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2011年8月14日 (日)

宇宙は、理解するためにあるのではない。

宇宙についての真実を言葉で語ろうとするなら、
どれだけの言葉をもってしても、その片鱗に触れることしかできない。

宇宙は、言葉で表現し、理解できるようなちっぽけなものではない。

実は、僕たちは宇宙を言葉よりももっと深く捉えている瞬間がある。

大地に沈む美しい夕日を見たとき。

突然のスパークのように、誰かを好きになってしまったとき。

大好きなことを夢中になってやっているとき。

母親が、赤ちゃんに優しいまなざしで見つめているとき。

楽しい仲間たちと思いっきり笑っているとき。

素晴らしい演奏を聴いて、思わず立ち上がって拍手しているとき。

大切な人のために、涙しているとき。

そんな瞬間は、無数にある。

なぜ?
どうして?

その瞬間にあるもの、感じていることを言葉にすれば、それなりの表現はできるけれど、
その時の深い思いを言葉で再現することはできない。

例えば、俳句の世界は、言葉を使って、限りなく宇宙に近づいたもののひとつだと思う。

説明や理屈は、真理を理解するために思考で捉えるには有効かもしれないけれど、
それは思考の領域を出ることはない。

僕たちは脳ミソでいきているのではなく、
宇宙と共鳴した意識体として存在しているのだ。
脳ミソは、この4次元の現象界、時空間の存在領域を司るためにある肉体機能の一部でしかない。

思考や論理は、時間と密接に関わり合っていて、
理解するには、言葉を正しい文法で、文脈にしたがって読むこと、聞くことで初めて理解できる。

読む、聞くためには、時間が必要だ。

だから、思考や論理は、物質次元にとらわれた、物質次元の産物なのだ。

僕たちは、もっと宇宙を感じ、宇宙を味わう必要がある・・・

宇宙は、理解するためにあるのではなく、

自分が宇宙とひとつであることを感じ、宇宙そのものであることを味わうためにある。

地球上のすべての生命を通じて、たったひとつの命が、
もし究極の宇宙と共鳴し、ひとつになることができたら、
この地球の使命はきっと終わる。

その時は、同時に、僕たちもその共鳴場に入り、
大いなるシフトを体現するだろう。。。

僕たちは、そのたったひとつの命を運ぶために、
全存在をかけて命を輝かせ、
宇宙へと還る道を歩んでいるのかも知れない。

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8月 14, 2011 心と体 |

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