« 2012年7月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年8月29日 (水)

UFOが登場する夢を見たことはありますか?

UFOが登場する夢を見たことはありますか?

僕は記憶にはっきりしているのは、高校2年生くらいから、
何度も何度もUFOや宇宙人の夢を見るんです。

これは、UFOや宇宙人と直接的に関係があると言うよりも、
僕の深層意識の未知なるものへの怖れと好奇心、探究心が拮抗している
境界線の象徴として、夢に現れるんだろうと最近は思います。

僕が見るUFOは、いかにもUFOと言うより、おかしなものが多いです。

例えば、エンパイアステートビルが10本って言うのかな?

鉛筆を横にしたように、巨大なUFOが飛んでいる夢だったり、
色とりどりの発光するピンポン球数百個が飛んできて、
椅子に座らせるように僕を抱きかかえて、姿の見えない宇宙船に連れて行くとか・・・
格子細工のように複雑かつ巨大なメカ的なUFOだったりその時々でいろいろです。

僕は、そんなUFOに監視されている夢もよく見ます。

最近はかなり減りましたが。。。
そんなUFOから逃げ隠れる夢です。。。

これも、深層意識、抑圧された意識の象徴です。。。
何か、特別大きな問題を抑圧していると言うわけではなく、
些細なことでも、夢の中では大きく扱われたりします・・・

昨日も、心地よくない夢を見ました。

とっても長く鮮明なので、手短に話すと、

大きな森のような公園で、園内の道をまたぐような大きな陸橋があって
そこに、ひとりの女性がいます。
周囲にUFOが潜んでいて、彼女は不安になります。

僕はそんな彼女にどこからか指示しているんです。

「発光体なのか、物質的なものなのか?」

彼女は恐る恐る橋の上から下を見ると、いつの間にかそこから僕に視覚になっていて
薄いマーブルピンクの直径医10メートルくらいのマッシュルームのようなUFOがいます。

そこから走って逃げ出すんですが、
周りに10人くらいいて、みんなに逃げろと叫びながら。。。笑

でも、足が重くて前に思うように進みません。。。地面はアスファルトなはずなのに・・・
なぜか、ガラスのコーヒーポットを持った人がいて、
僕は叫びます。。。

「コーヒーを捨てろ!コーヒーに反応するんだ!」

左側に、象の形をした大きな滑り台があり、僕は右方向に逃げると、
大型のリゾート施設のアプローチのような道があって、
そこには、巨大なカニのはさみのような植物が群生しています。

その奥に逃げ込んで、はさみの上に上がれば隠れられると思うわけです。

奥に行くと、大きな黒っぽいタカアシガニがいて、
さらに、20メートル近い恐竜のような黒いワニがいます。。。

木の上に隠れてしばらくして、もう追ってこないと判断した僕は、木から下りて森を歩くと
ぽっかりと空いた草の広場に出ました。

そこに劇場のように並んだ椅子とサーカスのようなテントがあって、そこに隠れます。

椅子の座面のようなものが積み上げられていて、
その下にもぐり込んでいると。。。

ダダダダ〜ン、ダダダダ〜ンと大きな音がして、
巨人が僕を探しています。。。姿は見えません。。。
僕の近くまで来て絶体絶命です。。。

息を潜めていると、つばを飲み込む音に、しばらく静かな時間が流れ、
巨人はどこかに行ってしまいます・・・

まだ、続きますが、そんな感じです。。。


嫌な気分で目が覚めたのは、午前3時・・・

思わず、この内容をメモを取りました。。。笑


そこで思ったんです。

現実の体験も、映画を見たり、物語を読んで体験する内容も、
脳は、そこで描写されるもの、そして、そこで味わう感情の違いはわからないということです。

ただ、体験強度が夢とは違うために、そこで味わう感情や意識への影響に差が出る。。。

あまりにもリアルな夢やリアルな映画など、
洗脳のテクニックでもありますが、
実際に何も体験していなくても、そうあったように思い込ませる洗脳の技術も実際にあります。

結局、僕たちは、僕たちの今持っている信念=ビリーフに従って、
世界を見て、体験する中で、必要なものだけを受け取ります。

知識は情報として伝えることができますが、

体験は物語で伝える方が効果的です。

だから神話はこれまで伝えられ、残ってきたのでしょう・・・

このように、僕たちは、夢や物語を通して、
危機の中から生還し、智恵を得て帰ってきます。

まさに、こうした体験は小さな英雄の旅かもしれません・・・

夢は、単なるストレスから見るのでは無く、
意識を成長させるための、バーチャルな体験をさせている、
自己を構築していく機能なのかもしれませんね。。。

8月 29, 2012 心と体 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年8月17日 (金)

力を抜くと相手が倒れてきてしまうという原理のお話

国家間の力学とはパワーバランスだそうです。

例えば、日本が外国に向けて押している力が弱まると
押し返されている国は、力加減を変えてなくても、
日本に力が傾いてしまうそうです。

子供が押しあっこして遊んでいて、片方の子がすっと力を抜くと、
相手が倒れかかって来るのと同じ原理みたいですね。

僕は、専門家ではないので、詳しくはわかりませんが、
直感的に掴んでいるお話しです。

何が言いたいかというと、いま、中国や韓国との領有権の問題でいろいろとありますが、

この原理からすると、中国がどうだ、韓国がどうだという話ではなく
日本の問題だということです。

ちゃんと日本が本来のテンションを保って、バランスを取っていたら
中国も、韓国もそれなりのバランスを持って外交できる。

日本が力を抜いてしまっているから、
彼らは日本に倒れ込まざるを得なくて、こちらに入ってきてしまうということです。

歴史を紐解けば、いろんな主張や議論があると思いますが、
僕は、ここはお互いにグレーゾーンで、
永久にどちらも領有権を主張できない場所にしてしまえばいいと思うのです。

そして、もし地下資源や海洋資源があって、それを利用したいなら、
お互いにきちんとした話し合いの場で、その資源の利用について平和的に話し合えばいいと思います。

でも、基本原則は、永久に触れない場所。
生態系にとっては楽園になるでしょう・・・

他国が権利を主張して、喧嘩を売ってきているとか、
日本の領土を盗もうとしているという発言や思いも、わからないではないけれど、
愛と豊かさの原理から見るならば、

日本はいまだ豊かなのではないでしょうか?

そして、穏やかに、平和的に物事を解決する寛容さと深い精神が文化のDNAにあるはずです。

いま、外国が日本への圧力をかけてくるのは、

かけてくるのではなく、日本の圧力が弱まっているから、かかってしまうということです。

でも、誤解しないでください。

これは、軍事的なパワーバランスのことではありません。

日本という国のテンション。
例えば、コマの回転が遅くなるとふらつくように、
高速で回転するコマは、しっかりとぶれずに立っています。

つまり、日本という国の回転力、そのようなある種の緊張感や
精神的な活力、国民一人ひとりが人生を積極的に生きようとする生命力のようなものが
何かとても弱くなっている。。。そのために、国家としてのパワーが弱まっている。。。

国は何をしているんだ!
総理は何をやっている!など、批判も多いですが、
やはりこれは、1人ひとりの集合無意識の表れです。

やはり、自分しかいないと思うのです。

いま、世の中ではいろんなことが起こっています。

いったいどうなっているんだ!?
これはおかしいんじゃないか!?
これは問題だぞ!

と許せない、怒りの感情や混乱を感じたら

自分はどう人生を生きているか?
日々をどう行動しているかを見つめてみるのはいかがでしょうか?


『世界には自分一人しかいない』


僕はこの考え方が好きです。。。

8月 17, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月16日 (木)

極限の運命を生きる力

登山家のジョー・シンプソンは、ペルー・アンデスの氷の岩を下山中滑落。

手足を骨折し、ほとんど歩けなくなった。

一緒に下山していた仲間のサイモン・イエイツはザイルで彼を降ろそうとしていたが、
手違いから崖の淵からシンプソンを吊してしまうことに。

イエイツにはシンプソンの姿が見えず、声も聞こえなかった。

シンプソンの全体重を支えきれなくなったイエイツは決断を迫られた。

一緒に滑落死するか、ザイルを切るかだ。

苦渋の決断を迫られたイエイツは、遂にザイルを切る決心をする。

ザイルは切れ、シンプソンの体重はザイルから消えた。

しかし、驚くべき事が起こる。

なんとシンプソンは、クレバスの氷棚に引っかかり、一命を取りとめる。

それから数日をかけて、シンプソンは氷河を10キロも這い進んで

まさにイエイツが下山しようとしているとき、
キャンプにたどり着いた。

『死のクレバスーアンデス氷壁の遭難』(岩波書店)


この話は驚くべきことだ。

人間の運命とは何か?
生きる力とは何か?
待ち受ける困難に立ち向かうエネルギーとは?

僕がその立場ならどうだったろうか?

シンプソン自身、生きて帰れるという確信は無かっただろう。

ただ、生きるという強い意志と自分を鼓舞する強靱な精神が、彼を生かしたのだ。
彼は運命を、彼の人生を創造したとも言える。

人生を生きる中で、これほどの困難は、普通に生きる中ではほとんど起こることはないだろう。

その分、日々を安穏と暮らしてしまい、1日、1時間、1分と、
限られた貴重な人生の時の大切さを忘れて過ごしてしまいがちだ。

何かを克服しよう。何かを実現しようという強い思いがあれば別だけれど、
漠然とした人生を生きるならば、いまこの瞬間を漠然と過ごしてしまう。

穏やかに、ゆっくりとリラックスして楽しむのもいい。

何かに取り組んで集中するのもいい。

どんな時でも、その瞬間を味わいながら、それを楽しむ。
また、その瞬間にエネルギーを注ぐ。

100%できるわけではないかも知れないけれど、

できるだけそこに自分を向けていく。

充実した人生とは、いまここにいて、この瞬間を自分のものとしているかどうか・・・

この瞬間を味わっているかどうかはとても大切だ。

シンプソンの壮絶な体験から、自らの人生の大切さに気づかされた。。。

8月 16, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)