« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月29日 (日)

料理が好きになったわけ・・・

最近、なかなかブログが書けない・・・

というのも、日々、TwitterやFacebookに書き込んでしまうので、
じっくり腰を据えて書くというところにいかないということになるか。。。

まあ、他にも、ここのところ、特に日々やることがあるので、
そういうことも重なっている。

最近、はまっているというか、楽しくなってきたのは料理だろう。

もともと、料理は嫌いじゃなかったけど、
それほどやることもなかった。

しかし、最近の男子ごはんブームの影響なのか。。笑

いくつか作ってると、こんなに簡単にうまいものができるとなると、
いろいろと試したくなってくる。

その上、家族もうまいって言ってくれると、なんだか調子に乗ってくる。

そもそも、僕が料理に意識が行かなかったのは、
やはり、過去10年くらい前までは、会社を大きくしようとか、
もっと、売上げを伸ばそうとか、経済的な成功を求めて奮闘していたから、
料理なんて、全く意識が及ばなかった、

この10年くらいで、僕も自分が何を望んでいるのか、自分らしい生き方とは何かが、
おおよそ見えてきたので、焦ることもなく、自分のペースで歩むようになって、
そうした自分を満たす時間の中で、料理の中にもそうした喜びを見いだせたのかもしれない。

僕が好む料理は、基本的に、レシピをパッと見て、
材料を含めて、行程もシンプルかどうかだ。

時間的な手間をかけるのは構わないけど、
聞いたことのない材料とか、香辛料を使うようなものは
とたんにめんどくさくなる。

その辺のスーパーで手に入るもので、びっくりするようなうまいものができる。
これが基本だろう。。。

僕は、お酒も大好きだから、やっぱり、お酒に合うものが欲しい。

そんなわけで、ケンタロウの料理はやっぱ旨い!

彼の料理は、ほんと簡単で、ささっと出来て、おおざっぱでもうまくいく。

その昔、イタリア料理のレシピ本を買って挑戦しようとしたら、
のっけから聞いたことがないチーズに野菜のオンパレード。

買うときに、ささっと見て、雰囲気がカッコよかったからかったんだけど、
まったくダメ、作れそうなものがあったので試そうとするけど、
レシピの書き方のせいか、いちいち読まないと、覚えられない。

そんなことも、料理はめんどくさいという感じになっちゃったのかもしれない。

料理は、やっぱ、基本が大事で、和食にしても、中華にしても、イタリアンにしても、
基本となるパターンがある。

この基本パターンがわかれば、だいたいの味ができる。

すべてはその派生としての応用だから・・・

それがわかるようになると、例えばイタリアンなら、

オリーブオイルを大さじ1で、にんにくを入れてとか
基本の下りは、大体で理解できる。

そこがクリアできてるから、レシピ見て、あ〜こんな感じね・・・と
インスピレーションがわく。。。

それがモチベーション大事なんだと思うのだ。。。

さらに言えば、何と何を組み合わせたら、おいしいとか、まずい組み合わせだとかも
大体わかるようになってきたから、

具材がなくて、なんか代用するときに、その辺りの適当さも見当が付く。

以前は、レシピどうりにしないと気が済まない人間だったので、
1つでも具材や香辛料がなかったら、作る気がしなかったけど、
いまは、間に合わせで対応もできるようになった。。。

考えて見れば、それは料理だけではなく、
自分の生き方全般も、そんな感じになってきてると気がつく・・・

何かを極めるのではなく、人生の中に、どう喜びを見いだしていくか、
その喜びの質を高めていくのか。。。ここが大事だと思う。。。

もっと、いろいろと料理して、自分の体に染みこませ、
家庭料理人としての実力も磨いてみたいもんだ。。。

Photo


1月 29, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 1日 (日)

遂に、噂の2012年になりました〜!

明けましておめでとうございます!

遂に、2012年になりましたね。

2012年・・・僕のように、スピリチュアリティを生きる人々の間では、
今年、2012年は、大いなる注目の年でした。

すでに、2011年には、その事象的なエネルギーの前兆が起こると予想していましたが、
それは、あまりに驚くべき、311というカタチとして、起こったように思います。

また、アラブ諸国では革命が起こり、独裁者のある者は追放され、ある者は死ぬこととなりました。
さらに、北の独裁者も世を去ることとなり、ヨーロッパ経済の暗雲や中国経済の失速など、
もう、何が起こってもおかしくないような世界になっているように思えます。

ネガティブな未来を予測する、イメージすることは、それを引き寄せると言えますが、
僕は、決して、ネガティブな世界をイメージしているわけではありません。

どんなに明るい未来をイメージしても、
そうだと信じていても、激流に流されてしまったらどうにもなりません。

川の流れには、穏やかなところもありますが、激流もあります。
時代も同じで、穏やかに過ぎる時代もありますが、激流もあるわけで、

どんなに個人が明るく、豊かな未来をイメージしたとしても、それには限界があります。

激しい激流に飛び込んでしまったら、どれだけ明るい未来へ向かって泳いでも、
その泳力がよっぽどパワフル出ない限り、その激流に巻き込まれていくことでしょう。

考えてみても、人力(じんりょく)では、激流から逃れることはできないでしょう。

この激流は、現在の人類を中心とした意識世界がもたらした現象であり、現実です。

人々が深い意識の中で、どのような感情状態にあるかということが、この現実世界を創造します。

深い意識というのは、潜在意識のレベルなので、顕在意識ではにわかにはわかりにくいのですが、実際に、自分がどのような状態にあるのかは無意識に表れる感情や行動をみればわかります。

そうした人々の意識が、いまの人々の人生や生活を創造し、社会を創造し、それが世界を創造しています。そして、今のような世界になっているのです。

つまり、いま、僕たちが体験している世界は、人類の総和として、
体験したい世界を体験していると言うことです。

もちろん、悲観的な世界なんて誰も体験したくないと思います。
でも、心の抑圧した部分に、怒りや悲しみ、怖れ、執着やプライドなどの感情状態を抱えていると、そのために、結果として、そこからのエネルギーで行動し、自分の現実世界を創造するのです。

ある人は、その感情エネルギーはさほど強くないかもしれません、
ある人は、激しく怒りや悲しみなど、抑圧しているかもしれません。
自分の抱えているネガティブなエネルギーが強いほど、自分の人生という現実は、
そのようなネガティブな世界を自分の人生に引き寄せます。

怖れを抱いている人は、安心、安全を求めるために、
リスクのない社会を創造しようとします。

怒りや執着、プライドを抱いている人は、
挑戦や冒険、競争優位な世界を創造しようとします。

いずれも、自分の満たされなかった感情を、外的な要因によって満たそうとするわけです。

いまの世界を見てみると、いかに、怖れや怒り、執着という感情レベルで世界が創造されているかわかります。

これが、いまの時代の激流です。

僕は、決して、ネガティブな未来をイメージしていません。

僕個人の世界は、いつも喜びに従う生き方を選択し、平和な世界を祈っています。
喜びは愛を包括しています。

2012年は、その激流のピークのような気がしてなりません。
その先は、どうなっているのでしょうか?

もしかしたら、大きな滝が待ち受けているかもしれません。
もしかしたら、川幅が拡がり、深くなって、穏やかな流れになるのかもしれません。
例え滝だとしても、その先は、また、穏やかな川の流れかも知れません。
ステージは異なっているでしょうが・・・

どんなに激流でも、川の両端は比較的激しくはありません。
もっとも激しい流れは、川の中心です。流速がもっとも早いのです。

ここから離れるためには、自分の深い意識の感情レベルがどのような状態なのかを見つめ、
それを手放す必要があります。

激流は、人々のネガティブなエネルギーがぶつかり合い、激しさを増しているのです。
川全体は、その激しいエネルギーに引きずられるように流されていくのです。

いま、これを読んでくれている人は、まず、大丈夫です。
自分を見つめている人しか、これを読んでいないし、そうでない人がこの内容を間違って見たとしても、ここまで、読み進めることは出来ないでしょう・・・

今年は、さらなる激動の年になりそうです。

そんな世界でも、喜びに満ちた平和な世界を創造することは出来ます。

それはなぜか。。。

マザー・テレサやガンジーの生き方を見ればわかります。

どんな世界に身を投じていても、そこには、愛や平和を見いだすことができるということを証明した人々です。

イエスや仏陀もそうでした。

世界を変えることは出来ないかもしれません。
でも、自分を変え、自分の身近な世界を変えることはできるはずです。

内なる平和は、いまの世界を許し、受け入れ、理解すること。

いまという世界がどんな世界であっても、それは、しかたのないことです。
いまの人類世界を構成するひとり、ひとりには、その人の人生があり、選択があります。

そのひとりひとりの人生を通じて、その人は意識的な体験を通して、魂の学びをしているのです。

だから、いまという世界を通して、自分自身も魂の学びをし、すべての人がそうなのです。

2012年・・・何が起ころうとも、それはすべて、自分の魂が必要として体験することです。

自分にとって何が本当の、本質的な喜びなのかを常に自分に問いかけながら、
自分が本当に生きたい人生を生きる時だと思います。

幸せは、そこにしかありません。

人々の意識の総和としての世界が自分にとって必要なのではなく、

あくまでそれはステージであり、舞台装置のようなものです。
その舞台で、どんな人生を生きるのか、喜びを創造していくかが試されています。

自分の喜びとはなにか・・・2012年フォーカスしたいテーマです・・・

S_2
写真は、セドナの中心的なボルテックス、カテドラルロック頂上部からの眺め


1月 1, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)