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2011年8月31日 (水)

バッチリ健康優良児!

僕はお酒が好きな方なので、

ほとんど毎晩、ビールとかワイン、日本酒、焼酎、泡盛が入ります。

って、ビールにワインとかはあるけど、これらを全部ちゃんぽんにするのはしません。

で、仲間との楽しいお酒だとついつい飲み過ぎてしまう。。。

人間ドックではいつも健康体だけど、体調に特段異常はないものの、

ここ最近の肝臓くんの調子はどうだろうと、気にするよりも、
血液検査ってことで、行きつけの医院で見てもらった。

問題は全くないどころか、肝臓も普通の人以上にいい状態らしく、
アルコールと肝臓の関係はどうなんだろうと。。。

たぶん、自分ではたくさん飲んでると思ってるけど
飲む人って、本当にすごい量を飲むのかもしれない。。。

それに、僕の場合、毎日、ウォーキングやエアロバイクはかかさないし、
軽めのヨガで、カラダもほぐしてる。

ほぼ週一で、サーフィンに行ってて、
最近では、サウナにはまってる。。。

この夏は、エアコンほとんど使ってないから、仕事中もタオルで汗を拭きながら。。。

汗をかく。。。

この代謝が健康の秘訣なんだと思う。

アルコールもアセトアルデヒドという毒素に変わるけど、
その他の毒素も、こうして運動やサウナなどで、血を巡らせて
いっぱい汗をかくことで、どんどん代謝して、デトックスする。

なんでも、循環が大事。

思いは現実化するから、カラダに悪いもの、
やめなきゃいけないって思いながら飲む酒よりも、

人生に彩りを添えて、仲間との楽しい時間を演出してくれる
幸せのお酒、百薬の長と思って飲む方がいいに決まってる!

今日は、体調もバッチリってわかったから、
ますます、元気で健康なマインドセットもしっかりできたから
いっぱいおいしいお酒飲めるね。。。笑

8月 31, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月25日 (木)

全部自分の中にある

最近、成せばなる、成さねばならぬ何事も!

という言葉がいつも座右になってきた。

すべては自分の中にあって、自分は種なんだよね。

その種を発芽させて、大きく育てるだけ・・・

多くの人はそれを忘れてる。

種を育てさえすればいい・・・

ガンジーが言った・・・種の中に大木がある。

自分に与えられた、すべての可能性が自分の中にある。

夢は夢ではなく、絶対叶う現実なのだ!

そうなっているのだ!

8月 25, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月24日 (水)

豊かだという真実

真実を生きることの大切さを学ぶ・・・

世の中について、宇宙について、生き方や政治、経済、経営やお金儲け。。。人間関係・・・
多くのことを知る必要は無いとあらためて思った。。。

自分に必要なことだけでいい・・・

犬が、僕たちのいくつかの言葉やアクションを理解して
それで幸せなように・・・

僕たちも、いくらかの知識で充分なんだと思う。

幸せとは、知識を得て理解することではなく、
いくつかの知っているパーツを無限に組み合わせる創造的なアイデアの中にあって、
それが知恵であり、そこに喜びがある。。。

足りないところは、想像力(イマジネーション)が助けてくれる。。。

それで充分だと思う・・・

どれだけあれば充分か・・・それは自分が満たされている。
豊かさに満ちていると、真実を見つめる時。

僕は、いつも豊かだと思う。
お金?・・・それは、宇宙銀行に預金している。

銀行に1億円預金があったとして、その1億円をすぐにおろして使うだろうか?

何に?
何のために・・・?

10億円ではどうだろう?100億では?1000億では・・・?

どれだけあったって、それをいっぺんに使う事なんてほとんどない。

そう考えれば、宇宙銀行に無限のお金を預けているのと何の違いはない・・・

30万円の貯金しかない人も、100億の資産を持つ人も、

今日、近くのスタバで、アイスのトールソイラテを頼むかもしれない。

その瞬間の豊かさには変わりがない・・・

豊かさの本質とは、自分のマインドの中にある。。。

実際に、いくらのお金を所有しているということではないのだ。。。
どんな金持ちでも、一回に食べられる食事の量は、大して変わらない・・・

僕には、いつも充分ある。
充分に満たされているのだ。。。

8月 24, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月18日 (木)

夢の中の夢のお告げ・・・

変な夢を見て目が覚めた。

内容がまったく思い出せないけど、ただ、目が覚める直前は覚えてる。

夢の中でも自分は寝てて、夢を見ていた。
部屋にタンスがあって、霊的な存在が僕に語りかける。

「右後ろのタンスの上から3番目にチケットがある、それを使え」と言う。

夢の中で夢うつつに、寝ぼけながらタンスに近づくと、
足を引っ張られ、無理矢理タンスの前に、
起き上がって見ると、タンスの引き出しに、チケットが挟まって覗いていた。

何しろ足を引っ張られたのが、気持ち悪くて夢の中で目が覚めると同時に、
現実の夢からも目が覚めた。。。

夢の中の夢から目覚めると同時に、一気に現実に目が覚めると、
夢の中の夢がとてもリアリティがあって、不思議な気分。。。

「そのチケットを使え」って、どのチケットよ。。。笑

明日、ロトでも買おうかな。。。笑

まさに、映画インセプションの世界だ。。。

8月 18, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月14日 (日)

宇宙は、理解するためにあるのではない。

宇宙についての真実を言葉で語ろうとするなら、
どれだけの言葉をもってしても、その片鱗に触れることしかできない。

宇宙は、言葉で表現し、理解できるようなちっぽけなものではない。

実は、僕たちは宇宙を言葉よりももっと深く捉えている瞬間がある。

大地に沈む美しい夕日を見たとき。

突然のスパークのように、誰かを好きになってしまったとき。

大好きなことを夢中になってやっているとき。

母親が、赤ちゃんに優しいまなざしで見つめているとき。

楽しい仲間たちと思いっきり笑っているとき。

素晴らしい演奏を聴いて、思わず立ち上がって拍手しているとき。

大切な人のために、涙しているとき。

そんな瞬間は、無数にある。

なぜ?
どうして?

その瞬間にあるもの、感じていることを言葉にすれば、それなりの表現はできるけれど、
その時の深い思いを言葉で再現することはできない。

例えば、俳句の世界は、言葉を使って、限りなく宇宙に近づいたもののひとつだと思う。

説明や理屈は、真理を理解するために思考で捉えるには有効かもしれないけれど、
それは思考の領域を出ることはない。

僕たちは脳ミソでいきているのではなく、
宇宙と共鳴した意識体として存在しているのだ。
脳ミソは、この4次元の現象界、時空間の存在領域を司るためにある肉体機能の一部でしかない。

思考や論理は、時間と密接に関わり合っていて、
理解するには、言葉を正しい文法で、文脈にしたがって読むこと、聞くことで初めて理解できる。

読む、聞くためには、時間が必要だ。

だから、思考や論理は、物質次元にとらわれた、物質次元の産物なのだ。

僕たちは、もっと宇宙を感じ、宇宙を味わう必要がある・・・

宇宙は、理解するためにあるのではなく、

自分が宇宙とひとつであることを感じ、宇宙そのものであることを味わうためにある。

地球上のすべての生命を通じて、たったひとつの命が、
もし究極の宇宙と共鳴し、ひとつになることができたら、
この地球の使命はきっと終わる。

その時は、同時に、僕たちもその共鳴場に入り、
大いなるシフトを体現するだろう。。。

僕たちは、そのたったひとつの命を運ぶために、
全存在をかけて命を輝かせ、
宇宙へと還る道を歩んでいるのかも知れない。

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8月 14, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月13日 (土)

ビリーフを見つめる

この世に生まれてきた理由は、人それぞれにいろいろあるだろうけど、
普通の意識レベルの僕たちは、一人では生きていけない。

一人で生きていけないというよりも、他者と関わることから僕たちは人生で大切な事を学ぶのだ。

映画キャスト・アウェイで、無人島に流れ着いたトム・ハンクスが、
流れ着いたボールを人に見立てて、会話をしていく内に、
そのボールが本当に大切な存在になっていく下りがあるけれど、

僕たちは、自分という存在を明らかなものにしていくことで
自分の存在やその意味を確認して、肯定することで、
幸せを感じ、生きている意味を見出していくのだろう。

だから、人に認められないとか存在を否定されるとなれば、
それを何らかのカタチで証明しようと行動するか、
逆に、自己否定の中で、存在を消してしまおうと行動することになる。

存在を証明しようとして、誰もが認めるような建設的な方向に行けばまだいいけれど、
認めない人々や社会に怒りや恨みを持って、凶悪な犯罪に走り、
他者を傷つけたり、社会を混乱させることで、自分の存在を知らしめたり、
他者を引きずり下ろすことで、自分の存在を浮かび上がらせようとする方向へ行くなら、
とても危険なことだ・・・

人よりも劣っていると思い込んでいると、誰かが上手くいくだけで、
自分は、上手くいっていないように感じてしまう。

自分を一番評価し、認めることができるのは、自分自身なのだ。

でも、否定的なマインドセット(ビリーフ)や信念を持ってしまった人は、
そのようなものの見方、価値観でしかみることができないので、
その信念を書き換えない限り、違う見方は難しいかもしれない。

「色のついたメガネで世界を見れば、世界をその色に染まるのだ」

存在を充分に認められて育った人、もしくは、魂レベルで満たされた存在は、
特別な何かに挑戦しようとしないだろう。

自分自身でも、自己の存在に満足し、自己肯定もしっかりしてるので、
存在しているだけで満たされている。

一見、何ら特徴のなさそうな人かも知れないけど、
存在の強いオーラを発していて、いつも余裕があり、リラックスしている。
そして、人を惹きつける魅力を持っている人がいる・・・
そうした人は、きっと満たされているにちがいない。

社会的に活躍する人や著名になる人は、そのエネルギーの源泉がどこにあるのだろう?

自分の存在を証明しようとする、また、自分の価値を証明しようとするがために活動する人も多い。

やりたいことをやるということの中に、純粋な喜びから行動するのではなく、
人からの評価やエネルギーを注いでもらいたいという思いからやるのなら、
その行動は、基本的に、評価という見返りを求める行動であって、
評価がもらえないとすれば、もっと頑張ろうとするか、逆に、認めない人を攻撃するようになる。

本来は、人の評価などまったく必要ないし、自分が自分であればいいし、
自分の喜びを求めていくことでいい。

存在は、本当は満たされている。それを満たされていないと信じているのだ。

特に、日本という文化の中で育ち、日本的な価値観、家族関係、人間関係のあり様を
無意識に取り込み、育ててしまっている価値観やビリーフを変えない限り、
自分の世界を見る目は変わらないだろう。

僕たちは、誰しも、何らかのビリーフをもって、世界を切り取ってみている。
そのビリーフがどのようなものなのかを見つめ、理解する姿勢なくして、

他者との健全対話や関係を築くことはできない。

僕たちは一人で生きることはできない。
他人を通して、自分を見ている。

その時、何を感じ、どのように思うのか、そして、行動するのか。。。

そういう自分を見つめてみれば、きっと新しい現実を創造することができると思う。

8月 13, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 9日 (火)

大好きなことやるしかないね!

先日、TSUTAYAで、ウォール街を借りて来て見た。

前作から20年以上経って、その続編だ。

サブプライムクラッシュが基本的な内容だけど、

その後のリーマン・ショック、

そして、今回の世界同時株安。

ウォール街を見た後に、世界同時株安の展開に。。。

なんだか、予言でも見たような気がする。

僕も、過去に投資をやっていて、サブプライムでは少なからず影響があった。

それを機に、すべての株や債権などの投資をやめた。

いまも、一部塩漬けになっているものがあるけど。。。

投資のプロからすれば、これを機にやめるという典型的な選択はナンセンスかもしれないけど、
素人には、こうしたきっかけを逃すと、なかなかやめることはできないような気がする。

株でも、債券でも、FXでも、やっぱりどんな規模でも、一度はやってみるといい。
自分の内面をよく見つめられる。。。笑

僕自身の経験からすると、投資は、哲学が必要だと思う。

株価が上がって、利ざやを儲ける。
これは、株だけではなく、あらゆる投資の基本かもしれない。
もちろん、株は下がっても儲けられるんだけど。。。

でも、もし、お金儲けだけが狙いで、投資をするなら、きっとどこかで痛い目に遭う。

それは、市場は生き物だから、その変化に翻弄されて、
冷静な判断ができなくなってしまうからだ。

哲学、つまり、自分の確たる考えがあれば、その哲学に従って判断する。

何のために自分は投資をしているのか。。。

だから、優れた投資家は、買った株は、簡単には売らないし、買うときも、簡単には買わない。

短期で売買する取引の方法もある。これが悪いとは思わない。

こうした取引で、優秀な成績を上げている投資家もたくさんいるし、
その中で、哲学を持った人もいるだろう。。。

これは、マーケットの特性だからしかたがない。。。
博打のような側面もある。

ただ、投資の世界を博打にするのか、社会を創造していく、健全な資金供給の場とするのかは、
投資家の意識の問題だ。。。

投資の世界は、僕には合わない。
そう思えた僕は幸せだし、よかったと思ってる。
投資の世界についてではなく、僕が合うもの、合わないものがわかったということ・・・

自分に合うのか、合わないのかがわからなくなるのも投資の世界。
合うも、合わないも、儲かってしまうと、関係なくそこに居座ってしまう。

カジノのルーレットで、勝ちまくっているのに、席を立つ人がいないように。。。

でも、運気には流れがある。そこを見極められる冷静さが必要だ。
だから、僕は、博打も好きじゃない。合わないから。。。

そう、自分に合うことだけをやろう、、、、

自分が好きなことだけをやればいい。

自分が大好きなことは、お金なんて関係なく、一生懸命、魂を注げるのだから・・・

それが投資なら、それはそれで素晴らしい!

いっぱいお金を創ることが社会のため、世界のため、その人のためになる。

結局、人生で大切な事は、お金ではなく、
自分が大好きなことが、思う存分できているかどうかってこと・・・

でも、そうもままならないのが、現代という世界。

ならば、創造力働かせて、新しい世界を創造していかないとね。。。

大好きなことをやって。。。

8月 9, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年8月 4日 (木)

神さまは一本釣り

昨日、会った方が何気に口にした言葉「神さまは一本釣りですから」・・・

あっ、いい言葉だなって思った。

世界にどれだけ人がいても、神さまはその人を見つけ、選んで、メッセージを送ってくるという話。

その通りだと思う。何だか、救いのある言葉でいいなって思った。

僕の考えでは、神さまが、その人にメッセージを送ってくるというのをこう理解してる。

神さまというのは、究極の根源神というわけではなく、

その人がその時に必要なメッセージを持ったマスター、守護霊、先輩的な存在、

または、いつも自分をサポートしてくれている霊的な存在。

そういう存在が、インスピレーションを与えてくれるわけだけど、

その人自身が、受け取れる状態でなければ、受け取れないようになっている。

つまり、彼らの投げるボールはいつも同じような速度だけど、

例えば、素人が、プロ野球のピッチャーの剛速球をキャッチできないように、

その人の魂の成長度に応じたボールしか受け取れないのだ。

ということは、自分が受け取れるレベルのボールを投げてくれる存在からのボールをキャッチしているということ。

これは、テレビやラジオのようでもある。

放送はいつもされていて、そのチャンネルに合わせることができれば、
その情報をキャッチすることができるということ。

つまり、神さまが、一本釣りするのではなく、

そのように見えて、実は、自分が成長して、そのチャンネルに合わせられるようになったということ。

自分よりも進んだ存在からのメッセージを、自らが受け取りに行っているわけだ。

でも、そういう自覚がなければ、メッセージやインスピレーションが
向こうからやってきたと思える。

その方が、謙虚でいいし、感謝の念も湧くので、いいとは思うのだけど・・・笑

インスピレーションを与えてくれる存在は、そういう意味ではいつもあなたを見守り、

いつか、このメッセージを取りに来てくれると信じて、首を長くして待っている。。。

だから、自ら変わり、自己成長し、意識を進化、拡張させてくことで、

勝手に情報は、入ってくるということだ。

あなたに必要なメッセージは、本やインターネットだけにあるわけではなく、

出会った人の言葉に中に、街中の広告の中に、目の前を走っている車のナンバープレートに・・・

どこにでもあるのだ。

準備ができたら師が現れる・・・

全ては自分の準備次第。

そして、インスピレーションを受け取れば、また、ひとつ意識を拡張させることができて、
永遠進化への道を一歩、また一歩、歩むことになるのだ。。。


8月 4, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)