますし、
岡山など西日本から行くとなると相当の時間が必要になります。
何しろ、費用もかなりかかります。
新幹線で仙台や一関、盛岡などに行っても、個人だとレンタカーが必要です。
沿岸地域への鉄道などは復旧していません。
東京からは、地域によっては夜行バスが被災地まで出ている場合もあります。

西日本からだと、会社に勤めている方などは、3日ボランティア活動するだけでも、
実質5日間のお休みをもらって参加しなくてはいけません。

また、ボランティアが、実際に、どんな事をしているのか?
どのようなかたちで行われているのか?
どのように参加していいのかが、各地のボランティアセンターの
ホームページなどを見ても、ちょっとわかりにくいということも、
敷居の高さに影響しているようにも見えます。

地域によっては、個人のボランティアは受け入れないところもありますし、
県内またはその地域の方という限定もあるところもあります。

震災後、いろいろなカタチでボランティアが入って、
トラブルもいろいろとあったようです。
そんな事から、現在のようなカタチになっているというのもあるようですね。

僕は、いろいろと調べて、気仙沼が個人ボランティアの受け入れ体制が
整っているように感じたのもあったのと、
何か直感を感じて、気仙沼に行こうと決めました。

新幹線の駅がある一関を拠点にして、現地まで1時間かけて、毎日通いました。

実際に、被災地の支援に関わる方の多くがこうした地域を拠点に通っているようです。
ただ、気仙沼は、町の一部の地域が津波の被害を受けなかったので、
そこでは、ホテルや銭湯など、宿泊できるところもあります。

ボランティアは、最初、初めての人は、ボランティアセンター=ボラセンで登録して、
その後、手配師のような担当の方が、その日に依頼されている案件を紹介
案件毎にカルテがあり、それに必要な人数や資材の準備、注意事項などが書かれています。
それに従って、案件毎に立候補制で、作業に参加します。

最初にここで登録する
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手配担当の方が案件を説明、立候補で行き先を決め、チームができます。
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集まったグループは、数人から20人程度のグループに分かれ、
各グループ毎にリーダーを決めて、スコップや猫車、土嚢袋など、資材を準備し、
ワンボックスやマイクロバスに乗って、各地域に派遣されます。

資材部には、必要なものがほぼ何でも揃ってます。
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チームができたら現地へ移動・・・
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ワンボックスやマイクロバスに分乗・・・
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Kesennnuma


クルマの中で、各自自己紹介や情報交換をしながら、到着したら早速活動です。
現地で、何が素晴らしいかというと、誰が何を言うわけでもなく、
自然に役割やポジションが定まり、自発的に活動していきます。

まるで、有機的に組織されたようで、本当にすごい!

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二日目の住宅の浸水被害の住居内のお掃除
おちの中は、ぐちゃぐちゃになっていて、泥だらけでした・・・
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ほとんど全てが廃棄処分です。。。思いでの写真などが見つかりました。
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何をしなければいけないかをみんなが知っていて、
積極的に、自分の場所を感じて、行動していく、
それがバランスよくカタチづくられていくのです。

一人では、体力的にも、気持ち的にも到底できないような作業ですが、
みんなで力を合わせると、イキイキとモチベーションに溢れ、疲れる感じがしません。

休憩を挟みながら作業し、お昼休みをとって、午後も作業します。

大体、3時くらいには作業を終了して、本部に報告。
迎えのワゴンが来てくれるので、みんな一緒にボラセンに帰ります。

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側溝の泥出しでは、地域のみなさんが、お茶やおにぎりを用意してくれたり、
ジュースなどの差し入れをしてくれます。

地域の本部では、地元の皆さんによるボランティアのサポートも
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そして、お疲れ様です。ご苦労様ですと、声をかけていただき、
帰る時には、感謝の言葉をいただき、何だかこちらが元気をいただいて帰るようで、
お手伝いできてよかったと、心から思うのです。

参加者の皆さんとも、お友達になったりして、いろいろとお話をしますが、
皆さんそれぞれに思いがあって、参加されていました。

会社のお休みをもらってきている方も多く、長期で活動されている方もいます。
それぞれの人生の中で、被災地、被災者への思いがあり、活動する中で、
みんな様々な体験や感じたものがあり、また、人生を深めていくのだと思いました。

被災地のボランティアの状況もいろいろのようで、
ボランティアセンターが行っているものや各NPOが
独自に活動しているところもあるようです。

気仙沼の場合は、団体のボランティアの受付を6月いっぱいでやめるそうで、
今後は、その日、その日で個人登録して、
集まった数で活動していただくこととなるようです。

ボラセンの本部の方とお話ししましたが、
団体で、多くの人に来ていただいても困るそうで、
作業の割り当てや段取りなど、対応出来ないこともあるそうです。

ボランティアは、多ければ多いほどいいと思っていたのですが、
それぞれに事情があるようで、難しいところです。

それでも、被災地のボランティアは、とてもいい経験でした。

多くの方が、現地入りして、一度でもこうした活動をされてみるのはいい体験ですし、
被災地の皆さんのお役に立つことができて、みんなにとって、いいことです。

近くには、いい温泉もたくさんあるので、
ボランティアの後は、温泉も楽しんで帰るというのもいいのではないでしょうか・・・

ぜひ、参加してみてください。


気仙沼市災害ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10247

宮城県災害ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/

全国社会福祉協議会 被災地支援・災害ボランティア情報
http://www.saigaivc.com/


6月 26, 2011 東日本大震災 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年6月13日 (月)

田植えの季節

毎年恒例の田植えの季節です。。。

友達の江里子さんの里山の谷間にある小さな田んぼ。

昨年は、苗床をすずめに荒らされ壊滅状態から何とか生き残った苗で、
いつもの8割程度田植え、、、しかし、さらに生育も悪かった上に、
最後は、田んぼへイノシシ乱入で、もうめちゃくちゃ。。。

収穫は激減・・・

自然というものの力を味わった年でした・・・

が、今年は一転!
苗の状態がとてもいい!

とってもしっかり元気な苗が育って、今年は元気に育って欲しいと思いながら・・・

田植えの人手不足なり。。。

結局、例年の半分くらいの人力で、みんなでがんばりました。。。お疲れ様でした!

一昨日は、後半曇りで、雨はやみましたが、昨日は、終日雨。。。

今朝、シャワーを浴びていて、お腹のあたりに二つ、虫さされのようなあとが、、、

昼前にカミさんが庭で叫び声。。。ヒョエー!ひるだぁぁぁ〜・・・

そりゃ昼だわ・・・

いえいえ、ひるって、蛭でした・・・昨日着ていたカッパから小さなヒルがでてきた。。。

ゲゲ。。。それって僕のカッパ・・・

信じられない。。。僕のお腹の虫さされのようなあととは、ヒルに吸われた痕だったんだ・・・

ギモヂワルゥ〜!

江里子さんも腕を吸われていたけど、まさかお腹にどうやって入ったのか・・・

まあ、ヒルに血を吸わせる瀉血療法ってのもあるから、そういうことで。。。

これからは、草刈りが大変な季節。。。
ぜひ、有志の皆さま、ぜひ、手伝ってくださ〜い!
おいしいカレーライス付き!


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苗床から苗をはずし、一本一本苗を分けていきます。
最新の現代農業からすれば、ほとんど古代農法。。。。
手間と時間と体力。。。そして、何よりも精神力!

続けられるのは、お昼にみんなで食べる、
エリコさんのおいしいカレーライスがあるから。。。

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こうやって、ひと苗ひと苗、大切に植えていきます。
田んぼは、耕さない農法、不耕起栽培なので、こんな風に草を刈るだけです。
刈った草をかき分けながら、硬い場合は、スプーンなどで穴を開けて植えます。

たくさんのカエルや虫やクモたち、イモリやヘビ、ミミズにヒル、
不思議な生物のオンパレードです。。。


6月 13, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月 4日 (土)

愛を越えて

マザー・テレサは愛を体現した人。

マザーは何しろ有名だから、マザーのことを語ってしまうけど、
人知れず、愛そのものの人もたくさんいる。

マザーは、愛の反対とは何かを問いかけた。

愛の反対。。。多くの人が、憎しみとか、怒りとか答える人もいる。

戦争を例に取れば、破壊的な戦いに対して、怒りや憎しみ、悲しみ、怖れを覚える。
身近な人が殺されたら、殺した相手を憎むだろう、怒りも覚えるだろう。。。
だからといって、愛の反対が憎しみや怒りではない。

マザーは、愛の反対は、無関心だって言ってる。
僕なりにそれはわかる。。。

僕なりの愛の理解・・・それは、僕が思ってる考え方だけど。。。
愛って、接着剤みたいなもんだなって思ってる。

それは、つながりってこと・・・

愛について、よく考えてみて欲しい。
彼氏、彼女の恋愛。子供を愛する。地域を愛する。
全部つながりなんだ。。。

このつながりの力が消えるとき、愛が消えるってこと。

つまり、愛って実は、燃えさかる愛だけが愛じゃない。
愛は、消えるか消えないか。。。ものすごくギリギリまで愛の力って作用してる・・・

最後の最後で愛のエネルギーが希薄になり、フッと愛が見えなくなって、
その関係が終わる。。。

そして、無関心が訪れる。。。

関心がない=無関心

関心って、心を関係づけること、つまり、つながり。
つながりが消える、無くなることが無関心。
怒りや憎しみって、実はまだ愛がある、つながりが、、、
もう、相手のことがどうでもよくなったら、怒りもないし、どうでもよくなる。。。

でも、相手に謝って欲しい、自分の事をわかって欲しいって思いが残ってるから、
相手に期待があって、もしかしたら期待するような関係をもう一度手にできるかも知れない、
自分が’期待するものをもらえるかも知れない・・・なのにもらえないから許せないわけです。

満たしてくれるはずの相手が、自分の思いを満たしてくれない・・・
そこに期待を裏切られた思いが、許せないって気持ちになる。

結局、まだ気持ちがつながってるわけです。
だから、どうしてもそこに期待があって、怒りや憎しみが収まらない。

まだ、接着剤、つながりとしての愛があるから。。。

例えば、カラダってのは、愛でできていると思うわけです。
なぜなら、細胞と細胞は細胞壁でくっついてる。

もし、カラダに、っていうか、この60兆個の細胞をつなぎ止める力がなくなったら、
カラダは崩壊する。。。

このつなぎ止める力こそ愛って事。。。

そう考えると、僕たちは愛の塊なんです。

この4次元の時空間に物質化する力は、本質的にはすべて愛でなりたってる。
本来は、この世界にいること自体、生きてること自体が愛の体現であり、愛に満たされた海に生きる魚のようなもの。
だから、愛が無くなるということは本来無く、愛がない状態になること自体が不可能ということ。

ただ、そういう状態にあることを忘れてしまうこと、忘れてしまっていることはあるんだと。
そういう理解を思い出せば、本来、誰しもが持っている愛そのものを思いだし、表現すればいい。

この僕たちが生きる世界である4次元(たて、よこ、高さで空間ができて、それに時間を加えたら4次元)
愛がないとこの次元時空間自体が存在できなくなるわけです。

ここに意識が加わると5次元で、この意識が加わった5次元とは、
時間は長く感じたり、楽しい時はあっという間に過ぎてしまったりするわけですが、
これこそが意識が4次元空間への認識を変化させるということです。

5次元世界に至ると、愛を越える世界になる。
5次元世界は愛を越えて、もう物質的な世界ではないわけです。

物質に執着しないという感覚、モノを所有しないという感覚も5次元意識に近い。
もの=物質的なところに執着するのは、3次元的な囚われ。
時間が生じて4次元になると、仏陀が無常と言ったように、
時間が経てば、朽ち果てたり、変化していくわけで、物質や人間関係もずっと同じ状態のものなどないわけで、
3次元的なところに執着する必要はないわけです。

そして、いま、僕たちは、4次元的世界から5次元的な世界へと移行しつつあるんだと思ってます。
世の中のそうした世相を見ればよくわかります。

愛がいらない世界ではなく、愛を越えて行く世界へと、時代は変化している。
愛を越える世界とは、自分自身の平和や喜びの世界を体現していくこと。

愛というのは、実はとても人間的で、人間=愛なのかもしれない。
人間は、宇宙の愛を体現する存在で、それ以上の肉体を持たないエネルギー存在は愛を越えた意識存在なのだろうと考える。

彼らにとって、愛というのは特別なものではないから、愛について語ることはないのかもしれない。

彼らがいつも感じ、思うのは、自分が、そこに喜びを感じるかどうか。。。
そこには、罪悪感という感覚もないし、怒りや怖れ、悲しみもない。

ただ、喜びや平和がある。その先に悟りがある。。。

愛は、宇宙からしてみれば究極ではなく、僕たちから見れば悟りがひとつの究極のステージだけど、
僕は、もっとさらにさらに、深い精神意識の領域があると思っている。
それは、人間の知性では理解できないし、表現もできない世界だけど、きっとあると思う。

だけど、そのゴールは、いまの人間である僕たちには、必要のない世界。

いまは、人間として、愛を体現し、表現して、愛を越えて、
喜びを生きる世界へと進化していくのだ。

6月 4, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 3日 (金)

自由は心の中にある

僕は、何が満たされてないんだろうって、時々考える。

ロビンは自由だねって、よく言われるけど、
自由かぁ~って、そんな時、また考える。

僕の日々の暮らしを眺めてみると、
ある意味で、年金生活のカミさんのお父さんと変わらないようにも見える。

なぜ、カミさんのお父さんかっていうと、
僕の両親も、カミさんのお母さんもすでに亡くなっているから・・・

その昔、もう10年近く昔になるけど、僕の会社の経営スタイルは、
僕自身が突撃隊長になって、鬼軍曹が率いる精鋭部隊をイメージして、
会社をやっていた時期があった。

僕自身が、最前線に立って、成果を上げることに快感があったし、
そこでの評価が、僕の喜びであり、全てだったような気がする。

スタッフも10人くらいいて、彼らは僕の足りない手足のような存在だったに違いない。

今から思えば、彼らには、本当に苦労させてしまった。

でも、不思議なもので、当時の彼らは(その大半は会社にいない)
いまでも付き合いがあるし、僕は反省しているけれど、
意外にも、あの頃があったから今の自分があります・・・なんて、言ってくれたりすると
何だか、居心地が悪い・・・笑

結局、その時は、その時で、お互いに必要があったから引き合って、出会うわけで、
必要なプロセスをお互いにやって、磨き合うわけだ・・・

その頃から考えると、今の僕の生き方は180度真逆だ。

生き方が違うから、当然、仕事のスタイル、働き方も違う。

僕は、自分が得意なことしかしないって決めてる。

100%それしかしない。

結果的にそうなってしまった。。。素人が手を出すとろくな事にならない。
そんな失敗を山ほどやった・・・
ある意味で、すごくわがままで、僕ができないこと、やらないことが多いので
カミさんも、スタッフも、きっと、陰で苦労してるんだと思う。

それには、いつも感謝してる。

でも、このやり方が一番いい。。。

それぞれのスタッフにも、無理はさせないし、彼らも無理はしない。
僕の仕事は、方向性を示すこと。
そして、大丈夫?って聞くこと。

大丈夫じゃないときは、どうやったら大丈夫になるか質問して、
僕も一緒に考える。アイデアを出すのは得意だ。

そうすると、その方向で解決できそうだという段になると、
スタッフやチームは自ら動き出す。

彼らは本当によくやってくれる。

僕は、比較的、自由な時間を持っている。
それがとても大切だと思っている。
自由だけれど、やることがいっぱいだ。。。やりたいことか。。。

僕は集中力の弱い人間だとも自覚してる。
だから、何かやっていても、すぐに電池が切れる。

僕には、大きな事業は向かないから、大事業はやらない。
比較的、自由に、のんびりと暮らしながら、社会の臭いをかいでいる。

世界をぼんやりと眺めているから見えてくる予兆がある。

そうした感性は、今の時代、とても大事だと思う。

僕は自由に、好きなようにやってるのは確かだ。
でも、ただ、ぼ~っとしてるわけじゃない。
このように、流れに身を任せて生きる中で、たくさんのシンクロをキャッチする。

シンクロは誰にでもいっぱい起こっているんだけど、
それに気がついていない人が多い。

言ってみれば、高速道路で左に入らなければいけないジャンクションの分岐を見過ごして、
真っ直ぐに行ってしまうようなものだ。
サインは、かなり前から出ていたし、ナビのガイドもあったかもしれない。

シンクロは、宇宙のナビゲーションだから
僕はいつも素直にこれに従うのだ。

時々、あれっ、これっていいの?
って言うような、ちょっと心配になることもあるけど、
もうしばらく行ってみると、あ~なるほどぉ~そう来るかぁ~ってな具合で、
また、新しい人生の局面を見せてくれたりする。

そうした、人生の大切な分岐点を見つめるには、僕は、今のこの生き方が一番あってる。

だから、宇宙は、僕にベストな生き方を当然応援してくれる。

人にはタイプがあって、僕のような生き方をすると、とんでもない人生になってしまう人がいる。
当然だ。。。

人には、その人それぞれのベストな生き方がある。

それぞれのスタイルを見つけられたら、そこに幸せがある。

経済的な繁栄が、その人の生き方かも知れないし、
どこかの企業で、仕事をする方が、才能も発揮でき、人生が豊かになる人もいる。



亡くなった親父は、市役所の公務員だった。

僕が、暴走機関車のような仕事のやり方をしてた頃、
親父は「公務員になってよかった。公務員が一番ええ仕事じゃ」とよく言ってた。

これを聞く僕は、いつも否定的だった。

暴走機関車が、その先のレールを失い、強制的にストップさせられる出来事があって、
生き方も、仕事のやり方も変えようと、模索を始めた頃、親父は亡くなった。
交通事故だった。

いまは、親父の言ってたことがわかる。

親父にとっては、公務員が一番よかった・・・そう思う。

親父が亡くなった時、市役所に親父の荷物を取りに行った。
市役所の親父のデスクに行くと、役所の仲間たちが、

「ああ~、和田さんの自慢の息子さんじゃなぁ」
「お父さんは、いつも息子さんの自慢をされようたよ、ええお父さんじゃったなあ」

そう言われて、驚くと共に、涙が出た。

高校時代から、親父には、ずっと反抗してきて、
ずっとまともに口をきかなかった。

親父とまともに話すようになったのは、親父が亡くなる3年くらい前からだ。
お袋が亡くなって、仕方なくコミュニケーションしていたのだけれど、
僕の生き方が変わるに従い、親父への見方も変わったのだ。

自由って、別に、僕のように生きることが自由じゃない。

僕みたいに、気ままに生きて、そこに不安や焦りを感じる人に、自由はないだろう。

決められたことをする。約束通りやる。
何かを任されることに、安心感や達成感、喜びがある人は、
その中で初めて自由を得る。

週末や日常のランチタイムにこそ、自由の喜びがあったりする。
それでも充分かもしれない。

そうでない人には、さらなる自由を探求すればいい。

僕は、何も心配しない。。。基本的には。
それは、確実に約束された場所に、僕の人生は進んでいると信じているから。

人生は、巨大な豪華客船のようなものだ。

あまりにもでかすぎて、船に乗っていることに気がつかない。

船底の船室から上層デッキに暮らそうと夢見て人生を昇る人もあれば、
デッキのプールサイドで、のんびり生きる人もいる。
船内のエンターテイメントで、ショーを演じる喜びもあれば、
素晴らしいディナーで人々を楽しませる人もいる。
船を安全に航行させることに責任と喜びを感じる人もいる。

人それぞれの人生があるのだ。

どんな人生があろうとも、この巨大な船は、目的地に向かってる。

何をしようがしまいが、必ずそこへ行くようになってる。

時が来たら到着し、また、次の航海に出るのだ。

僕は、船の中で、自分の生き方をおおよそ見つけている。
だから、それを楽しむのだ。

そうして生きることが、船の中の僕の役割。
豪華客船も、クルーだけでは、船は動かない。
楽しんでくれる乗客がいてこそ、提供するサービスがあり、楽しい船旅があるのだ。

みんな、それぞれに役割がある。

それぞれに生きる、生き方がある。

自分らしい人生を生きることにしか、幸せはない・・・

6月 3, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)