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2012年4月21日 (土)

小さな死を繰り返して、新たな人生を歩む

僕はよく小さな死を体験する。

大きな死だと、もうこの世には戻れない。

でも、小さな死はいっぱい体験してもいい。

最初は、小さな死というものですら受け入れられなくて、
自分は死んでないんだって、必死でそう思おうとする。

そもそも、必死という言葉がおかしいのだけど。。。

小さな死とは、
相手に受け入れてもらえなかったがために、
否定された気持ちになって、心に傷を負ってしまうことだ。

そんな時、本来の自分ではないことをやってしまうために
小さな死を体験することは多い。。。

相手がどう感じているかという事実ではなく、
自分が勝手にそれを恥として感じたり、
罪悪感として思い込んだりするわけだ。

その傷が深ければ、その時、自分をかたち作っている
自分というアイデンティティがダメージを受ける。

ひどいときには、存在すらゆらいでしまう。

なぜなら、自分という存在は、生きている環境に適応する様に
アイデンティティをかたち作っているからだ。

つまり、アイデンティティがダメージを受けると言うことは、
その人間関係のコミュニティや環境の中での自分の繋がりが
部分的に切れてしまう感覚があるということだ。

本来は、そうした繋がりを含めて丸ごと自分という存在があるわけだけど、
そこが壊れることで、自分という存在の一部が欠けてしまう。

それを修復するのは、まるで、肉体の一部がえぐり取られて
そこを自己治癒によって修復するのに等しい。

いわば、それが、心に起こるって事だ。

そんな感じで、ダメージを受けたときに、
自己修復できる事を知らなかったり、イメージできなかったら、
ここがなかなか修復できなくて、

それは、自分だけが責任を背負い込んだり、
そんなバカな自分を否定し、責め続けることで、
罪悪感を持つ事により、相手の承認を得ようとするからに他ならない。

小さな死は、そうして起こる。
小さな死を理解して、そこから再生するのは、初めはなかなか上手くいかない。

でも、小さな死を理解していくと、死から生への再生もずいぶんと上手くなるものだ。

いわゆる、慣れだろうか。。。

バカやって、ドキューンと自分の胸を打ち、または、打ち抜かれた気がして、
あっ、死んでないって気がつけば、すぐに再生できる。

死んだと思い込んでる間は、再生できない。

本当は、死なない。小さな死もない。

失敗もないし、傷つく必要もない。

ただ、自分の何らかの行為があって、結果がある。

もう、自分が失敗したと感じただけで、十分傷を負っている。

だから、失敗したら、すぐに再生へと向かえばいい。

今度は、どんな存在になろうかと、新しい人生をイメージしながら。。。

日々、生まれ変わって、新しい人生を歩んでいくのだ。。。

4月 21, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月20日 (金)

Personal Definition of Success

早春のある日、フェアバンクスに住む古い友人ビル・フラーを訪ねた。

何を話す目的がなくとも、今年75歳になるビルに、僕は時々ふと会いたくなる。

人間とは、生きていく上で、時々励ましを必要とするものなら、

僕は確実に、その力をビルからもらっていた。

「あ〜そうか、やっぱりこれでいいんだよな」何かに躓いたとき、
ビルの顔を見るだけでそんな気持ちになれた。

Personal Definition of Success

「きわめて個人的な、社会の尺度からはもっとも離れたところにある人生の成否」

ビルには何の肩書きもない。しかし、ビルは、僕たちの真のヒーローだ。

結婚したら水道のある生活がしたいね。

という会話が今でも普通に聞かれるこの町で、70を過ぎても、

水道のない暮らしをしているのは、ビルぐらいのものだろう。

人間はこれだけ何も持たなくてもよいのだとビルの暮らしは語りかけてくれる。

(地球交響曲第三番 ビル・フラーのパートから)

4月 20, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)