2013年11月22日 (金)

あなたは、天狗界の人だ。。。

若い頃、当時、知る人ぞ知る、ある直感能力者に

「あなたは、天狗界の人だ。あなたは、自分はつまらない人間だと

思って生きるくらいがちょうどいい」と言われた。

確かに、この人と会った20代前半、異常な自信をもって生きてた気がする。

「コーヒーを濾す漏斗のようなものだ。

コーヒーを入れて、お湯を注ぐには、漏斗は開いていなければいけない。

でも、あなたの漏斗はせっかく大きな漏斗なのに、

自分を過信して、天の力なんて必要ないというように、漏斗を閉じてしまっている。

自分の力なんて大したことはないと、

自分を過信することなく、天に感謝して生きれば、

自然に漏斗が開いて、開けば、何もしなくても、

天からいくらでも運をもらえる。

あなたとは逆に、菩薩界の人もいる。これもよくない。

自分に自信がなく、罪悪感がいっぱいで、

自分を犠牲にして、人に貢献することばかりやってる。

身を削ってまで、人に尽くしている。

これでは、自分を大切にしている、愛していることにならない。

こういう人も、漏斗を閉じている。

自分には価値がないと思っているから、

天から運をいただくに値しないと思っている。

漏斗の大きさは、人それぞれ、

小さくても、丸く開いていれば、

それだけ天が与えてくれるものを受け取れる。

しかし、いくら大きくても、閉じていては受けることができない。

天は、開いたときだけ注ぐのではない。

天は、雨のように、いつも注いでいる。

あなたはただ、開くだけでいいんだよ。。。」

僕は、20年以上前に聞いた彼の言葉が未だに響いている。

改めて人生を振り返りながら、

過信があったときは、やはり運から遠ざかっている。当然だ。。。

かといって、いまは、つまらない人間だと思ってはいない。

そのことを言われたとき、とてもショックを受けた。

それから数年は、結構それを意識して、生きたものだ。

でも、逆に、自信を喪失した部分もいくつもあって、

行ったり来たりしながら、ここまで来たような気がする。

漏斗を丸〜く、大きく開く。。。

ただそれだけで、人生は、まさに、開かれる。。。

これなら天狗でもいいけどね。。。笑

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11月 22, 2013 心と体 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年4月 7日 (日)

カラダにフォーカスする理由・・・

Facebookには、結果的に、リンクしているので、UPされるんだけど、
ブログに書くというのは、もっと思っていることを語りやすい。。。

それは、興味ある人しか、わざわざリンクまで飛ばないから。。。
Facebookのウォールだと、そのままダイレクトに見るからね・・・
ブログは、自分の場所、自分の空間って感じがするけど、
Facebookは、公共の場、噴水のある町の中心広場で、
自分の思ってることをシェアするみたいな感覚がある。

もちろん、自分と繋がっている人は、友達申請をOKしている人か、
僕のウォールをフォローしてくれている人たちだけだけど、
僕は、自分からリクエストすることがほとんど無いので。。。
基本的には、Facebookで何語ってもいいハズなんだけど、
やっぱ、自分の場所で、こっそり語りたい話もあるしね。。。笑

それと、Facebookでは、あんま長く書けないよね。。。
まあ、それでもいいんだけど、今後は、ブログを見直してみよう。。。

そんなわけで、ここのところ雨や風の相当強い日以外はずっと走っていて、

それは、走らなきゃとか、カラダを鍛えようとしているわけではなくて、
カラダの要請に従っているだけなんだけど、

もし、サーフポイントの海が近くにあれば、
走るよりも、ほぼ毎日、朝イチにサーフィンするんだろうけど・・・
そうもいかないので、走ってるのかな・・・
まあ、走るのは、ちょっと違うんだろうけど。。。

で、なんでそんなにカラダが求めるんだろうと考えてた・・・

走るのも、それなりの距離があって、5キロくらいのジョギングなら軽いんだけど、ほぼほぼ、10キロ〜15キロ、走るときには20キロ以上も走ってる。
カラダ的には、すごく快適なんだけどね・・・

20キロ越えの時は、ほどよい疲れがまた気持ちいいんだけど。。。
それで、普通に仕事もするわけです。。。

いま、意識的シフトがこの世界に起こっていているというのは間違いなくて、
これは、いまの科学でどうしようも説明ないんだけど。
それに、ここは、僕の空間だから、それについて、どうこう言われても知らないんだけど。。。笑

時空間もシフトしている。いや、シフトし続けている。
まあ、これは、宇宙が始まって以来、ずっと前からシフトしてきた結果だろうけど、
そして、どうも、宇宙で僕たちがいる世界がひとつだけど思っている人がほとんどなんだけど、
実は全然そうではなくて、僕たちに時空間よりも遙かに進化して、
次元上昇してしまった人と言えるのか、存在と言った方がいいね・・・きっと、

そういう次元世界が無限にある。
この無限というのは実は、言い方が難しいんだけど、

僕たち人間の領域からすると、無限に見えてしまうんだよね。。。どうしても、
でも、かなり次元が上昇していくと、まあ、意識が拡張していくと、
その無限に見えるものも、もう少し段階的に見えてくんだろうけど・・・

なぜ、そう言えるかっていうと、平地にいたら、遠くは、近くにある大きな建物や山なんかがあると
その先が見えないんだけど、高いところに登ると全体が見えるように、
こういう象徴原理が、拡張次元でも同じように作用していると考えられるからだね。

まあ、今はこの話はいいんだけど、

で、この世界が以前よりもかなりシフトして行っているのはいいんだけど、
その分、意識が開きやすくなってきている。

いわば、空間が変わってきているわけだ。。。

山登りでは、高度を稼ぐと、酸素が薄くなるように、
逆に、深く下がっていくと気圧が増してくるよね。
すると、酸素が濃くなるから、火が点きやすい、燃えやすいということになる。
こんな感じの逆なんだけど、次元空間が上昇していくと、意識的世界が繋がりやすくなってくるわけだ。

だから、多くの人が、インスピレーションを受けやすいし、
これまで、チャネリングとか、霊感みたいなシャーマニックな能力が、
一部の人の特別なものだったんだけど、

実は、いま、多くの人が、それに近い感覚になってきていると・・・
でも、やっぱり、それはあんまり過去に経験が無いから、
慣れないためだね。。。いわゆる、現世的な空間感覚になれているので、
雑音、ノイズの中で、感じにくかったり、キャッチしにくかったりする。
聞こえてるはずなのに、感性が鈍っていて、感じにくい。
さらには、無意識に感じないようにしているとかね。

また、逆に、何か感受性が高まって、そういうものをキャッチするようになった人で、
現実の世界にストレスを貯め込んでいる人は、
こういう世界の扉が開くと、あっさりそっちの世界にはまってしまって、
現実世界を忘れてしまいがちだ・・・

そんなわけで、いまだからこそ!
カラダ=物質世界に意識を向ける必要があると思ってるんだ・・・

例えば、軟弱な地盤の上に建物を建てると、建物は傾いたり、崩れてしまうように、
まず、上にものがしっかりと建てられるように、地盤をしっかり固める。
低い次元からがっちりとさせないと、その上に、ものは建てられないと・・・

つまり、現実的世界、カラダ=物質世界をしっかりと創造しないと、
意識的世界ばかり進行すると、バランスに欠いていくわけで、
妄想の虜になってしまう危険があると言うこと・・・

マズローの5段階欲求と同じで・・・生理的欲求から満たしていき、
安全の欲求、帰属の欲求、承認の欲求、自己実現と・・・
その土台となるベースがないと、自己実現はできないわけです。

だから、カラダを見つめ、本来のカラダの健康を取り戻し、活性化させて、
さらに、エゴを見つめて、生命体として最低限必要なエゴだけにして、
そうして、基礎ができたら、自然にそこに立ち現れてくるものがあると。。。
僕は、考えている。

つまり、何かをやろうとしなくても、礎ができれば、そこに本来あるべきものが立ち現れてくると。。。

準備ができたら、師が現れる・・・それと同じ。

どんなに、こんなことしたい、あんな風になりたいって、イメージばかり膨らませても、
結局、礎ができてみたら、それは本当に自分が望んでいたことではなかったと気づいたりするわけだ。。。

そんなわけで、僕はいま、あらためて身体にフォーカスしているということだね。。。

4月 7, 2013 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 3日 (日)

走ることが楽しくて仕方なくなってしまった理由。。。

ここのところ走ることが楽しくて、走らない日がないことになってしまった。。。

最近、◎◎ちゃんが、LSDやってるらしいよ〜って言うので!

なぬ〜マジかっ!サイケデリックスかっ!?と驚いたんだけど、

ぜんぜん違って、LSD=Long Slow Distanceという考え方、哲学?らしく、

長い距離をゆっくり走るというドイツからの考えみたい。。。

おお〜まさしく僕の走り方。ではないか。。。

僕は、マラソン大会に出るつもりはなくて、今のところ・・・

それを目標に走っていない・・・

実は、単なるダイエット目的でいつも走っていたんです。。。

それが、いつの間にか身体が、走るようにできあがってきて、

次第に、長距離が苦で無くなって、それでスタスタと走っているわけです。

僕の走り方は、スタートからいきなり走りません、、、

最初の5分は必ず歩きます。少し積極的に歩く。

5分くらい過ぎたら、本当に小さな歩幅で走り出します。

でも、歩くのと大して変わらないくらいから、徐々にペースを上げていきます。

僕は、ナイキのiPhoneアプリを使っているので、

イヤフォンで、何分経ったとか、何キロ走ったとか、1キロ何分のペースだとか

随時教えてくれます。

それで、スタスタと走ってると、大体、2キロになる頃には、

気がついたら、歩幅も次第に、少し広くなってきます。

ペースも1キロ6分〜7分くらいです。

その後3キロになる頃に、大体5分〜6分の間に上がってきます。

ここで大事なのは、ペースを上げるのでは無くて、ペースを落として、

敢えて、1キロ6分くらいのペースにしていきます。

でも、距離が伸びるに従って、どうしても5分前後になってくる。

そうなったら、自分のその時のコンディションで、自然なペースをみつけて、

ちょっときつく感じたら、ペースを落とすようにすればいいといい感じ。

こうやって走り始めると、心拍数も徐々にゆっくり上がっていくので、

呼吸や胸が苦しいということはないのです。

でも、初心者の人は、脚の筋肉に乳酸が溜まって、筋肉痛やだるさ、

ひざや股関節、脚の痛みが出て来るかもしれません。

だから、初めて走るという人は本当に無理しないで、

3キロくらいを歩くことから始めたらいいと思います。

やはり、それなりに距離に耐える筋肉も必要です。

関節が痛くなるのは、走る時の関節への負荷に対して、関節を支える筋肉がついていないから。。。

だから、少しずつ筋肉もつけていかないと、距離も走れません。。。

そんなことで、僕も気がついたら、毎日10キロから15キロ走るようになってしまったわけです。

大体1時間から1時間半。時間が許せば20キロ以上を2時間以上かけて走ることもあります。

でも、僕流のLSDは、積極的なインターバルを意図的にいれてます。

気分によりますが、3キロ〜4キロはそのまま走るんですが、

その後は2キロ毎に、1分くらい、約200メートルくらいウォーキングを入れます。

走り続けることを目標にやってると我慢したり、歩いてしまった罪悪感に苛まれますが、

違うんです。自分がやってるのは、ランニングではなくて、自己流LSDなんだと。。。

最初からそれだからOKなわけです。

そもそもLSDの定義は知らないんだけど。。。

地元をあちこち走りながら、長年住んでいるのに知らなかった場所。

知らなかった景色。知らなかったこと、歴史や文化を発見するのです。

意外なところに神社やお寺を見つけたり、文化財や歴史的な場所があったり、

走るからこそ見つけられることがいっぱいです。

ちょっと、止まって写真を撮ったりします。

また、走ってると、一種の瞑想状態になり、いろんなインスピレーションも湧いてきます。

そんな時も歩きながら思いついたことをメモ取ったり、

ボイスレコーダーに話しかけたりします。

僕の仕事は比較的自由に時間がとれるので、

机で考えるより、走りながらアイデアを練ることができることもあるけど、

そうやって身体を動かしながらだと、血の巡りもいいせいか、

走り続けていると、意識も少し遠ざかる感じもあって・・・笑

また、景色も流れていくので・・・そんな効果か、いろんなことを思いつきます。

走ることは、昔は大嫌いだったんだけど、

いつしか、走ることが楽しくて仕方なくなってしまった。。。

走ることそのものが楽しい。

大会に出るという夢や目標もいいけど、そのために走るのではない。

未来のために走ったり、過去の後悔や罪悪感から走るのではない。。。

今この瞬間、走っているこの瞬間、瞬間が楽しくて、

直感に従って、コースをその場その場で決めていく。。。

コースと言うよりも、あっここを曲がろう、あっあそこまで行ってみよう・・・

直観の声に従って走るだけ。。。そんな中で、いろんな出会いがある。。。

僕は、そんなフリーランがとっても楽しい。。。

これからの時代は、スピリチュアリティがもっともっと注目されてくる時代。

だからこそ、身体性も、マインドを見つめることもすごく大事。

スピリチュアリティを伸ばすなら、全方向へしっかりと伸ばしていかないと、

バランスを欠いてしまう・・・

日頃、身体を動かしていないなら、ぜひ、外に出て歩くことから始めてみよう。

そんな小さな旅が、人生を変えるかも知れない。。。

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2月 3, 2013 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月20日 (木)

オヤジ文化が世界を滅ぼす

オヤジ文化が世界を滅ぼすって、ある女性の友達が言ってたけど、

オヤジの定義は別として、いまの政治はオヤジたちばかり。

オヤジにもいろんなタイプがあるけど、

オヤジの基本原理、基本精神は女神コンプレックス。

いわば、母親との関係性のコンプレックスを抱えている人が多い。

これからは女性性がとても大事な時代だし、

女性性がもっと社会の中で中心的になってこないと

この先の世界は破滅に向かうだろう。

考えてみても、今の政治や官僚、企業経営の世界で、

女性の比率はどれほどだろう。。。

政治の世界なんて、女性議員はほんのわずか。。。

オヤジばっかり・・・

国会中継で、議席の3分の2が女性だったら、

どんな政治の世界になるのかな。。。

きっと、憲法もそうだけど、女性が中心の世界って、

全く違うシステムになっているだろうな。。。

こんな時代なのに、男性優位な世界。

日本の給与水準は、女性の方が圧倒的に低くて、

韓国に続いて、世界でワースト2位。

今日が旧世界の最後だから、明日からの新世界、ニューアースの時代は、

もっともっと女性を前に前に送り出す時代になるだろう。。。

オヤジたちはそろそろステージから降りて、

もっと応援し、サポートする側に回ろう。。。

そして、オヤジたちの中にも眠っている女性性をもっと開発していこう。

いやいや、お姉になれってんじゃないよ。。。

まあ、それもありだけどね。。。

世界に何かを望むなら、それだけで世界はどんどん変わっていく。。。

12月 20, 2012 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年12月11日 (火)

これはインプラントか・・・笑

18歳〜20歳くらいの間にいつの間にか右上腕にあった異物。
気がついたのがその辺り。。。

昔からいつかレントゲンやお医者さんに見てもらおうと思いながら、
なぜか、いつも忘れてしまって、、、
今日、遂に、病院で診てもらった。

まず看護師さんが、異物をグリグリ触りながら「??なに?これ?」って

「どんな感じですか?脂肪こぶ?」って聞くと

「ん〜何だろう。。。脂肪こぶは柔らかいからね。それにこういうところにはできない」と・・・

そこに先生が来て、グリグリ。。。

「ん〜なんだろうねこれ・・・とにかくレントゲン撮ろう」と。。。

レントゲン技師も撮影後、、、ん〜何だろう、これはと画面を見せてもらった。。。

今はデジタルだね。。。すごい!

その後診察室で・・・

「これはね〜ん〜なんだろう〜。。。外から入ってるのは間違いないね。」

「事故とか、怪我とかした事ある?」

「19の時にバイクで転んで。。。でも、ここを怪我した記憶はないですが」

「ん〜・・・まあ、きれいに皮下にあるんだよね。。。外傷もないし、なんか小さな穴のようなものはあるけどね、

まあ、このくらいのものが中に入るんだったら、なんか、もっと大きな傷の跡があってもいいけどね。。。」と・・・

すると先生。。。「フフフ・・・ん〜あれちゃうの。。。あのエリア51とか、宇宙人がいれたんじゃないの・・・笑」と

「いやあ、実は最近僕の周りで、UFOや宇宙人関係がやけに多くて・・・」って話したら、マジ顔でひかれた。。。。笑

いずれにしても、取り出すかどうか聞かれたけど、

僕は、取り出すのはやめて、このミステリーな異物とこれからも過ごしていこうと思います。。。

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12月 11, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月28日 (水)

人生は母なる叡智へと還る旅

僕たちは、進化というものが、

小さいものから大きなものへと変化していくこととか、

何かを付け加えて、より機能が増していくこととか、

単純なものから複雑なものへと成長していくことを進化だと感じ、

理解してきたように感じる。

でも、本当は、その過程とは、すでにあった完全なるものへつながるための

長い長い進化のプロセスだったのだと気づく。

宇宙は、進化して何かになろうとしているのではない。

進化という複雑化を通して、本来の叡智を受け取り、理解し、

自らのものとするために獲得してきたもの。

例えば、西遊記の物語で、三蔵法師一行が、困難な旅を経て、

ガンダーラへ経典を取りに行った物語のように

すでに叡智なる仏典は存在していて、その仏典を得るために

困難な旅をしてきたということ。

では、なぜ、三蔵法師達は、ガンダーラへ向かうことができたのか。。。

それは、そこにあると知っていたから。。。

僕たちも同じだ。

そこにあると知っているのだ。

だから、その宇宙の経典を、宇宙の真の叡智を受け取るべく、

困難な旅路を歩んでいる。。。

旅の先に、未知の創造によって生まれる何かがあるのではない。

僕たちは、ただ、成長する度に、

すでにそこにあるものを受け取っているだけなのだろう。

難解な仏典を理解するには、ただ文字が読めるだけでは無理だ。

人生を通して体験、体感したことを通じてのみ、

その言葉の意味を理解し、甘受できる。

人生の旅はそのためにある。

だから、旅に出なければいけない。いや、旅立つしかないのだ。。。

11月 28, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月27日 (火)

全ては自分が創造している。。。自分自身も。。。

不思議な感覚にとらわれている。。。

わかる人にはわかるかも。。。

自分の世界を創造しているのは、自分なんだという体感覚。

自分が認識する世界はすべて自分がその瞬間瞬間に創造していること。

つまり、刻々と自分が創造している。
自分の創造と選択次第で今この瞬間があるということ。

例えば、いま見えないけれど、いま、友達が飲み会に参加してると聞いていた。
そう思ってる。でも、そう思ってるけど、本当に友達は飲み会に参加してる?

いや、そもそも飲み会もそのお店もあるの?
自分の意識の中でイメージがあるだけ。じゃあ、電話して確認しよう。
すると盛りあがってる。

でも、電話した瞬間から、盛りあがってる場が創造されている。。。

すべて、想像しがたい瞬間的に想像されたイマジネーションによって、瞬時にクリエイトされる世界に僕たちはいるだけなんじゃないか・・・

自分の認知の世界以外は実は物質化していないのではないか・・・

同時に世界が進行していると思っているだけで、
実際にはフォーカスしたところだけがその瞬間に創造されている。。。
実体はないということ。。。

その体感覚はなんだろう・・・

だから、世界を変えるのは自分の創造だけ。

リアルな現実は、自分のマインドが創り出している(としたら?)。
だから未来は自在に変えられる。自分がどう選択・創造するかだけ・・・

信じるとか信じないとかの意志ではなく、
深い内側から無意識から創造される、されてしまう体感的現実。。。

体感型のホログラフィ。。。

あ〜やっぱ、引き寄せも超えて、
自分がすべてなんだね〜・・・

このリアルな感覚は何だろう。。。

11月 27, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月13日 (火)

夢ってなんですか?

最近友達になった、ドリプラジオのDJのたっちゃんが
先日のファインディング・ジョー「英雄の法則」の上映会の後に、
ラジオ用のショートショートインタビューをしくれました・・・

※ドリプラジオについては、一番下を参照ください。。。!

インタビューはいつ流れるのかは定かではないのですが。。。

質問は「あなたの夢はなんですか?」でした。。。

そこで僕は、答えたのですが、
僕には、夢がないって・・・

もうインタビュー的には、NGなんだけど。。。笑
たっちゃんもさすがプロです、そこからいろいろと掘り下げてくれました。。。
そもそも、みんなの夢を語って、夢を応援する番組だから、
どうかと思ったんだけど。。。

本当に短い3分くらいの一言インタビューだったけど、
そこで自分が語ったことが気になって

少し考えたのでした。。。

あらためて、僕の夢って何だろうって、、、でも、正直に言って、
僕には、夢がイメージできないんです。。。

夢という言葉の捉え方や解釈の問題なのかもしれないなとは思うんです。
解釈は、何においても人によって違うから・・・

なぜ、夢がないのかって言うと、あの日は、思ったことは
どんどん実現に向けてすぐ行動するから
だから、夢ではなく、僕には予定になってしまうんだよね。。。って・・・

だから、言ってみれば、夢を生きているって言うような
カッコイイことを僕は言ったけれど、どうなんだろうって思って。。。

夢がないって言うのは、暗い意味じゃない・・・
絶望とか、夢を描いて実現しないかも知れないという恐れでもない・・・

昔はあったよ。。。年収とか、こんな暮らしとか。。。

でも、それも、ある程度実現してみたときに、
あ〜なるほど、こうやって、こうなって、こんな感じで行けば、
この山がこんな感じだから、あの山も、この山もこんな感じだろうなと。。。

それは確かに、そこに行かないと実際はわからない。。。

エベレストには登った人にしかわからない何かがあるのは当然だ。。。
だけど、そこには興味が無いから。。。

例えば、売上げが100億円の会社をつくるとか、
年収がいくらで、こんなところに暮らして、こんな人たちのコミュニティに属して。。。海辺の別荘があって。。。云々

それもいいよね。。。否定はしない・・・
でも、そういうところには、僕の喜びはないというか。。。

くれるならいただきますが。。。笑

でも、そんなものもらっても、売ってしまって、
困ってる人に役立てた方がいいな今は。。。

世の中が、世界が、平和であって欲しいとか、
愛に満ちた世界であって欲しいなんて夢はなく、

それを言うなら、ただ、みんなのそれぞれの魂のプロセスが行われる中で、
みんながシフトして行くことを見守るというか。。。

だって、誰しも、どうあっても絶対にシフトして行くように設計されているんだもの。。。

ただ、人それぞれに開花するタイミングが違う。。。

それは、バラであれ、朝顔であれ、つぼみから一斉に同時に花が開くことはないように。。。

だから、僕には、すべてのプロセスを信じるということが根っこにあって。。。
これは宇宙全体のプロセスね。。。すべてはなるようになっている。。。

よく悪い宇宙人がいて地球を乗っ取ろうとしているとか

世界政府があって、世界をコントロールしているという陰謀説もたくさんあって
それもあるかもしれない・・・

だけど、どうだろう。みんないま、それで大変な目に遭ってるのかな?
もちろん、大変な人もいるよ。。。助けが必要な人もいる・・・
でも、これを読んでるあなたはどうですか?

だからといって、漫然と生きてるわけではなく、
悪い宇宙人というのは行き過ぎかもしれないけど、

もしもの時には、もうみんな戦うでしょ!
で、もうどうにもならなかったら、最後は滅亡する・・・

そうなった時に、宇宙のプロセスではそれが結果であって、

その邪悪な宇宙人たちが宇宙を支配したときに、成り立つ世界が宇宙の望みなら仕方が無い。

でも、意識の進化の過程を見つめれば絶対にそうはならないと確信できるけどね。。。

宇宙の根本原理は創造だから、だからこの世は出現したわけで、破壊からは何も生まれないもの。。。

世界政府の陰謀も・・・笑
そういうのもあると思うけど、それによって、どう?
みんな過酷な奴隷になってる?
不幸のどん底にいるのかな?

そんなこと考えてる時間あったら、それこそ夢を描いて、
それを実現すべく行動していけばいいだけじゃない。。。
それができなくて困っている人もいるんだろうけど。。。

僕にとって夢って、そういう意味で・・・どういう意味だ。。。笑

何だか、「宇宙を信じ続ける」ことかな。。。書きながら何かイメージできてきたけど。。。

まあ、それも夢というか、いまやってることだけど、完全じゃないから、
100%実現していないってことで言うならば。。。

自分は、大いなる河を流れるハスの葉に乗って旅するカエルのような・・・笑

流れに乗っているから、ハスから降りて泳いでも、ハスの周りを泳いで楽しんで、
また、ハスに乗るようなね。。。

宇宙ステーションやシャトルが、1秒間に8kmもの速度で、
宇宙空間をかっ飛んでいるんだけど、
シャトルはステーションと優雅にドッキングして、
宇宙飛行士はそんな中で、スローモーションのように船外活動している。。。

それと同じようなものかな。。。

いくらもがいても、あがいても、大河の流れには逆らえない。。。
ならば、大河の流れを信じて、従ってみよう。。。
その大河はどこへと流れていくのか、流れる雲に聞いてみよう・・・

そう考えたら、やっぱり人生において、喜びとは何か、
至福を感じることは何かを追いかけていくこと、
探求していくことが、自分にとっては大切な事だと・・・

それが、人によっては100億の会社を経営することかも知れない。。。
その人なりの夢を描いて、それを実現していくことかもしれない。。。
みんながそれぞれに、本当の自分を生きて、
愛や喜びを味わいながら生きてくれたらいいなって、そう思います。。。

あ〜書いてみて、それが夢なのかもしれないね。。。

僕にも夢ってやっぱあるかもね。。。笑


ドリプラジオというのは、放送業界で20年パーソナリティーをしてきた
たっちゃんこと、辰島佳寿美さんが、思い描いた夢。
24時間365日、どこかで人を応援する為のラジオ局を立ち上げたい!
そんな思いで活動されているインタビューで、
電波では、FMおたるのほっとけNIGHT!のドリプコーナーや
ネットではUstreamで配信されています。

ドリプラジオ公式サイト http://drepradio.net/

11月 13, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年10月24日 (水)

星の旅人たち

昨日、友達の条次が教えてくれて「星の旅人たち」を借りてみた。
いま、新作で出てるはず。

実はこの映画、僕が一昨年ひと月かけて歩いた、
スペインのカミーノと言われ、
今は、世界遺産ともなっている約800キロの巡礼の道
サンティアゴ・デ・コンポステーラの旅をテーマにした映画で、
丁度、歩いている頃、この映画の製作に関してのFacebookを何かで知って、
撮影の進行状況などが知らされていたのを覚えていた。

でも、あまり関心が無くて、ほとんど見ていなかった。

なんと、監督はエミリオ・エステベスで、主演がマーチン・シーンだった。
もっと驚いたのは、いまの今まで、エミリオ・エステベスが
マーチン・シーンの息子で、チャーリー・シーンの兄だったとは。。。笑 

映画はとてもよくできていて、なかなか深くて面白い、いい映画だった。

何よりもこのカミーノを歩いた実感として、
本当にこの映画のように、自然に気の合う仲間達ができて、
何気に一緒に旅するようになる。
今でも、彼らとは連絡を取り合ってる。

なぜ、主演のマーチン・シーンがカミーノを歩くようになったかというのは、
出発地フランスピレネーの麓の街、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
ピレネーを越えて行く途中に、事故に遭って死ぬことから始まるのだけど、
歩いた実感として、ピレネーで事故に遭うというのは、
ずっと普通にクルマが通る道があるので、
よっぽど変なところに行かない限り転落とかもないので、、、
ちょっとそこに引っかかったのだけど。。。笑 
歩いたことがない人には、大変なんだな〜って感じだろうね。

でも、それは別としても、思い出深い場所がたくさん出てきて、
映画のストーリーよりも、あ〜!お〜!ここっ!って声を上げてたら、
カミさんにうるさい!と怒られて。。。笑 

きっと、エミリオとマーチンは、カミーノを歩いて、
体験したことをうまく映画化してる。
とてもリアリティのある映画だったし、共感するいい映画だったね。

それにしても、カミーノは本当に素晴らしい。。。

日本のお遍路もいいけど、何しろ歩き遍路はお金がかかりすぎる。
民宿も一泊6000円前後くらいするし、食べ物もそれなりにかかる。
カミーノはアルベルゲといわれる巡礼者用の宿舎があって、
5ユーロから8ユーロ。500円〜1000円。
ペンションとかホテルでも3000円くらい。
ワインは500円くらいで、本当に美味しいワインが1本飲めるし、
食べ物もやすくて美味しい!
渡航費を入れても、時間さえまとまって取れるなら、
安価で素晴らしい体験ができる。

人生を見つめるには、本当に素晴らしい旅になると思う。

それにしても、歩いていると日常になってしまうんだけど、
あらためてこうやって見ると、結構な旅をしていたんだなと思う。。。

もう一度、歩きたいと思ってたから、これを見て、ますます歩きたくなった。。。

星の旅人たち
http://hoshino-tabibito.com/pc/

予告編
http://www.youtube.com/watch?v=xMW4tlQsQNk

10月 24, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年10月14日 (日)

ハタヨガ・マスターToshi先生のヨガに親しみ&意識をシフトさせる会 from 湘南

 初心者大歓迎!カラダとココロと意識をクリアリングするヨガと瞑想

 

 ハタヨガ・マスターToshi先生のヨガに親しみ&意識をシフトさせる会 from 湘南

 11月21日(水)19:00〜21:00

 いつも親しくさせていただいているサーファー仲間でもある

 湘南は茅ヶ崎在住のヨガマスターToshiさんこと、山本俊朗さんをお招きして、

 初心者の方でも気軽に楽して、とっても深い・・・ヨガと瞑想の会を開催します。

 Toshiさんとは、東京や辻堂、逗子で会ったり、一緒にサーフィンに行ったりしています。

 日本のヨガのクラスでは、クラス自体に男性が少ないのですが、

 さらに、ヨガの先生の中でも、男性の先生は少なく、日本では貴重な存在とも言えます。。。笑

 そんな中で、とても高度なアーサナ(ポーズ)をマスターし、

 また、精神面でも深い領域にアプローチする先生はなかなかいません。

 日々、新しいアーサナを研究する求道者でもありながら、

 とってもリラックスして人生を楽しんでいる、人間そのものが魅力的な方です。

 Toshiさんは、湘南、東京を中心にクラスを展開していて、

 奥さんでヨガインストラクターのMisatoさんと

 108 TOWA YOGAを主催。

 何しろ、とても気持ちの通じる感性のヨガマスターなので、

 

 また、経験者にも深く味わえるプログラムを楽しんでいただこうと考えています。

 ぜひ、ご興味ある方、最近カラダを動かしていない方、

 人生をシフトしたい方にご参加いただきたいと思います。

 時は、2012年、噂のあの日ももう間近。 

 ヨガでココロもカラダもクリアリングして、

 皆さんで、シフトしませんか!?

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 初心者大歓迎!カラダとココロと意識をクリアリングするヨガと瞑想

 アヌサラヨガ・マスターToshi先生のヨガに親しみ&意識をシフトさせる会 from 鎌倉

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 2012年 11月21日(水)19:00〜21:00

 会場:株式会社マイルストーンデザイン〈オープンスペース〉

      〒701-0221 岡山市南区藤田367 TEL : 086-296-0025

      アクセス: http://tinyurl.com/yejn8c9

 ◎最寄り駅:JR瀬戸大橋線 妹尾駅

  妹尾駅 18:16岡山駅発  18:27妹尾駅着の場合 4名様まで送迎可能です。タクシーの場合8分

 アクセス情報はこちら→ http://hymca.jp/hall/access.htm

 参加費:3000円

 お申し込み・お問い合せはこちら↓↓↓↓↓↓

 https://asp.jcity.co.jp/FORM/?UserID=mile&formid=132

 ◎主催:クエストカフェ

 ◎お問い合わせ→クエストカフェ運営事務局 

  【メール】quest@questcafe.jp 【TEL】090-9463-3041 担当:今井のり子

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 ■Toshi/トシ(山本 俊朗)

  ヨガインストラクター。アヌサラインスパイアドティーチャー。スタジオ・ヨギーほか、都内を始め全国各地を回り

  ヨガ、および、Anusara yogaの普及に努めるため、老若男女全ての人を対象にワークショップや講座を開設している。

  ヨガの師範でもある母の影響で自然とヨガに触れ合う。老若男女全ての人がヨガに触れ合う場を提供する傍ら、

  ヨガを学び伝えるインストラクターの普及に務める。また、子を持つ母のためにヨガクラスを開設するサポートや

  ボランティア活動にも力を注いでいる。自然と海が大好きなサーフヨギーで湘南茅ヶ崎に在住。

 ■108YOGA TOWA YOGA主宰

  http://www.towayoga.com

 ■108 TOWA YOGA for Mammyアドバイザー

  http://s.ameblo.jp/108yoga-mammy/

 ■監修・出演

  iTunsよりオーディオブック『音ヨガ』にて「Surf yoga」を手掛ける。

  2008年 テレビ番組TBS「うたばん」出演

  2010年 フリーペーパー「湘南サーフジャーナル」監修

  2011年 おうちで出来るヨガ「おうちでヨガ」出演・監修

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10月 14, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年10月 4日 (木)

昨夜の夢は長かった・・・また、UFOと宇宙人。。。笑

今朝方の夢は、めちゃくちゃリアルな夢だった。

恒例とも言える、UFO&宇宙人の夢。

まったく、1本の映画くらいストーリーがしっかりしていて、

記憶に残っている。

簡単な内容はこうだ。。。

僕が誰か友人家族のクルマに載せられて走っていると

1枚ハガキくらいの広告のようなステッカーのようなものが飛んできて

窓ガラスに貼り付く。そこには、クルマ関係のサービスと電話番号。

なぜか、その表示部分が、電光表示のように一部分が文字が流れる。

そんなステッカーが、飛んできては窓ガラスに貼り付き、

また、剥がれては飛んでくるを繰り返し、

一緒に乗っていた子供が喜んでいるが、僕はその不自然さに違和感を覚える。

別のシーンで、とある環境関係の活動をしている知人が

うちにあそびに来ていて、僕にUFOについて話を聞いている。

時間は夕方で、僕は金属質の小型UFOの話をしていた。

小型と言っても灰皿とか、鍋くらいのサイズのUFOだ。

ふと窓から空を見ると、空に多数のその小型UFOが飛んでいる。

「やっぱ、話してたら来るね・・・」と彼女に話し・・・

開いていたリビングの窓に、網戸があって、その外に直径60センチくらいの

丸くて網のボールのような中に5個くらいの赤や緑、黄色に光る玉が浮いているものが浮遊している。

網戸を開けると、スーっと入ってきたので、そっと捕まえて、テーブルの方に持ってきた。

その後も、浮き続け、すーっと窓から出て行った。。。

外を見ると7歳くらいの男の子がいて、中に招き入れる。

僕は、その子が宇宙人の子供だとわかる。見た目は普通の男の子だけど、

歯が少し鋭く、小さな牙がある。

「どこから来たの?」と聞くと「ウンタビラ」みたいなことを言う。正確には記憶にない。

「どこにあるの?」って聞くと「わからない」と。

「どこの銀河?」って聞くと、「銀河じゃない」と。

「ということは、太陽系?」と聞くと「うん」と。

「木星の裏側?」と聞くと、「そのあたり」と答える。

なんで、僕が木星の裏側なんて聞いたのかはよくわからない、、、笑

「お父さんはどんな人?」って聞くと、「角があるよ」と答えたり。。。

その後、いくつか話して、彼は帰ると言って、去って行った。。。

その後僕は、知人に「来るよ」って言って、外を見ると

巨大な飛行機型の宇宙船が舞い降りてきた。

やばいと感じた僕は、逃げようとするが、時すでに遅し、

たくさんの宇宙人が降りてきた。

僕は家の中のどこかに隠れようとするが、いい場所がみつからない。

気がつくと、テレビがついていて、報道番組で自衛隊が出動しているという生中継に。

そして、うちには、たくさんの子供たちや家族が・・・

避難所みたいになっている。

そこに屋根裏や押し入れ、ベッドの中身をくり抜いたり、

ありとあらゆるところに、進入に際して、隠れる場所を確保する。

そして、遂に庭に怪しげな人々が・・・宇宙人の毒牙にかかって、ゾンビ化した人々が襲ってくる・・・笑

その人たちをなんとか対処しながら。。。これは、バットで戦うんだけど。。。

バットが短くて、接近戦になるので、極めて危険。。。

なんとか追いやって、長い棒をみんなで探す。

そうこうしていると、ここが凄いんだけど

最初のあの飛んできたステッカーが窓に貼られていて、

ここには、普通に自動車修理か何かのステッカーで、

デザインはほぼ同じなんだけど、電話番号がホンモノだった。。。

あのステッカーにはなかった。。。

「わかった、メタモルフォーゼだ」と。。。これは変身とか擬態だね。。。

そして、やはり、あれは小型UFOのひとつで、ステッカーに化けたUFOが

僕たちを監視してたんだと・・・

そこで、本格的に戦う準備をし始める。

まあ、ここから長いので割愛するけど。

結局、スターウォーズエピソード1に出てきた赤い刺青の鬼のような

ダーズモールみたいな宇宙人達が襲ってくる・・・

赤くはないんだけど。。。

でも、なぜか、途中で、彼らは撤退してしまう。

その後、誰かがさらわれたとか殺されたという噂が流れるけれど、

この第一波の攻撃はなんとか終了し、しばしの平和が訪れる。

でも、今度はいつ襲ってくるのか。。。という余韻を残しながらの夢だった。。。

どう?すごいでしょ〜。。。

不思議なのは、緊張感は感じていたけど、うなされるよな恐怖感が無かった。。。

まあ、夢分析すれば、いろいろと考えられるけど。。。笑

とってもエンターテイメントな長い夢だった。。。

実際には、数分間で見てるだけなんだろうけどね。。。

10月 4, 2012 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年8月29日 (水)

UFOが登場する夢を見たことはありますか?

UFOが登場する夢を見たことはありますか?

僕は記憶にはっきりしているのは、高校2年生くらいから、
何度も何度もUFOや宇宙人の夢を見るんです。

これは、UFOや宇宙人と直接的に関係があると言うよりも、
僕の深層意識の未知なるものへの怖れと好奇心、探究心が拮抗している
境界線の象徴として、夢に現れるんだろうと最近は思います。

僕が見るUFOは、いかにもUFOと言うより、おかしなものが多いです。

例えば、エンパイアステートビルが10本って言うのかな?

鉛筆を横にしたように、巨大なUFOが飛んでいる夢だったり、
色とりどりの発光するピンポン球数百個が飛んできて、
椅子に座らせるように僕を抱きかかえて、姿の見えない宇宙船に連れて行くとか・・・
格子細工のように複雑かつ巨大なメカ的なUFOだったりその時々でいろいろです。

僕は、そんなUFOに監視されている夢もよく見ます。

最近はかなり減りましたが。。。
そんなUFOから逃げ隠れる夢です。。。

これも、深層意識、抑圧された意識の象徴です。。。
何か、特別大きな問題を抑圧していると言うわけではなく、
些細なことでも、夢の中では大きく扱われたりします・・・

昨日も、心地よくない夢を見ました。

とっても長く鮮明なので、手短に話すと、

大きな森のような公園で、園内の道をまたぐような大きな陸橋があって
そこに、ひとりの女性がいます。
周囲にUFOが潜んでいて、彼女は不安になります。

僕はそんな彼女にどこからか指示しているんです。

「発光体なのか、物質的なものなのか?」

彼女は恐る恐る橋の上から下を見ると、いつの間にかそこから僕に視覚になっていて
薄いマーブルピンクの直径医10メートルくらいのマッシュルームのようなUFOがいます。

そこから走って逃げ出すんですが、
周りに10人くらいいて、みんなに逃げろと叫びながら。。。笑

でも、足が重くて前に思うように進みません。。。地面はアスファルトなはずなのに・・・
なぜか、ガラスのコーヒーポットを持った人がいて、
僕は叫びます。。。

「コーヒーを捨てろ!コーヒーに反応するんだ!」

左側に、象の形をした大きな滑り台があり、僕は右方向に逃げると、
大型のリゾート施設のアプローチのような道があって、
そこには、巨大なカニのはさみのような植物が群生しています。

その奥に逃げ込んで、はさみの上に上がれば隠れられると思うわけです。

奥に行くと、大きな黒っぽいタカアシガニがいて、
さらに、20メートル近い恐竜のような黒いワニがいます。。。

木の上に隠れてしばらくして、もう追ってこないと判断した僕は、木から下りて森を歩くと
ぽっかりと空いた草の広場に出ました。

そこに劇場のように並んだ椅子とサーカスのようなテントがあって、そこに隠れます。

椅子の座面のようなものが積み上げられていて、
その下にもぐり込んでいると。。。

ダダダダ〜ン、ダダダダ〜ンと大きな音がして、
巨人が僕を探しています。。。姿は見えません。。。
僕の近くまで来て絶体絶命です。。。

息を潜めていると、つばを飲み込む音に、しばらく静かな時間が流れ、
巨人はどこかに行ってしまいます・・・

まだ、続きますが、そんな感じです。。。


嫌な気分で目が覚めたのは、午前3時・・・

思わず、この内容をメモを取りました。。。笑


そこで思ったんです。

現実の体験も、映画を見たり、物語を読んで体験する内容も、
脳は、そこで描写されるもの、そして、そこで味わう感情の違いはわからないということです。

ただ、体験強度が夢とは違うために、そこで味わう感情や意識への影響に差が出る。。。

あまりにもリアルな夢やリアルな映画など、
洗脳のテクニックでもありますが、
実際に何も体験していなくても、そうあったように思い込ませる洗脳の技術も実際にあります。

結局、僕たちは、僕たちの今持っている信念=ビリーフに従って、
世界を見て、体験する中で、必要なものだけを受け取ります。

知識は情報として伝えることができますが、

体験は物語で伝える方が効果的です。

だから神話はこれまで伝えられ、残ってきたのでしょう・・・

このように、僕たちは、夢や物語を通して、
危機の中から生還し、智恵を得て帰ってきます。

まさに、こうした体験は小さな英雄の旅かもしれません・・・

夢は、単なるストレスから見るのでは無く、
意識を成長させるための、バーチャルな体験をさせている、
自己を構築していく機能なのかもしれませんね。。。

8月 29, 2012 心と体 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年8月17日 (金)

力を抜くと相手が倒れてきてしまうという原理のお話

国家間の力学とはパワーバランスだそうです。

例えば、日本が外国に向けて押している力が弱まると
押し返されている国は、力加減を変えてなくても、
日本に力が傾いてしまうそうです。

子供が押しあっこして遊んでいて、片方の子がすっと力を抜くと、
相手が倒れかかって来るのと同じ原理みたいですね。

僕は、専門家ではないので、詳しくはわかりませんが、
直感的に掴んでいるお話しです。

何が言いたいかというと、いま、中国や韓国との領有権の問題でいろいろとありますが、

この原理からすると、中国がどうだ、韓国がどうだという話ではなく
日本の問題だということです。

ちゃんと日本が本来のテンションを保って、バランスを取っていたら
中国も、韓国もそれなりのバランスを持って外交できる。

日本が力を抜いてしまっているから、
彼らは日本に倒れ込まざるを得なくて、こちらに入ってきてしまうということです。

歴史を紐解けば、いろんな主張や議論があると思いますが、
僕は、ここはお互いにグレーゾーンで、
永久にどちらも領有権を主張できない場所にしてしまえばいいと思うのです。

そして、もし地下資源や海洋資源があって、それを利用したいなら、
お互いにきちんとした話し合いの場で、その資源の利用について平和的に話し合えばいいと思います。

でも、基本原則は、永久に触れない場所。
生態系にとっては楽園になるでしょう・・・

他国が権利を主張して、喧嘩を売ってきているとか、
日本の領土を盗もうとしているという発言や思いも、わからないではないけれど、
愛と豊かさの原理から見るならば、

日本はいまだ豊かなのではないでしょうか?

そして、穏やかに、平和的に物事を解決する寛容さと深い精神が文化のDNAにあるはずです。

いま、外国が日本への圧力をかけてくるのは、

かけてくるのではなく、日本の圧力が弱まっているから、かかってしまうということです。

でも、誤解しないでください。

これは、軍事的なパワーバランスのことではありません。

日本という国のテンション。
例えば、コマの回転が遅くなるとふらつくように、
高速で回転するコマは、しっかりとぶれずに立っています。

つまり、日本という国の回転力、そのようなある種の緊張感や
精神的な活力、国民一人ひとりが人生を積極的に生きようとする生命力のようなものが
何かとても弱くなっている。。。そのために、国家としてのパワーが弱まっている。。。

国は何をしているんだ!
総理は何をやっている!など、批判も多いですが、
やはりこれは、1人ひとりの集合無意識の表れです。

やはり、自分しかいないと思うのです。

いま、世の中ではいろんなことが起こっています。

いったいどうなっているんだ!?
これはおかしいんじゃないか!?
これは問題だぞ!

と許せない、怒りの感情や混乱を感じたら

自分はどう人生を生きているか?
日々をどう行動しているかを見つめてみるのはいかがでしょうか?


『世界には自分一人しかいない』


僕はこの考え方が好きです。。。

8月 17, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月16日 (木)

極限の運命を生きる力

登山家のジョー・シンプソンは、ペルー・アンデスの氷の岩を下山中滑落。

手足を骨折し、ほとんど歩けなくなった。

一緒に下山していた仲間のサイモン・イエイツはザイルで彼を降ろそうとしていたが、
手違いから崖の淵からシンプソンを吊してしまうことに。

イエイツにはシンプソンの姿が見えず、声も聞こえなかった。

シンプソンの全体重を支えきれなくなったイエイツは決断を迫られた。

一緒に滑落死するか、ザイルを切るかだ。

苦渋の決断を迫られたイエイツは、遂にザイルを切る決心をする。

ザイルは切れ、シンプソンの体重はザイルから消えた。

しかし、驚くべき事が起こる。

なんとシンプソンは、クレバスの氷棚に引っかかり、一命を取りとめる。

それから数日をかけて、シンプソンは氷河を10キロも這い進んで

まさにイエイツが下山しようとしているとき、
キャンプにたどり着いた。

『死のクレバスーアンデス氷壁の遭難』(岩波書店)


この話は驚くべきことだ。

人間の運命とは何か?
生きる力とは何か?
待ち受ける困難に立ち向かうエネルギーとは?

僕がその立場ならどうだったろうか?

シンプソン自身、生きて帰れるという確信は無かっただろう。

ただ、生きるという強い意志と自分を鼓舞する強靱な精神が、彼を生かしたのだ。
彼は運命を、彼の人生を創造したとも言える。

人生を生きる中で、これほどの困難は、普通に生きる中ではほとんど起こることはないだろう。

その分、日々を安穏と暮らしてしまい、1日、1時間、1分と、
限られた貴重な人生の時の大切さを忘れて過ごしてしまいがちだ。

何かを克服しよう。何かを実現しようという強い思いがあれば別だけれど、
漠然とした人生を生きるならば、いまこの瞬間を漠然と過ごしてしまう。

穏やかに、ゆっくりとリラックスして楽しむのもいい。

何かに取り組んで集中するのもいい。

どんな時でも、その瞬間を味わいながら、それを楽しむ。
また、その瞬間にエネルギーを注ぐ。

100%できるわけではないかも知れないけれど、

できるだけそこに自分を向けていく。

充実した人生とは、いまここにいて、この瞬間を自分のものとしているかどうか・・・

この瞬間を味わっているかどうかはとても大切だ。

シンプソンの壮絶な体験から、自らの人生の大切さに気づかされた。。。

8月 16, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月25日 (水)

力は自分自身の手にある

大好きなアランの本から
いいお話しだったので、ちょっと掲載します。


力は自分自身の手にある


映画『ウィロー』では、中世の若者ウィローが村の魔法使いに弟子入りしようとして、
他の二人の志願者と一緒に群衆の前で試験を受けます。

魔法使いは3人に「この質問に答えられたら古代の魔術を教えよう」と告げます。

そして、自分の手を広げ「力が宿っているのはどの指か?」とたずねます。

最初のふたりは、それぞれ1本の指を選びますが、
魔法使いは首を振り、群衆は落胆の声を上げます。

最後にウィローが選びますが、これも正解ではありません。

ウィローは冒険の旅に出ます。
軍隊に入り、戦闘経験を積み、さまざまな出来事を通じて成長します。

そして長い年月を経て村に戻ったとき、魔法使いはたずねるのです。

「わたしが前にお前を試したとき、お前は何と答えるつもりだった?」

「『力はわたし自身の手にあります』と答えるつもりでした」

「それが正解だ、なぜそう言わなかった?」と魔法使いは答えます。

「自分に十分な自信がなかったからだと思います」とウィローは答えます。

自分を変える力が他人にあると考えるのは錯覚です。

私たちはあらゆる可能性があり、自分という人間を大きくしたり小さくしたりする力は、
自分以外の誰にもありません。

多くの人間がこのことを忘れ、膨大な時間を費やして
自分自身の心や精神以外のどこかに力があるという幻想を追いかけています。

あなたを救ったり迫害したりする力があると主張するような
個人、組織、宗教には用心しなさい。

世俗的な力を持つ人はいるかもしれませんが、
それは精神的な力とは別ものです。

何らかの意味や価値があるのは、結局は精神的な力だけで、
そのすべてをあなたはもっているのです。


〈アラン・コーエン 深呼吸の時間 宝島社刊〉
Shinkokyu


7月 25, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月23日 (月)

リチャード・ブランソンに会った・・・

親友の一人ミッキーが、先日ロンドンで、リチャード・ブランソンに会い、
Facebookに写真をアップしていた。。。

リチャード・ブランソン、お嬢さん、ミッキーの3ショットだった。

この写真を見つけるやいなや、僕はすかさずコメントした!

数日後、ミッキーが帰国してすぐに電話をくれた。
成田からだった。。。

僕にとって、この電話はここ数年で5本指に入るほど嬉しかった。

僕たちはしばらく話をした。

僕にとって、この電話がなぜ嬉しかったのか。。。
それは、ミッキーがリチャード・ブランソンに会ったと言うこと自体が素晴らしくて、
本当に良かったね!やったね!って言う思いが一番だったけど、

もう一つは、リチャード・ブランソンに実際に会ったミッキーから、
彼の息吹を感じることもできたからだ。。。

ミッキーとその昔、フランスを旅したとき、
ミッキーの夢を聞いた。

どうやったらそんな夢が実現できるのか
その頃、彼自身、分からなかった。。。

でも、その後の彼は、どうこうしようと計画したわけではないけれど、
彼が選択してきた道は、どんどんと拡がりを見せて
もちろん、その道は険しさもあったわけだけど。。。

そして、ミッキーは着実に自分の夢のゴールへと進む・・・

どういう道を進めばいいかなんて、実際のところ誰にもわからない。

ただ、直観に従って、そう、鼻を利かせることが大事だろう。

何か感じたら、まず、動いてみる。
違うなら、また戻ればいい・・・

そうして経験を積んでいけば、直観も相当熟達して、頼りになってくる。。。

僕は、リチャード・ブランソンが大富豪としての成功者だから好きなのではなく、
120%生きていることに感動している。

与えられた人生を思いっきり生きる。

彼のようには生きれないかも知れないけど、
僕は思いっきり生きてきたかなって・・・

ちょっと古い本だけど、ヴァージン 僕は世界を変えていく という彼の自伝を読んでいる。

子供の頃からのことが生々しく書かれている。

青春時代のプライベートのことも赤裸々だ。

こうして彼の事を知ると、彼と僕の何が違うのかと考える。

今の僕は昔に比べて、今やブレーキはほとんどなくなった。
でも、ブレーキ無しで急な坂道を走るのは好きじゃない。

リチャード・ブランソンは、幼少期からブレーキがなく、
坂道であろうが平気で突っ込んでいくタイプだ。。。

そして、怪我をして、理解していく。
両親も、そんなリチャード・ブランソンを見守る度量があった。

親の子供への小言やああした方がいい、こうしなさいというのは、
親自身の不安や怖れを子供に投影しているに過ぎない。

そうして、子供は制限され、不安や怖れを抱くようになる。
時にそれは必要な事なのだけれど、その弊害もまた大きい。

僕は、自分にかけられた親の魔法を解くのに40年近くもかかってしまった。。。

いまだ、魔法の全部が解けたわけじゃない。。。

いつもまにか、自分自身で魔法をかけてしまっているものもある。。。

リチャード・ブランソンが素晴らしいと思うのは、
無謀かも知れないけど、命を120%生きることの勇気とチャレンジ精神、
そして、彼なりの愛し方。。。

何よりも、自分流ということだろう・・・

彼のやり方は決してスマートじゃないけれど、
とにかくチャレンジするその精神から
僕はもっと学ばなきゃいけないなって思う。。。

彼のような人生は生きられないけど、
まだまだ人生を謳歌し、もっともっと活かして生きる。

自分流の生き方を120%、チャレンジして行きたいと
この歳になってこそ、思えたのかも知れない。。。

親友ミッキーとリチャードに感謝!

ありがとう!

Photo


7月 23, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月12日 (火)

カラダが固い人にこそ、ヨガが向いてる

カラダが固いからヨガは無理〜とよく言うけど、

ここでいうヨガとは、いわゆるポーズをとるアーサナのこと。

ヨガはそもそもカラダの固い人に向いている。

ヨガの本質は瞑想だけど、アクロバティックなヨガは
近代になって開発されたもので、伝統的なヨガにはない。

もともとヨガの奥義書である、ヨーガ・スートラ(紀元前2〜4世紀)には、
結跏趺坐という、いわゆる蓮華座→あぐらのような座位で、
瞑想する方法が簡単に書かれているくらいで、
内容的には、宇宙の法則、哲学と言ってもいいと思うけど、
そういう内容で、その中で、瞑想によって宇宙に近づいていく方法が書かれていると言ってもいいかと思う。
まあ、思いっきり雑に言えば。。。

ヨガのインストラクタークラスに参加したときも、
ヨガ哲学の先生も言っていたけれど、

結局、どうも、座位による瞑想で、長時間座っていられるように、
カラダを柔軟にして、疲れないようにするというのが、
このアーサナのシンプルな目的のようだ。。。

でも、その発展の歴史の中で、結果的に、カラダをよくするいろいろな副次的効果が認められて、
医科学的にも研究されて、今ではそっちの方が中心になっているようだ。

カラダが固い人に向いているというのは、
そういう意味で、カラダを柔軟にしていくストレッチ効果と
ポーズによって、カラダを支えていくための筋肉も強化でき、
深い呼吸によって、カラダ全体への気もめぐるし、
また、カラダを伸縮したり、ひねることで、内臓も活発にできるというわけだ。

なので、カラダが固くても、それぞれのポーズを目指して、
向き合っていく事の方が大事で、曲がらないなら曲がらなくてOKで、

その人にとっては、各々の限界レベルで、実は、その段階なりに
十分に効いているということだ。

逆に、女性に多いけれど、もともと間接の限界が深く、
また、筋肉や筋が柔らかい人は、いとも簡単にきつポーズをこなせたりする。

そういう人は、アーサナは深くできても、カラダに効いているかと言えば、
その状態が普通なので、実は、効いていなかったりする。

そんなわけで、もっと複雑なポーズへとニーズが拡がっていったと推測される。

だから、カラダが固い人は、固いからできないと言うのではなく、
固いからこそ柔軟にしていく必要があるのであって、

できる範囲で十分なので、マイペースでヨガに取り組むと、きっといい事がある。

ちなみに、いわゆるストレッチは、ヨガがベースになって、
近年になって、アスリートを試合や練習中からの怪我を防止するために
カラダを柔軟にする目的で、ヨガからエッセンスを取り入れて、発展させてたものだ。

だから、ヨガって、ストレッチだよねって言う人がいるけど、
ストレッチがヨガというわけだ。

いずれにしても、カラダの柔軟性を高めることは、
あらゆる健康に役立つ。

ぜひ、やってみて欲しいと思う。。。

6月 12, 2012 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月31日 (木)

批難しても自分は変わらない・・・

誰かを批難したくなるのは仕方の無いことかも知れない。

とても残念だけれど、ほとんどの人はいまだ達観しているわけではないのだ。

この世界に生きる人々の多くが、当然ながらネガティブな感情を持ち合わせている・・・

もちろん、僕もそうだ。

うっかりネガティブサイドに落ちて、批判のエネルギーがわき起こったりする。

でも、そうしたエネルギーがふっと上がってくると、
できる限り、自分を見つめる。なぜ、批判的なんだろうと。。。

誰かを、何かを批難したくなったら、一呼吸置いて、考えてみるのだ。

何が気に入らないのか? 何に不快を感じているのか?
何がために、自分はこんな気持ち、こんな気分になっているのか?
それが自分にどのような影響を与えているのか?
などなど・・・

誰か、何かを批難するというのは、それが自分よりもパワーを持っていると感じているからだろう。

自分よりも強い、何がしかの力を持っていて、それにはかなわないと感じている。
または、自分の力が及ばないところにあって、どうすることもできない。
それをどうにもコントロールできないもどかしさから、言葉によって批難する。
そうでなければ、暴力によって訴えるか。。。

例えば、政治や企業、または、著名人など、自分が直接関わりを持てないものに対して、
批難のエネルギーが出て来るのは、自分のコントロールが及ばないと感じているからだろう。
ましてや、暴力に訴えるわけにはいかない。

批難することで、共感者、同意者が現れると力が湧くし、
自分だけではなく、同じ考えや感覚を持った人が現れると自信がつく。
認められた感覚になる。

でも、問題は、なぜそのように感じているのかが重要だ。

批難したくなる感情の源泉とは?

人であれ、組織であれ、何であれ、
そこに、自分の中で満たされていないものが湧き上がる。

自分にはないのに、相手にある。
自分は持っていない、満たされてないのに、その人は持っている、満たされている。
その人は得している。自分は、得してないから=損をしている。
何であいつが、何であんなものが。。。

自分は上手くいってないのに、自分は正直にやっているのに。
これまでまじめにやってきて損をした。
世の中、上手くやったやつが結局得をする。

そんな思いが渦巻いたりする。

でも、それはすべて自分の心の中で起こっていること。

人なり、会社なり、世界なりに、自分の満たされていない部分が刺激されて、
そこに自分のネガティブな感情を投影してしまう。

その嫌な気持ちを払拭したい。取り去りたいために、批難する。
批難することで、その人、そのものよりも、上位に立ち、蔑む(さげすむ)ことで、
自分には価値がないと思い込んでいることへの傷つき体験をやわらげ、癒すことができる。

それによって傷つかなくていいし、相手を自分より低くみることで
自分を浮上させる。価値があると自分に言いたい、感じたいわけだ。

その人がそうなのは、その人の事情があり、状況がある。
その状況を知ること、理解することは難しいかもしれない。

相手に何があって、どんな状況なのか?
それが故に、そのようなことになっているわけだ。

誰かを、何かを批難する。
それは、自分の状況を自分で処理しきれないときに起こる。

批難や批判をするしないは、自分次第だけれど、
それによって傷つくのも自分だ。

批難しても、自分の状況は変わらない。
批難してネガティブなエネルギーが内に湧く方が体にも、心にも害がある。

批難したい感情、批判したい気持ちがわき上がってきたら、
そこに事情、状況があるということ

なぜ、自分は感情的になっているのか?
なぜ、批難したいのか?
自分はどういう結果を得られたら満足なのか?

そうした気持ちで自分を見つめてみれば、ネガティブな気持ちから少しでも開放され、
よりポジティブで、クリエイティブに問題を解決するイメージや表現が思いつくだろう。

相手や環境よりも自分が弱い存在だと思うところからの批難から、

自分は本来力強い存在で、相手を受け入れ、理解することができる。
出来事には事情や状況があって、思いやり、愛から見つめてみるとどうなのか
しっかりと考えて、それでも批難したいのかを
自分に問いかけてみるゆとりは欲しいものだと思う。

そうは言っても、僕もいろんな感情がわき起こる。

だからこそ、こんな視点を大切にしたいといつも思っている。。。

Hawaii_rainbow


5月 31, 2012 心と体 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年5月14日 (月)

人生を楽しむと言うこと《アランの本から抜粋》

自分が選んだ日数の休暇を取りましょう。
裸になって洗濯をしましょう。
何もしなくても、自分の価値をしっかりと感じてください。
奔放なセックスをし、しかも、スピリチュアルでいてください。
誰がそうしなくても、自分は自分を愛し、敬意をはらいましょう。
自分の子供が舌にピアスをしたり、お尻に刺青をしていても、
幸福でクリエイティブな大人に成長していくのを見つめていてください。
かつて罪の意識を感じた体験の中にも、祝福を見いだしてください。
そして、あなたがこの世を去ろうと決めるその時まで、
体の機能をよくしておいてください。
このうちいくつかでも、すべてでも、望みすぎたと思うなら、
あなたはまだ、あなたの外の誰かや何かが、あなたの人生に
糸をつけて引っ張り回していると思っているのです。
自分で選択して、完全燃焼して生きるというのでなければ、
それは望みが少なすぎるというものです。
真の強さとは、自らの強さを捨ててしまった人たちの中にいても、
自分の強さを保ち続けることにあります。
ほとんどの人々は、与えられたものを手にし、それが運命だと思ってしまいます。
偉大な魂は、与えられたものを手にし、自らの運命をつくりあげていくものです。

すでに持っているものから、望むものを創り出してください。


あなたが、自分の力をどれだけ他人に渡してしまったとしても、
それを取り戻すまで、ゲームは終わりません。
このゲームは、急速な死を迎えるものではなく、
急速な生を得るものなのです。

一見、人々は死ぬまで生きてるように見えますが、
実は、生きるようになるまで死んでいるのです。
どれだけの道のりを旅したとしても、
どんなに試練があったとしても、
どんな間違いを犯してしまったとしても、
あなたはそれらのすべてを黄金に変えることができるのです。
あなたが通り抜けてきたことのすべては、
目覚めるために仕掛けられたものなのです。
あなたがどれほど素晴らしいかを神様が思い出させてくれるのを、
死ぬまで待つことはありません。
今、自分自身に思い出させてください。
そして、あなたは人生というゲームを楽しむのです。


『今日から人生が変わる スピリチュアル・レッスン』
アラン・コーエン 
牧野・M・美枝訳
ダイヤモンド社刊より

5月 14, 2012 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月12日 (土)

小さき舟

そして今日旅立ちの時が来た。

大海原に漕ぎだし、あの大地に行くのだ。

帰ってきたものはいない。

たどり着いたのか、海の藻屑と消えたのか。
誰もわからない。

ただ、今日約束の時間となった。

私を送る者はわずか。
旅立つことを知らぬ者も多く、期待する者も少ない。

時が満ちれば、みんな旅立ちの時を迎える。
それは、死ではない。

もう、そこにはいられないのだ。

この大地で暮らした思い出が蘇り、同時に、これからの船出への不安もよぎる。
なぜ、漕ぎ出さなければいけないのか。
そんな疑問など、持つ者はいない。
それは、逃れることができないものだから、受け入れるしかないのだ。

この大地で暮らす者は皆、いつの日か旅立つ日を思いながら生きる。

だから、この大地での日々を大切に生きるのだ。


さあ、小さき舟は海へと漕ぎ出した。

岸から離れるに従い不安は拡がる。

不安と怖れで押しつぶされそうになる。
それでもひたすら漕ぎ続ける。

もう、あの大地も見ることはできない。
もう戻る道はないのだ。

じっとしていても、漂い続けるだけだ。
漕ぎ続けるしかない。

辺りには何も無い。あるのは水平線だけ。
ただ、信じてこぎ続ける。
果たしてどれだけ漕ぎ続けるのかはわからない。

漕いでも漕いでも、あの大地は現れない。

あの大地は、本当にあるのか。
どれだけ信じる力が強くても、心が折れてしまいそうになる。

孤独、不安、怖れ。

それは、何物も頼ることができない不安。
もう、自分がどこにいるのかすらわからない。

そんな時、ふと気がつく。
自分という存在は、自分の周りの世界によって、自分の在りようを創造していたことを。

何も無い大海原のいまここで、自分しかいない。

その時、自分という存在は、大海原のちっぽけな藻屑なのか?

それとも、自分しかいない、全宇宙の支配者なのか。

ここに意識する自分がいて、意識している時、大海原はあり、宇宙はある。

意識していないとき、大海原も、宇宙もないのだ。

あの大地はきっとある。そう信じて漕ぎ続ける。

いつしか、そのリズムとひとつになり、大海原とひとつになる。

そして、宇宙とひとつになって、宇宙の波間に軌跡が残る・・・


5月 12, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月21日 (土)

小さな死を繰り返して、新たな人生を歩む

僕はよく小さな死を体験する。

大きな死だと、もうこの世には戻れない。

でも、小さな死はいっぱい体験してもいい。

最初は、小さな死というものですら受け入れられなくて、
自分は死んでないんだって、必死でそう思おうとする。

そもそも、必死という言葉がおかしいのだけど。。。

小さな死とは、
相手に受け入れてもらえなかったがために、
否定された気持ちになって、心に傷を負ってしまうことだ。

そんな時、本来の自分ではないことをやってしまうために
小さな死を体験することは多い。。。

相手がどう感じているかという事実ではなく、
自分が勝手にそれを恥として感じたり、
罪悪感として思い込んだりするわけだ。

その傷が深ければ、その時、自分をかたち作っている
自分というアイデンティティがダメージを受ける。

ひどいときには、存在すらゆらいでしまう。

なぜなら、自分という存在は、生きている環境に適応する様に
アイデンティティをかたち作っているからだ。

つまり、アイデンティティがダメージを受けると言うことは、
その人間関係のコミュニティや環境の中での自分の繋がりが
部分的に切れてしまう感覚があるということだ。

本来は、そうした繋がりを含めて丸ごと自分という存在があるわけだけど、
そこが壊れることで、自分という存在の一部が欠けてしまう。

それを修復するのは、まるで、肉体の一部がえぐり取られて
そこを自己治癒によって修復するのに等しい。

いわば、それが、心に起こるって事だ。

そんな感じで、ダメージを受けたときに、
自己修復できる事を知らなかったり、イメージできなかったら、
ここがなかなか修復できなくて、

それは、自分だけが責任を背負い込んだり、
そんなバカな自分を否定し、責め続けることで、
罪悪感を持つ事により、相手の承認を得ようとするからに他ならない。

小さな死は、そうして起こる。
小さな死を理解して、そこから再生するのは、初めはなかなか上手くいかない。

でも、小さな死を理解していくと、死から生への再生もずいぶんと上手くなるものだ。

いわゆる、慣れだろうか。。。

バカやって、ドキューンと自分の胸を打ち、または、打ち抜かれた気がして、
あっ、死んでないって気がつけば、すぐに再生できる。

死んだと思い込んでる間は、再生できない。

本当は、死なない。小さな死もない。

失敗もないし、傷つく必要もない。

ただ、自分の何らかの行為があって、結果がある。

もう、自分が失敗したと感じただけで、十分傷を負っている。

だから、失敗したら、すぐに再生へと向かえばいい。

今度は、どんな存在になろうかと、新しい人生をイメージしながら。。。

日々、生まれ変わって、新しい人生を歩んでいくのだ。。。

4月 21, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月20日 (金)

Personal Definition of Success

早春のある日、フェアバンクスに住む古い友人ビル・フラーを訪ねた。

何を話す目的がなくとも、今年75歳になるビルに、僕は時々ふと会いたくなる。

人間とは、生きていく上で、時々励ましを必要とするものなら、

僕は確実に、その力をビルからもらっていた。

「あ〜そうか、やっぱりこれでいいんだよな」何かに躓いたとき、
ビルの顔を見るだけでそんな気持ちになれた。

Personal Definition of Success

「きわめて個人的な、社会の尺度からはもっとも離れたところにある人生の成否」

ビルには何の肩書きもない。しかし、ビルは、僕たちの真のヒーローだ。

結婚したら水道のある生活がしたいね。

という会話が今でも普通に聞かれるこの町で、70を過ぎても、

水道のない暮らしをしているのは、ビルぐらいのものだろう。

人間はこれだけ何も持たなくてもよいのだとビルの暮らしは語りかけてくれる。

(地球交響曲第三番 ビル・フラーのパートから)

4月 20, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月12日 (月)

ワダタツヤ(ロビン)の個人セッションのご案内

クエストカフェでは、主宰のワダタツヤ(ロビン)による個人セッションを行っています。

■個人セッションとは

個人セッションとは、クライアント(依頼者)と二人でお話しをしながら、クライアントの相談内容の解決に向けて、アドバイスを行っていくものです。

ワダタツヤの個人セッションでは、クライアントがその人らしいより良い人生、喜びを感じる人生、また、より活力ある人生を生きてもらうために、様々なケースのお話しをお聞きして、クライアントが自己成長していただくためのヒントや具体的な改善策、また、自ら行動していくためのモチベーションを高めていくアドバイスしています。

個人セッションは、専門的なコーチングや心理カウンセリングの手法ではなく、ワダタツヤの個人的な経験と直観に基づくサポートが中心となります。

個人セッションの内容はどんなことでも構いませんが、
個人的なテーマについてと、経営やビジネスに関するテーマについて行います。

より良い自分らしい人生を送るための生き方について、夢やビジョンを実現するための具体的な方法。また、経営やビジネスに関しては、経営者、個人で活動する方の事業コンセプトの見直し、ビジョンの明確化、そして、経営者の方が会社や自身のブランドづくり、マーケティング(集客、販売促進、ファンづくり、顧客コミュニティ創造)などについて、気づきを与えたり、具体的な実践策などもお話しています。
さらに、これから起業をお考えの方にコンセプトや方向性の整理、また、起業に際してのプロモーションなどのアドバイスを行っています。


例えば、個人的なテーマなら
(1)混乱している状況で、人生に何が起こっているのかを見つめてみたい。
(2)一歩を踏み出したい、人生の状況を変えたいけれど、なかなか前に進めない。
(3)人間関係を改善したい。
(4)自分が本当にやりたいことを見い出したい。
(5)自分らしい豊かさの引き寄せ方がわからない。

経営やビジネスに関するテーマなら
(1)マーケティングやブランドづくりについて
(2)経営の方向性(ビジョン)や社員や人間関係について
(3)会社のコンセプトや商品の販売について
(4)起業や個人活動をビジネスベースに乗せていくことについて

などなど、何でも大丈夫です。

■個人セッション体験者の声

 私がロビンさんのセッションを受けてみようと思ったのは一度軽く面識があったのと、自分のビジネスを持っておられて、どんな活動をしてるかがわかるので信用があったからです。結構慎重派なので、見知らぬ男性といきなり二人で内面的なお話ができるタイプではないので・・・
 ちょっと始めてみようかなと思ううことがあったのですが、本当にやりたい事か、単なる思い付きがわからなかったので、男性の客観的意見を現実面からだからでなく、スピリチュアルな視点を持った人に聞いてみたかったのもあります。

 最初はちょっと理論的な話かなと思ったりもしましたが、だんだん打ち解けていく内、相談内容というより、今の心境に到った内面的なプロセスの話になり、いろいろ自分から話してました。
 ロビンさんの相手を肯定的に見つめる姿勢が感じられたので安心して話せました。そして最終的に自分でもう選んでるんだなと気づけて気持ちがスッキリしました。
 会話の途中でロビンさんが、セッションで会う人も波動の引き寄せが働いていて、自分と同じ面を持った人と言われたのが印象的でした。フランクな雰囲気の中でもこちらの内側から肯定的なものを引き出して貰える気がします。
 活発にいろいろな活動をされてるロビンさんの波動の影響をうけたのか、私も日常をメリハリつけたい気持ちになり生活を思いっきり朝方に変えて今も続いています。

これは凄くいい影響です!余計なものが段々なくなっていく感じです。
後、最後に焦らない事といわれたのが、今も残っていて自分のペースが崩れた時も、
焦らず又ここから戻そうと冷静に思えています。
                                   モニカさん


和田様、先日は貴重なお時間ありがとうございました。中身の濃いセッションで大変嬉しく思いました。
また、アフターフォローもしていただいて、本当に感謝しています。

今まで、スピリチュアルな側面とビジネスの側面と両者を併せ持ったご相談を受けて頂ける方に巡り合った事がありませんでした。(スピリチュアルには長けていても、ビジネスの具体的な相談はできないか
経営コンサルタントでビジネスについては詳しいが、スピリチュアルは全く・・・か)なので、私としては、まさに待っていました!!という感じでした。

話をすすめていく内に、自分がどうしてこの仕事に興味があり、こういう立場でそのビジネスを見つめているのかを、父とのどの関係性が影響しているのかにも気づけました。
ビジネスのビジョンは粗方まとまっているので、後は、どの部分を詳細に詰めていくか、その為にはどうしたらいいのかをまとめていって、今後またセッションをお願いしたいと思います。
ありがとうございました。
                                   岩﨑亜希さん

                            

■個人セッションの方法

主に、カフェやホテルのラウンジを利用し、お話しをお聞きしています。
ご要望があれば、会社などにも訪問します。(交通費他経費別途)

初めてのセッションは、基本的に日を変えて2回とさせていただいております。
初回は、お話しの概要をお聞きしたり、初めてのセッションで、本音が話せなかったり、ご自身の内面の深いメッセージが具体的に表現できなかったりする場合があります。
また、1回の情報量が多すぎて、咀嚼できない場合もあり、2回目まで約3週間以上を空けていただくことになりますが、その間にゆっくりと情報が消化され、また、新たな気づきや情報も得られるでしょう。そして、考えや思いが熟成され、2回目のセッションでスッキリと明確になることを期待しています。

人生をより良く生きたい。自分らしく豊かになりたい。
自分がどういう人間なのか知りたい。
なぜ、自分の人生がいまのような状況なのかを見つめてみたい方という方に・・・

これまでの経験上、真剣に向き合っている人ほど、
何らかの気づきやヒントが提供できると思います。

また、経営者や個人活動されている方、起業を目指す方向けに、
経営やブランディング、マーケティングに関するご相談も可能です。
一般的な経営相談と異なり、そこに働いているスピリチュアルな側面や力学、エネルギーなど、
何が起こっているのかを浮き彫りにします。

日頃、経営者の方に直接お話を聞くことがほとんどなので、
そのような側面からのアドバイスから、企業コンセプトを見直しながら、
現実面での、現状の問題点や課題を浮き彫りにして、
整理していく作業などを行うケースも多くあります。

一度のセッションで、すべては無理ですが、特に、個人経営や小さな会社の経営者の方には、
現状を見つめるいい機会をご提供し、新たな方向へ進んでいくビジョンを見いだすことができると思います。

ぜひ、ご利用ください。

グループセッションも行います。ご相談ください。

もし、ご興味のある方は、お早めにお申し込みください。(先着順です)

また、初回のセッションには、2回目の無料セッションを行っています。
つまり、初回の方には、90分2回分がセットということになります。

■3月の東京個人セッション

A: 3月17日(土)11:00~12:30 (約90分)
B: 3月17日(土)14:00~15:30 (約90分)
C: 3月18日(日)11:00~12:30(約90分)
D: 3月18日(日)14:00~15:30 (約90分)

■料 金
(1)個人に関する内容:16,000円(初回のみ、2回目フォローセッション付)
(2)企業経営、ビジネスに関する内容:28,000円(初回のみ、2回目フォローセッション付)
  (マーケティング、ブランディング、企業コンセプトの明確化、ビジョン構築、人間関係など)

【100%返金保証】 
 セッションの内容が、期待していたものと違っていた。
 納得いかなかったなどの場合、料金は全額返金いたします。

【初回のみ:2回目フォローセッション付】
 2回目フォローセッションとは、初回のセッションの経過をフォローするために、
 次回を無料でセッションさせていただくものです。

場所:お申し込みの方に、メールにてお知らせいたします。
※東京以外の方で、大阪、京都、名古屋でのセッションご希望の方は、
 申し込みフォームで、ご希望をお知らせください。

岡山での個人セッションは、随時行っております。
岡山駅のホテルグランビアのラウンジで行いますので、近県の方もご利用ください。
ご希望日など、お申し込みフォームにてご相談ください。

◎お申し込みフォームの〈備考〉に、セッションでお話しされたいこと、ご相談内など、簡単にお知らせください。もちろん、当日、お話をお聞きするのでも構いません。

※1. お申し込み後、ご確認メールとご入金先をお送りしますので、ご入金後、お日にち、時間の確定とさせていただきます。
※2. キャンセルは2日前までにお知らせください。キャンセルの場合、振込手数料をご負担いただき、ご返金いたします。
例:3月17日の場合、15日までにお知らせください。

お申し込みはこちらから→ https://asp.jcity.co.jp/FORM/?UserID=mile&formid=111

3月 12, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 4日 (日)

不思議な夢を見た・・・不良高校生が言うトッカンって何だ?

不思議な夢を見た・・・

覚えているのは、二つ・・・

どこかの食堂で、学ランのちょっと不良気味の高校生。。。って、
今時不良って言わないか。。。

そんな彼に、僕が質問している。

「部活って何やってるの?」

すると彼が、にやりと笑って、左の胸ポケットのところを
ジッパーを引くような仕草をして、

「これっすよ。。。」

「えっ、何それ?」って聞くと、

「トッカンですよ」と答える。

トッカン!?って何だ???

「トッカンって何?」って聞くと、近くにいた仲間が、にやりと笑い、

「トッカンっすよトッカン・・・知らないすか?」

「何それ、聞いたことない。。。」

でも、なぜか、インスピレーションで「それって、ヤクザと交渉するやつ?」

って聞いたら、彼らは笑いながら「まあ、そんな感じっす・・・」と答えた。。。

そんな部活があるのか。。。と思ったが、ひとつの夢はそこで記憶が途切れてる。。。

起きて、ネットで調べてみた。。。笑

漢字はわからないけど、トッカンで引くと、突貫と吶喊と出てくる。
突貫工事じゃないだろうから、この見たことのない漢字「吶喊」かなと・・・

岡本喜八監督の映画で「吶喊」というのがあるらしい。。。
解説を読んでもよくわからない映画だった。。。

突貫する時にあげるときの声が、吶喊の意味らしい。。。

結局、夢の中の言葉は、意味がわからなく、、、ただ、不思議な響きだけが残った・・・

そして、もうひとつの夢。

家族とクルマで走っている。運転は僕だ。。。

ある巨大な橋に差し掛かって、クルマは、どんどん橋を登っていく、

気がつくと、その橋はものすごい斜度で、ほとんど垂直かと思うような角度でどんどん登る。

このままだと、クルマの限界性能で、スピードが落ちて、落下するのではと思うのだけど
クルマはどんどん登っていく・・・

道は2車線で、周りのクルマも登っていく。。。

何しろとんでもない高さなので、高所に強くない僕は、
膝の裏がキューンとして、脚が動かない。。。アクセルも踏めないし、ブレーキも踏めない。。。

それでもクルマはどんどん登り、しばらくすると下りになっていく。。。

この高さで、ひとつハンドル操作を誤れば、墜落してしまうという最大の緊張感の中で、
下りにブレーキをうまく踏めるだろうかと。。。心配がよぎる。。。

そこで夢は終わり。。。

夢というのは実に不思議。。。自分の潜在意識を垣間見るものでもあるし、
もしかしたら、肉体を離れた世界はこのような自在な世界なんだろうと思ったり。。。

僕は、よくこの世の終わりの夢を見る。。。

それは、予言的な夢と見る人もいるけど、僕はそうは考えない。

常に、新たに生まれ変わろうとする、再生したいという願望からのメッセージのように思えるのだ。。。

死の夢は、より良い自分への再生への疑似体験だとも言う。

夢で死んで、起きて生まれ変わる。

そうあって、自分の意識をクリアリングし、修復し、癒しているんだろう。。。

夢は、自分の内なるメッセージ・・・

それにしてもはっきりと記憶に残った「トッカン」何だったんだろう。。。笑

3月 4, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月22日 (水)

時間憲法でタイムトラベルが可能になる!?

この前初めて会って深い話ができた、
311@いちのプロデューサー木内氏がとても興味深いことを話してた。

それは『時間憲法』。

本人の意図からは正確ではないかもしれないけど、
時間に関する人類としてのルールをきちんと制定して遵守する憲法を定めることで、
タイムトラベラーが安心して旅が出来る環境が整う、

そうすることで、膨大な費用や科学技術の開発を待つまでもなく、
未来からタイムマシンによってタイムトラベラーがやってくる。

それによって、僕たちも、タイムトラベルが可能になるかもというアーティストらしい仮説。
でも、これはとっても深い原理だと思った!

宇宙には、すでにタイムトラベルの技術を確立した存在がたくさんいて、
地球人類の意識が進化して、愛と喜びに生き、平和を確立することができれば、
いつでも彼らはやってくるのだと思う。

準備が出来れば師が現れるというように、自分たちが変われば世界は変わるわけだ。。。

2月 22, 2012 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年1月29日 (日)

料理が好きになったわけ・・・

最近、なかなかブログが書けない・・・

というのも、日々、TwitterやFacebookに書き込んでしまうので、
じっくり腰を据えて書くというところにいかないということになるか。。。

まあ、他にも、ここのところ、特に日々やることがあるので、
そういうことも重なっている。

最近、はまっているというか、楽しくなってきたのは料理だろう。

もともと、料理は嫌いじゃなかったけど、
それほどやることもなかった。

しかし、最近の男子ごはんブームの影響なのか。。笑

いくつか作ってると、こんなに簡単にうまいものができるとなると、
いろいろと試したくなってくる。

その上、家族もうまいって言ってくれると、なんだか調子に乗ってくる。

そもそも、僕が料理に意識が行かなかったのは、
やはり、過去10年くらい前までは、会社を大きくしようとか、
もっと、売上げを伸ばそうとか、経済的な成功を求めて奮闘していたから、
料理なんて、全く意識が及ばなかった、

この10年くらいで、僕も自分が何を望んでいるのか、自分らしい生き方とは何かが、
おおよそ見えてきたので、焦ることもなく、自分のペースで歩むようになって、
そうした自分を満たす時間の中で、料理の中にもそうした喜びを見いだせたのかもしれない。

僕が好む料理は、基本的に、レシピをパッと見て、
材料を含めて、行程もシンプルかどうかだ。

時間的な手間をかけるのは構わないけど、
聞いたことのない材料とか、香辛料を使うようなものは
とたんにめんどくさくなる。

その辺のスーパーで手に入るもので、びっくりするようなうまいものができる。
これが基本だろう。。。

僕は、お酒も大好きだから、やっぱり、お酒に合うものが欲しい。

そんなわけで、ケンタロウの料理はやっぱ旨い!

彼の料理は、ほんと簡単で、ささっと出来て、おおざっぱでもうまくいく。

その昔、イタリア料理のレシピ本を買って挑戦しようとしたら、
のっけから聞いたことがないチーズに野菜のオンパレード。

買うときに、ささっと見て、雰囲気がカッコよかったからかったんだけど、
まったくダメ、作れそうなものがあったので試そうとするけど、
レシピの書き方のせいか、いちいち読まないと、覚えられない。

そんなことも、料理はめんどくさいという感じになっちゃったのかもしれない。

料理は、やっぱ、基本が大事で、和食にしても、中華にしても、イタリアンにしても、
基本となるパターンがある。

この基本パターンがわかれば、だいたいの味ができる。

すべてはその派生としての応用だから・・・

それがわかるようになると、例えばイタリアンなら、

オリーブオイルを大さじ1で、にんにくを入れてとか
基本の下りは、大体で理解できる。

そこがクリアできてるから、レシピ見て、あ〜こんな感じね・・・と
インスピレーションがわく。。。

それがモチベーション大事なんだと思うのだ。。。

さらに言えば、何と何を組み合わせたら、おいしいとか、まずい組み合わせだとかも
大体わかるようになってきたから、

具材がなくて、なんか代用するときに、その辺りの適当さも見当が付く。

以前は、レシピどうりにしないと気が済まない人間だったので、
1つでも具材や香辛料がなかったら、作る気がしなかったけど、
いまは、間に合わせで対応もできるようになった。。。

考えて見れば、それは料理だけではなく、
自分の生き方全般も、そんな感じになってきてると気がつく・・・

何かを極めるのではなく、人生の中に、どう喜びを見いだしていくか、
その喜びの質を高めていくのか。。。ここが大事だと思う。。。

もっと、いろいろと料理して、自分の体に染みこませ、
家庭料理人としての実力も磨いてみたいもんだ。。。

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1月 29, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 1日 (日)

遂に、噂の2012年になりました〜!

明けましておめでとうございます!

遂に、2012年になりましたね。

2012年・・・僕のように、スピリチュアリティを生きる人々の間では、
今年、2012年は、大いなる注目の年でした。

すでに、2011年には、その事象的なエネルギーの前兆が起こると予想していましたが、
それは、あまりに驚くべき、311というカタチとして、起こったように思います。

また、アラブ諸国では革命が起こり、独裁者のある者は追放され、ある者は死ぬこととなりました。
さらに、北の独裁者も世を去ることとなり、ヨーロッパ経済の暗雲や中国経済の失速など、
もう、何が起こってもおかしくないような世界になっているように思えます。

ネガティブな未来を予測する、イメージすることは、それを引き寄せると言えますが、
僕は、決して、ネガティブな世界をイメージしているわけではありません。

どんなに明るい未来をイメージしても、
そうだと信じていても、激流に流されてしまったらどうにもなりません。

川の流れには、穏やかなところもありますが、激流もあります。
時代も同じで、穏やかに過ぎる時代もありますが、激流もあるわけで、

どんなに個人が明るく、豊かな未来をイメージしたとしても、それには限界があります。

激しい激流に飛び込んでしまったら、どれだけ明るい未来へ向かって泳いでも、
その泳力がよっぽどパワフル出ない限り、その激流に巻き込まれていくことでしょう。

考えてみても、人力(じんりょく)では、激流から逃れることはできないでしょう。

この激流は、現在の人類を中心とした意識世界がもたらした現象であり、現実です。

人々が深い意識の中で、どのような感情状態にあるかということが、この現実世界を創造します。

深い意識というのは、潜在意識のレベルなので、顕在意識ではにわかにはわかりにくいのですが、実際に、自分がどのような状態にあるのかは無意識に表れる感情や行動をみればわかります。

そうした人々の意識が、いまの人々の人生や生活を創造し、社会を創造し、それが世界を創造しています。そして、今のような世界になっているのです。

つまり、いま、僕たちが体験している世界は、人類の総和として、
体験したい世界を体験していると言うことです。

もちろん、悲観的な世界なんて誰も体験したくないと思います。
でも、心の抑圧した部分に、怒りや悲しみ、怖れ、執着やプライドなどの感情状態を抱えていると、そのために、結果として、そこからのエネルギーで行動し、自分の現実世界を創造するのです。

ある人は、その感情エネルギーはさほど強くないかもしれません、
ある人は、激しく怒りや悲しみなど、抑圧しているかもしれません。
自分の抱えているネガティブなエネルギーが強いほど、自分の人生という現実は、
そのようなネガティブな世界を自分の人生に引き寄せます。

怖れを抱いている人は、安心、安全を求めるために、
リスクのない社会を創造しようとします。

怒りや執着、プライドを抱いている人は、
挑戦や冒険、競争優位な世界を創造しようとします。

いずれも、自分の満たされなかった感情を、外的な要因によって満たそうとするわけです。

いまの世界を見てみると、いかに、怖れや怒り、執着という感情レベルで世界が創造されているかわかります。

これが、いまの時代の激流です。

僕は、決して、ネガティブな未来をイメージしていません。

僕個人の世界は、いつも喜びに従う生き方を選択し、平和な世界を祈っています。
喜びは愛を包括しています。

2012年は、その激流のピークのような気がしてなりません。
その先は、どうなっているのでしょうか?

もしかしたら、大きな滝が待ち受けているかもしれません。
もしかしたら、川幅が拡がり、深くなって、穏やかな流れになるのかもしれません。
例え滝だとしても、その先は、また、穏やかな川の流れかも知れません。
ステージは異なっているでしょうが・・・

どんなに激流でも、川の両端は比較的激しくはありません。
もっとも激しい流れは、川の中心です。流速がもっとも早いのです。

ここから離れるためには、自分の深い意識の感情レベルがどのような状態なのかを見つめ、
それを手放す必要があります。

激流は、人々のネガティブなエネルギーがぶつかり合い、激しさを増しているのです。
川全体は、その激しいエネルギーに引きずられるように流されていくのです。

いま、これを読んでくれている人は、まず、大丈夫です。
自分を見つめている人しか、これを読んでいないし、そうでない人がこの内容を間違って見たとしても、ここまで、読み進めることは出来ないでしょう・・・

今年は、さらなる激動の年になりそうです。

そんな世界でも、喜びに満ちた平和な世界を創造することは出来ます。

それはなぜか。。。

マザー・テレサやガンジーの生き方を見ればわかります。

どんな世界に身を投じていても、そこには、愛や平和を見いだすことができるということを証明した人々です。

イエスや仏陀もそうでした。

世界を変えることは出来ないかもしれません。
でも、自分を変え、自分の身近な世界を変えることはできるはずです。

内なる平和は、いまの世界を許し、受け入れ、理解すること。

いまという世界がどんな世界であっても、それは、しかたのないことです。
いまの人類世界を構成するひとり、ひとりには、その人の人生があり、選択があります。

そのひとりひとりの人生を通じて、その人は意識的な体験を通して、魂の学びをしているのです。

だから、いまという世界を通して、自分自身も魂の学びをし、すべての人がそうなのです。

2012年・・・何が起ころうとも、それはすべて、自分の魂が必要として体験することです。

自分にとって何が本当の、本質的な喜びなのかを常に自分に問いかけながら、
自分が本当に生きたい人生を生きる時だと思います。

幸せは、そこにしかありません。

人々の意識の総和としての世界が自分にとって必要なのではなく、

あくまでそれはステージであり、舞台装置のようなものです。
その舞台で、どんな人生を生きるのか、喜びを創造していくかが試されています。

自分の喜びとはなにか・・・2012年フォーカスしたいテーマです・・・

S_2
写真は、セドナの中心的なボルテックス、カテドラルロック頂上部からの眺め


1月 1, 2012 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月28日 (水)

瞑想についてのお話&瞑想体験会を行います!→岡山

『ワダタツヤの夢を叶える"よろこび瞑想"』
 〜瞑想で人生が豊かに、幸せになる〜


友人のゆうゆさんの主催で、"ひふみ"の日に、僕の瞑想についてのお話&瞑想体験会を行います。瞑想未体験の方大歓迎です。なぜ、瞑想なのか、瞑想の簡単なやり方、続け方など、続けられる瞑想についてお話しします。
ご興味のある方はご参加ください。

以下、ご案内。。。


あなたは、今どんな人生を送っていますか?

その人生に満足しているでしょうか?
幸せや豊かさを感じていますか?

もし、満足していないとしたら、どんなところが、また、どのように満足していないのでしょうか?

幸せや豊かさは、誰にでも、どんな状況からでも得ることができます。
しかし、幸せを感じていなかったり、豊かでないと感じている人も多いと思います。

それは、なぜでしょうか?

豊かさや幸せは、必ずしも、お金や充分なものに囲まれているから感じるのではありません。
欲しい、求めるというのは、自分の心の器が充分に満たされてなくて、それを満たそうとして、求めるのだと言えます。

では、あなたの心の器は、なぜ、満たされていないのでしょうか?

それは、あなたの信じている世界、ビリーフ(信念)があなたの考える価値観を決め、そのビリーフで世界を見ているからです。

ビリーフは人それぞれに異なります。似たようなビリーフを持つ人もいますが、細部や背景は異なります。

似たようなビリーフを持つ人は、共感したり、感性が合うように感じます。

でも、そのビリーフは、本当のあなた自身、魂そのものであるあなたが感じているものではないかも知れません。

ビリーフは、あなたが生まれ落ちて、この世界を生きていく中で、
あなたの親や家族、地域、環境などのビリーフや価値観、文化を取り込んで、あなたのビリーフとなっていきます。

すべての人に、魂の目的があると信じています。

人は、本来、魂の目的を生きるように生まれてきます。

魂の目的を生きる時、人は最高に輝き、人生に満足や充足感を感じ、豊かさや幸せを感じます。
それは、ある人にとっては、経済的な豊かさかもしれません。
ある人には、自由な人生かも知れません。ある人にとっては、貢献かも知れません。

魂の目的を思い出すことが出来れば、本当の意味で、あなたらしく、幸せで豊かな人生への一歩を踏み出すことが出来るでしょう。

あなたの魂の目的は何でしょうか?

実は、瞑想とは、魂の目的を生きるためには欠かせないものといえます。
それは、内なる声に耳を傾け、時に、心の静寂を実現し、心の深淵を見つめることで、抑圧してきた気持ちに光を当て、浮かび上がらせて、溶解させることもあります。

そうすることで、生きるために、その智恵として選んできたこと、
そう信じて、やってきたことなどが、本当はそうではなかったと、気がつくかも知れません。

内なる世界、自分の本質、魂が求めていることに気づけば、人生はもう変わらざるを得ません。

それは、お金や物質による豊かさや幸せとは限りません。

マザー・テレサのように、愛と献身の中に喜びと幸せを見いだした人もいます。

僕にとっての瞑想は、あなたがあなたであるための瞑想であり、
あなたが、最高のあなたを生きるための瞑想と言えます。

より良い人生を送るために、瞑想をあなたの身近なものとしてみませんか?

今回のお話会では、自分の人生、生き方、自分自身を見つめる中で、
自分が日頃どのような価値観やビリーフを持っているのか、
どんな感情の状態で過ごしているのかを見ていきます。

そして、瞑想が人生をより良くするために効果的な理由から、具体的な瞑想の方法や実践までを、短い時間ですが、簡単な方法を指導し、体験していただきます。

ご興味のある方は、ぜひご参加ください。

*********************************************
日 程:1月23日(月)19時スタート
参加費:1000縁(ハーブ茶付き)
会 場:吉備津彦神社なかやま会館 http://g.co/maps/rgbe6
主催:ゆうゆ
参加人数:30名限定
お申し込みはこちらから→
https://asp.jcity.co.jp/FORM/?UserID=mile&formid=119
*********************************************


クエストカフェ
ワダタツヤ

※僕がお伝えする瞑想方は、誰にでもできるものです。
また、特定の宗教や団体の方法とは一切関係なく、また、そのような組織への勧誘に関わるものではありません。
僕個人がこれまで研究、体験し、実践してきた簡単な方法をお伝えします。
一人ひとりが感じるところを大切にして、それを尊重します。
ですから、安心して、ご参加いただければと思います。

12月 28, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 7日 (水)

ファインディング・ジョー


ファインディング・ジョーという映画がアメリカで公開中です。

アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルが 世界の神話を研究し、発表したことで
アメリカ社会に与えた多大な影響と功績をまとめたドキュメンタリー映画です。

アラン(アラン・コーエン)も出てますね。ぜひ、見たいです!

Finding Joe
http://findingjoethemovie.com/index.php

ヒーローズ・ジャーニーとは、その言葉のごとく、ヒーロー=英雄になっていく旅なのですが、
言ってみれば、ひとつの理想を思い描く、もしくは、現実と本来の自分とのギャップがある場合、
潜在意識は、本来の自分の姿へと戻っていこうと働きます。

そのために、必ず今の現状から自ら離れるか、離れざるを得ない状況が訪れ、
それを冒険への誘いとか言われますが、そうして、安全で住み慣れた、
しかし、満足しない、何か物足りない日常的な環境から、

非常にトライアルな、また、厳しく過酷な体験をして、それがある種の通過儀礼なのですが、
何度も失敗しながらも克服して、最後には、聖杯を手に入れると言うように、
自分が欲しかったもの、理想の状況を手に入れ、成長した人間になって、
日常に戻ってくるという1つの成長の流れを、ひとつの法則として
世界中の神話の物語の中から見いだしたのがジョセフ・キャンベルです。

ハリウッド映画は、このヒーローズ・ジャーニーの法則を巧みに映画作りに取り込んでいます。

スターウォーズ、ロード・オブ・ザ・リングは典型的ですが、
プラダを来た悪魔やユー・ガット・メール、インディ・ジョーンズ、七人のサムライ・・・
まあ、ほとんどの映画ですね。

シチュエーションが異なっても、主人公がサクセスしていく映画などは、
すべてと言っていいくらいこのパターンです。。。

実は、これ、僕たちの日常の中で、頻繁に起こっています。

また、自分を成長させたいという欲求は、新たな挑戦へと駆り立て、
準備が出来たら、いつかは旅立たなくてはいけなくなるわけです。

もし、旅立たなかったら、強制的に、旅に誘われてしまいます。

自分から旅立つか、旅立たされるかです。

例えば、一番最初のスター・ウォーズは典型的です。
ちょっと長いけど、ウィキペディアからのあらすじを引用します。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

遠い昔、遥か彼方の銀河系で…
ジェダイ騎士が滅亡して久しい時代、かつて平和だった銀河系は銀河帝国による圧政下にあった。
そんな中、反乱同盟軍のスパイが帝国の誇る最終兵器であり宇宙要塞である
デス・スターの極秘設計図を盗み出す事に成功した。

銀河帝国皇帝パルパティーンが最も信頼を置くダース・ベイダー卿は
設計図奪還と同盟軍本拠地の早期発見を命じられる。

帝国軍の戦艦に襲われた反乱同盟軍の宇宙船の中には
反乱同盟軍の指導者の一人レイア・オーガナ姫がいた。

レイアは養父の友人のオビ=ワン・ケノービに助けを求めるべく
ドロイドR2-D2に救援メッセージとデス・スターの設計図を託し、
R2-D2は相棒のC-3POと共に船から脱出する事に成功する。

R2と3POは砂漠の惑星タトゥイーンに漂着する。
その後原住生物ジャワに捕まえられバザーに出され、
2体はオーウェン、ベルーのラーズ夫妻と甥の農場手伝いの青年ルーク・スカイウォーカーに購入された。

ルークによって整備されたR2はふとした拍子にレイアのメッセージを再生してしまう。
R2は夜中にラーズ家を抜け出し単身でオビ=ワンにそのメッセージを届けようとするが、
後を追ったルークらと共にタスケン・レイダーの襲撃に遭い、
近所に住む老人ベン・ケノービに助けられる。

ベンはジェダイの騎士オビ=ワン・ケノービだった。
ベンはルークらを自宅へ招くとルークに彼の父アナキンのライトセーバーを渡し、
自身とアナキンの過去を話す。

そしてレイアのメッセージを受けてルークと共に彼女の故郷の惑星オルデランへ行く事を希望するが、
ルークは叔父が許してくれないと断り、ベンをアンカーヘッドの街まで送ろうとする。

その途中ルークらはドロイドを売ったジャワ達が
帝国軍に襲撃された現場を見てラーズ家の危機を察知し、ラーズ家へ駆け戻るが、
既にオーウェンとベルーは帝国軍に殺害され、農場は焼き払われていた。

一人になったルークにはもはやこの惑星に留まる理由はなくなり、
父のようにジェダイの騎士になる事を誓って、ベンとオルデランへ行く事を決意する。

【出典元:ウィキペディア:スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 http://tinyurl.com/6qmzfy】

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

このように、農場を焼き払われて、おじさん、おばさんも殺害されたルークは、強制的に旅に誘われます。


今回の東日本大震災でも、実は同じです。

被災された人々は、本当に過酷な状況で、大変なご苦労をされています。

でも、これはある意味で、長い目で見れば大きな栄光を勝ち取る旅でもあるのです。

どのような至福を最終的に勝ち取るのか。。。
それは、もしかしたら、ひな形としての日本という国にもたらすものでしょうし、
東北の地の理想かもしれないし、被災された皆さんの栄光、至福へと至るための試練とも言えます。

ある人は亡くなることで、残った人々に生きる意味や強く生きる力を与え、
ある人は、復興の半ばで亡くなり、バトンを渡す中継ぎ的な役割かも知れません。
それでも、最後の栄冠へのとても重要な役割を持っているのです。

すべてはつながっていて、すべての人は役割があって、
この世に、不要なものはありません。

誰もが、小さかろうが、大きかろうが、ヒーローズ・ジャーニーを歩んでいるのです。
その大きさ、重さに、本質的な違いはなく、すべての人それぞれに、大きな価値があるものです。

ファインディング・ジョーはまだ見ていませんが、
ぜひ、早く見てみたいですね!

12月 7, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 1日 (木)

ナバホの98歳のおばあちゃん→MOVIE

モニュメントバレーをネイティブのガイドに案内してもらった。

ここに生まれ、ここに育ち、電気もない中でずっと暮らしているおばあちゃん。

御年98歳!

糸撚りを見せてくれた。
もちろん、観光コースに取り込まれてるけど、おばあちゃんにドネーションする。
これも貴重な収入源。

家族もこの場所で暮らしてる。羊も飼ってる。
この糸は、羊の毛を刈ってつくる。

おばあちゃんの長生きの秘訣はトウモロコシらしい。

ここではないけど、質素な小屋のような家に暮らしてた。
撮影場所は、観光客向けのホーガン(昔のネイティブの住まい)。
ジョン・ウェインの映画にも出演したこともあるらしい。

案内してくれたガイドのスコット、ネイティブアメリカンだ。

おばあちゃんは、いま世界で何が起こっているのかなんて全く知らないらしい。
静かにここで暮らすのが幸せだと。。。

彼は、仲間とは、ネイティブの言葉を話す。

『ウナテ、マンテッカ、ヤッホ、ウントトバックカァ』

みたいな感じで・・・

ネイティブのこといろんな話を聞いた。。。さすがに彼はその歴史などもよく理解してる。
何年に何々があったとか、そこまで説明してくれる。

それは次回に。。。

12月 1, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 1日 (火)

いらない知識はいらない。

知識は本質の深みでは役に立たない。

知識は理解に役立つけど、下手に使うと、野菜をみじん切りにするのと同じ事になりかねない。

ニンジンって何だろう?

半分に切ってみよう。

ん〜なるほど・・・もう半分にしてみよう。。。

ふ〜む、なるほど・・・

もう半分にしたら?と、どんどん分析していく。

気がついたらみじん切り。。。

その小さくなった断片を集めれば、確かにニンジンなんだけど、
元通りのニンジンンの姿には、二度と戻らない。

ニンジンを半分にすると、どんな内側になっているか、
どんな状態になるか、どんな香りがするかなど知識は増える。

でも、ニンジンの本質を理解するには、もともとのニンジンを食べてみるのがいい。。。

そうすればカラダで分かる。

そうしてカラダで体験し理解したものが智恵となるのだ。

知識は人間にとって、諸刃の剣だということに気がつかなければいけない。

知識を扱う智恵がない。

知識でクルマを運転できないように、体験からしか学べない。

知識があれば動かせる。そうやって動いてるのが原発、資本主義システム、戦争なのかもしれない。

誰も体験したことのないことをやってる。

資本主義システムも、戦争も、常に新しい仕組みが生まれてくる。
誰かの利益のために。。。

そして、原発はまた知識至上主義が生み出したモンスターだ。

誰も経験したことがないことが起こっていて、ほとんど奇跡に頼る仕組みに等しい。

知識は必要だけれど、必要以上に知識はいらない。

必要な人が必要充分なだけ活用すればいい。

でも、智恵は誰にでももてるし、人が生きていく上で、
自然と共存して生きていくための知恵は、本質的には、大した智恵はいらない。

人間が、もっともっとと我欲のために生きるのも、
それが理想的に思える知識故のものだろう。。。

知恵があればそうはならない。。。

ちょっと批判的だけど、自分にいらない知識は捨ててしまおう。。。

何が必要な知識で、何が必要じゃない知識なのかを考えること、それも智恵かな。。。

11月 1, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月28日 (金)

カラダのおもむくままに走る

9月から走り始めたRUNは、いつの間にか走らないと気持ち悪くなってきた。
習慣化してきたってことか。。。。

たぶん、RUNも中毒があるんだと思う。。。

適度な距離を走ると、何とも言えない快感があって、
いわゆる、ランナーズハイだね。。。脳内物質エンドルフィンが出るんだ。。。

昔、あれほど、走るのがいやだった僕も、コツを得た。
何がいやだったかがわかった。

それは。。。

1.走り出すとしんどい。。。当たり前。。。笑
2.足がだるくなる。

この二点が基本的にRUNができない、また、続けられない二大要素のような気がする。

1.走り出すとしんどい・・・は、ゆっくりスタートすることで解決できる。
僕は、昔は、いきなり走り始めてた。
すると心拍数がどんどん上がるので、それがしんどいわけ。

今はどうしてるかというと、気分が乗るまで、どこまでも歩く。
次第にからだが軽いジョギング状態になってきて、RUNへと移行する。

だから、時には2キロも走り出さないときがあるし、調子がよければ数百メートルで走り出す。
走り出すと行っても、ウォーキングを早めていって、次第に軽い軽いジョギングにする。
もう意識してゆっくり走る。後は、カラダに任せて自然にペースを上げたり下げたり。

要するに、心拍数が変化していくときが一番しんどい。
そこを徐々に上げていけば、なんてことない。

走り続けても、心拍数が110~115くらいなら、そのままずっと走り続けられる。
さすがに、130以上になると酸欠になって、呼吸も荒くなるからしんどくなる。


次にしんどいのは足。

これは意外に簡単で、徐々に距離を伸ばすしかない。
要するに、筋肉ができてないから。いきなり無理すると間接も痛めるし、
ゆっくりゆっくりやればいい・・・

僕のRUNは気まぐれを大切にしたい。走りたいときに走るだけ。
気持ちに正直に生きる。走ることに何の責務もないのだ。
走りたいから走っている。この感覚がなくなったら、走るのをやめるべきだ。

自分が気持ちよくなるために走るのであって、健康のためにとか、
ダイエットのためになんてことになると、義務感が生じたり、もうちょっと頑張ろうなんてことになる。

もちろん、それもモチベーションのためにはいいのだろうけど、
僕にはそういうのが合わなくて、本当に適当じゃなきゃだめだ。

適当というのは、でたらめってことじゃない。

いい頃合いであり、いい感じというのが本来のところ、そういう意味で使ってる。


僕は、いつも自分に問いかける。

どう?どんな感じ?歩く?やめる?行けそう?もう少し走るか。。。

自分の中にコーチがいる。
自分の体調に聞くことが最良のコーチだ。

自分は、すべて知っているのだから・・・

僕は走りながら、いろんなもの、いろんなことを発見する。
いま、僕が住んでるところは3歳から住んでいる田舎だ。
だけど、近所をいろんなところを走り回って、意外に知らなかったところ、風景に出くわす。
もちろん、昔からはずいぶん変わったけれど。。。

見たことがあっても、クルマがないとどうにもならない地域だから、
すーっと通り過ぎているのだ。

でも、走ると違う。歩くともっと違う。

あ~こんなとこあったんだ。。。。

人と出会う。田舎だからと言うわけではないけど、
平日の午前中に、いい歳ぶっこいた中年が走ってる。
仕事は?休みか?あまり見ない顔だ。。。

うちから数キロ離れると僕のことなんか知るわけがない。。。田舎でも。。。

そんな中を若作りのおっさんが走る。。。笑

僕は歩きたくなったら歩く、いい景色なら、止まって写真を撮る。
Twitterもする。

いいんだ、それで。

全部自分の喜びのためなんだから。

自分が一番気持ちいいところで生きる。
それが宇宙が計画したところ。。。いつも平和で、喜びある状態とは?
そこに意識を向けながら、人それぞれに、平和と喜びを感じることだけ。。。

それ以外はもう人々は受け入れられなくなっていく。。。

自由とは?愛とは?

自分が一番快適と感じる人生を・・・
自分が生きていい。

それを生きることに罪悪感を覚える必要は無いし、
本当に好きに生きていい。

でも、罪悪感を感じるなら、やめておいた方がいい。。。。

自分が一番快適な状態にいること。リラックスして、平和であること。喜びがあること。

水が高きから低きに流れるように、自然に、あるがままに。。。


Run


10月 28, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年10月27日 (木)

個の時代を超えていくと言うこと

これからの時代に起ころうとしていることは、みんなの意識が拡張して、
共有感が増していくと言うこと。

個を満足させる時代は終わり、個を超えたつながりの中に自分の喜びを見出す。

自分だけが満足するのではなく、他者とその満足や喜びを分かち合うことで、
その喜びは何倍にもなる。

そうした共有感のようなものに価値感がシフトしていく。

一人勝ちや他を圧倒したり、自分だけ所有することへの孤立感を感じ、
持てるものを共有財産として、例えば財団が保有するように、
健全なカタチでその多くを手放す資産家も現れると思われる。

いずれにしても、個に向かった時代は終わり、シェアの時代に移行しているのだ。

インターネットは特にその意味深い象徴であり、
FacebookやTwitterはまさにその現れだろう。

共感によるつながりは、Facebookのいいね!に表れているように、
いいと思う共感のエネルギー。

そして、その共感度が高まれば、それは愛の広がりにも等しいもの。

深いつながりは、自分と他者との境界が希薄になり、所有感もなくなる。
同時に、他者の喜びは素直に自分の喜びとも感じられるようになる。

そうなれば、どんな感じかと言えば、
例えば、料理をするときに10分間で仕上げる場合、
段取りよく一通りの作業をこなさなければいけない。

フライパンに火をかけて、タマネギをスライスするのはまずい。
順番通り仕上げていく。

その10分間の行程毎を、同じところから撮影した1枚づつの写真にして眺めると、
キッチンの中を右へ左へと動き、作業するあなたがいる。

できあがった料理は、このあなたの作業が一つに結実したものだ。

いまのあなたは、一人であり、できあがった料理はひとつであって、
行程毎に作業したあなたや材料ではない。

先ほどの行程の写真のあなたをそれぞれ違う人物にする。
そうすると料理を仕上げるというひとつのテーマ。思い。
考えをもったそれぞれの人が何も言わずに協力し合い、
一つのゴールへと向かうことになる。

これからの世界はこのようなもので、できあがった料理はここだけをみると、
料理を作った課程は見えない。

でも、それぞれの行程でいろんな人が関わってひとつのゴールを創造したと比喩的にみると
シフトする世界というのは、自分という意識を分散して作業しながら
ゴールに向かう料理の行程の中で、実は、すべては自分一人でつくっているんだ。
みんな同じ意識を共有しているんだということが見えてくる。

なんだか、難しい話になっちゃったなぁ〜。。。笑

10月 27, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月25日 (火)

男が書いたノート

男は人生に何かを見出そうと探していたわけではなく、
ただ自分の求めるままに、何となく考え、思いにふけっていました。

思いにふけっていると、何がしかイメージがわいてきて、
それをノートに書き込んでいました。

書き込もうとしても、思い浮かばなければペンを置き、ノートを閉じました。

気がつくといろんなことがそこには書かれていました。
読み返してみると、自分が書いたようにも思えるし、
自分が書いたように思えない言葉、メッセージの数々。

そこには、とてもほっとする言葉がたくさんちりばめられ、
そんな生き方ができれば、心から安心できて幸せになり、
豊かな人生を味わえる、そんな気持ちになりました。

でも、男が暮らしている小さな田舎町では、
そんな生き方をしている人は周りにはどこにもいないように思えました。

男はそれからも小さな田舎町で暮らし、
気が向いたらノートにメッセージを書いていました。
それは、誰のためでもなく、自分のためでもなく、
ただ、書くことは男の癒しにつながっていたようです。

それからずいぶんと年月が経ちました。
人々の暮らしぶりも豊かになり、平和で幸せな町へと変わっていきました。

この小さな田舎町に、最近、ちまたで有名な講演家がやってくるというので、
仲間たちに誘われて、彼も楽しみに聞きに行きました。

このような講演家が小さな田舎町にやってくることはめったにないので、
多くの人が集まっていました。

講演家はさすがにいろんな町で講演しているだけあって、実に話が上手です。
町の人はみんな講演家の話に聞き入りました。

気がつくと、どこかで聞いたことのあるような話がいくつも出てきます。
さて、どこで聞いた話だろう。

講演の後で、男は仲間や町の人と話をしました。
すると仲間たちも町の人も口々に話すのです。

「実は、今日の話、どこかで聞いたことがある話だったんだけど
どこで聞いたかわからないんだ。。。
何だか言い方違うんだが、でも、知ってるんだ。。。」

男は驚きながら、自分もそう思ったと話しました。

翌日、男はいつものように、ふと思いたってペンを取りノートを開きました。

何気に以前書いたところを開いてみると、はたと気がつきました。
昨日講演家が話した言葉を見つけたからです。

ページをめくってみました。
次のページをめくりました。

驚いたことに、そこかしこに、あの講演家の言葉がちりばめられていたのです。

男はノートを持って、仲間の家に行きました。
仲間の家に行く途中で、町の人があちらこちらで集まって何やらわいわい話しています。

何を話しているのかと近寄ってみると、みんなノートを持ち寄り、
お互いに見せ合って、この言葉だ、あの言葉だと話し合っているのです。

ノートはみんなそれぞれですが、男のノートと書いていることは同じようなものです。

講演家の話を聞かなかった人も、その不思議な出来事の話をそばで聞きながら、
うんうんとうなずき、いい話だ、いい話だと耳を傾け、
最近よくそう思ってたんだと目をまん丸にさせています。

みんな誰かに見せるわけじゃないから、ただ、思いつきを書いてただけだと
このノートの意味を深く感じることなく、
ただただ、自分の思いつくままにペンを持ったと言うのです。

男だけではなかったのです。

思い返せば、この数年間、町の様子は一変しました。

男は思い出しました。

以前は殺伐として何の変化もなく、未来への希望すら忘れ去ってしまった町のようでしたが、
男がノートに思いつきを書き始めた頃から町は次第に変化し始めていたこと。

そして、男の人生も、思いつく言葉を書き始めてからより豊かに、
安心で、幸せな暮らしに変わって行ったことを思い出したのです。

仲間や町の人に聞いてみると、ノートに言葉を書き出した人は、
男よりもずっと前から書いていた人もいました。
最近、書き始めた人もいました。

書き始めた時はそれぞれですが、みんな似たような言葉を書き、思いを持っていました。
不思議なものです。

あの講演家はなぜここに来たんだろう?と男は思いました。
彼も、ノートに書いていたんだろうか・・・
みんなのノートに彼の言葉が書いてあったのです。
でも、誰もそれに気づくことがありませんでした。

男は無駄なことを考えるのをやめました。
どうあれ、いま、男は満足していたからです。

人々の暮らしは、人生は、いつしか豊かで幸せなものとなり、
そこには、平和と喜びがありました。

みんな心の中に、平和と喜びを見出していたのです。

男も、町の人も、みんなそれからもノートへ思いついたことを書きました。

気の向くままに、気が向いたときに。。。


10月 25, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月15日 (土)

宇宙の真実を探求するわけ

宇宙の真実を探求する理由。。。

それは、人間として、生命として生まれ持った性(さが)だろう・・・

結局のところ、僕たちは、ひたすらに、
僕たちにしてみれば永遠というに等しい、
宇宙の根源へと還る道を歩いているのだろう。

その道は、あまりに遠くて考えることすら無意味に等しい・・・

それは、僕たちがバクテリアやプランクトンのような
小さな生物だった頃の魂を思い出せないように、

この先何億年という進化の中で、意識的な変容と進化を遂げた僕たちは、
いつしか人間という生命体だったことも忘れてしまうかも知れない。

遙かに進化した生命体、意識的な存在にとって、
僕たちのような肉体を持った存在として生きることは、
あまりに制約が多い。

しかし、肉体的、物質的な制約があるからこそ、
可能になることで、生命の本質や生の本質を理解できることもある。

最新鋭の戦闘機に素人が乗っても、一寸たりとも動かすことができないように、
それを動かすには、高度な理解と訓練が必要だ。

それができない僕たちには、地上でルールのある道を
自転車かオートマチックの普通のクルマで走るのが適当だろう。

永遠にも等しいゴール。宇宙の根源へと還る道すらわからないのに、
魂のコンパスはいつもゴールへと向いている。

自分に設定したナビは、いつもそこへと向かっているのだ。

それは、誰が設定したわけでもない。
自分自身が設定したものであり、それ以外には設定できないナビゲーションだ。

僕たちは、何もしなくてもそこへと誘われる。(いざなわれる)

途中、どんなに寄り道をしても、結局は、そこへと向かうのだ。

言い換えれば、地球上をいくら好きなところに旅しても、
地球は太陽の周りをまわり、太陽系は銀河系の中をまわり、
銀河系は大いなる宇宙を移動している。

僕たちは、地球ごと移動し、一秒たりとも同じところに留まってはいない。

その行き着く先は、究極のゴールだ。

いま、世界は生まれ変わるステージにいる。
それは、生まれ変わって、また、同じ世界を繰り返すのではない。
大いなるシフトの時。

それは世界を見ればわかるはずだ。
でも、その現実を認めたくない人は見ないだろう。
そこに感心のない人もいるだろう。
それはそれでいい・・・

ただ、これから起こることはみんな避けられない。

それは、オズの魔法使いでドロシーとトトが体験したことと同じ。

魔法の国に飛ばされたドロシーとトトが、
オズに会いに、黄色いレンガの道をエメラルドシティへと向かう途中で、
道は3方向に分岐する。

そこに案山子(かかし)がいて、あっちこっちと指さしてる。

どっちに行っていいかわからないドロシーは、
案山子にどっちに行っていいかわからないって言うと、
案山子は、どの道おなじだからという・・・

そう、黄色いレンガの道はどれもエメラルドシティにつながっている。

僕たちは、これと同じような分岐点に来ているのだろう。

どの道を進んでも、結果、究極の宇宙の根源へと向かう。

ただ、その道のり、プロセスはそれぞれに異なるのだ。

果たして、どんな旅がしたいだろう・・・

この先の世界は、あなたが体験したい旅を、体験したい世界を提供してくれる。

どの道に進んでも大丈夫。

あなたが楽しみたい世界に進めばいい。

大切なのは、どんな世界を楽しみたいのか・・・

自分の真実に正直に生きること。。。

そのズレがあればあるだけ、道のりは少し厳しいものになるかもしれない。。。
それを選ぶのも悪くはないけれど・・・

10月 15, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 7日 (金)

アラン・コーエンセミナー最高に充実した時間だった・・・

アランのセミナーが終わり、アランとの3日間は、とびきり充実したものとなった。

一昨日のイブニングセミナー、昨日は1日セミナー、
そして、今日午前中は、アランのスピボイインタビューだった。

最後に、アランとパートナーのディー、そして、今回、一緒にイベントを主催した
ダイナビジョンの百合香さんを空港に送り届けイベントは終わった。

主催者として、イベントの成功は大変充実したものとなったし、
参加者の方々からも大変満足したという声を聞き、
再びアランのセミナーに参加したいとの声も多く聞くことができた。

多くの人が、今回のセミナーをきっかけに、
人生の新しい一歩を踏み出すことにもなったと思う。

自分自身、自分の人生を見つめ直すこともでき、
新たなビジョンも描くことができた。

多くの友人も駆けつけ、参加してくれて、一緒に充実した時間を過ごすこともできたし、
何よりも、アランとの友情を深めることもできた。

昔、アランに言ったことがある。

「アランは、僕のマスターだ・・・」

アランは言った。
「Robin、僕は君のマスターじゃないよ。君のマスターは、君自身なんだ・・・」

この言葉は、僕のマインドセットを変え、その後の僕の人生をも変える言葉となった。

それでもやっぱり、アランは、僕の先生だ。

僕は、アラン・コーエンではないので、アランの同じような人生を生きることは望まないし、
そんな人生を生きることはできないけれど、

アランの生き方や哲学には、深く深く共感するし、
おこがましく聞こえるかも知れないけど、アランと同じように、
深く、心の平安の中に生きることができると信じている。

それは、僕だけじゃなく、全ての人がそうだ。
それぞれの最高の個性、その人の中で・・・

誰かに憧れることもいい。でも、その憧れは共感であり、
その感性を理解することができることは、
実は、自分自身がすでにそこにいると言うことだ。

アランが言う、魔法のマジックテープの原理だ。

感性で共感したものが、いまの自分ではないとしても、
それは、いつかそのようになる。

自分が望みさえすれば・・・

自分はどうしたいのか、どんな人生を送りたいのか。
自分の魂に真剣に問いかけてみれば、きっと魂は、その奥底から答えてくれる。

アランと久しぶりに会って、自分という魂のギターのチューニングができた。

自分が、自分であること。
自分らしく、自分の生きたい人生を生きる。

その時、最高の人生という音楽を奏でることができるのだ。

いま、イベントが終わって、心地よい疲れの中で、ゆっくりと充実感を味わっている。。。

参加された皆さん、ありがとうございました!

そして、協力してくれたスタッフの皆さん、お疲れ様でした&いつもありがとう!

また、開催できる日を楽しみに。。。

10月 7, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年9月25日 (日)

すごいリアルな夢を見た。。。

今朝方、すごいリアルな夢を見た。。。

カミさんに話したら、またかい!といわれた夢。。。それは・・・

またまた、UFOなのです。

僕は、なんでこんなにUFOの夢を見るのか。。。
気がつけば、高校生くらいからよく見てるのです。

結婚してから、UFOの夢を見る度にカミさんに話してきたので、
しかも、いつもチョーリアルで、いろんな夢があるのですが。。。

今回は、UFOだけではなく、世界の終わり編とのジョイント。。。笑

ちなみに、世界の終わりの夢もよく見ます。。。

いずれも、僕の深層心理やトラウマも関係しているとは思いますが、
それだけでは片付けられないビジョンやメッセージもあるように思えて・・・
あまり、深くそこんところは見ないようにしてますが、

まあ、この先、ちょっと荒れるなって感じで、万一のための防災の準備をする程度にみてますが、
いつ何が起こっても大丈夫なようにだけはしておきたい。

それは何よりも心の準備、内面の準備でしょうか・・・

心がいつも平和であれば、自分にどんなできごとが起こっても平和なのです。

そのための準備と言えます。

さて、本題のUFOの夢ですが、時間と共に薄れつつありますが、
とてもリアルな夢でした。

全部話すと大変なので、というのが、とてもストーリーが整っていて、
夢にありがちな話が飛んだり、変化する感じじゃなかったのです。


シーンは、家族である街の高層ビルらしきところにいます。

そこで災害が起こります。大きな津波が来て、とにかく上に向かいます。
エレベーターが止まっているので、多くの人たちと階段を上がりますが、
なぜか、階段が途中で終わっていて、天井しかない。

そこに、水が渦を巻いてどんどん上がってきます。

すると、天井に人一人通れる天井裏に行くための蓋になっているところを見つけ、
なんとかそこを開けて、中に入ります。

すると暗いのですが、ビルの内部構造になっていて、
そこをみんなで進んでいきます。

登るような感じじゃないんですね。。。コードとかよけながら。。。

そして、いつの間にか、大きなリビングのような、何も無いオフィスのような
広いスペースに出ます。

大きな窓があって、すでに一番高いであろうところに来ていました。

いやな予感がして、空を見ると、黒っぽい球体のような、円柱形のような物体が飛んでいて、
来たなって思ったんです。

そして、柱の陰に隠れながら、状況を見守りました。
すると別のUFOもいて、それは白い半透明の楕円形のようなものなのですが、
それも、いくつもいます。

思い切って窓にたって、写真を撮って、するとその室内に怪しげな装置があって
それが彼らのロボットだったようで、写真を撮ったら電磁パルスで、カメラが丸焦げになってしまいました。

そこから延々とあるので省略しますが、

隣に続く部屋が、昭和な感じの空間で、昔の家のような作りなんです。

そこにおばあさんが住んでいて、ここでずっと隠れて暮らしていると言うんです。
この時のためにと。。。

西田敏行さんが出てきて、そこから屋上に出て、外の様子を見てくると言うので、
ドアを持ったりして、手伝うんですが、彼は足を滑らせ、危うく転落するところでした。

UFOは、僕たちを探してるような感じではなく、
ちゃくちゃくと進行する出来事を見守っている感じなのですが。。。

やっぱり、リアルなものをみると、ちょっと緊張します。

木枠の磨りガラスの窓を少し開けて、外の様子をうかがっているところで目覚めるのですが。。。


まあ、そんな夢です。

夢のディテールはどうでもいいのですが、

ポイントは、終末の大災害とUFOということです。

僕は、ハルマゲドン的な考え方は好きじゃないし、そういうのを煽ったり、
来るぞ〜、来るぞ〜というような話は、どうでもいいと思ってます。

地震だって、台風だって、災害は、来るときには来ます。

それに対して、生きる、生き延びるというよりも、
その出来事は、なぜ起こっているのかの方が大事だと思います。

なぜなら、人は、そのような出来事の中で、いろいろと本気で考えるようになるからです。
実際に、自分に降りかかる出来事によって、初めて自分や家族、仲間、地域のことを考えたりします。

本当は、そんな出来事なんてなくったって、
いつも、自らを見つめて、心の中に愛と平和な世界を実現していけばいい・・・

みんながそうであれば、世界は愛と平和に満ちるはずです。

でも、そうは行かなくて、このような出来事、自分に降りかかる出来事によって、
初めて深く考えるようになります。

と言うことは、みんなが、自らを省みて、自己探求するようになれば、災害は必要ない。

結局、悲劇的な出来事は、僕たちの心が創造し、自らの体験として、
現象化させてるとしか思えません。

すべては、マインドが先です。

自らの心を見つめ、愛と平和、喜びを生きれば、それを目指すことで、
いつも、愛、平和、喜びはそこにあります。

僕は、そんな世界を、自分の人生を生きたいと願い、祈ります。

だから、自己の内面的なドラマとして、夢としてそのようなリアルな状況を体験しているのかもしれない。

脳は、現実と想像の区別がつかないと言います。
同じように反応するのです。

そのフィードバックが、心を創造して行くのかもしれません。。。

これからも、まだまだUFOの夢を見るのでしょうか・・・笑

9月 25, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年9月15日 (木)

アラン・コーエンのセミナー~頑張るのをやめると、人生は豊かになる~10月5日(水)・6日(木)

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  ~頑張るのをやめると、人生は豊かになる~
  「アラン・コーエン」イブニングセミナー& 1日セミナーが岡山で実現!    
   10月5日(水)・6日(木)
   http://www.questcafe.jp/alan_seminar/

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あのアラン・コーエンのセミナーまで、あと20日
とっても待ち遠しいですね!

気になる、興味があるという方、まだ、お申し込みでない方は、
ぜひ、ご参加ください!

内容に満足されなかった場合には、参加費を全額返金させていただきます。
それだけ自信を持ってオススメします。

僕の経験上、そして、過去に体験した人たちの感想を聞くに、
みなさん、それぞれに深い体験をされています。

そして、アランとの出会いによって、自己の本質に気づき、
自分の本来のパワー、天才性、豊かさ、素晴らしさを思いだし、

自分を愛することの意味を理解したり、
自分を信じて、自分の可能性を信頼して前進し、
未来を切り拓き、経済的にも、社会的にも成功していった人々を何人も知っています。

アランのセミナーは、あなたのモチベーションを高めて、異常なテンションにして、
グイグイ引っ張っていくようなセミナーではありません。

アランとの時間は、平和と喜び、安らぎに満ちています。
とてもソフトで、穏やかに身近なテーマや実例を話す中で、いつしか自分の出来事と置き換えていたり、
自分自身へと問いかける自分がいます。

自分の湧き上がる思いから、耐えきれず質問した内容にアランが答えるとき、
ハッと自分が思いこみ、信じてきた視点や許そうとしなかった物事や相手への思い、
その源泉にある自分の痛みや過去の出来事が浮かび上がり、それを手放して行くプロセスに、
不思議に心が軽くなり、自分をつなぎ止めていた鎖が、フッと消えていく瞬間があったりします。

自分という本質は、誰しもとてつもないパワーと可能性を秘めています。
それをつなぎ止めているもの、見えないように、見ないように蓋をしているもの。
そういうものがはずされると、ほおって置いても勝手に前に進んでいきます。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいる人は多いものです。

自分の本質、内なるエネルギー、漲るパワーを制限しているものは何か?

それこそが、あなたの成功を阻んでいるものだということに気づくでしょう。

イブニングセミナーでは、そうしたあなたが信じている世界について、
見直すきっかけを提示し、見つめる機会となることでしょう。

そして、一日セミナーでは、そうした自分のビリーフや世界観を見つめ、
あなたの成功を阻んでいるものを手放すことができたら、
成功への新たなステップへと進むことができるでしょう。

あなたの可能性に気づき、本質へと帰ること、
あなたが生きたい世界、幸せで豊かな自分らしい人生、
あなたらしく輝ける人生を生きたい方に、ぜひ、参加していただきたいセミナーです。

大好きなアランのセミナーを岡山で開催することは、
僕の念願でしたし、岡山で実現できることは、大げさに言うと奇跡的にも思えます。

夢は実現するということを、ここで言うには大げさかもしれませんが、
僕にとっては、それくらい嬉しく、感謝せずにはいられない思いを持っています。

岡山のみならず、全国から、北は北海道、東京、名古屋からもご参加の方もおられますし、
今回のアランの来日では、このようなイブニングセミナー&1日ワークショップは、岡山のみの開催です。

会場も、岡山駅から歩いてすぐの場所です。
県外からのアクセスもとっても便利ですので、県外の方もぜひ、ご参加いただければと思います。

通常東京などで行っている価格よりも参加しやすくなっていると思います。
交通費や宿泊費を加えても、価値あるセミナーだと自負しています。

すでに、多くの方にお申し込みいただいていますが、
まだ、席は充分に余裕がありますので、
ぜひ、多くの方にご参加いただければと思います。

アランとの時間の中で、たくさんの気づきを得て、
これからの人生を豊かなものにしてください。

詳しくは、こちらをご覧ください↓↓↓↓↓↓
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※ 内容に満足されなかった場合には、参加費を全額返金させていただきます。


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~頑張るのをやめると、人生は豊かになる~
アラン・コーエン「イブニングセミナー」&「1日セミナー」
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■アラン・コーエン「イブニングセミナー」
2011年10月5日(水)19:00~21:00
会場 : 岡山国際交流センター 8Fイベントホール
〒700-0026 岡山市奉還町2丁目2番1号 
【 アクセス】http://www.opief.or.jp/oicenter/access.html
参加費 : 5,000円 (前納の方 : 4,500円)
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■アラン・コーエン「1日セミナー」
2011年10月6日(木) 10:00~17:00
会場 : 岡山国際交流センター 多目的ホール
〒700-0026 岡山市奉還町2丁目2番1号
【 アクセス】http://www.opief.or.jp/oicenter/access.html
参加費 : 34,000円 (前納の方 : 28,000円)
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お申し込み・お問い合わせはこちら↓↓↓↓↓↓↓
http://www.questcafe.jp/alan_seminar/


主催:クエストカフェ運営事務局(株式会社マイルストーンデザイン内) 
   TEL 086-296-0988 担当:今井 
共催:株式会社ダイナビジョン、アラン・コーエン・ジャパン
   TEL 03-3791-8466

9月 15, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月11日 (日)

今日友達に聞いたUFOの体験・・・ちょっと驚いた。。。笑

今日、我が家に友達の奥さんと娘ちゃんが来て、
カミさんと僕とで談笑していた・・・

何気に、そういえば、この前、手から水晶や金が出た人がいてねって話して、

普通、一般的な反応では、うわ〜!すごい!とか、マジマジ!?
みたいな感じなのだけど。。。

彼女は、へ〜・・・そんな大して驚くことはなかったけれど、
いつものようにニコニコしながら。。。

「そういえばね、1年くらい前、UFO見てね。。。
夜中の2時くらいに寝ようと思って、その前にちょっとベランダに出たの・・・

そしたら、何か浮かんでて、ヒュー、ヒューって動くのね。

何だろうって思って、あっUFOだって・・・」

彼女は、スピリチュアルとか特別興味は無く、自然体で生きてる人なんだけど、
あ〜何か、怪しげな発光体を見たんだなと思って、続きを聞いた。。。

「それでね、パパ(夫)とか、おかあさん起こして、窓から見ながら、
ねえ、あれUFOだよね。。。って、そしたら、パパも、おかあさんも、あ〜UFOだね〜って・・・」

で、どんな感じだったのって聞いたら、

「あのね。こんなおっきいの」って、両手を40センチくらいに拡げた。。。デカイ!

ということは、どのくらいの距離にいたの?

「え〜。。。市ヶ谷の防衛庁の上くらいかなあ。。。」

彼女が住んでたところは、新宿の某所なのだけれど、市ヶ谷はそう遠くないので、
わずか数キロという感じだ。。。

「なんかね、四角くって、グレーみたいなので、窓がたくさんあって、それが3列にある感じ・・・
豪華客船があるじゃない、あの窓みたいに・・・」

それで僕が描いてみたのがこの絵・・・こんな感じだったそうだ。。。

Ufo


防衛庁の真上にいるってのは、自衛隊大丈夫なのかって感じだけど。。。笑

話は、ここで終わらない。。。なんと!

彼女は、こう話した、、、

「でね、私、それに乗ったの・・・」って、おいおい!マジ!!!

実は、僕は過去に、UFOに乗ったことがある人から直接話を聞いたことがあって、
その人は、彼らの星にも行ってるんだけど。。。

これを読んでる人。。。ついてきてくださいね。。。無理な人は、ここまで。。。笑

で、中はどんな感じだったの?と聞くと。。。

「記憶があるのはUFOの中にいて、えっと。。。白い感じだけど、すごく広くて、中にたくさん人がいたの。。。
どれくらいだろう、100人くらいかなあ、もっとかも。。。
丸いようなテーブルがたくさんあって、そこには普通にスナックみたいなものが置かれてて
みんなそれぞれに座って、楽しい感じで。。。」

彼女は、ぜんぜん恐怖感はなく、楽しい気分だったそうだ。。。

窓は大きくて、外を見ると、東京の夜景が見えたけど、ビルが横に見えたから、
そんな高いところにいない感じだったと。

乗っていたのは、アジア系の人と中近東系の人のような感じで、西欧人風の人はいなかったらしい。

鼻の下のひげがあるスーツを来た紳士に「一緒に行きませんか?」と言われて、

彼女はいろいろとやることがあるから断ったら、その紳士は「残念ですね〜、では、またの機会に」と・・・

それで、朝目が覚めると布団にいたそうで。。。

いつも朝が苦手な彼女なのに、その日は、とてもスッキリして目覚めたそうだ。

そのUFOには、友人である彼女の旦那も乗ってたそうなんだけど、
彼はUFOを見た以外は、搭乗した記憶が無く、彼女の話だと、UFOに乗ってる人といろいろ話してたそうだ。

姿格好がまったく普通の人たちばかりで、だれが宇宙人なのかはわからなかったらしく、
彼女たちが話した人は、日本語を話していたそうだ。

ヒュー、ヒューと動いていたのに、内部は、とても穏やかだったらしい。。。

この話、改めて、もう少し詳しく話を聞いてみたいと思う・・・

9月 11, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 9日 (金)

ルルドの泉とベルナデッタの奇跡

数年前に、友達とルルドの泉を訪ねた。。。

ひっそりとした泉だと勝手な想像を巡らしていた僕たちは、
ひどく観光地化されていた軽井沢のような光景にショックを受けた。

ひとまず、ビジターセンターで、日本語でのルルドの解説ビデオがあるというので
シアターで見たら驚いた。。。冒頭。。。

「あなたはルルドにどんな目的で来られましたか?
あなたは、この商業化されたルルドに驚かれたかもしれません。

でも、ここは紛れもなくルルドなのです。

ルルドには、病気や悩み、人生の多くの問題を抱えた人たちが、
希望を持ってやってくる聖地です。。。云々」

外に出て、教会の周囲を見た僕たちは、まったく違うルルドの本質的な側面を見ることになった。

それは、人々の神への真摯な祈り。神への帰依。

細い細い糸かも知れないけれど、その糸を頼りにここに来た人々。

宗教的背景はどうあれ、人々の最後の望み、
希望を祈りというカタチに変えて、天高く響かせる姿に、
自分の中のうがった見方、疑いや不信という傷を見せられた気がした。。。

ルルドを離れ、パリに移動した僕は、友人と別れ、どうしても行ってみたい場所ができた。

それは、ルルドが聖地になった理由。。。その人に会ってみたかったのだ。

予定を変更して、僕は電車に飛び乗り、一路パリから南へ向かった。。。

そもそも、ルルドは、当時14歳のベルナデッタという少女が、
友達と妹とマサビエルの洞窟のそばを流れる川で、薪にする流木を集めていた。

そこで、洞窟のところでマリア様が現れ、2月11日から7月16日まで合計18回も
彼女の前に姿を現すことになった。

一緒にいた二人は、ベルナデッタがひざまずいている姿しか見ていないという。

詳しくは、ネットで調べてみて欲しいのだけど。。。

そのベルナデッタは、その後、多くの人々の注目を受けたため、
1866年、ヌヴェール愛徳修道会の修道院に入り、尼僧として静かな一生を送ったが、
1879年4月16日、肺結核により35歳の若さで他界した。

死後30年経った1909年9月22日、
司教立ち会いのもと、ベルナデットが埋葬された墓が掘り返されることになった。
なんと彼女の遺体は全く腐敗していなかった。。。という・・・

そして、いまでも、彼女は教会に安置されていると聞き、
会いに行こうと思ったわけだ。。。

パリから4時間くらいかけて、そのまま日帰りするには、次の電車まで、1時間しか無かったけれど、
その教会で遂にベルナデッタと対面。。。
これがその写真。。。

Photo

後でわかったことだけど、その後腐敗が進行して、顔は当時に似せたロウで作られていると言うことだった。。。
ここで見たときは、蝋人形のように見えた顔に違和感を感じたのだけど。。。

バチカンは定期的に身体を調査しているらしいけれど、
一部の腐敗がみられるものの、以前腐敗は進んでいないという・・・

バチカンが認める、カトリック最大の3つの奇跡のひとつ。。。

果たして、真実はいかに。。。

真実はどうあれ、僕は、このベルナデッタの姿に、神聖なエネルギーを感じるのだけれど。。。

9月 9, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月 8日 (木)

宇宙人と絶望と希望・・・それでも絶対大丈夫!

僕は、よくUFOや宇宙人夢を見る。

これまでも、いろんなシチュエーションの夢を見た。
なんでこんな夢を見るのかと思うんだけど、高校生くらいからずっと見てる。

ユング的には、何かの象徴なんだろうけど、
例えば、未知のものへの畏敬や畏怖のようなものがあるかもしれないし、
未知のものへの潜在的な怖れが眠っているのかもしれない。

UFOは実際に、何度か見たことがあって、何よりも最大の体験は、
なんと、大阪の梅田上空で、街のど真ん中で、30機くらいの編隊飛行を頭上にみたこと。。。

以前にも書いたので、ここでは詳しくは書かないけど。。。

数日前にも、UFOと宇宙人の夢を見て、よく覚えていないんだけど、

上空の雲の切れ間から、巨大な円盤形のUFOが出現して、
色は黒っぽく、不思議な文様のようなものが描かれているような、
模様というか、機体を構成する要素のようなものか。。。

次に覚えているシーンは、小人型の宇宙人いわゆるグレイタイプの宇宙人が
たくさん家の周りを走っていて、家に入ってこようとしている。

家族に声をかけて鍵をするけど、なぜか簡単にドアは開き
入ってきたのは、普通の西欧系の外国人たち・・・

でも、それは、恐怖を感じさせないようにするために、
暗示をかけられて、そのように幻覚的にみえているだけだということがわかり、その場から離れる。

外に出ると一人、ガイジンさんがいて、話すと、その人はどうやら、本当の人間だとわかり。。。

それくらいしか覚えていない。。。

なぜか、夢の中ではそんなに恐怖感はなかったんだけど、、、
不思議な夢だった。。。

ただ、嫌な気分で目が覚めて、夜中の2時半くらい。。。

その後、その嫌な気分の原因が、その夢とどう関係があるのか、
底知れぬ無、虚空への恐怖感だということがわかった。。。

真夜中に目が覚めて、死んでしまうと、まったくの無になって、何もかも消え去ってしまうことへの怖れ、
完全なる無になって、もう何もないということへの絶望感に、
何とも言えない気持ちになって、寝られなくなった、、、、

結局、眠くなって、また寝たんだけれど、

朝になり、太陽が昇ると、あの無になる感覚や虚空への怖れは何も無く、
そうではなく、魂は永遠に続くのだという深い確信を感じていた。。。

そんなことがあって、改めて、死について、命について、
魂について考えたのだけれど、

死後も意識=魂は永遠に転生するという確信しかなく、
あの無の感覚は、なんだったのかなと思ったときに、

絶望と希望ということがわかった。

僕たちは、希望があるときに、生を感じ、安心と幸福に包まれる。

絶望とは、望みが絶たれることで、望みがないということ。

つまり、未来がない、その先がないと言うこと。

でも、よくよく考えると、絶望というものは、実際にはなくて、
自分が望みを絶った瞬間に絶望になるわけで、
自分が、希望を持ち続けることができれば、絶望ではないことに気づく。。。

希望は、かけらでもよくて、その細い糸のような希望でも、
辿っていけば、大いなる希望に変わるかも知れない。。。

死んでも大丈夫!
絶対に大丈夫!
何が起こっても大丈夫!
いつもどんな時も大丈夫!
とにかく大丈夫!

この大丈夫という言葉は、ものすごく力強い。。。
安心感の源のような気がする。

この根拠のないけど大丈夫!という感覚がとても好きだ。。。

自分に不安が訪れたときは、心の中で、口に出して、言い続ける。

大丈夫!大丈夫!大丈夫!
絶対に大丈夫!

大丈夫!に理由はいらない。。。

そして、絶対大丈夫という確信が、その大丈夫な結果を引き寄せる。

絶望なんてない。

希望しかない。。。

絶望は、自分がつくるもの・・・宇宙は、この瞬間、瞬間の創造しかない。

その創造が、未来へと続く。。。いまを100%生きれば、それが未来になる。

いまの瞬間を最大限に生きれば、悔いなく生きれば、未来への未練も無い。。。
絶望も希望もどうでもよくなる。。。

結局、常に、いましかないということだ。。。

宇宙人の話から、とりとめもなく、絶望と希望。。。というお話。。。

それで、大丈夫!

9月 8, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年9月 2日 (金)

神様は裁かない

このまま進めば、岡山は台風が直撃しそう・・・
段々と雨風も強まりつつあるので、家とオフィスの外にあるものを片付けていたら
ふと、インスピレーションがやってきた。

神様は裁かない。裁くのは人間だけ

宇宙にはエゴがなく、法則があるだけ

オフィスに戻って、何となくこの言葉がずっと響くので、
頭に浮かんだイメージをイラストの図解にしてみた・・・

Photo_2
→クリックすると大きくなります。

図のような感じで、傾斜した板に穴が空いている。
図で言うと、左に進むに従って、穴のサイズが大きくなっている。
ここをボールが転がってくると、穴より小さなボールは落ちてしまう。
穴より大きなボールは、小さな穴を越えるけれど、
次の穴がボールより大きければ落ちてしまう。

そうして、実際には、この穴はもっと細かく段階があり、
もっと言えば、段階はなく、グラデーションの様になっているんだけど、
それを言うとわかりにくくなるので、今は、超シンプルに表現する。

このボールは魂で、人生経験によって、ボール=魂は大きくなっていく。
穴に落ちるというのは、今生の人生を終えて、あの世に還るわけだけど、
そうしてまた、この世に生まれてくる。

イラストの下の管があの世で、このクルクルと循環するところが
いわゆる輪廻転生。

こうして何度も転生することで魂は成長して、意識が拡張されいく。。。

この世に生まれ出るときに、これまでの記憶は一時的に消されるので、
生まれ落ちる場所、選んだ人生によって、本来の自分の感情レベルや本質に気づきにくい場合もあるけど
往々にして、成長した魂は、人生のどこかの時点で必ず自分の本質を思い出す。

そうして成長した魂は、僕たちが存在する世界以上に意識が拡張すると、
それ以上大きな穴がなくなるので、もう落ちることはない。

故に、そのまま次のステージへと向かうことになる。

これは、テレビゲームでひとつのステージをクリアしたら、次のステージに向かうのと同じ。

神様は裁かない

つまり、神様は、お前はあれをした、これをした。だから、もう一度やり直せとか、
お前は地獄行きだなんて言わない。そもそも地獄なんてないのだ。

端から見ると地獄に見える世界も、とうの本人には、快適な極楽かも知れない。
自分がいたいところにいくだけだ。

この仕組みの図は、まさにそういうことを表していて、
一見、神様に裁かれているように思うことも、実は、そこには宇宙のしくみ、法則しかなく。

自らの成長に従って、自らの状態を決めているということだ。

成長するもしないも、すべては自分次第なのだ。

究極の神様=宇宙は、その先の成長を期待しているわけではない。
そこへの欲求なんてない。欲求はエゴで、満たされていないから欲するわけで、
満たされた存在の神様は、満たされる必要がないから欲求はないし、期待もしない。

それでいて満足だから。

そもそも僕たちも神の一部であるので、究極の神様と人間を分離している
モデルや表現自体が究極的には異なるのだけど・・・

人間は、その先の世界を見たい存在であって、成長への欲求がある。
まだまだ、そういう意識レベルなのだ。

だから、成長したいという欲求が内にあって、輪廻の仕組みと同時にある。

僕たちは、いつしか意識を拡張して、魂の成長を果たして、
この輪廻のステージから次なる未知のステージへと向かうのだ・・・
さて、それはどんな世界なのだろう。。。


9月 2, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月31日 (水)

バッチリ健康優良児!

僕はお酒が好きな方なので、

ほとんど毎晩、ビールとかワイン、日本酒、焼酎、泡盛が入ります。

って、ビールにワインとかはあるけど、これらを全部ちゃんぽんにするのはしません。

で、仲間との楽しいお酒だとついつい飲み過ぎてしまう。。。

人間ドックではいつも健康体だけど、体調に特段異常はないものの、

ここ最近の肝臓くんの調子はどうだろうと、気にするよりも、
血液検査ってことで、行きつけの医院で見てもらった。

問題は全くないどころか、肝臓も普通の人以上にいい状態らしく、
アルコールと肝臓の関係はどうなんだろうと。。。

たぶん、自分ではたくさん飲んでると思ってるけど
飲む人って、本当にすごい量を飲むのかもしれない。。。

それに、僕の場合、毎日、ウォーキングやエアロバイクはかかさないし、
軽めのヨガで、カラダもほぐしてる。

ほぼ週一で、サーフィンに行ってて、
最近では、サウナにはまってる。。。

この夏は、エアコンほとんど使ってないから、仕事中もタオルで汗を拭きながら。。。

汗をかく。。。

この代謝が健康の秘訣なんだと思う。

アルコールもアセトアルデヒドという毒素に変わるけど、
その他の毒素も、こうして運動やサウナなどで、血を巡らせて
いっぱい汗をかくことで、どんどん代謝して、デトックスする。

なんでも、循環が大事。

思いは現実化するから、カラダに悪いもの、
やめなきゃいけないって思いながら飲む酒よりも、

人生に彩りを添えて、仲間との楽しい時間を演出してくれる
幸せのお酒、百薬の長と思って飲む方がいいに決まってる!

今日は、体調もバッチリってわかったから、
ますます、元気で健康なマインドセットもしっかりできたから
いっぱいおいしいお酒飲めるね。。。笑

8月 31, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月25日 (木)

全部自分の中にある

最近、成せばなる、成さねばならぬ何事も!

という言葉がいつも座右になってきた。

すべては自分の中にあって、自分は種なんだよね。

その種を発芽させて、大きく育てるだけ・・・

多くの人はそれを忘れてる。

種を育てさえすればいい・・・

ガンジーが言った・・・種の中に大木がある。

自分に与えられた、すべての可能性が自分の中にある。

夢は夢ではなく、絶対叶う現実なのだ!

そうなっているのだ!

8月 25, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月24日 (水)

豊かだという真実

真実を生きることの大切さを学ぶ・・・

世の中について、宇宙について、生き方や政治、経済、経営やお金儲け。。。人間関係・・・
多くのことを知る必要は無いとあらためて思った。。。

自分に必要なことだけでいい・・・

犬が、僕たちのいくつかの言葉やアクションを理解して
それで幸せなように・・・

僕たちも、いくらかの知識で充分なんだと思う。

幸せとは、知識を得て理解することではなく、
いくつかの知っているパーツを無限に組み合わせる創造的なアイデアの中にあって、
それが知恵であり、そこに喜びがある。。。

足りないところは、想像力(イマジネーション)が助けてくれる。。。

それで充分だと思う・・・

どれだけあれば充分か・・・それは自分が満たされている。
豊かさに満ちていると、真実を見つめる時。

僕は、いつも豊かだと思う。
お金?・・・それは、宇宙銀行に預金している。

銀行に1億円預金があったとして、その1億円をすぐにおろして使うだろうか?

何に?
何のために・・・?

10億円ではどうだろう?100億では?1000億では・・・?

どれだけあったって、それをいっぺんに使う事なんてほとんどない。

そう考えれば、宇宙銀行に無限のお金を預けているのと何の違いはない・・・

30万円の貯金しかない人も、100億の資産を持つ人も、

今日、近くのスタバで、アイスのトールソイラテを頼むかもしれない。

その瞬間の豊かさには変わりがない・・・

豊かさの本質とは、自分のマインドの中にある。。。

実際に、いくらのお金を所有しているということではないのだ。。。
どんな金持ちでも、一回に食べられる食事の量は、大して変わらない・・・

僕には、いつも充分ある。
充分に満たされているのだ。。。

8月 24, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月18日 (木)

夢の中の夢のお告げ・・・

変な夢を見て目が覚めた。

内容がまったく思い出せないけど、ただ、目が覚める直前は覚えてる。

夢の中でも自分は寝てて、夢を見ていた。
部屋にタンスがあって、霊的な存在が僕に語りかける。

「右後ろのタンスの上から3番目にチケットがある、それを使え」と言う。

夢の中で夢うつつに、寝ぼけながらタンスに近づくと、
足を引っ張られ、無理矢理タンスの前に、
起き上がって見ると、タンスの引き出しに、チケットが挟まって覗いていた。

何しろ足を引っ張られたのが、気持ち悪くて夢の中で目が覚めると同時に、
現実の夢からも目が覚めた。。。

夢の中の夢から目覚めると同時に、一気に現実に目が覚めると、
夢の中の夢がとてもリアリティがあって、不思議な気分。。。

「そのチケットを使え」って、どのチケットよ。。。笑

明日、ロトでも買おうかな。。。笑

まさに、映画インセプションの世界だ。。。

8月 18, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月14日 (日)

宇宙は、理解するためにあるのではない。

宇宙についての真実を言葉で語ろうとするなら、
どれだけの言葉をもってしても、その片鱗に触れることしかできない。

宇宙は、言葉で表現し、理解できるようなちっぽけなものではない。

実は、僕たちは宇宙を言葉よりももっと深く捉えている瞬間がある。

大地に沈む美しい夕日を見たとき。

突然のスパークのように、誰かを好きになってしまったとき。

大好きなことを夢中になってやっているとき。

母親が、赤ちゃんに優しいまなざしで見つめているとき。

楽しい仲間たちと思いっきり笑っているとき。

素晴らしい演奏を聴いて、思わず立ち上がって拍手しているとき。

大切な人のために、涙しているとき。

そんな瞬間は、無数にある。

なぜ?
どうして?

その瞬間にあるもの、感じていることを言葉にすれば、それなりの表現はできるけれど、
その時の深い思いを言葉で再現することはできない。

例えば、俳句の世界は、言葉を使って、限りなく宇宙に近づいたもののひとつだと思う。

説明や理屈は、真理を理解するために思考で捉えるには有効かもしれないけれど、
それは思考の領域を出ることはない。

僕たちは脳ミソでいきているのではなく、
宇宙と共鳴した意識体として存在しているのだ。
脳ミソは、この4次元の現象界、時空間の存在領域を司るためにある肉体機能の一部でしかない。

思考や論理は、時間と密接に関わり合っていて、
理解するには、言葉を正しい文法で、文脈にしたがって読むこと、聞くことで初めて理解できる。

読む、聞くためには、時間が必要だ。

だから、思考や論理は、物質次元にとらわれた、物質次元の産物なのだ。

僕たちは、もっと宇宙を感じ、宇宙を味わう必要がある・・・

宇宙は、理解するためにあるのではなく、

自分が宇宙とひとつであることを感じ、宇宙そのものであることを味わうためにある。

地球上のすべての生命を通じて、たったひとつの命が、
もし究極の宇宙と共鳴し、ひとつになることができたら、
この地球の使命はきっと終わる。

その時は、同時に、僕たちもその共鳴場に入り、
大いなるシフトを体現するだろう。。。

僕たちは、そのたったひとつの命を運ぶために、
全存在をかけて命を輝かせ、
宇宙へと還る道を歩んでいるのかも知れない。

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8月 14, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月13日 (土)

ビリーフを見つめる

この世に生まれてきた理由は、人それぞれにいろいろあるだろうけど、
普通の意識レベルの僕たちは、一人では生きていけない。

一人で生きていけないというよりも、他者と関わることから僕たちは人生で大切な事を学ぶのだ。

映画キャスト・アウェイで、無人島に流れ着いたトム・ハンクスが、
流れ着いたボールを人に見立てて、会話をしていく内に、
そのボールが本当に大切な存在になっていく下りがあるけれど、

僕たちは、自分という存在を明らかなものにしていくことで
自分の存在やその意味を確認して、肯定することで、
幸せを感じ、生きている意味を見出していくのだろう。

だから、人に認められないとか存在を否定されるとなれば、
それを何らかのカタチで証明しようと行動するか、
逆に、自己否定の中で、存在を消してしまおうと行動することになる。

存在を証明しようとして、誰もが認めるような建設的な方向に行けばまだいいけれど、
認めない人々や社会に怒りや恨みを持って、凶悪な犯罪に走り、
他者を傷つけたり、社会を混乱させることで、自分の存在を知らしめたり、
他者を引きずり下ろすことで、自分の存在を浮かび上がらせようとする方向へ行くなら、
とても危険なことだ・・・

人よりも劣っていると思い込んでいると、誰かが上手くいくだけで、
自分は、上手くいっていないように感じてしまう。

自分を一番評価し、認めることができるのは、自分自身なのだ。

でも、否定的なマインドセット(ビリーフ)や信念を持ってしまった人は、
そのようなものの見方、価値観でしかみることができないので、
その信念を書き換えない限り、違う見方は難しいかもしれない。

「色のついたメガネで世界を見れば、世界をその色に染まるのだ」

存在を充分に認められて育った人、もしくは、魂レベルで満たされた存在は、
特別な何かに挑戦しようとしないだろう。

自分自身でも、自己の存在に満足し、自己肯定もしっかりしてるので、
存在しているだけで満たされている。

一見、何ら特徴のなさそうな人かも知れないけど、
存在の強いオーラを発していて、いつも余裕があり、リラックスしている。
そして、人を惹きつける魅力を持っている人がいる・・・
そうした人は、きっと満たされているにちがいない。

社会的に活躍する人や著名になる人は、そのエネルギーの源泉がどこにあるのだろう?

自分の存在を証明しようとする、また、自分の価値を証明しようとするがために活動する人も多い。

やりたいことをやるということの中に、純粋な喜びから行動するのではなく、
人からの評価やエネルギーを注いでもらいたいという思いからやるのなら、
その行動は、基本的に、評価という見返りを求める行動であって、
評価がもらえないとすれば、もっと頑張ろうとするか、逆に、認めない人を攻撃するようになる。

本来は、人の評価などまったく必要ないし、自分が自分であればいいし、
自分の喜びを求めていくことでいい。

存在は、本当は満たされている。それを満たされていないと信じているのだ。

特に、日本という文化の中で育ち、日本的な価値観、家族関係、人間関係のあり様を
無意識に取り込み、育ててしまっている価値観やビリーフを変えない限り、
自分の世界を見る目は変わらないだろう。

僕たちは、誰しも、何らかのビリーフをもって、世界を切り取ってみている。
そのビリーフがどのようなものなのかを見つめ、理解する姿勢なくして、

他者との健全対話や関係を築くことはできない。

僕たちは一人で生きることはできない。
他人を通して、自分を見ている。

その時、何を感じ、どのように思うのか、そして、行動するのか。。。

そういう自分を見つめてみれば、きっと新しい現実を創造することができると思う。

8月 13, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 9日 (火)

大好きなことやるしかないね!

先日、TSUTAYAで、ウォール街を借りて来て見た。

前作から20年以上経って、その続編だ。

サブプライムクラッシュが基本的な内容だけど、

その後のリーマン・ショック、

そして、今回の世界同時株安。

ウォール街を見た後に、世界同時株安の展開に。。。

なんだか、予言でも見たような気がする。

僕も、過去に投資をやっていて、サブプライムでは少なからず影響があった。

それを機に、すべての株や債権などの投資をやめた。

いまも、一部塩漬けになっているものがあるけど。。。

投資のプロからすれば、これを機にやめるという典型的な選択はナンセンスかもしれないけど、
素人には、こうしたきっかけを逃すと、なかなかやめることはできないような気がする。

株でも、債券でも、FXでも、やっぱりどんな規模でも、一度はやってみるといい。
自分の内面をよく見つめられる。。。笑

僕自身の経験からすると、投資は、哲学が必要だと思う。

株価が上がって、利ざやを儲ける。
これは、株だけではなく、あらゆる投資の基本かもしれない。
もちろん、株は下がっても儲けられるんだけど。。。

でも、もし、お金儲けだけが狙いで、投資をするなら、きっとどこかで痛い目に遭う。

それは、市場は生き物だから、その変化に翻弄されて、
冷静な判断ができなくなってしまうからだ。

哲学、つまり、自分の確たる考えがあれば、その哲学に従って判断する。

何のために自分は投資をしているのか。。。

だから、優れた投資家は、買った株は、簡単には売らないし、買うときも、簡単には買わない。

短期で売買する取引の方法もある。これが悪いとは思わない。

こうした取引で、優秀な成績を上げている投資家もたくさんいるし、
その中で、哲学を持った人もいるだろう。。。

これは、マーケットの特性だからしかたがない。。。
博打のような側面もある。

ただ、投資の世界を博打にするのか、社会を創造していく、健全な資金供給の場とするのかは、
投資家の意識の問題だ。。。

投資の世界は、僕には合わない。
そう思えた僕は幸せだし、よかったと思ってる。
投資の世界についてではなく、僕が合うもの、合わないものがわかったということ・・・

自分に合うのか、合わないのかがわからなくなるのも投資の世界。
合うも、合わないも、儲かってしまうと、関係なくそこに居座ってしまう。

カジノのルーレットで、勝ちまくっているのに、席を立つ人がいないように。。。

でも、運気には流れがある。そこを見極められる冷静さが必要だ。
だから、僕は、博打も好きじゃない。合わないから。。。

そう、自分に合うことだけをやろう、、、、

自分が好きなことだけをやればいい。

自分が大好きなことは、お金なんて関係なく、一生懸命、魂を注げるのだから・・・

それが投資なら、それはそれで素晴らしい!

いっぱいお金を創ることが社会のため、世界のため、その人のためになる。

結局、人生で大切な事は、お金ではなく、
自分が大好きなことが、思う存分できているかどうかってこと・・・

でも、そうもままならないのが、現代という世界。

ならば、創造力働かせて、新しい世界を創造していかないとね。。。

大好きなことをやって。。。

8月 9, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年8月 4日 (木)

神さまは一本釣り

昨日、会った方が何気に口にした言葉「神さまは一本釣りですから」・・・

あっ、いい言葉だなって思った。

世界にどれだけ人がいても、神さまはその人を見つけ、選んで、メッセージを送ってくるという話。

その通りだと思う。何だか、救いのある言葉でいいなって思った。

僕の考えでは、神さまが、その人にメッセージを送ってくるというのをこう理解してる。

神さまというのは、究極の根源神というわけではなく、

その人がその時に必要なメッセージを持ったマスター、守護霊、先輩的な存在、

または、いつも自分をサポートしてくれている霊的な存在。

そういう存在が、インスピレーションを与えてくれるわけだけど、

その人自身が、受け取れる状態でなければ、受け取れないようになっている。

つまり、彼らの投げるボールはいつも同じような速度だけど、

例えば、素人が、プロ野球のピッチャーの剛速球をキャッチできないように、

その人の魂の成長度に応じたボールしか受け取れないのだ。

ということは、自分が受け取れるレベルのボールを投げてくれる存在からのボールをキャッチしているということ。

これは、テレビやラジオのようでもある。

放送はいつもされていて、そのチャンネルに合わせることができれば、
その情報をキャッチすることができるということ。

つまり、神さまが、一本釣りするのではなく、

そのように見えて、実は、自分が成長して、そのチャンネルに合わせられるようになったということ。

自分よりも進んだ存在からのメッセージを、自らが受け取りに行っているわけだ。

でも、そういう自覚がなければ、メッセージやインスピレーションが
向こうからやってきたと思える。

その方が、謙虚でいいし、感謝の念も湧くので、いいとは思うのだけど・・・笑

インスピレーションを与えてくれる存在は、そういう意味ではいつもあなたを見守り、

いつか、このメッセージを取りに来てくれると信じて、首を長くして待っている。。。

だから、自ら変わり、自己成長し、意識を進化、拡張させてくことで、

勝手に情報は、入ってくるということだ。

あなたに必要なメッセージは、本やインターネットだけにあるわけではなく、

出会った人の言葉に中に、街中の広告の中に、目の前を走っている車のナンバープレートに・・・

どこにでもあるのだ。

準備ができたら師が現れる・・・

全ては自分の準備次第。

そして、インスピレーションを受け取れば、また、ひとつ意識を拡張させることができて、
永遠進化への道を一歩、また一歩、歩むことになるのだ。。。


8月 4, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月26日 (火)

何度も見る空を飛ぶ夢・・・

一昨日のサーフィンは、さんざんだった。。。

ここ数ヶ月、いい波にあたらない。。。

2月末が一番よかった。。。

この前、高知を襲った台風は、はんぱなかったようで。

中村では、とんでもない土砂降りの雨が3日続いたそうだ。

いつものビーチに行くと、なんと、砂浜への階段の一番下がなくて、流木が組まれていた・・・

実は、階段がなくなってるのではなくて、砂浜の砂が、
1メートル近く、波によって運び去られていたのだ。

大潮と重なってたから、相当打ち寄せたに違いない。

まるで、津波の後のようだった。

そのためか、海のコンディションもすっかり変わってしまい。。。

海底の地形が相当変なことになっているのだろう。。。

波は海底の地形に従うので、どんな状態になっているのか想像できる。

いい状態に整うまで、また、少し時間がかかりそうだ・・・


ところで、今朝方、不思議な夢を見た。

過去にも、何度か見てる夢だ・・・


幅60センチくらいのパイプのようなもの、

言えば、自転車のバー型まっすぐなハンドルのようなものを
お尻に当てて、そこに乗るというのかな?

それで、空を飛ぶイメージをすると、浮かび上がって空を飛べるという夢。

誰だか覚えてないけど、友人らしき人が、手に入れたって持ってきて、

うちの前の田んぼで試す。

彼はうまくやれるのに、僕はどうもなかなか上昇できない。

3メートルくらい上がると、ブ〜ンって、落ちていく。

それ以上上がらない・・・・

こつは、いかに集中力を保って、上昇し続けるイメージを持ち続けられるかだ。。。

なんだか上手くいかないなあとトライしているところで、
目覚めたのだけど。。。笑


とってもリアルな夢だったな・・・

7月 26, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月24日 (日)

旅の中に生きる

誰にとっても人生は旅のようなものだ。

僕は、出張も多いし、波のない岡山ではサーフィンはできないから、
毎週のごとく、わざわざ高知まで遠征する。

日本海は、近いけど、やっぱり高知がお気に入りだ。

年に何回か、海外へも旅する。

芭蕉が言ってたけど、僕も、旅の中に暮らしているような気がする。

旅と家族と共に自宅で日常を過ごすということに境界がない。

端から見ると、家にいれば、旅ではないかもしれないけど、

自分の心は、旅してる、というよりも、

世界に拡がっていて、どこかに移動しているという感覚ではないのかもしれない。

つまり、最初からそこにあって、肉体がそこに行く感じというのだろうか。

友達のロミさんが、ボルテックスについて、いろいろと教えてくれるけど

パワースポットを求めて旅するのではなく、

自分自身がいつでも高いエネルギーを発し、自分のセンターにいれば、
あなたがいるところがパワースポットになる。

これは、その通りだと思う。

風水にこだわる人もいるけど、実は、風水も本当は関係ない。

ただ、本当の自分、高次の自分を生きていない人は、
いまの自分の信念を作っているアイデンティティに大きな影響を受けているから、
外的な要因に影響されやすい。

それは、自分の信念と状況、環境、自分が対峙している価値観と比較してしまうからだ。

そのように環境に対して、反応してしまうので、結局、環境の影響を受けてしまう。

そのような人には、風水はとても効果的だと思う。

でも、本質的には、風水は関係ないものとなる。

そもそも、そのような高次の自分を生きる人は、劣悪な環境に身を置くこともないのだけれど。。。笑

僕は、いろんなところに行くから、そんなとき、辺りを見回して、
自分と自分が身を置いている環境のことを見つめることが多い。

なぜ、ここにいるんだろう?
どんな感じがするのか?
これはどういう意味があるのか?
このシチュエーションは、自分に何をもたらすのだろう?

などなど

ひとつひとつ自分に質問したりしない。

漠然と、そのようなことを感じるのだ。

海外をひとり旅して、例えば、何日も旅の中にいれば、旅そのものが日常になってくる。

それがヨーロッパであろうと、インドであろうと、モンゴルであろうと、
もう10年も住んでるような感覚になる。

わずか数日でも。。。

結局、目に見える環境は異なれど、そこに流れている人間と環境というエネルギーには何の違いもないから。

なぜ、ここにいるのか?

その本質につながるとき、場所も、状況も関係なく。

自分の人生の一部であり、何か特別なものではないということに気づく。

何か、現実の自分と距離を置いて、全体と一体となった自分を感じるとき、

旅と日常の境界はやはりないのだと思うのだ。。。

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7月 24, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 8日 (金)

神さまのコーヒー

昔、20代前半に、ある直観能力者に出会った。

今は、もう他界されたが、当時は、精神世界では有名な方だった。

その方にお会いしたところ、フーチを取り出して、僕のエネルギーを見てくれた。

クルクルとフーチは回る。すると彼はこう言った。

「あなたは、天狗界の人だから、自分がつまらない人間だと思って生きなさい。

そのくらいで丁度いい。天狗は傲慢だ。

コーヒーを入れるときの漏斗のように、漏斗がきれいに開いていれば、
神さまのエネルギーは勝手に流れ込んでくる。

あなたは、自分のエゴによって、その漏斗を閉じているのです。

大きな漏斗を持っているのに、神さまのエネルギーを受け取ろうとしない。思い上がりです。

つまらない人間だと思って生きれば、次第に漏斗が開いてきて、神さまに助けられるよ・・・」

そんなことを言われました。

漏斗を閉じている人は、二種類あって、天狗界と菩薩界だそうで、
菩薩界の人は、自分を犠牲にして奉仕ばかりするらしい。

これでも、神さまのエネルギーを閉ざしてしまうそうです。

フーチの揺れが、きれいに、大きく丸くなれば、神さまのエネルギーをいっぱい受け取れる。
おいしいコーヒーが入るわけです。

僕の場合は、縦だったか、横だったかに大きく揺れた。
菩薩界は、その反対に揺れて、丸くはならないんです。

斜め楕円に回る人もいるし、不安定に動く続ける人もいる。いろいろだと聞きました。

天狗でも、菩薩でもない人もいます。

漏斗は開いているけど、漏斗が小さくて、神さまのエネルギーを受け取りきらない。。。

漏斗の大きさ、開き具合・・・

あなたの漏斗の状態はいかに?

神さまのおいしいコーヒー入れてください!

7月 8, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 6日 (水)

自分へと向かう回転力

自分のセンターにいる感覚って、コマのイメージに例えられる。

勢いよく回るコマは、軸がビシッとしていて、バランスよく真っ直ぐに立っているイメージ。

回転力があって、ブレない。。。

しかし、次第に回転力を失っていくと、次第に揺れ始め、
回転力が落ちるに従い、だんだんと揺れは大きくなって、
最後には、軸が乱れて転んでしまう。。。


回転力があっても、位置が定まらないときは、軸が傾いているので、
バランスを修正しようとして、回転しながら移動していく。

一所(ひとところ)にいられないのだ・・・

人生をコマに例えるなら、まさにそういうことだろう。

自分のセンターにいないとき、自分自身、自分の本質へと向かう力が弱いとき、
自分というコマの回転数が落ちているのに等しい。

するととたんにブレだすものだ。

人生をうまく生きるには、自分はどうしたいのかを明確にすることだ。

自分はどうしたいのかがよく定まっていない、わからないと、
他人や自分の身の回りの環境に影響されてしまいがちだ。

そうなると、本来自分がやりたいこと、こうありたいことを思いにくくなり、
結果的に、ストレスになって、満たされない思いが蓄積され、抑圧される。

そうして、自分の感情や行動は、無意識的なのだけれど、
そのストレス、エネルギーを解放させるところにばかり意識が集中して、
本来自分が生きるべき人生を生きることが難しくなるのだ。

自分の可能性を自ら閉ざしてしまうことになる。

自分の軸を明確にすること。
自分はどうしたいのかをいつも瞑想すれば、自ずと、明確になっていく。

瞑想するというのは、別段、蓮華座で瞑想することばかりではない。
意識を自己に向けるということが大切だと言うこと。

そうすることで、次第に、自分というコマは回転力を取り戻し、
自分という軸が立ってくる。そこに求心力が発生し、それに引かれて、
自分に本当に必要なものがやってくるのだ。

3.11というのは、大地が揺れたわけだ・・・

大地が揺れたというのは、自分が立っている大地が揺れたと言うこと。
日本に激震が走った。
多くの人の人生が揺れた。

どんなに、軸がしっかりしていた人も、さすがに揺れただろう。

かく言う僕は、正直言うと、そんなに軸がしっかりしてたわけではない。

回転力はあったと思うけど、それほど強くはない。
そのため、少し傾いて、軸の立ち位置を探しながら、流れていってたのかもしれない。

そんな時、大地が揺れた。

思わず、転んだのかもしれない。思いっきりブレた、ブラされたのかもしれない。

自分でも、何が起こっているのかわからなかった。
ただ、事態に対応する自分がいた。
自分の軸が一瞬見えなくなった。

そして、立ち位置を探している自分がいた。

これまでの自分は、部分的に自らを破壊しながら、基礎固めをして、
その上に、自分の城を築いて来たと思う。

ブロックを高く積み上げてきたという方がいい・・・

あと二つ、三つ積み上げたら完成かもしれないと思ってたけど、
どうもそれがうまく乗らない。

乗せると崩れそうで、乗せられない。

バランスを修正しようにも、どこか見えない。
見た目はそこそこ上手くいってる。

何だろう・・・?

そこで、3.11が起きた。

当然、見事に崩れた。全部じゃない。
しっかりと築いたところは崩れない。

そうか、そうだったんだ。なるほどと理解し、ここから組み直す。

3.11が問題に気づかせてくれた。

そして、また、組み上げる・・・
時間はもう少しかかりそうだけど、ここから組み直すのだ。

よく見てみると、あと三つくらいだと思っていたブロックは、
どうやらもっとたくさん積み上がりそうだ。

人生そうは簡単に上がりにはさせないよということなのか・・・


また、自分のコマがしっかりと回り始めている。
勢いよく回るには、もう少し時間がかかる。

焦らなくていい。

次第に回転を上げながら、もっとも回転を高められる場所に、もう少し流れてみよう。
ここというところに、うまく収まるものだ。
そしてまた、時が来たら揺れ始めるのかもしれない。

また、次のステージが待っているのだろう。
それまでは、いまの自分に向かう。

自分としっかり対話する。
その先に、本来の自分の生きる世界がある。

こうして、そこに戻っていくのだ。
気づきが足りなければ、また、揺れて軸を取り戻す。

回転力を意識して見よう。

回転力が弱まっていると感じたら、ぶれているということ。

回転力が高まるのは、自分が喜びを感じることをすること。
自分を喜ばせてあげること。

僕はいつも、喜びに生きたいと瞑想するのだ。。。


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7月 6, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 1日 (金)

電池が切れると・・・あの世に一時帰還する

誰しもそうだと思うけど・・・

僕は、興味のないことをやってると、すぐに電池が切れます。

そこを踏ん張れる人は尊敬する。

電池が切れるというのは、大体眠くなります。

あっちの世界に戻らないと、この世では持たないんですね。。。笑 

カラータイマーがピコンピコンなって、そういう場合は、あきらめて軽く寝ます。

15分も戻れば、この世に戻って来れます。

こっちの世界で15分でも、あっちの世界ではある意味無限・・・時間なんてないんです。

僕は、忍耐とか好きじゃないので、楽しくできるように考えます。

どうしても楽しくないものはやりません。

でも、基本は、やりたいと思うことしかしない。

そういうときは、あの世とこの世がつながった世界にいるので、電池切れがありません。

とにかく、無理をしないことです。

無理をやめたら、自然な流れがやってきます。

宇宙にあらがうことなく、自分の思いのままに行動してみる。

そこには、いつも宇宙の微笑みがあると信じています。

7月 1, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月29日 (水)

子宮で考える力

今日も朝から草取りの瞑想行・・・ってか、早朝じゃないと暑くてできない。。。

そんな草取りをしながら、いろんなことが思い浮かぶ・・・

ふとやってきたインスピレーション、それは・・・

「女性は子宮で考える」

というメッセージ・・・

そうだ、女性は子宮でものごとを直感的に感じ取っているのだ。。。と

いまの原発問題、放射能汚染の問題も、子宮で考えればあり得ないことばかり。

僕は子宮がないので、想像するしかないけど。。。

一番には、小さな子供を持ったお母さんの我が子を守る思いは、
宇宙が定めた、本能的な思いであり、行動。

そして、子宮には卵子があって、この卵子が傷つくと、
それが生まれてくる子供に影響する。

いまの福島原発の問題も、原発を再稼働させようとする問題も、

その運営者、推進者の中に、マスコミに登場する人々の中には、
女性の存在は、まず、見られない・・・

東電幹部に女性の姿はない。
原子力保安院、原子力安全委員会など、会見に女性の存在もない。。。

あっ、西山審議官。。。女性の存在あったね。。。

表に出てこないところに女性の姿があるのかも知れないけれど・・・
政府でも、目立ったところでは、蓮舫さんくらいのものだ。

そもそも、原子力の世界って、男による、男が考える、男だけの世界って感じがする。

男の子のための、すごいおもちゃなんだろう・・・原発って・・・

そもそも、パワー=力って男の世界。

ものすごいみなぎるパワーを生み出して、配分する。。。もう精力剤の世界か。。。!

狩りに行って、大物を仕留めて、村に持ち帰り、みんなに分け与える。。。

それに近い発想なのかもしれない。。。本能的な。。。

だから、やめられない。。。大物を仕留める快感から抜け出せない。。。

原発の利権に群がるのも、やはりスーパーゼネコンや技術系大手、そして、商社。。。
あまり女性がリーダーを務めたり、女性が幹部で活躍してきた世界ではない、、、

女性が、原子力関係のリーダーならどうだろう。。。今のような状況になっただろうか・・・

子宮で考えるなら、このまま原発を推進できるのだろうか・・・?

政治の世界も、いまの原発問題も、もっともっと、いや、女性中心で考えてみてはどうだろう。。。

NASAは火星への人を送り込む計画をしていて、ずっと研究を続けている。

何しろ、半年から10ヶ月近くかかる距離。
宇宙船の中での乗組員の人間関係が、実はもっとも大きな問題だったりする。

以前、NHKスペシャルで、「女と男」という番組をやってたけど、

数週間だったか、ひと月だったか、宇宙線を模した環境で、男だけで過ごすミッション、
女性だけで過ごすミッション、男女混成チームで過ごすミッションと実験して、

当然かもしれないけれど、混成チームが成功の確率がもっとも高かった。

男性だけでは、権力争いが起こり、ミッション失敗。
女性だけでは、緊急事態に、決断が遅れ、ミッション失敗。

男女混成チームは、バランスよく事態に対処していく。。。

国家的な重要事に、特に女性と子供に大きな影響がある原発問題。。。

もっともっと、女性が中に入り、女性の意見を中に入れて、考えるべき!

男性諸氏、女性の意見をもっと送りだそう!

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6月 29, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月28日 (火)

サーファーズハイ

サーフィンを初めてやったのは、21歳の時。
伊勢の国府でデビュー・・・

何にもわからず、シャープで働いてた頃奈良に住んでて、
海のない奈良にサーフショップがあり、興味があって覗いたのがきっかけ。

その頃は何回行ってもさっぱりだった。。。

岡山に帰って、何度か高知に行ったけど、当時はフェリーに乗って、
高速がないから地道で5、6時間かかった気がする。

28歳で、岡山でもサーフィンをやってる仲間に出会い、
そこから、本格的にサーフィンの世界へ。。。

それからずいぶん経ったけど、、、
今頃になって、本当にサーフィンが楽しいと思う。

ローカルとも仲良くなったり、波を選べるようになって、
自分なりの乗り方やサーフィンの楽しみ方がわかるようになってきた。

サーファーにもいろんなタイプがあり、生き方のスタイルがある。
ガンガンに攻めたいタイプ、
コンディションがハードになればなるほど燃えて、スリルを楽しむタイプ
リラックスして、のんびり楽しみたいタイプ
メローな波で、波との対話を楽しみたいタイプ
サーフィンのスタイリッシュな世界を味わうタイプ
などなど・・・

僕の場合は、波との対話を楽しみたい系かな・・・

波待ちしてるときが一番好きで、
どんなセットが入ってくるかなとか、
今度はこんな風にいけたらいいなとか。。。
遠くにセットが見えて、さあ、来た来た〜と
待ち構える時が一番楽しい。。。

そして、自分だけの波と出会う瞬間があって、
そんな時、なぜか、誰もテイクオフしなかったりする。

そして、最高のポジションで一気に滑り降りながら
深くターンを決めて、リップに向かい、
ビシッってカットバックして、ターンが決まったら最高!

そんなターンを数回繰り返し、
インサイド手前でフィニッシュ。。。。

その間、わずか15秒もないのだ。。。

でも、そんな短い時間の中に、
サーフィンの全てがあって、無限に拡がる宇宙を体感する・・・

サーフィンはドラッグみたいなものかもしれない。

一度、それを体験すると・・・

また、あの時のフィーリングを味わいたくなる・・・

きっと、脳内のエンドルフィンが出るんだろう。。。

ランナーズハイってあるけど。。。

サーファーのそれは、短時間の体験で出るからこそ、
中毒性が強いのかもしれない。。。

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6月 28, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月13日 (月)

田植えの季節

毎年恒例の田植えの季節です。。。

友達の江里子さんの里山の谷間にある小さな田んぼ。

昨年は、苗床をすずめに荒らされ壊滅状態から何とか生き残った苗で、
いつもの8割程度田植え、、、しかし、さらに生育も悪かった上に、
最後は、田んぼへイノシシ乱入で、もうめちゃくちゃ。。。

収穫は激減・・・

自然というものの力を味わった年でした・・・

が、今年は一転!
苗の状態がとてもいい!

とってもしっかり元気な苗が育って、今年は元気に育って欲しいと思いながら・・・

田植えの人手不足なり。。。

結局、例年の半分くらいの人力で、みんなでがんばりました。。。お疲れ様でした!

一昨日は、後半曇りで、雨はやみましたが、昨日は、終日雨。。。

今朝、シャワーを浴びていて、お腹のあたりに二つ、虫さされのようなあとが、、、

昼前にカミさんが庭で叫び声。。。ヒョエー!ひるだぁぁぁ〜・・・

そりゃ昼だわ・・・

いえいえ、ひるって、蛭でした・・・昨日着ていたカッパから小さなヒルがでてきた。。。

ゲゲ。。。それって僕のカッパ・・・

信じられない。。。僕のお腹の虫さされのようなあととは、ヒルに吸われた痕だったんだ・・・

ギモヂワルゥ〜!

江里子さんも腕を吸われていたけど、まさかお腹にどうやって入ったのか・・・

まあ、ヒルに血を吸わせる瀉血療法ってのもあるから、そういうことで。。。

これからは、草刈りが大変な季節。。。
ぜひ、有志の皆さま、ぜひ、手伝ってくださ〜い!
おいしいカレーライス付き!


Photo

苗床から苗をはずし、一本一本苗を分けていきます。
最新の現代農業からすれば、ほとんど古代農法。。。。
手間と時間と体力。。。そして、何よりも精神力!

続けられるのは、お昼にみんなで食べる、
エリコさんのおいしいカレーライスがあるから。。。

Photo_2

こうやって、ひと苗ひと苗、大切に植えていきます。
田んぼは、耕さない農法、不耕起栽培なので、こんな風に草を刈るだけです。
刈った草をかき分けながら、硬い場合は、スプーンなどで穴を開けて植えます。

たくさんのカエルや虫やクモたち、イモリやヘビ、ミミズにヒル、
不思議な生物のオンパレードです。。。


6月 13, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月 4日 (土)

愛を越えて

マザー・テレサは愛を体現した人。

マザーは何しろ有名だから、マザーのことを語ってしまうけど、
人知れず、愛そのものの人もたくさんいる。

マザーは、愛の反対とは何かを問いかけた。

愛の反対。。。多くの人が、憎しみとか、怒りとか答える人もいる。

戦争を例に取れば、破壊的な戦いに対して、怒りや憎しみ、悲しみ、怖れを覚える。
身近な人が殺されたら、殺した相手を憎むだろう、怒りも覚えるだろう。。。
だからといって、愛の反対が憎しみや怒りではない。

マザーは、愛の反対は、無関心だって言ってる。
僕なりにそれはわかる。。。

僕なりの愛の理解・・・それは、僕が思ってる考え方だけど。。。
愛って、接着剤みたいなもんだなって思ってる。

それは、つながりってこと・・・

愛について、よく考えてみて欲しい。
彼氏、彼女の恋愛。子供を愛する。地域を愛する。
全部つながりなんだ。。。

このつながりの力が消えるとき、愛が消えるってこと。

つまり、愛って実は、燃えさかる愛だけが愛じゃない。
愛は、消えるか消えないか。。。ものすごくギリギリまで愛の力って作用してる・・・

最後の最後で愛のエネルギーが希薄になり、フッと愛が見えなくなって、
その関係が終わる。。。

そして、無関心が訪れる。。。

関心がない=無関心

関心って、心を関係づけること、つまり、つながり。
つながりが消える、無くなることが無関心。
怒りや憎しみって、実はまだ愛がある、つながりが、、、
もう、相手のことがどうでもよくなったら、怒りもないし、どうでもよくなる。。。

でも、相手に謝って欲しい、自分の事をわかって欲しいって思いが残ってるから、
相手に期待があって、もしかしたら期待するような関係をもう一度手にできるかも知れない、
自分が’期待するものをもらえるかも知れない・・・なのにもらえないから許せないわけです。

満たしてくれるはずの相手が、自分の思いを満たしてくれない・・・
そこに期待を裏切られた思いが、許せないって気持ちになる。

結局、まだ気持ちがつながってるわけです。
だから、どうしてもそこに期待があって、怒りや憎しみが収まらない。

まだ、接着剤、つながりとしての愛があるから。。。

例えば、カラダってのは、愛でできていると思うわけです。
なぜなら、細胞と細胞は細胞壁でくっついてる。

もし、カラダに、っていうか、この60兆個の細胞をつなぎ止める力がなくなったら、
カラダは崩壊する。。。

このつなぎ止める力こそ愛って事。。。

そう考えると、僕たちは愛の塊なんです。

この4次元の時空間に物質化する力は、本質的にはすべて愛でなりたってる。
本来は、この世界にいること自体、生きてること自体が愛の体現であり、愛に満たされた海に生きる魚のようなもの。
だから、愛が無くなるということは本来無く、愛がない状態になること自体が不可能ということ。

ただ、そういう状態にあることを忘れてしまうこと、忘れてしまっていることはあるんだと。
そういう理解を思い出せば、本来、誰しもが持っている愛そのものを思いだし、表現すればいい。

この僕たちが生きる世界である4次元(たて、よこ、高さで空間ができて、それに時間を加えたら4次元)
愛がないとこの次元時空間自体が存在できなくなるわけです。

ここに意識が加わると5次元で、この意識が加わった5次元とは、
時間は長く感じたり、楽しい時はあっという間に過ぎてしまったりするわけですが、
これこそが意識が4次元空間への認識を変化させるということです。

5次元世界に至ると、愛を越える世界になる。
5次元世界は愛を越えて、もう物質的な世界ではないわけです。

物質に執着しないという感覚、モノを所有しないという感覚も5次元意識に近い。
もの=物質的なところに執着するのは、3次元的な囚われ。
時間が生じて4次元になると、仏陀が無常と言ったように、
時間が経てば、朽ち果てたり、変化していくわけで、物質や人間関係もずっと同じ状態のものなどないわけで、
3次元的なところに執着する必要はないわけです。

そして、いま、僕たちは、4次元的世界から5次元的な世界へと移行しつつあるんだと思ってます。
世の中のそうした世相を見ればよくわかります。

愛がいらない世界ではなく、愛を越えて行く世界へと、時代は変化している。
愛を越える世界とは、自分自身の平和や喜びの世界を体現していくこと。

愛というのは、実はとても人間的で、人間=愛なのかもしれない。
人間は、宇宙の愛を体現する存在で、それ以上の肉体を持たないエネルギー存在は愛を越えた意識存在なのだろうと考える。

彼らにとって、愛というのは特別なものではないから、愛について語ることはないのかもしれない。

彼らがいつも感じ、思うのは、自分が、そこに喜びを感じるかどうか。。。
そこには、罪悪感という感覚もないし、怒りや怖れ、悲しみもない。

ただ、喜びや平和がある。その先に悟りがある。。。

愛は、宇宙からしてみれば究極ではなく、僕たちから見れば悟りがひとつの究極のステージだけど、
僕は、もっとさらにさらに、深い精神意識の領域があると思っている。
それは、人間の知性では理解できないし、表現もできない世界だけど、きっとあると思う。

だけど、そのゴールは、いまの人間である僕たちには、必要のない世界。

いまは、人間として、愛を体現し、表現して、愛を越えて、
喜びを生きる世界へと進化していくのだ。

6月 4, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 3日 (金)

自由は心の中にある

僕は、何が満たされてないんだろうって、時々考える。

ロビンは自由だねって、よく言われるけど、
自由かぁ~って、そんな時、また考える。

僕の日々の暮らしを眺めてみると、
ある意味で、年金生活のカミさんのお父さんと変わらないようにも見える。

なぜ、カミさんのお父さんかっていうと、
僕の両親も、カミさんのお母さんもすでに亡くなっているから・・・

その昔、もう10年近く昔になるけど、僕の会社の経営スタイルは、
僕自身が突撃隊長になって、鬼軍曹が率いる精鋭部隊をイメージして、
会社をやっていた時期があった。

僕自身が、最前線に立って、成果を上げることに快感があったし、
そこでの評価が、僕の喜びであり、全てだったような気がする。

スタッフも10人くらいいて、彼らは僕の足りない手足のような存在だったに違いない。

今から思えば、彼らには、本当に苦労させてしまった。

でも、不思議なもので、当時の彼らは(その大半は会社にいない)
いまでも付き合いがあるし、僕は反省しているけれど、
意外にも、あの頃があったから今の自分があります・・・なんて、言ってくれたりすると
何だか、居心地が悪い・・・笑

結局、その時は、その時で、お互いに必要があったから引き合って、出会うわけで、
必要なプロセスをお互いにやって、磨き合うわけだ・・・

その頃から考えると、今の僕の生き方は180度真逆だ。

生き方が違うから、当然、仕事のスタイル、働き方も違う。

僕は、自分が得意なことしかしないって決めてる。

100%それしかしない。

結果的にそうなってしまった。。。素人が手を出すとろくな事にならない。
そんな失敗を山ほどやった・・・
ある意味で、すごくわがままで、僕ができないこと、やらないことが多いので
カミさんも、スタッフも、きっと、陰で苦労してるんだと思う。

それには、いつも感謝してる。

でも、このやり方が一番いい。。。

それぞれのスタッフにも、無理はさせないし、彼らも無理はしない。
僕の仕事は、方向性を示すこと。
そして、大丈夫?って聞くこと。

大丈夫じゃないときは、どうやったら大丈夫になるか質問して、
僕も一緒に考える。アイデアを出すのは得意だ。

そうすると、その方向で解決できそうだという段になると、
スタッフやチームは自ら動き出す。

彼らは本当によくやってくれる。

僕は、比較的、自由な時間を持っている。
それがとても大切だと思っている。
自由だけれど、やることがいっぱいだ。。。やりたいことか。。。

僕は集中力の弱い人間だとも自覚してる。
だから、何かやっていても、すぐに電池が切れる。

僕には、大きな事業は向かないから、大事業はやらない。
比較的、自由に、のんびりと暮らしながら、社会の臭いをかいでいる。

世界をぼんやりと眺めているから見えてくる予兆がある。

そうした感性は、今の時代、とても大事だと思う。

僕は自由に、好きなようにやってるのは確かだ。
でも、ただ、ぼ~っとしてるわけじゃない。
このように、流れに身を任せて生きる中で、たくさんのシンクロをキャッチする。

シンクロは誰にでもいっぱい起こっているんだけど、
それに気がついていない人が多い。

言ってみれば、高速道路で左に入らなければいけないジャンクションの分岐を見過ごして、
真っ直ぐに行ってしまうようなものだ。
サインは、かなり前から出ていたし、ナビのガイドもあったかもしれない。

シンクロは、宇宙のナビゲーションだから
僕はいつも素直にこれに従うのだ。

時々、あれっ、これっていいの?
って言うような、ちょっと心配になることもあるけど、
もうしばらく行ってみると、あ~なるほどぉ~そう来るかぁ~ってな具合で、
また、新しい人生の局面を見せてくれたりする。

そうした、人生の大切な分岐点を見つめるには、僕は、今のこの生き方が一番あってる。

だから、宇宙は、僕にベストな生き方を当然応援してくれる。

人にはタイプがあって、僕のような生き方をすると、とんでもない人生になってしまう人がいる。
当然だ。。。

人には、その人それぞれのベストな生き方がある。

それぞれのスタイルを見つけられたら、そこに幸せがある。

経済的な繁栄が、その人の生き方かも知れないし、
どこかの企業で、仕事をする方が、才能も発揮でき、人生が豊かになる人もいる。



亡くなった親父は、市役所の公務員だった。

僕が、暴走機関車のような仕事のやり方をしてた頃、
親父は「公務員になってよかった。公務員が一番ええ仕事じゃ」とよく言ってた。

これを聞く僕は、いつも否定的だった。

暴走機関車が、その先のレールを失い、強制的にストップさせられる出来事があって、
生き方も、仕事のやり方も変えようと、模索を始めた頃、親父は亡くなった。
交通事故だった。

いまは、親父の言ってたことがわかる。

親父にとっては、公務員が一番よかった・・・そう思う。

親父が亡くなった時、市役所に親父の荷物を取りに行った。
市役所の親父のデスクに行くと、役所の仲間たちが、

「ああ~、和田さんの自慢の息子さんじゃなぁ」
「お父さんは、いつも息子さんの自慢をされようたよ、ええお父さんじゃったなあ」

そう言われて、驚くと共に、涙が出た。

高校時代から、親父には、ずっと反抗してきて、
ずっとまともに口をきかなかった。

親父とまともに話すようになったのは、親父が亡くなる3年くらい前からだ。
お袋が亡くなって、仕方なくコミュニケーションしていたのだけれど、
僕の生き方が変わるに従い、親父への見方も変わったのだ。

自由って、別に、僕のように生きることが自由じゃない。

僕みたいに、気ままに生きて、そこに不安や焦りを感じる人に、自由はないだろう。

決められたことをする。約束通りやる。
何かを任されることに、安心感や達成感、喜びがある人は、
その中で初めて自由を得る。

週末や日常のランチタイムにこそ、自由の喜びがあったりする。
それでも充分かもしれない。

そうでない人には、さらなる自由を探求すればいい。

僕は、何も心配しない。。。基本的には。
それは、確実に約束された場所に、僕の人生は進んでいると信じているから。

人生は、巨大な豪華客船のようなものだ。

あまりにもでかすぎて、船に乗っていることに気がつかない。

船底の船室から上層デッキに暮らそうと夢見て人生を昇る人もあれば、
デッキのプールサイドで、のんびり生きる人もいる。
船内のエンターテイメントで、ショーを演じる喜びもあれば、
素晴らしいディナーで人々を楽しませる人もいる。
船を安全に航行させることに責任と喜びを感じる人もいる。

人それぞれの人生があるのだ。

どんな人生があろうとも、この巨大な船は、目的地に向かってる。

何をしようがしまいが、必ずそこへ行くようになってる。

時が来たら到着し、また、次の航海に出るのだ。

僕は、船の中で、自分の生き方をおおよそ見つけている。
だから、それを楽しむのだ。

そうして生きることが、船の中の僕の役割。
豪華客船も、クルーだけでは、船は動かない。
楽しんでくれる乗客がいてこそ、提供するサービスがあり、楽しい船旅があるのだ。

みんな、それぞれに役割がある。

それぞれに生きる、生き方がある。

自分らしい人生を生きることにしか、幸せはない・・・

6月 3, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年5月18日 (水)

ホオポノポノのKRさんのボディワーク

いま、コナの友達の家に滞在中。
昨日、ホオポノポノのKR女史のボディワークを受けてきた。
ワイキキからほど近いジャングルのご自宅で。本当にジャングルだった・・・笑 

ホオポノポノを知ってる人は、KRさんのことはご存じだろう。
ご縁あって、彼女のボディワークを受けることができた。

2匹の犬と笑顔で迎えてくれたKRさんは、とてもフレンドリーで、自然体の穏やかな方。
1匹の犬が、マスチフの1歳の子供なんだけど、うちの犬の倍以上あって
じゃれてくるけど危険危険!・・・笑 絡んでくると重い重い!

カミさんも一緒に行って施術していただいたけど、
とても心地よいハワイの伝統的なマッサージだった。

施術中にKRさんといろいろとお話ができて、ホオポノポノについて、
自分なりによく理解することができた。

彼女のボディワークと普通の伝統マッサージの大きな違いは、
彼女の意識が、常にクリーニングを意識していることだ。

ホオポノポノの4つの言葉

ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています

そして、とても効果的なクリーニングの言葉

アイスブルー

これを心の中でマントラのように唱えたり、意識しながら施術する。

もっとも、KRさんの場合、もう、クリーニングが染みこんでいるので、
無意識レベルでクリーニング状態だから、
施術中に会話してても、フォーカスは変わらない。

とっても気さくで優しく、オープンマインド、
イージーゴーイングで、典型的なハワイに暮らす雰囲気の方

出身は、カリフォルニアで、ルーツはユーゴスラビアだそうだけど、
カリフォルニアもそうしたオープンな文化的風土があるから、
そうしたDNAがもともとあるのだろう。

いつも思うことだけど、メディアを通じて知る世界と現実の世界にはギャップもある。

僕もいつも自分をリセットするのだけれど、ついつい特別にものごとも見てしまう。
それは、人間が生きるための、選別、選択、そして、優先順位をつける生存本能に由来する。

KRさんは、3月に岡山に講演に来る予定だったので、
友人が主催する会に参加する予定だった。

しかし、大震災のために、日本での講演会は中止になり、
それで、今回ハワイに来ることになったので、友達を通じてご紹介いただいた。

本も読んで素晴らしかったので、どんな方だろうととても興味深かったのだ。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

僕たちは、自分が知りたい世界、見たい世界だけを勝手に選択して見てる。
現実を前にしても、その人が見たい世界、知りたい世界しか見えないものだ。

その昔、ハワイ島にキャプテン・クックが来たとき、
ハワイの人々は、大きな船に、白い帆、見たこともない白人金髪の
彼らのその容姿や訪れたタイミングなどから、
伝説の神々がやってきたと思い、島を挙げて歓待した。
そして、手厚くもてなして、いろんなものを献上して、クック一行は出発した。

彼らは、その後嵐に遭い、マストが折れ、命からがら船を修理するために戻ってきた。

その姿を見た島の人々は驚き、そこに彼らの真実の姿を見て、
神々ではなかったと理解した彼らは、クック一行に怒りをあらわにして、
ついには、クックたちを殺してしまった。

詳細は正確ではないが、まあ、こんな話だ。

自分が信じている世界でしか、物事を受け入れないし、理解しない。
話がちょっとずれてるようだけど。。。せっかくハワイ島にいるので。。。

KRさんについても、僕の個人的な見え方として、特別な方ではない。

それは、僕はとてもいい意味で言っているわけだけど、
多くの人は、何かを、誰かを、特別のもの、特別の人だと信じたいし、そうあって欲しい。

なぜなら、自分で真実を調べ、真実を知るということは、とても大変なことだったりするわけで、
ブランドがあったり、太鼓判があったり、世間に認められている人だったりすると、
対してなにも調べもせずに、思いこみで、その発言や表現を信じてしまう。

さらに、自分が見たいものしか見ないわけだから、
真実からずれる人は、どんどんずれていくわけだ。

特別であることをうまく利用すれば、お金儲けもうまくできる。
それが悪いわけじゃない。

センス(感性)や好み、個性の問題だ。

常に、真実はどこにあるのかを意識することは、とても大事だと思う。

大切なことは、その人にとって、その人の人生、生のテーマ、
生きる目的にとって真実であるかどうか。

本当は、どのように生きたいのか、どんな人生を送りたいのか、
そのために“生”の全てがある。

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

KRさんを通じて感じたホオポノポノは、なるほど、そうだったのかということ。

これは、あくまでも、僕の個人的な体験、感想だから、そう理解して欲しいけど、
ハワイ伝統のホオポノポノは特別な魔法でも、祈りの方法ではないと思う。

ハワイにまだ西欧の影響がなかった時代。
本土のネイティブアメリカン同様、小さなコミュニティ(共同体)がいくつもあり、
それらが緩やかにまとまって、ハワイで生きる人々がいた。

時に、コミュニティ同士、つまり、小さな部族同士の争いもあった。

コミュニティで生きるには、大切な約束がある。
それは、他人とうまく折り合って、生きていく方法だ。
それが、人生を安全なものとし、楽しく快適にして、豊かにしてくれる。

そこに生まれたのが、ホオポノポノなのだろう。

よく考えてみれば、当たり前のことだ。

他人との意見の違いやトラブルが起きたら、状況を受け入れ、理解して、
まず、謝る→ごめんなさい。

そして、許しを請う→許してください。

許してくれたら、感謝する。→ありがとう。

お互いの共存のために、そして、お互いの思いやりの証に、友愛を表現する。
→愛しています。

こうして、コミュニティは安定して、平和になる。

そういう意味では、ホオポノポノは、コミュニティの中で生きていく上で、大切な知恵と言える。
これが、親から子へ、子から孫へと受け継がれ、伝統的な文化となっていった。

原始的な共同体では、長老や族長が、陽である表の存在なら、
シャーマン(呪術師)が共同体を導く陰の存在だ。

そして、あの世とこの世をつなぐシャーマンは、共同体にとってとても大切な存在。

そんなシャーマンは、スピリットとつながり、祖先とつながって、
共同体を維持するための重要な掟、ルールを文化的な遺産として受け継ぎ、
人々を啓蒙する役目も持っていた。

だから、現在に残るホオポノポノの伝承者は、やはりハワイの伝統の中にある
霊的(スピリチュアル)な存在ということになるのだろう。

特に、ホオポノポノで強調される、クリーニングはとてもいい方法だと思う。

身の回りを清潔に衛生的に保つことは健康の第一条件だし、
体内の毒素を排出すること、不要なものを身につけないこともそうだ。

同様に、心の中の不要なもの、不要な思い、不要な記憶、不要な感情を手放し、
いつも自分らしく快適にいることは、心の健康を保つ上でも基本となる。

KRさんに聞いたけれど、いわゆる、クリーニングと言うことと
クリアリング(浄化)、リリース(手放す)は同じ意味だと。

ホオポノポノでなければいけないのではなく、
大事なことは、不必要なものは、もたないこと。

なぜ、それを必要としているのかを見つめて、
必要ないとわかればすぐに手放す。

モノも、感情も、思いも・・・

僕という人間が、身勝手な人間に見える人もいるかもしれない。

自由な人間に見える人もいるかもしれない。

いろんな見方がある。

その見方は、自分の心を反映している。

それは、あなたが感じる感情すべてだ。

何に喜びを感じ、何に幸せを感じるのか?

何に怖れを抱き、何に怒りやいらだちを覚えるのか?

僕は、いつも自分を見つめることを意識している。。。

Kr


5月 18, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月12日 (木)

本当に必要なものは何?

僕の20代前半はいわゆるバブルだった。

70年の大阪万博で戦後が終わり、本格的な高度経済成長へと向かう。

子供の頃から経済成長の極みを体験した世代。そこにはいつも未来があった。

そして、思春期の80年代、もはや戦後はなく。

社会人となった90年代、一番多感なときに、バブルを経験した。

でも、バブル期、本当の意味で、経済的、物質的な豊かさを享受した人はほんのわずかで、

多くの人々は、確かに、その上澄みを味わい、栄華の雰囲気に酔いしれた。

そして、バブルが崩壊。

2000年になって、まさに2001年9.11で世界は変わった。

2008年サブプライムによる経済クラッシュ、続くリーマンショックで、

100年に一度の未曾有の大不況と言われた。

よく考えてみると、確かに大局的な経済は、大きなダメージを受けた。

でも、何が未曾有だったのか。。。

本当に生活が苦しい局面を迎えた人はどのくらいいたのだろう。

生活の苦しさとは、どの程度のことを言うのだろう。

生きることの苦しさは、人それぞれに価値観が異なるので見方も変わる。

贅を尽くした生活に酔いしれる人で、その豊かさにしがみつく人は、

ほんの少しの損失でも、パニックになるかもしれない。

もともと物質的な価値に囚われていない人は、大きな影響を受けないかも知れない。

結局、僕たちは、いまだバブルの中にいるだろう。幻想と言ってもいいかもしれない。

もともと今日のような経済的な発展は、少し方向が間違っていたと思う。

江戸時代は豊かだったそうだ。鎖国の中で、完全な循環型社会ができていた。

僕たちの心の中に生まれる満たされない欲求を補うために、

自分の外に何かを創り出し、それによって、足りないものを補おうとする。

それは、ちょっとしたニーズ(必要性)から、さらなる欲求に変わり、そして、欲望へと変わる。

欲望は、怖れを原因とする。無ければ困る、無ければ損害を被ることからの怖れだ。

欲望という幻想に取り憑かれ、あることが当たり前になると、ある事への感謝を忘れる。

これまでなんでもなかった豊かさは、いま、こうして、あったのだと思い出す。

ありがたいことを思い出すのだ。

もし、あることへの感謝の気持ちがいつもあるなら、あるだけで幸せだ。

では、いまの生活から何を減らしても、あると感じ、思えるのか?

最後は、生活に必要なものをバックパックにつめて、身軽な人生へと旅立てるのか?

究極的には、肉体をも脱ぎ捨てるのだ。

いま、自分の豊かさの基準を見つめ直す時だろう。

そして、あるということへの感謝をもう一度、自分へ問い直す。

無くてもよかったものって、たくさんある。

あると便利、でもなくてもいいもの。

本当に必要なものは何?

不必要なものは手放そう、不必要な思いを手放し、さなぎを抜け出して、自由へと飛び立とう。

全ては心の中で起こる感情のニーズ。

あなたは、これからどんな選択をするのだろう・・・

5月 12, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 5日 (木)

ベストゲームの創始者 ノリ・ハドルさんのインタビュー

ベストゲームの創始者 ノリ・ハドルさん 
(インタビュー・文:きくち ゆみ)

 日本の環境問題や消費者問題に長く携わっている人の中にはノリ・ハドルさんを知っている人は、かなりいると思う。経済急成長と公害問題の真っ只中の1970年代、彼女は日本に4年間滞在して「夢の島」「希望との旅」「サバイバル││The Best Game on Earth」などの著作を日本語と英語で同時出版した。ノリは、当時の日本の環境運動や消費者運動、平和運動などに少なからぬ影響を与えた人であり、今これらの運動で重要な役割を担っている人たちの中には、彼女と親交がある人も多い。

 日本で彼女を一躍有名にしたのは、その東京での質素な暮らしぶりだった(当時、1ヶ月あたり100ドル程度で生活していたそう。そのうち70ドルが家賃だったので、食費・光熱費・雑費全てを合わせて月30ドル、一日1ドルしか使ってなかった。当時は1ドル=300円だったが、それでも質素な暮らしだ)。文藝春秋に「一日300円の東京生活」という記事が載ると、日本中のあらゆる新聞や雑誌から彼女へのインタビューや原稿依頼が殺到した。日本がアメリカに追いつけ追い越せと驚異的な経済成長を遂げ、大量生産・大量消費文明へとまっしぐらに進むさなかのことだ。
 これらのインタビューや記事の中で、ノリは「どうかアメリカの悪いところは真似しないで。民主主義はいいけれど、大量消費文明はだめです。日本人の中には簡素の美という、シンプルなものを美しいと思う素晴らしい感性があります。これを世界に伝えてください」というメッセージを発しつづけた。しかし、その努力は「大海の中の一滴の水のようだった」と彼女は振り返る。その後日本が向かった進路を変えることはなかった。
 幼い頃から平和な世界の実現を夢見てきたノリは、大学に入るとロシア語を勉強し、「米国の敵」「悪魔」と言われていたソビエト人たちとの交流を始める。やがて、元核兵器エンジニアで、旧ソビエト連邦の国連代表部にいたユリ・アンティポフと出会い、現在ノリが世界中に広めている「ベストゲーム」の着想を得る。ベストゲームにはゴールとルールがある。この夏、このベストゲームの手法と、日本でベストセラーになった「世界がもし100人の村だったら」「バタフライーもし地球が蝶になったら」(7月7日、八月書館発売)の2冊の本を使って、全国10ヶ所でワークショップが開催される。来日を目前にして、彼女の抱負を聞いてみた。

――ノリは日本がベストゲームを成功させるのに、大変重要な(Criticalという言葉を彼女は使う)役割を担っている、っていつも言っているけれど、それはどうしてですか?
「もちろん、どの国の人もそれぞれ大切です。でも、日本人は特に大きな力を発揮できると思っています。日本人はほんの100年前まで、海外からの輸入もなしに、信じられないような完全循環型の持続可能な社会を実現していました。確かにその頃は民主主義はなかったかもしれませんが、すべての資源を大切にし、何もかもリサイクルしていて、しかも高度な文化、高い教育水準なども達成していました。こういう国は他にはありません。その後100年間で、何もかも西洋の真似をして経済・技術大国になりました。アメリカに次ぐ経済大国ということは、それだけ沢山の資源も消費しているということで、環境問題への責任は重大です。
 私は日本人がかつて持っていた、そして今も心の中に持っているはずの簡素さの中に優雅さや美しさを感じることができる感性が、今ほど必要とされているときはない思っています。このことは、私が1970年代に滞在したときにも言いつづけてきたことですが、今でも私が日本人に言いたいことは、ほとんどこれに尽きます。環境のことを考えれば、消費文明が限界にきていることは、明白です。みんながアメリカ人のような暮らしをしたら、地球がいくつあっても足りません。私たちは大きな方向転換をしない限り、人類だけではなくほかの生命も道連れにして、破局へと向かってしまうでしょう。この方向転換の大きな鍵を握っているのが、私は日本人だと思っているのです。」

――それで、この夏、日本でワークショップをやるのですね。
 「そうです。これまで私は英語圏を中心にベストゲームを伝えてきましたが、西洋人に伝えるとき、彼らは哲学としてはベストゲームを理解するのですが、なかなか実際の生活が変わらないのです。頭ではわかっても、体と心でわからない、というか・・。シンプルに生きることがどんなに美しく、優雅であるか、ものを持たないことがどんなに自由であるかを、実体験したことがないと、それは難しいのかもしれません。
 今回、日本では10ヶ所でワークショップを開催しますが、その中でできれば、海外、特に“発展過剰”の国々に出ていって、日本人の持っている簡素美の感性を伝えてもらえる仲間を発見したいと思っています。もちろん、すでにシンプルな暮らしをしている人も歓迎ですが、これからしようとしている人も歓迎です。大きな変化をもたらすことができるのは、むしろ後者でしょう。日本で自給暮らしをしながら、いろいろな活動をしている人―ゆみ、あなたもそうですが―や、ボランティア活動や環境問題などで素晴らしいい活躍をされている人たちを講師に向かえてのワークです。」

――ええ、松本英揮さんのお話は私も楽しみにしています。彼は映写機とスライドを担いで今ヨーロッパ講演旅行をしていますから、さらにパワーアップして戻ってくるでしょう。それから、阪神大震災や地雷撤去などで素晴らしい仕事をされている山田和尚さん、くまの元気広場の中川一郎さん、地球村の上村雄彦さんや小浜由美子さんが、講師として加わってくれる予定です。
 今回は、池田香代子さんがマガジンハウスから出版して、話題になっている「世界がもし100人の村だったら」をテキストに使いますが、それはどうしてですか?
 「あの文章は、インターネットを通じてかなり長い間出回っているもので、私自身あのオリジナルバージョンと思われるものや、いろいろな変化が加えられたものを、何度となくこの何年かの間に受け取っています。それが9-11のテロ事件をきっかけに、また何人もの友人から回ってきました。日本でもそうだったようですね。あれが日本で絵本となってベストセラーになったと聞いたときは、とてもうれしかったです。あのメッセージに共感した人、心を揺さぶられた人がそれだけ沢山いる、ということですからね。
 私はあの統計の数字の中に、人類が向かうべき方向のヒントが隠されていると考えています。そして、効果的に方向を変える力があり、しかもその責任をより多く負っているのが、今一番沢山消費している人たち――つまり、まずは私たちアメリカ人、次いで日本人です。私自身は1970年代と殆ど変わらない生活をしていて、今でも自分の生活に使うお金は年間3000ドル(40万円)を越えることはまずありません。プロジェクトにはもちろん、もっと沢山のお金を使いますが、食費や光熱費など私自身が使うお金は、非常に少ないものです。私は自分の心身の健康に保つことには熱心で、そのために必要なものには投資しますが、それ以外のものには殆どお金を使うことはありません。残念ながら、私の質素な暮らしをうらやましがるアメリカ人は少なくて、多くの人が私のように暮らすには至っていません。でも、9-11以降、アメリカ人はもっと精神的豊かさに目覚めなくてはいけない、とか、今のアメリカが世界中から嫌われるのも当然だ、と発言する人たちが増えてきました。これはいい兆候です。
 日本でこのワークショップをやり、日本人のベストゲームのプレイヤーを見つけて、その人たちと一緒に来年はアメリカで日米合同のワークショップをやりたいです。今回のワークに参加した方から、来年のワークショップの参加者を募る予定です。」

――なるほど、来年はアメリカでやるのですね。それは楽しみだな。今回の日本のワークには、どんな人に特に参加して欲しいですか?
 「興味を持ってくれた人ならどなたでも歓迎です。ただ、ベストゲームのゴールに共感してくれる人、「世界がもし100人の村だったら」を読んで、何かしたい、このままではいけない、と感じた人なら、よりワークショップが有意義になることでしょう。私は、ベストゲームが上手くいくには、ありとあらゆる人――今はこのゴールやルールを聞いたとたんに背を向ける人や、馬鹿にする人なども――が大切なことを知っています。大切じゃない人は一人もいません。ベストゲームのゴールやルールを読んで、違和感を持つひとこそ、新しいヒントや見方をもたらしてくれ、それゆえ、私たちが成長するきっかけを与えてくれる人かもしれません。そういう意味で、どなたでも歓迎します。といっても、ワークショップの定員は100人なので、申し込み順で締め切ることになりますが。でも、今回のワークショップは日本で第1回目、と位置付けていて、これからも毎年継続していくつもりでいます。」

――今回ワークショップのもう一冊のテキストとして使う「バタフライ」について、話してくれますか?
 「この物語は1990年のアースデイに米国で出版されたものです。芋虫がさなぎから蝶に生まれ変わるときに起こっていることを科学的に学んだときに、その変容の仕方があまりにも自分の体験と似ていたので、これを人類の変容に例えてあの物語を書きました。最初に出版したときは、ベストゲームのゴール到達の期限を2000年と定めていたのですが、残念ながら2000年までに大きな変容は起きませんでした。でもその準備はすでに始まっていて、今私がやっていることは――これを読んでいるみなさんも、おそらくそうですが――まさに世界中の新しい考えを持った人たち、新しい生き方を求める人たちを、どんどんつないでいるのです。平和で持続可能な社会を創ろうとしている人たちを国境を越えてつなげば、いつか戦争のない世界を実現するのも夢ではないでしょう。
 この本はアメリカでじわじわと売れていましたが、9-11の事件の後、海外からも注文が来て、よく売れるようになりました。これは興味深い現象です。人々の意識は急速に変化してきていて、みんな、誰もが共感できる美しいストーリーを求めているようです。
 今世界中に広く行き渡っているストーリーは、あいつは悪いやつだから、やつが攻めてくる前に殺してしまえ、とか、十分な食べ物や資源がないから、できるだけこの村に沢山ためこもう、それで他の村で誰が死のうと関係ない、というかなり醜い物語です。
 しかし本当は、賢く分配して大切に使えば、資源も食べ物も十分にあるし、悪いやつ、嫌なやつ、というのは、実は自分の影でしかありません。私たちは違いに学び、違いを喜び、違う人や嫌いな人を受け入れて、協力していく術を身につけなくてはいけません。多様であればあるほど、協力したときに強いチームになれることを学ばなくてはなりません。人類というチームが生き残るために――もし、みなさんが本気で生き残ろうとお考えなら――新しい物語が必要です。
 今回出版される日本語版「バタフライーもし地球が蝶になったら」は、オリジナルの「バタフライ」の物語に、日本人の若いアーティストの林良樹&菜穂による新しい絵が描かれ、私とゆみの個人的な変容や奇跡の物語を加えたものです。十分な時間がなかったので出版社が見つからず、ゆみと玄が二人で自費出版することになりましたが、きっと、これでかえってよかったのだと思います。本当にこの物語を理解し、一緒に夢を描きながら行動していく人に、手から手へと渡される本になるでしょう。一緒に協力すれば、ひとりではできないことができるのです」

――ええ、私も本を自分で出版するのは、初めてなのですごく勉強になっています。こんなにお金がかかるのか、とちょっとびっくりもしています。本を作って売って、それで生活をしている方、とくに小さい出版社の方々の苦労がわかり、彼らの地道な仕事振りに改めて尊敬の念を抱くようになりました。私もいろいろな仕事をやってきましたが、自分でプロデュースするのが一番おもしろいですね。ノリには、そんなチャンスを与えてもらって、本当に感謝しています。
 「とんでもない。ゆみと玄が破産しないように、この夏日本にいったら、一生懸命宣伝しますからね」

――はい、よろしくお願いします。どうもありがとうございました。         ●

■ノリ・ハドル プロフィール
二〇一二年までに世界中に平和・健康・豊かさ・公正を実現することをゴールとした「ベストゲーム」の考案者・創始者。米国のNPO「新安全保障センター」プレジデント。人類社会の変革を描いた大人の絵本「バタフライ」(日本語版は7月7日発売予定)は九月一一日の事件以降、米国で静かなブームとなっている。7カ国語を話し、世界中に友人がいる。軍備による安全保障ではなく、真摯な外交によるグローバル安全保障を提唱し、日本がその重要な役割を担うことを確信している。 
■英語URL:http://www.bestgame.org

原文はこちらから引用→http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae113-yumi.html

5月 5, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月28日 (木)

新しい世界へ

宇宙はいつも完璧なんだなって感じています。

出来事は、完全にシンクロしていて、身の回りの事象も、地球規模の事象も、

そして、宇宙も完璧にギアがかみ合って動いてる。

そうとしか、考えられないようなことばかり。

非科学的だという見方もあるけれど、
科学は、新たな発見により、世界観が変われば簡単にひっくり返ってしまうもの。

でも、僕たちの生きるこの世界では、不思議だけれど、
現実的に起こっている事がたくさんある。

多くの人は、その事実を見ようとしない。

今の人生に多少問題があっても、経験したことのない人生を選択する苦痛の方が大きいようです。

新しい世界を創造する人々は、海から陸に上がろうとする両生類のようなもの。

魚から見れば、快適な海で楽しんでいる方がいいのかもしれない。

でも、その海の水が、もう無くなりつつあるとしたら・・・どうしますか?

4月 28, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月22日 (金)

特別と普通

何か特別なことをしなければ、世界に貢献できないと思い込んで生きてきました。

でも、普通に生きているということは、それだけで宇宙に大きな貢献をしていることだと気づきました。

そして、普通に生きることがとても難しいことだと言うこともわかりました。

仏教では中道を生きることを大切にします。

でも、一本のロープを渡る綱渡りは曲芸です。

特別なことをする方が簡単なのかもしれない。

だから、センターについて、いつも考えるのです。。。

4月 22, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月21日 (木)

時代は、つながり。

時代は、つながり。

言い換えれば“絆”。

いま、僕たちが体験していること。

Facebookもつながり。

インターネットはその象徴。

一所からマスに発信するのではなく、それぞれがつながり、

その中からテキスタイルの模様のように真の情報が紡ぎ出される。

発電も同じ、家庭やコミュニティレベルで発電し、効率よく振り分けられる。

『シェア発電』というのはどう?

昔、お隣さんにお醤油借りたようにね・・・

核家族、孤立した社会からつながりの再創造へ・・・

4月 21, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 3日 (日)

雨ニモマケズ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

4月 3, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

あなたの出番。。。

表現するのが得意な人がいる。表現が苦手な人がいる。一見、何もしていないかのように見えるけれど、実はすごく考えてたりする。動くにはタイミングがある。三年寝太郎のように、動き出すタイミングは必要な時に訪れる。それを待ってていい。。。焦らないで大丈夫!

4月 3, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 1日 (金)

放射能も当たり前。。。。

フジテレビの今夜のニュースジャパンを見ていて、とても違和感を持った。

ニュースジャパンだけではなく、すべてのマスコミのニュース、
その他の情報番組でもそうだ。

特に、今日のニュースジャパンでは、炉心溶融の可能性について
どうも、炉心が溶融している可能性があるとして、
炉心が溶けた模型を示し、さらに、冷却ができなくなった場合、

溶けた燃料棒はどうなるのか?
原子炉からどのように溶け出すのかを解説していた。

そして、「次のニュースです。。。」

おいおい、ちょっと待って!

どう考えても、燃料棒が溶けている。

つまり、メルトダウンが起こっているということ。
ただ、大量の水によって、なんとか維持しているということだ。

何が一番異常なのか・・・

それは、いま起こっている事が異常事態だと言うこと。。。

以前であれば、原発で、ちょっとでも事故があれば大騒ぎになっていた。

いまはどうだろう・・・

大量の放射性物質が大気中に、そして、海へ流れ出ているというのに・・・

情報を少しずつ出すことによって、いまでは、多くの人が情報に慣らされてしまっている。

確実に、これまではありえなかった放射性物質が降り注いでいるというのに、

基準値以下であれば大丈夫というイメージに変わっている・・・

これが一番恐ろしい。

今後、天気予報で、「今日は南西の風が強く、放射線量が強いでしょう・・・」

まるで、紫外線や洗濯指数を表現するように。。。

放射線量が普通のこととして伝えられ、

「あっ、今日はマスクしようかな・・・」

「あなた、今日は、放射線強いから、あまり営業でないで、気をつけてね。。。」

「裕太、今日は、お外で遊ぶのはだめよ。放射線強いから。。。」

そんな家族の会話が出てきそうだ。。。

人間の慣れというものは、恐ろしい。

それを知って、メディアでマインドコントロールしていることも恐ろしい。

メディアの影響力については、ものすごく研究されていて、
こういう時は、巧みにそのノウハウが駆使され、パニックを起こさせず、

次第に、放射能になれさせていく。。。それが一番気をつけなければいけない。

原発は、安全だというのも、プロパガンタであり、マインドコントロール・・・

人間は、痛みを避けて、快楽を得る。。。が心理と行動の基本。

痛みを避けること、それは、真実を知ること。そして、安全だと自分自身に自己催眠をかけていく。。。

事実は何なのか。。。

本当の真実を知り、それに自分なりにどういう考えを持って、対処していくのか・・・

いま、その選択が試されている。

違和感を持つこと。違和感を感じる感性を鈍らせないこと・・・

とても大事なことのように思う。

それがウソでも、繰り返されると、真実に聞こえるようになるのだ。。。

本当の事って何?そういつも問いかけてみよう。。。

4月 1, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年3月24日 (木)

変化は起こっている

何が起こったのか?

何が起こっているのか?

何が変わったのか?

何が変わってないのか?

何を知り、何を知らないのか?

何ができて、何ができないのか?

何をやり、何をしていないのか?

薄いベールを抜けるとき、そのベールを感じるか?

ベールを感じた人のひとりは、変化があったと確認し、新しい世界を生きる。

ベールを感じた人のひとりは、その変化を認識しようとする。

ベールを感じなかった人のひとりは、何が起こったのか、その違和感を感じる。

ベールを感じなかった人のひとりは、今までと変わらぬ人生を送る。

いずれの人にも、変化は起こっている。

3月 24, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

気づきはいつも注がれている。。。

これまでずっと変化していたのだけれど、

ここに来て、僕たち自身が体感するレベルまで、変化が押し寄せている。

変化への気づきは、段階的にやってくる。

自ら変化していこうとする人は、積極的に変化の中の気づきを得ていた。

気づきの芽があった人は、今回の出来事で芽生えたかも知れない。

気づきとは、コップに注ぐ水のようなもの。

コップが一杯になって、溢れたとき、初めてそれに気づく。

気づきは、常に注がれているけれど、

コップが満たされて、溢れなければ、気づかないのだ。

そのコップが何で満たされているかによって、

その人の気づきは異なる。

怒りで満たせば、怒りに気づき、怒りを手放して欲望へと向かう。

悲しみで満たせば、悲しみに気づき、怖れへと向かう。

愛に満たされた人は、喜びへと向かい。

受け入れることを満たされた人は、理解することへと向かう。

気づきは、人それぞれにあり、それぞれに必要な気づきは異なる。

だけれども、人は、その人それぞれの意識的な進化のステージへと向かうのだ。

いま、日本に生きる僕たちは、日本というエネルギーの中にいて、

そのエネルギーフィールドを再認識しているに違いない。

世界も、日本というエネルギーフィールドを改めて認識しただろう。

そして、いまもって、変化は、進行中だ。

それは、これまでさなぎだった僕たちが、蝶になって飛び立つまで続く。

怒りや悲しみ、怖れは、心の重石のようなもの。

飛び立つ準備ができていても、それを手放さなければ、飛び立つことはできない。

新しい世界は、精神の自由を手にすることになる。

意識がすべて。

すべては、意識がどう受け取って、理解し、感情と共に、それらをどう表現するのか・・・

それがさらなる自分の意識を生み出す。

すべては、気づくことから・・・

意識を積極的、ポジティブに向ければ、気づきに満ちた世界に生きていると知る。

Photo


3月 24, 2011 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年3月22日 (火)

モノって何だったのだろう。。。

今回の大震災と津波で、多くのモノが破壊され、流された。。。

想像を絶する強大な力の前に、なすすべもなく。。。

そもそもモノとは何か?

エックハルト・トールは、著書ニューアースでこう語る。

『多くの人は、モノに対する強迫的な先入観に生活の大部分を支配されている。

だから、モノの増殖が現代の病弊のひとつになる。

自分を生き生きとした生命体として感じられなくなると、

人はモノで人生を満たそうとする。

スピリチュアルな実践として自分を振り返り、モノの世界との関係、

とくに「私の(my)」という言葉を付されるモノとの関係を見直してみることをお勧めする。

例えば、自尊心が所有物と結びついているかどうかを判断するには、

注意深くて、正直でなければならない。

あるモノをもっているというだけで、なんとなく自分が重要人物だとか、

優れた人間だと感じないか?

何かが欠けていると、たくさん所有している人に劣等感を感じないか?

他人の目や他人の目を通じて自分自身に映る自分の価値を引き上げるために、

さりげなく自分の所有物をほのめかしたり、見せびらかしたりはしないか?

誰かがあなたより多く持っているとき、

あるいはあなたの大事なものをなくしたときに恨みや怒りを感じ、

自分が小さくなったように感じることはないか?』

あなたにとって、モノの意味とは何なのかを見つめ直す時なのだと思う。

3月 22, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

春を生きる

春は来ないかと思った・・・

絶望的な未来も思い描いた・・・

ポジティブフィールドを拡げるといいながら、

どうしてもネガティブフィールドへと意識がいってしまい、

時折、意識的にをポジティブフィールドへと意識を傾ける必要があった。

原発がもっとも危機的になった15日、16日、17日。

覚悟を決めた。

春の来ない世界でも、生き抜こうと。

テレビの向こう側で起こっている悲惨な世界を見ながら、

震災の被害もない僕が、覚悟を決めた。

なんて甘い覚悟だろうとも思った。

すごい胸騒ぎだった。

睡眠不足もあったのかもしれないけれど、

意識がぼ〜っとして、ハートのチャクラ以上が閉じていた気がする。

ある段階から、まったくそんな気がしなくなった。

その時に気づいた。奇跡がいま起こっている。

奇跡は、いつも起こっている。

世界は、奇跡の連続なのだろう。

奇跡は、その人にとって、その出来事への関わり、重要度によって、意味合いが違う。

どんな奇跡が起こっても、その人にとって、関心の薄いことなら奇跡の重要性は少ない。

たとえ、それがどんな奇跡であろうとも。

世界は、見る人にとっての見える世界でしかない。

テレビの向こうの被災者にできる支援を考え、できることを行動しながら、

安全な場所で覚悟を決めた僕は、いま、奇跡の意味を考えている。

罪悪感を持つ必要は無い。すべては運命づけられている。

必然、必要で、すべてが起こっているのだ。

被災地から届く笑顔、生きようとする力強いエネルギー、たくましさ、絆、つながり・・・

悲しんでなんかいられない。生きる。生き抜く。力の限り。

そんな積極的な意識が、意識を変え、世界を変える。

意識を向けることの大切さ。

それは、祈りだ。

そして、それとつながること。

愛を傾けること。

意識が変われば、自分の世界は変わる。

意識がこれまで以上に、自分の世界に深く影響する世界へと、

僕たちのステージは移りつつあるのだと思う。

春は来るのではなく、春を生きると言うこと・・・

3月 22, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月21日 (月)

世界は変わった・・・

世界は等比級数的に変化し続けてきた。

1つが2つに、2つが4つに、4つが8つに・・・

32が64に、64が128に・・・

512が1024に・・・

まるで、細胞分裂が進むように、そして、ある段階まで行くと、
誰にでもわかるような急激な変化として、目に見えるかたちとなって現れてくる。

世界に何かが起こっているのではない。

それは、ずっとずっと以前から起こってきたこと。

お湯を沸かすのに、最初の何分かは、見た目の反応はない。

しばらくすると、気泡が現れて、どんどん気泡が増え始め、
そして、ぐらぐらと沸騰し始める。

そして、水は、お湯となって、一部は、蒸気になって気体となる。

いま、世界は、お湯のように沸騰し始めている。
いや、沸騰しているのだろう。

意識の拡張された人たちは、蒸気のように気体となって自由になる。

3月11日世界は変わった。

もう、過去の世界には戻らない。

新しい世界は、世界をどのように認識するかで、得られる世界は変わるのだ。


悲劇的世界、絶望的世界、もうダメかも知れない、未来はないと見るのか・・・


確かに出来事は起こった。でも、その事実は変わらない。
苦しい、悲しい、辛い。その現実はある。
でも、ここに命がある。生きている。
命があれば、未来を創造することができる。
そして、世界が、多くの人々が応援し、祈っている。
僕たちは、一人ではないのだ。
そこに、大きな希望の光が輝いている・・・そうみるのか。。。


30歳の時に、突然母親を亡くした。原因不明の突然死だった。
35歳の時、父親を亡くした。高速道路の対面通行で、トラックがセンターラインを割り込んで正面衝突。

身近な人の死は、耐え難いほど辛い。

母親の死の際、二度とこのような辛さは味わいたくないと思った。
それでも、父親が逝くことになった。

人間は、生きている。だから、死ぬのだ。

生と死は、ひとつ。

悲しみは、いつか癒える。癒さなければいけない。

なぜなら、あなたの人生を幸せなものとするのは、あなた自身の役目だから。

悲しみの中に生きるのではない。喜びの中に生きるのだ。

生とは喜び。

いまという現実をどのように捉えて、
どのような未来を創造していくのか・・・

絶望を生きたい人は、絶望の未来へ

喜びを生きたい人は、喜びの世界へ

未来を創るのは、あなたの意志だ。

すべてはあなたの意識の中にある・・・

あなたが描く世界が、あなたの現実になるのだ。。。

3月 21, 2011 心と体 | | コメント (4) | トラックバック (0)

怖れから離れる

いま、大切な事。

ネガティブフィールドを拡げないこと。。。

マインドが現実を創造する。

不安を感じる情報から離れよう。

あなたに必要な事実だけを受け取ろう。

怖れを味わう必要は無い。

災害支援は自分ができることをやる。

自分ができる以上のことは何も無い。

そして、罪悪感を感じることはなく、自分の喜びに生きていい。

あなたの喜びが、あなたの未来を創造する・・・

3月 21, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月19日 (土)

生きる力

被災者に勇気づけられる自分がいる

東北の人々の力に元気をもらっている自分がいる

一瞬のうちに何もかもを失った無数の人々、そして、子供たち

その中でひたむきに生きる人々

その生命力、力強さに、パワーをもらっている

聞こえてくるのは、悲劇的な現状のレポート

でも、そこには残されたあらゆるものをかき集めて

生き抜こうとする力がそこにある

足りないものは無数にある

それはこれからも続くだろう

それでも、その人生を受け入れて生きていく

考えても仕方がない

事態に呆然としていても仕方がない

未来に向かって、歩き出すしかないんだ

希望という光を頼りに


そしていま、命を省みず、最前線で危機に向かって立ち向かっている勇者たちがいる

彼らの意志と勇気、行動する力に、心から愛と感謝りたい

なぜ、あなた方はそんな勇気があるのか?

僕は自分に問いかける

命を差し出せるのか?

あなた方の勇気に、力をもらっている

被災してもない僕が。。。

それでも、僕には、できることがある

できることをしよう

みんなできることをやっている

それが、僕たちの使命

そして、何より大切なのは、生きること

いま、一番大切なのは、新しい世界を生きること

例え、それがどんな世界でも・・・

生き抜こう、創造しよう、仲間たちと

もともとひとつだった仲間たちと

世界が見守っている

宇宙が見守っている

日本だからできること

日本だから世界に伝えられること

3月 19, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日輪に祈ろう!

ここ数日、毎日日輪が見られる!

太陽が、赤ちゃんのような地上の太陽・・・原発に、
頑張れと精一杯のエネルギーを届けているのかもしれない・・・

福島原発に、これまでいっぱいエネルギーを送ってくれたこと、

それを気にもかけずに、好き放題やってきたことに、
許してくださいとお願いし、ごめんなさいと謝ろう。

そして、僕たちを助けてくれたことに、ありがとう!と感謝し、

愛していますと愛の光を送ろう!

これまでの感謝のエネルギーをいっぱい送り返そう!

きっと宇宙は驚くような方法で、奇跡を見せてくれる!

それは、僕たちが全てに命があって、すべては生きていて、
つながっているんだって、ちゃんと理解できたときに起こる!

ウランも、セシウムも、プルトニウムも意識を持った生命体なんだ!

愛しているよ!

父なる太陽へ、ありがとう!

S


3月 19, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月18日 (金)

ワイルド・チャイルド

瞳を閉じたままで

立ち止まり 耳を澄まして

命を感じるのよ

失うものなどないわ

わけなど要らない

日々をなすがままに過ごしましょう

雨は降り続くままに

あなたの周りの あらゆる場所に

すぐに通じるようになさい

一日をめぐらせて

わけなど要らないわ

雨は降るままにまかせましょう

今日を生きること

うまく過ごすのは大変よね

だって一日とはまるで 腕白な子供みたいだから

充実した時を過ごすのよ

さまざまな迷いの中から

日々あなたは気づくはず

あらゆるものが うまく廻っていることを

わけなど要らないわ

日々を流れいくままに 過ごしましょう

夏の眩しい陽射し

冬の黄昏どき

春が訪れる喜び

秋の落葉の光景

わけなど要らないわ

全てを自然に 流れいくままに過ごして行きましょう

今日を生きることを

うまく過ごすのは大変よね

だって一日とはまるで 腕白な子供みたいだから

今日を生きること 

そうね一日とはまるで 腕白な子供みたいだから


3月 18, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月17日 (木)

すべてを抱きしめよう!

友達のハーモニアリンクの名合礼歩さんから届いた
愛溢れるチェーンメールです。

埼玉県の花みとんさんからいただいた個人メッセージです。
花みとんさんの娘さんは不思議な力をもっておられます。


今、ママがしなくてはいけないのは、心を平静に保つこと。
 それができればできるほど、ママの世界は平和に向かう。

・祈りはどんなものでも届く。
  原発や被災地を抱きしめるイメージを持ってもいい。

・原発もプルトニウムも意識を持っている。
 アクセスしてみると崇高な意識を持っているのがわかる。
 プルトニウムは地下に眠っていた時から自分のさだめを知っていた。
 そしてずっと働いている。
 
 この仕事をなるべく人的被害の少ない形で終焉させようと
 今も懸命に働いている。

・そしてそれを、日本中と世界、地球と宇宙からのたくさんの
 祈りや救援活動の善意のエネルギーがバックアップしている。

・そのバックアップを得てこの悲しみの後にたくさんの奇跡が起きる。

・今も奇跡は起こり続けている。
 やがてそれは人々にわかる形で表面に出てくる。

ここ数日話していたことです。

゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜


これまで署名活動・反対運動などはほとんど意味がないことを知っていました。

しかし、今なら全国の原発さんに完全に休んでもらうことができるかもしれません。

【今、休んでももらわなくていつ休んでもえるか】

その通りだと思います。

全国の原発さんはこれまでよく働いてくれました。

本当によく働いてくれてありがとう。と、
ねぎらいの言葉をかけてゆっくり休んでもらいましょう。

3月 17, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本人であることに、そして、地球人であることに、あらめて誇りを!

伝説のホテルを実現するべく、着実に事業を進めている、

友人のつるちゃんこと、レジェンドホテル代表の鶴岡秀子さんの
メールマガジンから抜粋しました!


新聞等で一部引用されましたが、
 「The New York Times」にこんなエッセイが掲載されました。

 「悲しみ」「不安」を少し癒し、「希望」「自信」につながる、
 日本への共感に満ちたメッセージです。

 ◆Sympathy for Japan, and Admiration

 日本へのいたわり、そして称賛

 痛ましい地震のその後、我々は日本の人々と思いを共にしている。
 これは日本で記録された最悪の地震である。しかし、私が本紙の東京
 事務局長として日本に住んでいた1995年の阪神大震災(6千人の犠牲
 者を出し、30万人の人々が家を失った)において報道した経験を思い
 起こすと、私はこう付け足さなくてはならない。

 「今後数日、数週間の日本を見ていよう。
          私たちはきっと何かを学ぶだろう」

 日本の政府が特に地震をうまくコントロールしている、というのでは
 ない。政府は1995年の震災においては救助活動の管理を完全に誤り、
 他国から送られてきた薬や救助犬を取り上げて、その名を汚すことと
 なったのである。
 気も狂わんばかりの最初の数日間、人々はまだ瓦礫の下で生きていた
 のであるが、政府の無能によって不必要に死んだ人たちがいたのであ
 る。

 しかし日本の人々自身の忍耐力、冷静さ、そして秩序は、実にみごと
 であった。日本でよく使われる言葉に「我慢」というものがある。英
 語にはぴたりと当てはまるような訳はないのだが、言うならば
 "toughing it out."(耐え抜く)と同じような意味である。そしてこ
 れが神戸の人々が実際に行ったことであった。畏敬の念を抱くほどの、
 勇気と協調性、共通目的を持って。

 日本の秩序と礼儀正しさに、私はしばしば感動していたが、神戸の震
 災後ほど、それに感動したことはない。神戸空港のほぼ全体が破壊さ
 れ、街中の商店のガラスが割れていた。私は略奪や、救援物資をめぐ
 る乱暴な押し合いへし合いなどの場面を街中探し回った。ようやく、
 2人組の男に強盗に入られたという店主に出会い満足したところで、い
 くぶん芝居がかったふうにこのように尋ねた。

 「同じ日本人が、自然災害を利用して犯罪に走るということについて、
 驚きはありますか?」店主は驚いたように「誰が日本人だと言ったの
 だ。外国人だったよ」と答えたのである。

 日本にも貧しい人々はいる。しかし他の国々と比べると、極端に貧し
 い人々はほとんどいないし、非常に高い共通の目的意識を持っている。
 中流階級が非常に多く、実業界の成功者であっても、儲け過ぎている
 と思われることを伝統的に恥じる傾向がある。そのような共通目的意
 識は、日本社会の構造の一部であり、自然災害や危機の後では、特に
 顕著に表れるのである。

 これについてはあまり良く言い過ぎてもいけない。日本の礼儀正しさ
 の裏には、学校や職場におけるいじめや、不法行為によって利益を得
 るやくざ、政治家と実業家の癒着といった問題が存在する。しかし神
 戸の地震の直後、やくざまでもが被災者に食料などを配るためにカウ
 ンターを設置していたのは、衝撃的であった。そして日本の社会構造
 は決して壊れることはなかった。かすり傷ひとつ負わなかったのであ
 る。

 日本人のこういった冷静さは、日本語の中に組み込まれているといえる。
 人々は「仕方がない」と言うのが常であり、他の人にかける言葉として
 最も多いのが「頑張ってください」―耐え抜け、強くなれ―という言葉
 である。そして自然災害は「運命」の一部と考えられている。16世紀の
 日本を訪れたイエズス会の者による、古い記述を読んだのを思い出す。
 地震が村を破壊したその数時間後には、農民たちは自分の家を建て直し
 始めたというのである。

 忍耐強く、周りと協調して立ち直ろうとする精神は、日本人に深く根付
 いている。
 私はしばらく長男を日本の学校に通わせたことがあるが、幼い子供たち
 が真冬でさえ半ズボンで学校に行かされている光景を忘れることができ
 ない。気骨をつくるというのがその考えであったようだが、単に風邪を
 ひかせるだけだと私は思っていた。しかしそれは「我慢」を徐々に教え
 込むためのまたひとつの努力だったのである。

 そして「我慢」こそが、日本が第二次世界大戦から立ち直り、バブル崩
 壊後の「失われた10年」を耐え抜くことを可能にしたのである。いやむ
 しろ、日本人はもっと不平を言ったほうがいいのかもしれない。そうす
 ればおそらく、政治家はもっと答えてくれるだろう。

 自然との関係性については、もうひとつの要素が関連している可能性が
 ある。アメリカ人は、自分たちを自然と対立した存在として考え、自然
 を飼いならそうとする。対照的に日本人は、人間は自然の一部であり、
 それに身をまかせるものと考える。そしてその自然は、たくさんの地震
 をもたらしてきた。

 1923年の関東大震災は、10万人もの命を奪っている。日本語の「自然」
 という言葉は、たった100年と少し前にできた新しい言葉である。なぜ
 なら、そのような概念をわざわざ表現する必要が、伝統的に無かった
 からである。神戸の震災の後の本紙エッセイに、私が同じようなことに
 ついて書き、日本の最も偉大な俳人、松尾芭蕉の句で締めくくっている
 ものがある。

    「憂き節や竹の子となる人の果て」

 日本の回復力と不屈の精神に、私は気高さや勇気を見出している。
 そしてまもなく世界は、それを目の当たりにするだろう。これはまた、
 綿密に編まれた日本の社会組織、その強さと回復力が、輝きを放つとき
 でもある。
 私は日本の人々は必ず力を合わせてくれると信じている。その姿は、
 分裂と口論と私利私欲にまみれたアメリカの政治の現状とは対照的であ
 ると言っていい。

 私たちには、日本から学ぶことがある。私たちの思いは日本に向かって
 いる。痛ましいこの地震に深い同情と、そしてまた、心からの称賛を表
 したい。

 By NICHOLAS KRISTOF
 (訳:英語塾 田畑翔子)

 原文:「The New York Times」ホームページ
 http://nyti.ms/gQXVsT

3月 17, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月16日 (水)

何ができるのだろう・・・

僕は、震災の翌日ソウルに行きました。
震災の当日、ソウル行きは取りやめにしようと思っていました。

しかし、岡山にいるのも、ソウルにいるのも、情報を集めるくらいしかできないと判断し、
ひとまず、ソウルでの予定をこなすために行きました。

岡山からソウルの距離は、東京との距離と大差はありません。
いざとなれば、すぐに帰れます。岡山からは、直行便です。

結果、予定以外は、ホテルにこもって、テレビとネットでずっと状況を見守っていました。

ソウルで会った友人たちは、みんな心配していました。
海外の友人も、フェイスブックなどで、すぐに心配のメッセージをもらいました。

みんな、日本のために祈ってる。応援してると力強い言葉をかけてくれました。

僕自身が被災しているわけではないのに。。。

今回の震災は、日本中の人々に大きなショックを与えています。
そして、ショックのみならず、現実に、大きな爪痕を残し、
現在も、進行中の出来事です。

東北の被災地からは、遠く離れた岡山にいて、今すぐできることは何か、
ソウルで考えていました。

まず、第一に、祈ること。
そして、恐怖と悲しみ、不安というネガティブなエネルギーフィールドが拡がる中で、

生きること、生き抜くこと、生きる力を取り戻し、
ポジティブに、愛と勇気を拡げていくことが大事だと思いました。

そのためには、一番に、気づいた人から、
恐怖、悲しみ、不安という自分の中のエネルギーを気持ちを切り替えて、
力強く生きていく方向へと向かって行かなければいけません。

それが、命があるという意味です。

そして、次にできることは、お金です。
物資ももちろん役立ちますが、物資を送るために、流通がマヒしています。

個人個人で送るよりも、緊急時には、まず、義援金を寄付し、速やかにそのお金で、
メーカーや小売店など、物流倉庫から、自衛隊なり、依頼された運送会社が
ダイレクトに物資を輸送する方迅速です。

お金は、いくらあってもじゃまにはなりません。

正直、ソウルにいて、何もできない自分に、いらだちも覚えました。
今すぐに、被災地に行って、できることをしたい!

そう思った方も多くおられるでしょうし、実際に行動された方も多いでしょう。
でも、素人が下手に被災地に乗り込むことにより混乱を拡大することもあります。

僕が、ソウルにいたのには、意味があったのだなと、帰ってきてあらためて思いました。

今回の震災は、単なる震災ではないと思っています。

これまでの変化が、より目に見える形で現れてきたということです。

つまり、この出来事は、大きな変化への始まりと言うことです。

そういう意味では、事態に対処しつつも、僕たちは、ある種の覚悟が必要だと言うことです。

覚悟というと、不安を抱く人もいるかも知れませんが、

覚悟は、実は、決めてしまえば楽になります。

決めるまでが大変です。だから、早く決めてしまった方がいいです。

何の覚悟なのか、それは、皆さんそれぞれにあると思います。

人生のテーマは、誰一人として、同じ人はいません。

ただ、これからの人生に覚悟を決めると言うことです。

その時に、絶対に、不安や怖れに対処するのではなく、

どんな出来事も受け入れて、それをも生きる力にして飲み込んでいくくらいの
ダイナミックな思いが大切です。

何があっても大丈夫だ!
絶対に大丈夫だ!

ということです。


いますぐ何ができるかと、手をこまねいている自分にいらだちをもつ人や、
自分にも何かできないかと浮き足立つ方も多いかもしれませんが、

できることをやればいいと思います。

その気持ちがまず、何よりも多くの方々の助けとなります。

そして、これからの長丁場では、やることがいっぱいあるでしょうし、
何ができるかは、

緊急性のあるもの
短期的に必要なもの
中期的に必要なもの
長期的なもの

となるでしょう。

どこで、どのように協力しようとも、被災者のためになりますし、
日本のため、世界のためになって行きます。

明日、夜7時から

東北関東大震災に向けての緊急アクション
岡山クエストカフェ 特別ミーティング(ゆんたく)

として、みんなでできること、個人でできることについて、
みんなで話し合い、アイデアを出すミーティングを行います。

Ustreamでも、ミーティングの様子を公開する予定になっていますので、
お越しになれない方も、ぜひ、Ustreamでご参加して、
ツイッターやメールにてご意見いただければと思います。

UstreamのURLはこちらです。

東日本大震災に向けての緊急アクション
岡山クエストカフェ 特別ミーティング(ゆんたく)

http://www.ustream.tv/channel/クエストカフェ-東北関東大震災-緊急対策ミーティング


また、岡山での会場は、こちらです。
会場は、僕の会社のオフィスのオープンスペースですので、
20人〜25人くらいがいっぱいかと思いますが、

お近くの方で、関心のある方はお越しください。

また、ご関心のある方は、ぜひ、Ustreamでご意見ください。

尚、ミーティングでは、自発的に役割を引き受けていただける方や
ご自身の専門性を活かして、ご意見をいただいたり、
具体的な活動を協力していただける方がいれば幸いです。

何よりも、これからの新しい世界に、人々がオープンマインドで、
広くつながり合って、ポジティブに、愛を拡げていくことができれば幸いです。

ぜひ、ご一緒にできることをしていきましょう。


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東日本大震災に向けての緊急アクション
岡山クエストカフェ 特別ミーティング(ゆんたく)
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さて、3月17日(木)に予定していたクエストカフェ・トークセッションですが、
今回の災害を受けて内容を延期し、内容を変更して、被災者の方々に対して、
いますぐできることみんなで話し合う「ゆんたく」(ミーティング、話し合い)を
開催したいと思います。

みんなで力を合わせてできることをするために、いろんな立場からの意見、
いろんなアイデア、いろんな可能性について、皆さんと話し合えればと思います。

被災地から比較的距離のある岡山では、現地の状況について、
本当にリアルな現状を認識することは、なかなかできないかもしれません。

僕たちが岡山にいることは、実は深い意味があるのでしょう。
冷静に、落ち着いて、いますぐできること、これからどうすべきかを話し合えればと思います。

また、いま、何が起こっているのか、今後どういう可能性があるのかも、
僕が感じていることをお伝えできればと思います。

いま、一番大事なことは、恐怖や悲しみといったネガティブフィールドを
これ以上拡げないようにすることです。

不必要な怖れは抱く必要がありません。

気持ちを入れ替えて、心を強く持って、今に対処し、
ポジティブなエネルギーを拡げていきたいと思います。

ぜひ、ご参加ください。


アンパンマンのマーチは、元気が出ます!
すごく深い歌です!
みんなで、アンパンマンのマーチを歌ってください!


アンパンマンのマーチ
http://www.youtube.com/watch?v=BUGh-7Y5kZA


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東日本大震災に向けての緊急アクション
クエストカフェ 特別ミーティング(ゆんたく)
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3月17日(木)19:00 to 22:00 ※この間に自由にご参加ください。

会場:株式会社マイルストーンデザイン〈オープンスペース〉
   〒701-0221 岡山市南区藤田367 TEL : 086-296-0025
    アクセス: http://tinyurl.com/yejn8c9

※UstreamのアクセスURL
http://www.ustream.tv/channel/クエストカフェ-東北関東大震災-緊急対策ミーティング

お問い合せ:086-296-0988 和田、今井

参加費は必要ありません。
ぜひ、東北関東大震災への義援金を、
各自の判断で信頼できる団体にお送りください。

ご参加をお待ちしています。

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ソウルのミョンドンで、日本人の若者が、韓国の人々に応援のメッセージをもらって、
写真を取り、ネットにアップする活動をしていました!
多くの韓国人が協力をしていました!
素晴らしい活動でした!


Photo


3月 16, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 4日 (金)

魂のアプリ

多くの人が同じような体験をしていると思います。

最近特に思うのですが、文章を書いたり、人前で話すときに、
言葉が次々に溢れだして、何の努力もなく表現できるときがあります。

話していることは、流れていくのであまりよく覚えていないのですが、

話しているときに「あ~いま、何かすごくいいこと言ってるなあ~メモ取っときたいなあ・・・」

などと思うことがあったり、と、取れるときは取ることもありますが。。。

話した後に、聞いた人からすごく腑に落ちたなど言われると
あ~そんなことを自分は話したのか~と、実は驚いていたり・・・

文章もそうですが、書いて読み返したら「ん?誰だこれ書いたの・・・」と

自分で書いたとは思えないいいこと書いてあったりします。

自画自賛ですが。。。。笑

思うに、実は、これ自分で書いてない気がします。

何となく書きたくなったときや伝えたいというエネルギーが高まったとき、
自分がニュートラルなときに、特にそういうことは起こるし、

自分の内なる声にフォーカスして、スゥーっと深まっていく感覚があるときに、

このような表現が生まれる気がします。

これは、誰にでも起こっていることだと思いますが、気がついていないことも多いかも知れません。

そのような言葉、文章、話には、自我を感じることが無く、

慈愛に満ちた表現となっていることもあって、

僕自身、とても恥ずかしく感じることもあります・・・時折、自分とのギャップ故に・・・

僕は思うのですが、誰しも、その人をサポートする守護霊や天使がいて、

必要に応じて、その時々のエネルギー存在のサポートがあると思うのです。

また、時には、そのエネルギー存在が表現したい場合もあります。

ならば、もっと彼らの協力をお願いしようと。。。

せっかくサポートがあるんだったら、もっと活用したいと思いませんか?

彼らは、それが望みでサポートしているんです。

彼らは、きっと喜ぶと思います。

もちろん、感謝と共に。。。

そこで思いました。。。

彼らには、ちょっと失礼な表現かもしれないですが、

「魂のアプリ」・・・笑


iPhoneやアンドロイドのようなスマートフォンに欠かせない、アプリです。

必要に応じて、機能を拡張する。

まあ、無数のアプリから、自由に選ぶことはできないかもしれませんが、

いま、あなたに必要なエネルギーをお願いしてみるといいかもしれません。

いまのあなたにとって、本当に必要なことなら、
きっと、あなたに最高のサポートが届けられると思います・・・

3月 4, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月26日 (土)

深海魚2

以前も紹介したサイトですが、

The Deep

http://www.press.uchicago.edu/books/nouvian/index.html


今日は、阿佐ヶ谷でのクエストカフェでしたが、
ここでも、深海魚のお話をしました。

何の会やねん。。。笑

クジラについても同じようなことを思っていたのですが、
それは何かというと、


例えば、この深海魚くん。。。


何とか魚の姿で泳いでいますが、こうやって、撮影のために光を当てるから、
姿が見えますが、通常は、光の届かない真っ暗な世界に住んでます。

こういう魚は、もしかすると、すごく深い瞑想状態に等しい世界にいるのではないかと考えるのです。

物質的な存在でありながら、実は、精神的な意識世界に生きている方が、
圧倒的に多く、物質的な感覚では生きていないと思うのです。

過酷な物質的な領域に、在ることで必要な深海魚くんの魂のニーズがあるのだと思うのです。

でも、瞑想という言葉は、魚にはちょっと合わないと思います。

というのも、魚には、自我がないからです。

ともあれ、深海で生きる深海魚くんたちはとっても興味深いです!

ギョギョッ!!Shale_p52_72


2月 26, 2011 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年2月23日 (水)

信じるということ

一昨日のサーフィンで、どうやらウニを踏んでいたようで。。。

今頃になって痛いがゆい。。。

右足、薬指の下辺り、7カ所くらい、、、でも、深くはないので、大丈夫。。。

上がった後に、どうも、痛いし、穴が空いてると思ったんで、
ウニかなと思ったけれど、とげが見えなかったので、そうは思わなかった。。。

いまは、赤紫になってる。。。

浅いので、放っておけば、次第に溶けてなくなるそうなので、
ここ数日我慢するしかない。。。。


さて、信じるということの大切さをふと思ったのです。

うちの会社は、スタッフと共に、外部のスタッフもチームとして一緒にやるのがほとんどです。

クライアントもいろいろなタイプの会社があるので、

適材適所、やはり、その会社にあったベストな組み合わせで望みたいのです。

デザイナーやライターも、カメラマンも、個性があります。

特に、デザイナーはどういうタッチが得意かで、苦手な表現になるととたんに
いつものセンスがでなくなったりします。

オールマイティなデザイナーもいますが、仕事がいっぱいでお願いできなかったりします。

社内のデザイナーも得意、不得意があります。

それぞれに振り分けて、何よりも、クライアントのための仕事なので
何がベストかを考えるのです。

仕事をスタッフにお願いするときに、僕が会社をやり始めていた、
18年程前からの10年間近くは、なかなか部下を信じることができずに、

手直しをしたり、何度もやり直させたりしていました。

もちろん、品質が必要な基準に到達していないので、クライアントには、見せられないから当然なのですが、

そもそも、信じていなかったような気がします。

期待していなかったというのか。。。

最後は、僕が直せばいいやくらいに思っていたと思います。

自分が何でもできるという慢心から、同時に、君たちにはできないだろうという見くだした思いがあったのです。

若いデザイナー、経験の少ないデザイナーが、最速で上達し、優れた表現者になるには、
何よりも、量稽古が大事です。

デザイナーに限らず、なんでも、ある一定のレベルに達するには、量稽古がものをいいます。

信じるというのは、そこを信じてあげると言うことです。

必ずできる。この一歩を前に出れば、また、ゴールに近づくんだ。。。

そう信じて、一歩一歩前に進む。

その上で、自社の品質に合わせて、対応していくという姿勢です。

それは、スタッフだけでなく、実は、自分自身にも言えるのです。

自分を信じてないから、諦めたり、モチベーションが下がります。

すべては、プロセスの中にあって、真実のゴールは、永遠の先にあります。

どんなに優れた芸術も、未完の大作なのです。

極めれば先があります。

でも、表現者が制作をやめた時点で、表現者がこれで完成だといった時点で、作品は、止まってしまうだけです。

人間は、年を取って、老いていくわけですが、

肉体的には、筋力も落ち、肌もしわになって、だんだんと活力が落ちていくようですが、

それが、終焉に向かっているのではありません。

今度は、内なるものが、磨かれていきます。

いよいよ、内なるものを見つめて行かざるを得なくなっていくのです。

信じると言うことは、他人ではなく、まず、自分を信じること。

だから、他人を信じることができる。

すべては永遠のプロセスの中にいる仲間。
魂の成長を見守って行くしかないのだと思うのです。。。

2月 23, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月21日 (月)

サーフィンGO! GO!

今日は、今年初のサーフィンに、仲間と一緒に高知に行ってきました。

高知と言っても、ずっと南、中村です。

よく行くポイントの平野ビーチは波が大きいものの、コンディションがよくなく、

さらに南下して、土佐清水市の布という漁港の前にある、
ロック。。。海底が石、岩のポイントです。

そちらに移動。。。

朝イチは、波があまりなくて、

さらに、奥の方に、狩津というポイントがあり、
バッチリのコンディションだったので、さっそく入りました。

さすがに、ここまで南に来ると、今日、全国的に温かかったと思いますが、
春のような暖かさでした。

水温も、思ったよりも冷たくなくて、すぐに慣れてまったく問題なく・・・

ロックは、ポイントブレイクで、波が崩れる場所が、ほとんど決まっているので、
アウトに出る時も、ほとんど波をかぶらずに出て行くことができます。

波も、そこそこのサイズで、かなり楽しめました。

潮が引いて、波の状態も悪くなってきたので、
布に移動。。。

逆に、こちらが、すごくいいコンディションになってて。。。

再び、入って楽しめました。

でも、さすがに、3ヶ月も行ってなかったので、身体がぜんぜんできてなくて、
せっかくのいい波も、身体がついていかず、残念ながら6割程度。。。

それでも、いい波にあたってよかった〜!

今年も、時間があるときは、できるだけいっぱい行きたいなと。。。

あらためて、海と仲間とサーフィンと。。。いい一日になりました!

2月 21, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月17日 (木)

愛が満ちるとき

僕たちの理解できるもっとも大きな宇宙原理とは、

「すべては、ひとつ」だってことです。

今日の岡山でのクエストカフェのテーマは「愛の源泉」なんですが、

"愛とは→結び" なんですね。

それは、結ぶ力、ひとつになろうとする力です。

その反対は分離です。

愛はすべてを受け入れて、ひとつになろうとします。

または、愛は、全体そのものといえるので、分離があれば、それはひとつに戻ろうとしている。

そもそも、愛とは、水の中に泳ぐ魚の水そのもののようなものです。

愛を否定しても、愛そのものの中にいる僕たちは、愛の一部でしかなく、
同時に、愛そのものでもあるのです。

そして、もうひとつの大きな原理は、すべては意味があって、縁があるって事です。

でも、この原理は、その意味を理解するには、とても複雑なものもあります。
あまりに大きな流れの中では、それがどこに向かっているかわかりません。
流れていることすらわからないということです。

川の流れや海岸線の潮流の流れはわかっても、
海流の流れや地球が宇宙を移動していることは体感できません。

だから、僕たちが運ばれているということに気がつかない。

気がつかないものは、認識しようがないので、背景で何が動いているか知るよしもないのです。

1つ前のブログで書いた、三層構造ですが、
これは、ボディ・マインド・スピリットなわけです。

目の前に起こる現象、出来事、僕たちの行動に対するリアクション、
僕も含めて、ごくごく普通の人が、普通に生きている領域、
それがボディ領域であり、物質的な領域です。

起こる出来事には、それが起こる背景があって、そして、その現象が起こっている意味があります。

本質的には、その意味が生み出すエネルギーを味わうために、
その背景を生みだし、行動や物質的な現象を創造していくのです。


深い領域からのエネルギーは、ほとんどコントロール不能です。

無意識の領域であり、そこからの意図が、勝手に環境を創造していくからです。

自分がクリエイトした環境で、自分が無意識に演じている。そんな感じです。

それを拒絶しようがどうしようが、すべて、自分のクリエイション=創造の産物なのです。

だから、起こる現象は、どうあっても、味わってみる。
それが、僕の基本的な行動原理です。

そうやって、味わっていると、本来不必要なものは味わう必要がなくなって、
楽し、楽しの出来事しか創造しなくなります。

深い領域からのエネルギーは、コントロール不能だと言いましたが、
そもそも、エネルギーがクリアなら、コントロールの必要すらないのです。

だって、必要な事しか起こらないから。。。

否定的な出来事が起こる背景には、感情レベルの怖れや怒り、悲しみがあって、それが否定になります。

過去に味わったネガティブな感情パターンを味わうと、二度と味わいたくない。
だから、受け入れたくないわけです。

でも、もともとネガティブなものはなく、愛という”ひとつ”から、エゴ意識が分離しようとすることで、
愛である”ひとつ”を学ぼうとしているのでしょう。


愛の原理は、一見複雑なようで、もっともシンプルな原理のひとつだと思います。


難しくしているのは、愛を受け入れられない思い。
それは、自らが満たされていない欠乏感というマインドが、そのような幻影を見せているのです。
自分であろうとするのは、この世界では大切な事ですが、
本質の世界では、個は分離です。

これからの時代は、個を越えて、分離を越えて、またひとつに戻ろうとしているのです。

ネットも、つながることがコンセプトです。

半分冗談ですが、AKB48のように、いまや団体チーム花盛りです。

個というカリスマの時代ではないのです。

個を越えて、自分を越えて、自他との境界を越えていく・・・

そのように、意識の拡張が自然なかたちになっていくのだと感じています。

すべての人には、しかるべきタイミングがあって、

種も、温度と水が適正な状態になって初めて、発芽に至ります。

その後で、光を浴びるために、双葉が出るんです。

いくら光を与えても、種に必要なのは、温度と水です。

これと同じで、人も、光を受け取る前に、意識の拡張と生きる環境みたいなものが、
適度にマッチしないと、その人に必要な光を受け取る準備ができないものです。

でも、光は常に、いろんな光量であるので、適度な光量がその人それぞれにあるのです。

いま、一斉に発芽しようとする春間近です。

Sedonaneru


2月 17, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月15日 (火)

起こっている出来事とは?

物事は、起こっている事実だけを見るのではなく、

その出来事が起こった背景やその裏側で何が起こっているのかを
同時に見ていかなければ、物事の真実はわからない。

メディアのニュースや情報は、限られたスペース=時間と出口で、
しかも、マジョリティ=多数の人々にわかりやすいように、
薄められた情報が伝えられる。

それだけではなく、情報を伝える側の意図が入る。

つまり、彼らが公正だと思っている、信じている価値観によるフィルターで伝えられるか、
意図的に情報が加工されて、届けられる。

彼らが公正だと信じていても、それは、例えば、日本、例えば、メディア会社の
信念体系の中で、限りなく疑いなくそれを表現していることも多い。

それを、ちょっと聞こえは悪いが、文化的マインドコントロールとでも言おうか。。。

すべての人は、この文化的なマインドコントロールを受けていて、

それが悪いことではなく、どの世界に住んでも必ず、その影響を受ける。

例えば、客船が遭難して、小さな少年が、たった一人、
絶海の孤島に流れ着いて生き長らえることができたとする。

そこで、半野生化しながら生きながらえたとして、

その彼は、人間社会という文化的なマインドコントロールを受けない。

しかし、彼は、ある時は過酷で、ある時は豊かな自然と対峙して、

その環境に適していく中で、文化的マインドコントロールとは異なる、

環境対応という、自然からのマインドコントロールを結果的に受けることになる。

自然は、コントロール、つまり、操作するという恣意的な意図はないけれど、

そのような環境に適応しようとする意味で、身体感覚の深い記憶の中にも
そのような価値観を内的体験としても、育てていくのだ。

話は、飛躍してしまったけれど。。。


いずれにしても、できごとの背景には、表に出ていない、それが起こっている何かがあって

常に、それを同時に見ていくように意識していけば、

表面的な出来事に反応するように、感情を惑わされることが少なくなるだろう。

物事を奥深く見ること=立体的に見ていくこと

どこまで深く見ていけるか、そうすることで、自分自身の行動や思いも、深く見つめられ、

人生を深く生きていくことができるのだ。

Photo


2月 15, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

花が咲くのも、花それぞれ

花と言っても、多種多様な種類の花があって、

色カタチ、香り、生育環境、成長速度、寿命など、そのバリエーションは想像以上だろう。

数日で成長して、花を咲かせる小さな植物もあれば、

何十年、何百年に一度しか咲かないというような花もある。


僕たちが普段生きている世界には、何となくみんなが信じている一般的なものの考え方があって

それを、常識的と言ったりする。

みんな同じ方向を向いていると安心するものだ。

特に、日本人は、同じ方向に向いていると安心する文化習慣がある。

それは、異質なものを排除しようとする傾向にもつながる。

そんな世界では、多種多様な花は咲きにくい。

ある程度決まった範囲の花しか咲くことができないものだ。


でも、実際の世界は、その多様性で成り立っている。

その多様性を受け入れると、国としてのまとまりを維持していくのは、難しいのかもしれない。。。

いまの世界の仕組みは、その多様性を受け入れて、ハッピーに生きていけるようにはできていないのだろう。

その仕組みを受け入れて生きていくには、そのパターンを受け入れていくことができなければならない。

そのパターンに適する人々には、とても快適な環境だ。

マジョリティとマイノリティ。


この世界をうまく生きていけることを成功という。

うまく生きていけば、報酬もたくさん受け取ることもできる。


この世界に適合しないマイノリティの半分は、自分は、適合しない人間だと挫折する。

もう半分は、適合しないことに安心を得たり、独自の世界を構築し、生きていく。

誰の評価もいらない、自分の喜びを求めて、そこに浸る。


マジョリティの中心は、変遷する。

昨日のマジョリティは、今日のマイノリティになるかもしれない。

でも、この時空の世界では、その変遷も、範囲が決まっている。

それを外れたマイノリティに、真実の世界を見据える者がいるかもしれない。


見たこともない美しい花が、世界には存在する。

その花は、人の目に簡単に触れられるような場所では咲かない。

いや、目の前に咲いていても、誰も気づかない。


そして、その花は、何十年に一度、何百年に一度しか咲かないのかもしれない。

だから、その花に触れられる人は幸運だ。

僕は、そんな花を見てみたい。そんな花が世界を変える始まりになるのかもしれない。。。

Flowerflowersrosesflowers_large


2月 15, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月14日 (月)

火と雪

昨日、岡山に戻りました。

今日は、雪が降っています。。。

庭には、どんどん雪が積もっています・・・

明日は、5センチくらい積もるかもしれません・・・

2月3日に、我が家の風物詩。芝焼きをしました。
その後、庭の芝は真っ黒だったのですが、

今日は、一転真っ白です。。。

春のように暖かい日になったと思ったら、真冬のような天気になる。

不思議なものですね。。。


ところで、昨日までの3日間、断食合宿に参加していました。

来週、スピボイにアップする予定ですが、広島大学の町田宗鳳先生をインタビューしました。

その町田先生にお誘いいただき、先生主催の断食に参加したわけです。

何を隠そう、僕は、断食は初めてです。

自己流で、1日半くらいはしたこともあるし、
夜まで食べられなかったとか、人間ドッグで前の夜食べられないとか、ありましたが。。。

でも、やっぱり二日程度の断食は、対してきつくないですね。

柿の葉のお茶もいっぱいいただき、酵素を飲んだり、
野菜ジュースも少しですがいただきました。

体は、正直で、お昼頃や夕方には、やっぱり空腹感がやってきます。

でも、それを越えるとまた、何でもない気分になります。

昨日の断食明けには、大根を煮たものと梅干しをいっぱい食べて
野菜もたくさん食べました。

すると1時間少々で、宿便が出ます。。。

身も心もスッキリでした!

断食したことない方は、お薦めですよ。

2月3日のファイヤーガーデン

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今日のスノーガーデン

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2月 14, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月11日 (金)

変化のサイクル

この世に存在するものは、すべて変化する。

永遠に同じ状態のものは、存在しない。

石や山のように、一見、何も変わらないように見えて、

長い時間をかけて、変化している。

変化は、ただ変わるだけではなくて、ひとつのサイクルをもって変わっていく。


1. 安定 → 2. 不安定 → 3. 混乱 → 4. 秩序 → 1. 安定


というように、変化していく。

そして、安定から不安定へ、不安定から混乱へと変わっていく間に、移行期がある。

ただ、変化するのではなく、変化しながら、スパイラルのごとく成長発展していく。

変化は、成長のために脱がなければならない、殻のようなものだ。


人生の中で、いろんなものごとが変化していく。

変化には、常にサイン=兆候があって、

現代人である僕たちには、なかなか感じられない部分だ。

僕たち人間は、人間が暮らしやすいように、自然に手を加え、

生きる環境を変えてきた。

それは、当然で、人間に備わった創造性故の自然な行為。

でも、それがエゴと結びついたとき、人間に暮らしやすい環境、
楽しみが快楽への欲望と変わり、そこに溺れて、次第に、生きる力を蝕んでいく。

それによって、鈍感になっていくのだ。

人生は、サインに満ちている。

料理人が、いい素材を一瞬にして見分けたり、味を判断する。

金属加工の技術者が、表面をひとなでしただけで、ミクロン単位の荒れを感じ、手直しする。

こうした、専門分野で、その技術を磨き上げた人たちは、

その感性を以上に発達させている。

僕は最近、よく縄文人の話をするけれど、縄文人は、ものすごいエネルギーを持っていたそうだ。

もし、縄文人が、渋谷の交差点に現れたら、

もちろん、いわゆる髪がぼさぼさで、石斧を持った、原始人のような格好なら、
誰もが、注目するだろうけれど、そうではなく・・・

例え、身なりを整えて、現代人に混じって雑踏に立ったとしても、
その圧倒的な存在感、オーラは、驚くべきものになるのではないかと思う。

それは、生命の輝きが、現代人とは異なるから。

彼らには、身近に死があり、生命の危機と隣り合わせに生きていた。
自然そのものと生きて、彼ら自身が、自然と一体になっていた。

そこでは、命のスイッチ、生きる力のスイッチがONになていないと生きていけないから。

五感だけではなく、第六感、第七感、第八感くらいまで、開いていたんじゃないかと思う。

第八感? これは、自然の声、宇宙の声を聞く能力だったかもしれない。。

僕たちには、僕たちなりの、現代の縄文スイッチがあると思う。

生きる力=生命の輝きを取り戻すこと。

僕たち本来の喜びに目覚めることなのだと思うのだ。

感性に磨きをかける。。。


変化を読み取って、その変化を楽しんで行く。

それは、成長の喜びへとつながる。

不安定も混乱もまたよし・・・

変化を自らのものとするのだ・・・

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2月 11, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 8日 (火)

なぜ、怒るのだろう。。。

僕たちは、感情をもっているけれど、

感情を持っているのは、人間だけじゃない。

動物だって感情があるし、植物も感情があるようだ。

植物は、微弱な電気的反応でそれを確認できるようだけれど、
現代の科学的には、それを感情と認めるかどうかは別かも知れない。

感情は、面白いことに、意識と関係があるようだ。

意識は、以下の段階があって、

0. 死
1. 昏睡
2. 知覚がある状態
3. 自我がある状態
4. 観察する自分がある状態

これは、明治大学の蛭川先生によるもの。

面白いことに、魚類、両生類、は虫類は、3の知覚がある状態までで、
自我が無いらしい。
つまり、自分という意識が無いと言うことだ。

自我があるのは、鳥類、ほ乳類で、これらの共通点は、恒温動物ということ。

そして、観察する自分がある状態の意識を持つのは、

チンパンジーやゴリラ以上の、高度な霊長類だそうだ。
もちろん、人間はそうだ。

でも、どうだろう、観察する自分である状態の自分。。。

あなたは、いつもそういう意識状態にありますか?


何かの出来事に、怒りが爆発する。辛い出来事で、悲しい気持ちが収まらない。
自分の欲望のために、私利私欲に走る。

これらは、観察する自分の意識状態から少し離れているかもしれない。

観察する自分が無い状態では、自分を省みることはできないから、
それを期待することは意味がない。

犬は、条件付けでしつけはできるけれど、それは反応を記憶していくだけであって
何かの出来事に対して、反省したり、顧みることはない。

自分を観察しながら、その状況を判断しているわけではない。

でも、人間からすると、さもそのように行動しているように見えることもある。

中には、超常的に、そのような動物もいるかもしれないけれど。。。

さて、感情は、その感情の中にいては、自分がどういう状態かわからない。

だから、観察する自分がある。

興奮する犬は、ひたすら吠え続ける。

アクション映画で、相手を殺そうと最後の一撃を加える直前に、
グッと噛みこらえて、その拳を下げるシーンがよくある。

観察しているのだ。

人間の感情は、怒りや悲しみ、怖れ、受容、喜びなどが、バラバラにあって、

それが、状況に合わせてわき起こってくるのではない。。。

感情には、段階があって、ある意味で団塊とも言える。。。

つまり、ネガティブな感情からポジティブな感情へと解放されていく・・・

ネガティブな感情も、よりネガティブなものから、ゆるいネガティブへと解放されていくのだ。

強固なネガティブ感情は、失意の中の深い悲しみ。。。。

この状態では、周囲の何の支えも響かない。。。

本人が、その深い悲しみを味わい尽くすまで、そこに留まってしまう。

普通の社会生活を送れる人なら、悲しいことがあっても、しばらくすると気分が変わって持ち直す。

でも、悲しみの淵を生きる人は、簡単には浮上しない。
それほど、悲しみがあるのだ、、、

すべての感情は、味わい尽くさないと、解放へと向かわない。

団塊といったのは、塊のようなものだから。

同じ物質が、固体、液体、気体と変化するように、
意識も、固まった意識、ゆるやかな意識、軽い意識と、拡張していく。。。

怒りを十分に味わった人は、それ以上に怒りを表現する人はいない。

お年寄りに、穏やかな人が多いのは、そのためだ。

もちろん、お年寄りでも、怒りまくる人もいる。
そういう人は、怒りから逃げてきた人、ごまかして来た人、抱えきれない怒りがあって、
いつまでも昇華しきれない人など、年を重ねても、怒りを味わい尽くせなかった人と言うことだ。

喜びも同じ。

喜びを味わうことに罪悪感を持っている人もいる。

だから、喜びを表現しなかったり、味わっていない人は、喜びを求める。

喜びを求めるのは、当たり前だと思うかもしれないし、喜びがなくなったらどうなると思うでしょ。

その先には、平和があります。そして、最後には、悟りがあります。

本質的には、悟りは最後ではなくて、さらなる高次の感情レベルがあるけれど、

人間という存在レベルで、そこを感じ取れたり、表現できるのは、悟りまで。。。

だから、その先に何があるのかは、わかりません。。。。

もちろん、僕は、これが悟りだとは、いいにくいけれど、
でも、きっと誰もが悟りを体験したことがあると信じている。

この話は、また今度にするとして、

いずれにしても、感情は、味わい尽くさないと、必ずその感情は、また、現れてくる。

だからといって、怒りにまかせて、火山噴火を繰り返すのではなく、

そこで、観察する。怒りの根源は何か、なぜ、怒っているのか。
怒っている自分を観察する。

感情が起こるのは、過去の体験が響いている。
同じようなシチュエーションが起こったときに、過去、特に幼少期の満たされなかった思いが
再現されているのだ。

そういうところを、しっかりと見つめる。
自分は怒っているということを認めて、受け入れるところから。。。

あ〜長くなった。。。笑

続きは、また今度、、、ブログだからね、、、

自分を観察しました。。。笑

Angertiger


2月 8, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 6日 (日)

永遠の旅の途中

世の中には、完成されたものはない。完成された人もいない。

比較したときに、自分が理想とするかたちに、すでになっているものがあったりする。

自分がそれになっていないと、自分は、できていないと思う。

あの人は、成功してていいなとか、実現=完成してていいなあとか。。。思うのだ。

その人が、先に行っている感じたときに、自分は劣っていると感じたりする。

だから、その人を妬むこともある。おとしめたくなることもある。

でも、その人自身が完成していると思っているかは、その人がどう考えているかだ。

まだ道半ばと思っている人も、ある人から見ると、

あ〜素晴らしいな、完成しているな・・・と見られているかもしれない。

料理は、食べられる状態になっていると、完成だ。

でも、料理にこだわる人にとって、いつも完成=完璧だとは限らない。

焼き物を見てみれば、焼きすぎると焦げてしまう。

適度な焼き加減が、ベストな完成状態だけれど、

その焼き具合に、バランスとしての完成度がある。

人も、年をとったから、完成ではない。

自分が、完成だと思ったところが、ひとまず完成・・・

だから、完成を追いかけると、ある意味できりがない・・・

みんな、究極のゴールに向かっている。

それは、人知を超えたゴールだ。

小さな小舟に乗って、大海にこぎ出したときに、ゴールは未知の世界となる。

永遠を切り取って、その束の間の完成に身を躍らせる。

しかし、真のゴールは、未知の世界。

ならば、その束の間をもっと味わおうと思う。

自分が、どのような状態であれ、みんなと同じプロセス=道半ばの中にいるのだ。

究極の完成を求める余り、目の前の愉しみに気がつかないのはもったいない。

自分のプロセスを信じるなら、そのままで大丈夫。焦ることはない。

何もしないわけではなく、自分が、望む方向へ旅すればいい。

自分が味わいたいことをすればいい。

それがあなたの進路だから・・・

あなたの旅の地図は、あなたの感性の中にある。

インスピレーションこそが、最高のナビゲーション。

未完の中に喜びを見出せば、満足の花が咲く。

すべては、プロセスの中にあるのだ。

地球は、そんな僕たちを乗せて、自らの旅をしている。。。


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2月 6, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 5日 (土)

旅に出よう!

言語によるコミュニケーションは7%程度だといわれる。

ということは、90%以上が、言葉以外でコミュニケーションされているということ。
それは、態度だったり、顔の表情だったり、擬音とか叫びだったり、
ため息だったり。。。臭いなんてのもある。

僕が、シャープでデザイナーとして働いていた頃、21歳くらいかなあ。。。
奈良の工場にいたので、お休みの日には、よく大阪に遊びに。。。
いや、デザインの情報収集に行ってた・・・

当時は、まだ、バブルの最後だったから、
どこもすごく活気づいてた。。。

心斎橋を歩いていると、すれ違いざまに、
かなりきつめの香水が薫る。。。

ポワゾンだ。。。いま、ポワゾンなんてあるのかな・・・?

あの薫りはやばかった。。。きっとフェロモン成分が入ってたんじゃないかな。。。

と、今回もネットで調べることをせず。。。笑

思わずついて行ってしまいたくなるような、悩殺香水だった記憶がある。。。
21歳のウブな僕には。。。。

ん〜・・・ついていったかもしれない。。。笑


え〜っと、そんな話ではなくて、コミュニケーション・・・
味もそうだ、、、

例えば、一緒に、食事をする。。。これも、味なコミュニケーション。

同じものを一緒に食べて、盛りあがる。
おいしいねとか、これは僕は苦手だとか。。。
それは、言葉だけど、そういう場の共有感というものがある。。。

同じ体験をする、同じ夕日を見る、同じ音楽を聴く、ライブを見る。。。
サッカーのワールドカップなんかも、多くの日本人がひとつになったりする。。。

いずれにしても、言葉はなくても、かなりコミュニケーションはできるものだ。。。

世界中、いろいろと旅をしてみて、英語が通じるところは、もう、知らない国に感じない。
日本にいるのと変わらない、何の不自由も感じないのだ。

でも、知らない言語の国に行って、英語がないとさっぱりわからない。

お隣の韓国だって、街中はよその星に来たのかってくらい、ハングルは宇宙文字。。。
もっとも宇宙文字っぽいのは、イスラエルの文字。。。

השפה הישראלית, השפה נראה כמו היקום. אני אכתוב את זה נכון.

訳すと・・・イスラエルの言語は、まるで宇宙語みたいだ。右から書いていくんだね。

そういう言葉がわからない場所に行くと、とたんに、生命力が活性化する。

何とかしなきゃって、生きようとする力が、グンって上がり、
脳みそフル回転で、コミュニケーションしようとする。。。

こういう時に、人は、本来の人になる。

脳みそもフル回転するけど、体の細胞まで、きっと活性化してるはずだ。。。
だから、とにかく、旅はいい。。。知らない環境にいくのはちょっと怖い。

でも、だからこそ、生きる力のスイッチが入る。。。

その時、怖れではなく、好奇心を全開にして、旅の恥はかきすてで行くのだ・・・
だからこそ、得られるものがいっぱいある・・・

もっと旅に出よう。。。

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2月 5, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 4日 (金)

アリとキリギリス

アリとキリギリスのお話は誰もが知っている。

日本人には、特に、この話は響くかも知れない。

キリギリスのように、遊んでばかりいたら、

冬が来たときに、食べ物もなくて、苦しむことになる。

だから、アリはせっせと働くんだ。。。

このもっともらしい寓話は、ある意味で、残念なマインドコントロールでもある。

それは、怖れがベースになっているから。。。

「まずいことになるかもしれない」

「よくない結果をもたらすかもしれない」

だから、事前に行動する。

これは、決して問題ある行動ではないけれど、

ネガティブな動機から行動しているのは、何故か。。。

「問題はないけれど、冬には食べ物が少なくなるから、そのために十分な食料を確保しておく」

という、ニュートラルで、ニーズを満たすために、行動するのはgood。

さらに、冬も楽しく、暮らしたいから、十分な食料を確保していく。。。。

こうなるとSo smart!

でも、あの寓話で、アリはいぶかしげにキリギリスを思うのだ。。。

キリギリスもキリギリスだけどね。。。

いずれにしても、あの中間となる虫は、いないものか。。。

う〜む。。。何だろうコオロギくらいしか、思いつかない・・・

コオロギはどうしてるのかなあ。。。。。

2月 4, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 3日 (木)

カラータイマー

今日は節分&立春です。。。
そして、新月・・・

新月は、願いが叶うそうですから、今日のこの日に、
いっぱい願い事しちゃいましょう!

さて、ふとウルトラマンのことを思ったのですが、
最近のウルトラマンは、どうなのかな。。。?

僕たちの時代のウルトラマンは、地球で戦える時間は3分間しかなかったわけだけど、

いまのウルトラマンは、そんな制約あるのかな?

そもそも、最近は、ウルトラマンシリーズやってんのかな。。。
と、ネットで調べることもせず。。。笑


僕たちは、水の中では呼吸ができない。。。

呼吸はできないけど、息を止めて、3分以上潜っていられる人もいる。

映画で、よく水中シーンがあって、例えば、沈没しかけている船の中とか、
船室から船室へ、潜って移動するとか。。。

どうあっても、あんな芸当は不可能に近い。。。

あのようなシーンの時、なぜか僕は、主人公と一緒に息を止めてしまう。

だから、水中シーンの映画を見るのは、息苦しい。。。


僕は、素潜りが結構得意で、比較的長く潜れると思うけど、

水の中は、水圧や水温、皮膚呼吸できないせいか、
普通に息を止めるよりも、かなり短い。。。

パニックになるとなおさら、息は続かない。。。


僕たちは、この世界にいて、呼吸して生きているけれど、

宇宙の時間から見れば、ウルトラマンの3分間よりも遙かに短い一生だ。

星の瞬きよりも短い。

僕たちが生きている世界は、本当の世界からすると、

息を止めて、素潜りで水中を泳いでいるようなものなのかもしれない。

息が続いているうちは世界は美しく、楽しんでいられるけれど、
息が続かなくなれば、息継ぎしに、水面に顔を出さないといけない。

そして、また、水中を楽しむのだ。

人生は80年という時代。

これからますます、寿命は延びるかも知れない。

それでも、人の一生なんて、星の瞬きよりも短いのだから、

お米一粒一粒を味わうように、

一瞬一瞬も大切に生きて、人生を楽しみたいと思うのです。。。

僕のカラータイマーは、あと1分半も残ってないかも。。。笑

2月 3, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年2月 2日 (水)

深海魚って、僕たちも同じ・・・?

深海には不思議な生き物がいる・・・

深海は、ほとんど光が届かないし、とんでもない水圧がかかっているから、
異様な姿をした生き物ばかりだ。

ある程度の深さまでは、光を集めるために、
どんどん目が巨大化して、赤い魚は、視認性のために赤なんだろうか。。。
(金目鯛大好きなんだけど。。。赤メバルもおいしい・・・)

さらに深くなると、光がほとんど無いので、目が役に立たない。

だから目が退化する。

それでも、彼らは環境に適応して、さまざまな感覚器官を進化させて生きている。

僕たちは、例えば目が見えなくなったり、音が聞こえなくなると不安だ。

それは、本来あるはずの感覚がなくなるから。

でも、そもそも、その見えていたはずのもの、聞こえていたはずのものによって
世界を認識していただけで、それが無くなると、世界を認識できないことの不安であって、

世界は、それだけでなりたっているわけではない。

蛇は、舌先で臭いを感じ、マムシやハブは赤外線を感じる。

人間は、大脳が発達していて、情報処理能力も高いので、
さまざまな情報を扱えるから、視覚や聴覚が使えなくなると混乱するのかも知れない。

もちろん、その代わりの感覚器官がすぐに発達するわけではないので、
さらに進化ともなれば、かなりの時間を要する。

でも、こんな仮説もあり得る。

それは、僕たちは、気がつかないうちに、この何千年かをかけて、

新たな感覚器官を発達させているのかもしれない。

昔の人間にはなかった能力、退化させた能力。。。

今日のように、インターネットによる超高度な情報社会や人類が宇宙で活躍する時代に適応した人類は、遺伝子がそれを予期していたかのように、人知れず進化し、いまというタイミングで、
特殊な感覚器官、能力をもって、この世界に生まれているのかもしれない。

その新しい人類は、いまは、少数派だけれど、
これから静に、数を増し、いつしか人類の主流になっていくのだろう。

それにしても、環境に適応すべく、必要な感覚器官を進化させた深海魚を異様な姿と見るのは、僕たちの常識から見るもので、彼らから見れば、僕たちが異様なはずだ。
(こうやって見てると、深海魚も愛らしく見える)

そもそも、光り輝くこの世界は、彼らには眩しすぎるし、目が退化したものには、光は見えないのだ。

僕たちにとって、宇宙の本質の光とは、これに等しいように思える。

本質の光は、あまりに眩しすぎて、僕たちには見ることができない。。。

僕たちは、あちらの世界からすれば、まだまだ、深海に暮らす生物に等しいのかもしれない。。。

それぞれに、生きるに快適な場所があるということだろう。。。

これ面白いよ・・・

The Deep
http://www.thedeepbook.org/

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2月 2, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月31日 (月)

最近の僕の生きるイメージ

ひらひらと舞い落ちる落ち葉

その落ち葉が、そっと小川に落ちて、静かなせせらぎに乗って流れていく。

時折、せせらぎは、急な流れになったり、

ゆっくりと流れ、落ち葉はよどみにつかまり、

クルクルとその場をまわります。。。

そのうち、流れから抜け出して、

再び、せせらぎへと戻っていきます。

僕は、この落ち葉の小舟に乗って、

楊枝でも加えて、寝っ転がり、空を見上げています。

小川に被さる木々の木漏れ日が美しい・・・

眠くなったら昼寝をして、時々、岸に流れ着いて、

気が向いたら釣りをする・・・

たまには、スリリングな急流もあるかもしれないけど、

それもまたよし・・・

流れに身を任せて生きることは、

すべてを信じて生きること。。。

そんな自分であることを、とても楽しんでいます。。。


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1月 31, 2011 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月27日 (月)

カミーノのメッセージ

旅も半ばに差し掛かった頃、ベロラードという小さな町に着きました。

日曜日だったせいか、町ではマラソン大会が行われ、
カミーノの道を示す矢印どおりに進んでいくのですが、

街中には、各所でコースを示す黄色の帯というかテープが張り巡らされ
それらをくぐって行かなければいけません。

コースに入ると、子供や大人が走ってくるので、
わずかばかりの応援者を気にしながら、コースを横切ります。

途中、テープが、リュックにひっかかったりして、
難儀しましたが。。。笑

町の中心の広場に小さな教会があり、ドアが開いていました。

どんな小さな村、町にも、必ず教会があるので、普通は気にせず通り過ぎるんですが、
なぜか、教会に入りました。

中には、三人くらい、地元の方がいて、お祈りを捧げていました。

最後列の長いすに座って、休憩をとっていたのですが、
何気に、思いつくところがあって、ノートを取り出すと、
どんどん思いが湧き上がり、メッセージとなって、書き始めました。

それが、以下のものです。

------------------------------------------------------------------------

神の声は、特別なものではありません。

あなたは、神の声をこれまで区別していました。

神には段階はなく、そのままですべてなのです。

あなたは、いろいろなものを区別する傾向があります。

時にそれは役立ちますが、本質に近づき、本質を生きようとするあなたにとって、

もう区別は必要のないものとなるでしょう。

神は大きくもあり、小さくもあります。

神の声は、あなた自身の声であり、すべての人の声です。

これからあなたは、あなたの役目に気がついてくるでしょう。

もうあなた自身が気づいていることですが、

それはより明確になってきます。


サンティアゴへの道程は、あなたにとって、少しきついものになっていくかもしれませんが、

無事最後まで終えてください。

私は、再び、あなたに語りかけます。

あなたが空っぽになっていれば、いつでも私の声が聞こえるはずです。

私の声を人々に役立ててください。

でも、決して、私の声を神の声と言わないように。

人々はまだ準備できていません。

あなたが空っぽの時、いつもあることを知ってください。

空っぽの大切さを、多くの人々は思い出していくでしょう。

私は、あなたにとても感謝しています。

あなたは、あなたのままでいい、何も変わる必要はありません。

すべての人がそうです。そのままで完全です。

今は、それだけで十分でしょう。

旅立ちなさい。ありがとう。


------------------------------------------------------------------------

何か、突然、イメージが湧いて、ペンを持ってノートに一気に書きました。

適当にただただ思いつくままだったのですが、

読み返してみると、とても深いメッセージです。。。

空っぽというのが、すごく気に入ってます。

カミーノのメッセージですが、これは・・・・

カミノメッセージ=神のメッセージ ということでしょうかね。。。笑

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12月 27, 2010 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

説明はいらないというパラドックス

論理が嫌い、または、苦手な人がいる。

拒絶反応さえする人がいる。

そういう人は、説明的な話が嫌いなようだ。

大切なことは体験で、説明はいらないという・・・


実はここにパラドックスがある。

説明はいらないといった時点で、そのことを説明しているのだ。


実は、論理が嫌いという人も、言葉を使う以上、必ず、論理の中にいる。

なぜなら、言葉は、文法という論理構造で成り立っているし、

人間は、でたらめな文法や言葉では、話している内容を理解できない。
つまり、論理でしか物事を理解できないような構造になっているから。

でなければ、感じることだ。

感じるというところに、論理はない。

感情が起こることは、論理ではない。

でも、言葉からイマジネーションが拡がって、そこから感じることはできる。

詩や俳句はまさしくそういうものだろう。。。

どのような過程を経て、感じるのか、その感じを、その人の体験として、
言葉で正確に描写することは、現実的に無理な話だ・・・

詩や俳句の解説と詩や俳句そのものは、別ものなのと同じだから。。。


言葉を使う人は、すべからく論理の中に生きている。

もちろん、不毛で、しつこく、くどい説明は必要ないというのは共感できる。
でも、論理が必要ないというのは、その人にとってそうであって、
一般論ではないということだ。。。人それぞれの体験や感じ方、生き方がある。


僕は、論理も好きだし、感じることも好きだ。

言葉にならない感覚を言葉で説明するよりも、できるならば、体験することを薦める。。。


そもそも人間という存在自体が、論理構造なわけだ。。。。

身体は、食べ物を食べて、内蔵の仕組みを経て、栄養を吸収、排泄する。

これ自体が、ひとつのプロセスを経て、分解=理解されるわけだ。


そうでなければ、瞬時に栄養は、満たされる何か他の仕組みが必要だろう。

人間である僕たちは、論理も大切だし、感じることも大事。

その両方で成り立つ存在だから、それを受け入れることから始まる。

いつも思うことだけれど、受け入れられないことがあるのは、

その前に、プライドや受け入れる勇気のエネルギーブロックがある。

そこを自身で癒さない限り、受け入れるというプロセスには至らない。


昨日、無料で番組を見れる、Gyaoで、ナショナルジオグラフィックの番組を見た。

タイムスリップの可能性について・・・

最先端の科学は、ここまできているのかと思うと、驚かされる。

僕たちは、身近にタイムスリップを体験しているという事実。

また、理論的には、タイムスリップが可能な事実など、
興味深いトピックをわかりやすく解説してくれている。

とりわけ、最先端の理論物理学者、カク・ミチオさんの話は、面白い。

ぜひ、見てください。

ナショナルジオグラフィックチャンネル 
サイエンス・ワールド タイムマシーン
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00787/v09415/v0991100000000541686/

12月 23, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年11月28日 (日)

やっぱりシンクロは不思議!

昨日は、スピボイにも登場いただいた、おだっちこと小田氏と、
クエストカフェ初のビジネスセミナーを行いました。

少人数での開催にはなりましたが、結果的に、膝をつき合わせての、
非常に濃密なセミナー。。。!? となりました!

ほとんどグループコンサルティングのような感じで、進むこととなり、
僕たちも、じっくりと皆さんと関われて、とても充実して、楽しかったです。
ご参加の皆さんにも満足いただき、良かったです!

次回も、また、小田氏と一緒にコラボセミナーをやろうと言うことになりましたが、
今度は、また、形態を変えてやりたいと思います。

たぶん、ビジネスという切り口ではなく、生き方そのものに焦点を当てる内容になると思います。

ところで、昨日は、カミさんも来ていたので、
カミさんが行ったことの無かった、新宿三丁目へ二人で飲みに行きました。。。笑

立ち飲みの串焼き屋さんで、まずは一杯と思っていたんですが、
そのうち二杯となり。。。

そうしていると、なんとそこに、僕の会社のクライアントの社長とスタッフの方が来られてビックリ!
カミさんも一度、会っていたので一気に盛りあがりました。

半年くらい、直接会っていなかったのだけど、
久しぶりに、明後日、打ち合わせに行く予定だったのだけれど、
こんなところで会うとは・・・本当に驚き!

シンクロは当たり前というものの、やっぱり不思議なものですね!

11月 28, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年11月22日 (月)

ものに執着しないとは

物質的であるというのは、ものを持つ持たないは関係なく、
そのものに執着があるかどうかだ。

ものを持たない暮らし。
家の中がシンプルで、何にもない暮らし。

それは、ある意味で、ミニマリズムというスタイルとも言える。

もともと日本の文化・伝統にはそういう美学があって、
茶の湯のようなできるだけ質素で、シンプルなものは美しいと感じる感性がある。

でも、本当は愛着を感じるものに囲まれて暮らしたいと思うなら、
それはそれでいいと思う。

愛着なのか、執着なのかは、見極める必要がある。

ものを所有したい、ものを持ちたい時に、
そのものがどういう意味を持っているのか?が大事だ。

自分という存在を強く見せたい、権力があるように見せたい、
お金があるように見せたい、美しく見せたいなど、

そのままの、あるがままの姿ではなく、何某か他者に対して、
自分をより良く見せたいという思いばかりが拡張して、
結局、本来の自分ではない、そのままの自分には自信が無くて、
それを補うためにものによって、物質的なものによって、
自分を拡張して見せたいとするなら、それが意識的にせよ
無意識的にせよ、そうであるならよく考えてみる必要がある。

本来ならば、あるがままの自分でいいはずだ。

ただ、だからといって、おしゃれをしない、
簡素で粗末な住まいに暮らすことがいいということではない。

自分を素直に表現すること、必要以上に飾り立てることは違う。

そもそも、自分という存在は、自分という魂が選んでこの世に生まれてきた。

僕は、そう考えている。

そうならば、ここに存在すること自体が、すでに表現であり、
肉体としての存在は、もっともシンプルな表現形態となっている。

そして、自分が大好きなこと、自分が自分らしく表現することは、
この肉体としての表現の延長線上にあって、その一部と考えてもいいだろう。

ライフスタイルの中で、例えば、住まいやインテリアをどのようにしたいのか、
これも、その延長線上だ。

何を快適と思うのか・・・

湖があって、山があって、花々が咲き乱れる
そんな美しい自然の中が大好きだというなら、

それも、自分の延長線上にあるものだろう。

ファッションやインテリアを自分らしく整え、
自分らしい環境を創ることは、自分らしさの延長線上と言うことだ。

どこからが、過度なのか・・・
何が、本来の自分ではない自分を表現しているのかは、
自分が一番よく知っているはずだろう。

本来、ものへの執着がないというのは、ものを持つ持たないではなく、
ものを持つこと自体ではなく、それへの執着がないと言うこと。

こだわらないとは、
どちらでもいいということだ。

興味がないというのはわかるが、だから嫌い、
持ちたくないと言うこととは違う。

興味がないという事で、否定するとすれば、
そこにエネルギーがあるわけで、
拒否したい思いがあるわけだ。

なぜ、拒否したいのか・・・
そこを見つめてみる必要があるだろう。

あの人は、嫌いだ。
なぜ、嫌いなんだろう。

単に興味がなければ、その存在はどちらでもいい。
目の前にいても、空気みたいなものだろう・・・

自分が愛するものは、他者が見ても愛を感じるものだ。

そこに愛があるかどうかで、ものとの関係、距離を見つめてみてもいいかもしれない。

あなたの身の回りのものに、愛情は注がれていますか?

11月 22, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月15日 (月)

表現すること・・・

何某かの特別なスピリチュアルな能力を持つことと、
意識的な悟りは関係ないようです。

何か特別な感覚や情報を受け取ることができる人は、
ただ、そのような能力が生まれつき備わっていたり、開発されたりする。
それは、臭覚、味覚、触覚など五感で感じ、認識するものと変わらぬ能力のひとつなのでしょう。
いわゆる、シックスセンス・・・

そのような特殊な能力をもっているからといって、
その人が悟りを開いているとか、言動が真理に基づいているとは限らない・・・

よく、カンフー映画にもあるけれど、
武術に長けた人が、武術を武器に、人々を脅かす存在になる話はよくあること。
その能力をどのように扱うかは、別問題。

そういえば、ジャッキー・チェンのベストキッドもそんな感じですね。。。
http://www.bestkid.jp/

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逆に、何の特別な能力を持たない人で、素晴らしい人格、人間性を感じる人も多く、

また、特別な感性を持っていても、決して、それを表に出さない人もいる。

聖人とよばれるような人でも、そうした特別な感性を全く持っていない人もいるのです。

能力は何のためにあるのか・・・

能力は使ってなんぼのものではない。

使うべき時に使う。
使いたいときに、いつでも使える。

そういうものであればいいと思うのです。

それは、元来備わったものでも、努力して獲得したものでもいいわけです。

能力を見せたい人がいます。
そういう自分に気づいていない人もいます。

なぜ、見せたいのでしょうか?

自分の能力を見せたい。。。
私には力がある。こんなものを持っている。
周りにいる人は、その人が持っている能力を知らない。

そう思っている。

だから、その能力を見せて、自分の力を知らしめたい。

その人がそのようにあるのは、その人が見せたいという思いを持っているだけではなく、
周りにいる人も、その人が能力を持っていることを知らない。
持っていると信じていない。関心がないために起こるのです。

Spidernetsmall_2


もし、人々がお互いに全ての人には、何某かの素晴らしい能力を秘めている。
その能力がどんな能力であっても、等しく100%認めてあげるならば、
あなたは素晴らしい能力を秘めていると知るならば、
みんな認められていることを知り、満たされます。

それがどんな能力でもいいのです。

愛とは、そうして何も区別せずに、ありのままに認めることができる力。

自らが満たされている人は、地中深くから蕩々と湧き出す泉のように、
内なる喜びから表現され、それは、誰のためでもなく、
自らの発露として、現れるダンスのようなもの・・・

それは、あまりにも自然で、美しく、喜びに満ちているので、
周りの人々も、それに魅了されるわけです。

本来、すべての表現とは、そのようにあるのが自然です。
それは、相対的、二元論的なものではなく、つまり、対他が存在しなくとも表現される。

自らの喜びとして輝くわけで、太陽のようなもの。
太陽は、地球や私たちの感謝の度合いによって、
その光の加減や温かさを変えることはありません。

何のために、表現するのか・・・

表現とは何か・・・

何かのために表現するのは、何故なのか・・・


少し考える必要がありそうです。


11月 15, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年11月14日 (日)

久しぶりのブログは・・・

ここのところまったくブログを書いてなかったけれど、
それには訳があって、

訳と言うよりも、理由、事情があって、

それは何かというと、書く気がしなかったから・・・

なぜ、ブログを書くのかの理由は、人それぞれで、

こうして、自分の考えや思いなど、メッセージを書くというのは、

表現することなわけです。

何のために表現するかというと、それによって、その表現に対するリアクションを期待する場合と、

自分の内なる思い、エネルギーが、表現せずにはいられなくて外に出てしまうというもの。

内的なエネルギーの発露として、表現があると思うのです。

リアクションを期待するものは、内側にあるのもを引っ張り出す感じで、

表現せずにはいられないのは、内側からわき出てくるもの。

引っ張り出す場合は、井戸が涸れていても、何とかして、水をくみ出そうとするわけです。

方や水が湧いてきて、あふれ出すので、自然なわけです。

僕は全てに於いてそうあるといいなと思います。

無理がない。自分が苦しむことなく、それは自然に起こるわけです。

やりたくないときは、やらなくていい。

やらなければいけない理由ってなんでしょうね?

カミーノを歩いて、何だか変化があったとすれば、そういうことかな?

やりたいことは、どこからくるのか?

やらなければいけないことはなくて、それは、やらずにはいられなくて、

気がついたら、やっている。。。そうしたものが、本来のエネルギーだと思うのです。

だから、ブログも、気が向いたときだけ書く。

それがもしかしたら、すごく連続するかも知れないし、
すごくすごくパワフルなメッセージになるかもしれない。

それは、何がわき起こってくるかによります。

そうした、タイミングが誰にでもあると言うことです。

11月 14, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年8月17日 (火)

高校生セミナーで講演してきました!

高校生のパワーはすごい!&とっても楽しかった〜!

ロミさんこと中野裕弓さんが、主催する高校生セミナー。

毎年夏に小田原で行われ、今回5回目は、小田原から始めて地方、岡山でやることになり、
全国から応募してきた高校生が集まって、3日間の合宿セミナーというかたちで行われるのですが、

協賛企業や個人などのサポートによって運営されているので、
参加する高校生は全て無料です。
OBやボランティアがお手伝いしています。

この高校生セミナーでは、毎年ゲスト講師が招かれていて、
今回は、ゲスト講師でお呼びいただき、
お話させていただきました!

今回の内容は、スピリチュアル一切なしで・・・笑

僕の本業であるブランドづくりやデザインについてのお話を中心に、
創造すること、アイデアについてお話しました。

よく考えたら、本業のことで人前でお話するのは、ほとんどなくて、
とっても楽しかったので、こちらのセミナーもまたやろうかなって思ったり。。。

それにしても、高校生のパワーはすごい!

彼らに、仕事のことをどのように話せばいいか。。。
専門用語をできるだけ少なく、わかりやすく説明する。。。

とてもとても勉強になりました・・・

最初は、まあ、なんとかなるだろうと思いきや、
こちらから質問しても、無反応。。。笑
だんだん、みんなの表情が硬くなっていく。。。

うう〜、やばい。。。

ジョークを交えながらも、滑り・・・
指名すれば答えてくれるも・・・キレ悪く・・・

これは、ちょっと専門的な話になりすぎてるなと、
切り替えて、僕の中学時代くらいから、いまの仕事をするようになった経緯などをお話すると、
だんだん、反応が良くなってきて。。。

やっぱり、彼らにとって、身近な話題でいかないとわかりづらいんだなと・・・
当たり前ながら・・・やりながら学びました。。。

講演の前に、32人の参加者やOB、サポートする方々と一緒にお食事。。。

娘以外の高校生と一緒にご飯を食べる機会はないので、
とっても新鮮で、楽しかったです。

いろんな話が聞けて。。。みんなかわいい!(男子もです!!)

その後、彼らのパワーが炸裂した、チームビルディングのゲームを応援して、
それから、僕のお話でした。。。みんなパワーを使い果たしていたのでしょうか・・・
数人が、うつらうつらしてました。。。まあ、午後2時ですから。。。仕方ないか。。。

終わったあと、みんなでティータイムをしました。

その時、何人かみんなの前に出て、お話を聞いて、とても刺激になった、面白かったという発言あり!

えええ〜マジ!こんなに深く響いてたのか・・・

実は、帰った後で、ロミさんが教えてくれたのですが、
みんな、チョ〜真剣に聞いてくれていたようで。。。。

堅いのは、まじめに、真剣に聞いていたからだそうで。。。うう・・・涙

そうだったのか〜・・・!

ありがとうみんな!・・・涙

最後にみんなで写真を撮って、お別れしました!

実に素晴らしい体験でした!

高校生・・・いいですね!

すごく元気をもらいました!

僕も、またひとつ、シフトした気分です!

ロミさんありがとう!
運営チームのみなさん、OBのみなさん、応援のみなさん、

そして、参加した高校生の皆さん!

本当にありがとうございました〜!

8月 17, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月11日 (水)

ペースを落とすと、違う世界が見える

宇多田ヒカルさんが、アーティスト活動を休止するという。

やめるのではなく、休止して、人間活動に専念するということらしい。

彼女のデビューからこれまでの活躍、活動はとても興味深い。

彼女の天才性だけでなく、彼女が持つ独特の世界観や生き方、ものの見方など、

単なるヒットメーカーではない何かを感じていたけれど、

これまでの活動を休止して、人間活動に専念するということには

さらなる興味をかき立てられた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/宇多田ヒカル

ロックスターという映画がある。

この映画、僕の大好きな映画のひとつ。
マーク・ウォールバーグ主演で、ちょっとコメディ風サクセスストーリーだけれど、
ラストシーンがいい。。。

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id236198/


ある意味で、宇多田ヒカルさんの活動休止に似てるのかな。。。


僕が好きなのがもう一つあって、言えば、いっぱいあるんだけど。。。

ベンジャミン・バトンで、ブラピがどんどん若返りながら成長していく過程で、

20前後くらいの容姿になった頃なのかな?

彼は、妻子?結婚してたっけ?

と離れ、旅に出る。。。子供がいて、自分もどんどん若返り、最後は、子供を二人も面倒を見なければいけなくなる。

だから、彼は彼女の元を去るのだった・・・


そんな彼が、インドか、ネパールかをバックパックで旅しているシーンがあって、

どういうメイクか、特撮技術か・・・

完全に、若いブラピが、好奇心一杯の顔で、旅する姿に、僕の理想の姿をイメージする。

ブラピはどうでもいいけど、、、そのバックパック姿。。。


自由に生きるって、経済的なものは、本当はどうでもいい。


パイレーツ・オブ・カリビアンで、海賊ジャックスパローは、
いつも文無しでも、必要とあらば、お金はついてくる。。。笑

まあ、彼の場合は、盗むわけだけれど。。。拝借か・・・


経済ってもっとスリムになってもいいと思うな。。。

肥大化した欲望がためのいまの世界は、ほんの5%節制するだけで、
相当違う姿に変わると思う。


活動をやめる・・・

一度、立ち止まって、自分を見つめる時間は、必要だよね。。。

8月 11, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年8月 1日 (日)

挑戦することについて

挑戦するというのは、人によって、その挑戦度合いというものが様々だけど

エベレスト登山に挑戦するとか、
ヨットで世界一周とか、
いわゆる冒険的に挑戦するものもあれば、

初めてのサーフィンに挑戦するというのもあるだろうし、

司法試験に挑戦するというのもある。

その人にとって、これまで考えても見なかったことや
ちょっと自分のレベルにはかなわないかもという

やすやすと超えられないところに取り組むことが挑戦と言うこと。。。

人類の挑戦は、留まるところを知らず、

命がけで何かを達成しようという、挑戦者たちも多い。

例えば、命がけで、何かに挑戦する人の動機や価値観、モチベーションはなんだろう。

その行動の背景には何があるんだろう。。。

なぜ、それをやるのか。。。


世界最高峰のエベレストに挑んで、エベレストで命を落とした登山家ジョージ・マロリーは、

「なぜ山に登るのか」と記者に問われ、

「Because,it is there」(そこに山があるから)と答えたのは有名な言葉。。。

このマロリーさんの有名な言葉は、取材陣の質問攻めに答えるのが面倒くさくなって、
その場しのぎに答えたものだったそうですが、

やはり、行動の背景には、彼の価値観を形成した、

親子関係や家族の文化とカルマ、育った地域社会の文化やカルマ、
時代の中での彼の環境があったのだと思います。

彼がこの世に生まれてくるときに、そのような人生のシナリオを描いて来たのもあるでしょう。


こうした冒険者たちは、みんな命が惜しくないのか、
命に関わることは怖くないのかと考える人もいるでしょう。

これも人それぞれで、絶対に死にたくない、死への怖れは常にある。
でも、どうしても挑戦したい・・・その挑戦への思いが、死の恐怖を克服させている・・・
そんな場合もあるし、

死について、怖れは何もない。
それよりも、挑戦することで、いまこの瞬間瞬間の興奮や熱い情熱、エネルギーを感じ、
死と隣り合わせにあるからこそ、その生を思う存分感じるというような感覚もあるでしょう。


登山に関しては、いまは、ウェアを始め、装備がハイテク化して、相当進歩しているので、
その点で、昔に比べるとはるかに登りやすくはなっていると思いますが、

それは、ヨットで世界一周などもそうです。

GPSなどのハイテク機器もあれば、船の性能も違うでしょう。

でも、自然はそんな甘くありません。

人間も装備が良くなれば、また、その先に挑戦したくなります。

ただ、その限界が先に伸びただけで、その限界に挑まない人類ではないのです。


僕の場合は、これは、多くの人がそうなのかもしれませんが、

限界への挑戦は、正直苦手です。

サーフィンでも、オーバーヘッドの波になると、もうめんどくさくなります。
もちろん、波質によるでしょうが・・・

オーバーヘッドでも、フェイスがガッチリきまっていれば、難易度は全然違います。

ただ、何か無理をして挑戦することが好きじゃないんですね。。。

やっぱりなまけものなのでしょうか。。。

自分の心地いいところをいつも探しているようです。

それも挑戦とも言えますが。。。


そんな僕の行動や選択でも、ある人から見ると、スゴイ!って言われたりします。

適当に生きているわけではないけれど、

力を入れるのもどうよって感じで・・・


さら〜っとやりたいんですね。。。

昔は、相当、価値証明な人間だったので。。。そうやって、価値を証明することは、
自分の今回の人生のテーマではないと悟りました。。。

いかに、そうしたやらなければっていう、MUSTなエネルギーを手放すか、
そうやって、手放して、手放して、何もしなくてもいいんだよ〜って

それでも、幸せはあるよ〜って

それでもいいんだよ〜って、

自分を許してあげたい。。。

でも、もし、何かしたくなったら、その時は、やったらいいよ〜って

でも、途中でやめてもいいよ〜って・・・

やるって言ったのにやらない。。。それでもいいじゃないですか。。。

気分で決めたっていい・・・

全部、全部、許せる・・・OKだよ・・・そんな人生になったらいいなって。。。

いつも思うんですよね〜・・・

8月 1, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年7月31日 (土)

相対性って・・・

可愛い女の子と一時間一緒にいると

一分しか経っていないように思える

熱いストーブの上に、一分間座らされたら

どんな一時間よりも長いはずだ

相対性とはそういうものだ

アインシュタイン


結局、ものごとの価値は、それをどのように受け止めるかで決まる。

絶対的な価値は存在しないのだ・・・


7月 31, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月28日 (水)

Dr.パルナサスの鏡とインセプション

昨日、映画インセプションを見に行った。

ストーリーがちょっと複雑で、理解できなくなるところもあったけれど、

後半で、ストーリーが一気につながって、なるほどとわかった。。。

いくつか気になるところがあったけれど・・・

例えば、睡眠剤のようなもので、仲間たちや相手と一緒に睡眠に落ちていくことはわかるけれど

だからといって、どうやって他人の夢に入っていくのかがわからなかったり

言い出せばいろいろとあるけれど、まあ、それを無視してもいいだけ

面白い映画ではあった。

この映画はいろんな見方ができると思うけど

僕にとっては、現実って何?

というのをすごく考えさせられた。。。

これは、マトリックスでも同じで、いわば、

ディカプリオ版のマトリックスで、そのマトリックス空間を自分で創造していくことができ

さらに潜在意識の領域に絡んで、自分の無意識が夢の世界では空間や現れる人物やものとして反映される。

これは、タルコフスキー監督の惑星ソラリスとも通じる。

夢の世界を自由に創造し、コントロールして、構築できれば、

何もかも思うようにできるから、そちらの世界から現実に戻りたくなくなる。

現実世界に失望した人が、刹那的にこの世界を垣間見ると

そこから出たくなくなるのも当然かも知れない。。。

これは、現実世界から逃避したくて、スピリチュアルな世界に足を踏み入れ 妄想と現実の区別がつかなくなるような場合も同じ事。 インセプションでは、自分が現実の世界にいるのか、夢の中にいるのかがわからなくなるときに ある方法を使うのだけれど、思いこみの世界に入り込んでいるのか 客観的に、自分を見つめられるのかどうかはとても重要なことだ。

Dr.パルナサスの鏡も面白かった。

パルナサス博士の鏡の世界では、自分の潜在意識で思っていることが具現化する。

怖れを持っている人は、その怖れを具現化し

愛や喜びを感じている人は、その人なりの喜びの世界を創造する

描かれる世界は異なるけれど、

ある意味でよく似た考え方の映画とも思えた。

いずれにしても、こうした夢の世界と現実の世界。

僕たちが現実と思っている世界は、時間と空間の世界で、
そのための制約があると思っている。

こうした現実は、思いこみだと完全に理解できたら、

この現実世界でも、物質を出現させたり、消したりもできるだろうし、

世界を自分が思うように創造できることがわかると思う。

いま、目の前に拡がっている世界や自分の人生を彩る様々な出来事は、 すべて、あなたが創造しているもの。

あなたの生きる世界は、あなた次第なのだ。

7月 28, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年7月27日 (火)

いつも平和でありたいね

昨日は、高知でサーフィン。

最近時々、日曜の早めに仲間と出て、

中村の居酒屋で飲むのが楽しみです。

何しろ、料理がうまい!

定番は、やっぱり鰹のたたき・・・

新鮮な肉厚のたたきや四万十の川エビ、地元の魚などを肴に

冷たいビールに、地酒は最高です。

中村でも、いくつかよく知っているお店がありますが、

以前、タクシーの運転手さんに教えてもらった「味劇場ちか」というお店が気に入って

足繁く通っています・・・笑

ここの料理人の一人、ヒデちゃんは、ローカルサーファーで
お店で声をかけて友達になった一人です。

ヒデちゃんはとってもおちゃめなサーファーで、とってもピースフルな人物。

奥さんのために自分でシェイプしたという、お手製のピンクのサーフボードで、
奥さんが乗らないからとお気に入り、ハートマーク入りのサーフボードで

見た目とは裏腹に、タフなライドを見せてくれます。

そんなヒデちゃんは、いつもニコニコ。

海の上でも、ニコニコしてて、ローカル仲間でもだれでも、
とっても平和なエネルギーを発しています。

特に、昨日は、10時くらいから、とっても整ったうねりが入りだして、
無風だったために、面も整って、最高のコンディション。

メロウなファンウエイブで、思わず雄叫びが上がる最高のひととき。。。

そこにいたみんなが、素晴らしい平和な時間を味わったのでした。。。

日焼けして真っ黒な・・・僕もか・・・
そして、白い歯でニコニコしてるヒデちゃんの人なつっこい笑顔が印象に残ります。

やっぱり平和が一番だね。。。

Peace of mind

どんな時でも平和を感じていたい。

あらためてそう思うのでした・・・

7月 27, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年7月22日 (木)

すべてはプロセスの中に・・・

生き方にルールはありません。

だけれど、これは正しいのだろうか、間違っているのだろうかと、
苛まれる事も多いでしょう。

正しいか、正しくないかではなく、
それをすることで、楽しいのか、幸せと感じるのかで見ていけば、
自分にとってウソはないわけです。

ルールはないんだから、好き勝手にやればいい。
だけど、その好き勝手によって、誰かを傷つけるのはNGだと思う。

傷つけるつもりはなかったけれど、結果的に、そうなることもある。
それは仕方のないことだと思う。

そんな時は、誠心誠意お詫びをする。
それは自然な事だと思う。

人を傷つけて、楽しいとは感じないはず。
人を傷つけて喜ぶなら、それだけ、自分を傷つけていること。

物事に正しい、正しくないはなく、あるのは、行いをして、その結果があるだけ。

因果応報。

原因と結果。

すべてはプロセスの中にあって、永遠へと続いていく課程でしかない。

その中で何を体験するのか。

その体験から何を得るのか。

それが、魂の糧となる。

そこから、魂は磨かれ、成長する。

誰しも、生まれもって、完全な人はいない。
そんな人は、この世界に生まれてくる必要なんてない。

みんなプロセスの中にいる。

川の上流で、岩と岩がぶつかりあって、
下流に流れ着く頃には、河原の丸い石になるように、

ぶつかりあって、角が取れる。
角のある石は、河原の丸い石を傷つける。

だけれど、そんな石は河原にはない。
必要な場所で、必要な学びがあり、磨かれ方がある。

自分はどんな人間関係にあるのか。
どんな環境に生きているのかを見れば、
上流なのか、中流なのか、下流なのかがわかるはず。

かならず、いつかは角が取れて丸くなり、そして、磨かれながら、
最後は、小さな石となり、砂粒となって、大海へと還っていく・・・

存在とはそんなものだ。

7月 22, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年7月18日 (日)

溶岩パワーで毒だしてきました。。。

昨日、友達のじろうさんと広尾の溶岩ストレッチに行ってきました。

これまた友達のピラティス、ヨガインストラクター、IZUMIさんが指導する日で、

いわゆる、ホットヨガのような感じなのですが、初体験しました。

この場所は、普段、男子禁制のスタジオなんですが、

週に2回だけ、夜10時〜11時のコースのみ男子に解放されたばかり。。。

マグマスタジオというだけあって、

スタジオ内は、灼熱の地獄と化し、地響きや火山が爆発する轟音、

がれきが飛び、火山灰が降り積もり、溶岩が流れ出て、

インストラクターは、ムチと棍棒を持ち鬼かSM嬢かという

とんでもない演出の中で、ゆったりとした、平和な心地よいマインドを養うという・・・


そんなわけはないでしょう〜!!


失礼しました。

マグマスタジオというだけあって、

床は、溶岩のタイルが敷き詰められて、とても暖かく、

結構熱い・・・かな。。。

40度〜45度くらいかな。。。?

そこにバスタオルを敷いて、お水を持って中に入り、

せんせの指導のもと、ストレッチをしていきます。


さすがに、初めてまもなく、ぞうきんを絞るように汗が噴き出してきます。

僕は、ヨガをやってるけど、これほど吹き出すのは、アシュタンガヨガでもここまでいかない。。。笑


これは、体内の老廃物をどんどん出してくれるのは間違いないです。

溶岩は、富士山の溶岩と言うことで、日本最大のパワースポット富士山のマグマのバイブレーションの中、

温められた溶岩は、遠赤外線を発して、体内から温めてくれます。

冷えは万病の元、身体を温めることで、免疫力がとても高まります。


ヨガも、本格的になると思いの外ハードな要素もあるので、

ここなら、運動不足の男子も、快適に、しかも、内側から老廃物のみならず、

不必要なため込んだエネルギーも出せるのではないかな?

身体が温まるので、間接も柔らかくなり、ストレッチもとてもよく効きます。

昨日は男子4人しかいなかったので、もったいないなあと思いました。


とっても快適なスパのような、おしゃれなスタジオなので、

毒の溜まった男すぅぃ〜のみなさん、ぜひ、土曜日の夜10時〜
美人インストラクターのIZUMIせんせのストレッチに参加してみてはどうでしょう〜?

それにしても、ホットヨガのせんせでもある彼女は、
このような暑さの中で、場合によっては、1日に4本もクラスを持つそうで・・・

もっすごい、新陳代謝で、身体いつもスッキリのようです。それはそうだ。。。

老廃物を出しまくった、僕とじろうさんは、1Fにあるカフェに行って、

僕はビール、飲めないじろうさんは、ジュースで乾杯し、

今日一日のおつかれちゃんとなりました。。。


マグマスタジオ インシー insea
http://www.in-sea.jp/

7月 18, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月17日 (土)

ヒキガエルとパラレルワールド

昨日、友達と会食して、駅から代々木のマンションへの帰り道。

いつもの公園の前の道で、男女のカップルがいて、

女の子がしゃがみ込んで、何かを携帯カメラで撮影してたんです。

何だろうと思って、見てみると、なんと、ヒキガエル!

体長15センチ近くはあろうかという、大きなカエルでした。


アスファルトの上を歩いている・・・なぜ?


公園には、木々はあるものの、住宅地の隙間の小さな公園です。

周囲は、コンクリート・・・

どこからやってきたのか・・・?

そして、どこへ行くのか・・・?


不思議に思いながらも、横目に見ながら、マンションに帰りました。

途中、何度も、珍しいから、自分も携帯で写真撮ろうかと考えながら。。。

結局、マンションの玄関で引き返し・・・

再び、公園に戻ってみました・・・

この間、わずか、2分少々だと思います。


しかし、そこにはすでにヒキガエルはいなくて、(あ〜あのとき撮っとけばよかった・・・)

もちろん、カップルもいません。

なんとなく、公園にいた数人の人々も、違う人のようにも思え・・・

何しろ、その場の空気が違う。。。


それで、ふと思ったんです。

パラレルワールド・・・


僕たちは、いくつもの平行世界があって、選択によって、その平行世界のレールを乗り換えている。


平和な意識を持った人は、平和な世界を体験し、

怖れを持った人は、怖れの世界を体験する。


でも、何らかの意識の影響で、コンピューターソフトのバグのように、

突然、別の次元世界を体験したり、垣間見たりすることがあるかもしれません。


普通に歩いていて、突然、時空のポケットのように、

そんな場所に迷い込んだような体験はありませんか?


僕のお友達のNさんは、ワシントンに住んでいたときに、街角を曲がったら、

突然、空気が変わって、人の気配がなく、異様な感じがして、

そのまま歩いていると、31アイスクリームに何人かの人がいて、よく見ると

みんな顔が半魚人だったらしく、気がつけば、街にいる人はみんな半魚人だったようです。

彼女は、慌てて、車を止めてあった元の場所に、急いで戻ったらしいのですが、

その角を曲がると、また、普通の街の様子だったそうです。


不思議な話ですが、僕は、とてもリアリティを感じています。

こうした体験について、お酒のせいや何かの薬だとか、疲れていたとかなんとでも言えます。

でも、大切なのは、こうした体験がどうあれ、本人の体験として起こっていると言うことです。


昨日のヒキガエルも、どうしてあそこにいたのか・・・

あのヒキガエルは、カップルのペットで、路上撮影のために、連れてきていたのだろうか?
これは、十分あり得ます。ヒキガエルは、ペットに最適です。
のそのそと動きが鈍いカエルです。

もう一つは、側溝などを住処にして、繁殖している?

ヒキガエルは、山間の自然が豊かなところにしか生息しないと思うのだけど
繁殖以外は、木々の木陰にいるようです。


いやいや、一瞬パラレルワールドだったのかも。。。笑

似たような経験、何だか変な時空に入ったような体験はありませんか?

7月 17, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 7日 (水)

表現したいことを表現する・・・

人気があるってなんだろう・・・・

人気は、人々の注目を集め、求められていること。

求められるというのは、ニーズとウォンツ。

つまり、必要性と欲求があるということだ。

必要性とは、例えば、砂漠で生き延びるには、水は不可欠で、まず水が必要なように、

その人にとって必要なものが求められると言うこと。

そして、欲求は、必要性がなくとも、欲しいものが求められると言うこと。

嗜好品やブランド品は、必要性がなくとも、求められるもの。

これらが、多くの人のニーズとウォンツの合っていれば、それが人気という結果で表れる。

人気は、創ることもできる。

それは、多くの人々のニーズとウォンツを満たせばいいからで、

特に、ブーム的な人気は、ニーズとウォンツをよく分析して、
タイミング良くコントロールしていけば、人気を創ることができる。

それとは逆に、何か意図的にするでもなく、密かに知られるものとなって、

ある時、それが人から人へと伝わり人気となるものもある。

それが、メディアの知られるところとなれば、一気にブレイクしていく。

人は感覚を共有することで安心感を得たり、喜びを分かち合うもの。

それは、人間は社会的な生き物だから。

人に伝えたいのは、人間の本質でもある。

楽しかったこと、嬉しかったこと、面白かったことなどは、
誰かに伝えて、体験を共有することで、その体験がより長く響き、
味わうことができるところに快感がある。

そうして、インパクトのある体験、そして、誰でも興味を持つ内容、
理解できることは広く伝えられ、伝搬していく。

こうした伝搬度が高いものは、シンプルなものが多い。

複雑なものは伝えにくいからだ。

伝染するウィルスは、うつりやすいものだ。

ジェスチャーでテーマをリレーしていくゲームがあるけれど、
わかりやすい問題は、伝えやすく、正確に最後までリレーできるけれど、

複雑なテーマは、どんどん違うものになっていき、最後はとんちんかんな答えとなって伝わっていく。

実際の伝わり方も、その人の感情や思いが入っていくと、

伝わる毎に違うものとなっていって、最後は伝搬の波は収束していく。

メディアに載る効果は、そう言う意味では、ダイレクトに相手に伝わる力があるけれど

そのメディアを見る、体験する機会にある人しか伝わらない。

それでも、露出量の多さから、インパクト(印象)が強く、わかりやすいものは、
そこからさらに、伝わっていくものとなり、人気となっていく。

もちろん、そこにニーズとウォンツがあることが大切だけれど・・・


でも、果たして、そうした人気はそもそも何のために必要なのだろうか?

商品ならば売り上げのため?

人の数だけ価値観があって、共有できる価値観は、常識となったりするけれど、

みんなが共有できるものは、その人固有の深い喜びには、結びつきにくいことが多い。

人気にフォーカスする。売れること、話題になることにフォーカスするのは、
その人や会社のニーズとウォンツと言うことになるけれど、

本質的には、その人が、その人の状況で伝えたいことを伝える。

それでいいのだと思う。

結果的に、喜ばれ、求められることは、とても自然なこと。

そして、必要性がなくなれば、消えゆくこともよし。。。

結果はどちらでもいいし、そこに執着しないこと。

いま、自分が表現したいことを、表現したいように表現する。

それが、生の本質だと感じる。

何かの見返りがためにするのではなく、ただ、表現したいというシンプルな自己の欲求を満たす。

そのように生きることが大切だと思うのです。。。

7月 7, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年5月31日 (月)

時間と創造

時間って何だろうと思う。

時間って何であるんだろう。。。

意識の世界には時間はない。

思いは、瞬間的に変化するし、素晴らしい世界も一瞬にして描ける。

それは、思うとおりの表現ができる。。。

でも、いわゆる、外的なリアリティの世界では、一瞬にして世界を創造することができない。

それはなぜか・・・時間があるから。

例えば、建物を造るなら、企画構想して、設計して、基礎をつくって、

構造をつくって。。。。と、それで、完成に向けてのプロセスが必要です。


実は、意識で思い描く内的なリアリティの世界も、

同じようにプロセスがあるのかもしれないけれど、

時間という概念がない世界だから、瞬間的に、創造することができる。

時間そのものを創造できるので、未来も描ければ、過去も描ける。

時間を早くも遅くもできて、一瞬という時間を引き延ばすこともできる。

僕たちの生きている世界にも、本当は時間はない。

でも、集合無意識として、時間を意識しているから、時間がある。

というよりも、思考のプロセスが時間を創造している。

僕たちの生きる世界は、とってもスローな世界なのだと思う。

本当の宇宙というのは、宇宙創生から宇宙の消滅、そして、再誕生という時間も

一瞬の明滅のように起こっているのかもしれない。

その中で、僕たちは、永遠とも思える時間を意識し、体験しているのだと思う。

僕たちはプロセスを必要としている。

プロセスを通して、この宇宙原理を体験しているのだと思う。

プロセスがどのような意味を持つのかが、とても大事だから、

人生で起こるあらゆるプロセスを肯定的に見つめ、受け取ってみよう・・・・

時間も、この空間世界も、あらゆるすべてが、

僕たちの意識の産物。

時間をあるとするも、ないとするも意識。

あなたにとって、時間って何でしょう・・・

5月 31, 2010 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年5月29日 (土)

バランスをとるということ

バランスって大事。

これは、仏教では中道とか、中庸って言うけど、

センターにいるとか、ニュートラルとか、まあ、表現はどうでもいいけど。

ここを意識するというのはとても大事。

センターを意識するときに、簡単な方法は、敢えて、バランスを崩してみること。

大きく崩す、ブラすと、はっきりとズレが確認できるから、

そこから、センターを見つけやすくなる。

カメラはいまは、オートフォーカスだけど、手動でピントを合わせるとき

一度、前後に大きくピントのずれを振ってみて、絞り込むと合わせやすい。

絵を描くときに、描く対象物のラインが決まらないときにも同じで、

大体のラインをいくつかなぞってみながら、イメージを固めていく。


では、人生ではどうか? 日々の生活ではどうか?

これも、同じで、自分が自分のセンターにいるかどうかわからなくなったら

思い切って、生活を崩してみる。ブラしてみる。


例えば、思いっきり、暴飲暴食をする。お酒を朝まで飲む。

仲間と思いっきりハメをはずす。

行ったことのない海外へ旅行する。

あり得ないような妄想を抱いてみる。

とにかく、普通の自分ではないことを行動してみると、

如実にそのズレの感覚がわかる。


さて、よくよく考えてみると、僕たちは、病気なったり、事故にあったり、
思わぬトラブルに遭遇します。

これは、まさしく、自分がセンターにいる時には起こらないもの。

無意識に、センターからずれてきたときに、逆ブレさせてセンターに戻るように

自分のハイヤーセルフがメッセージを送っている。

だから、病気やトラブルは、単なるメッセージにすぎない。

病気を戦う相手にしたり、敵とみなすのではなく、

自分自身を愛するハイヤーセルフである自分の本質が、

あなた自身に、愛からのサポートをしている証拠。

戦うのではなく、病気そのものを受け入れ、愛すること。

病気も自分の体内で起こっていることだから、自分を否定しない。

自分と戦わない。自分を一番愛せるのは、自分自身。

だから、病気を愛をもって、迎え入れてください。

愛するわが子と同じです。

だから、あなたが不都合と思えることや、ネガティブに思えるようなことも

すべてあなたをセンターに戻してくれるメッセージ。

自分で、思いっきりバランスを崩してもよし、

病気になるもよし・・・

そうして、センターを見つける。

あなたには、あなただけの人生の道“スピリチュアルパス”があります。

センターにいることは、スピリチュアルパスを歩くこと。

それが、あなたが最高のあなたでいられる幸せの道なのです・・・・

5月 29, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年4月16日 (金)

自己探求すると言うこと

人生を生きる中で、いろんな問題が起こります。

自分にとって嬉しいこと、楽しいこと、充実感を味わえることなど、
とてもポジティブに感じられるとき、いいことが起こっていると感じたりします。

いいことって何でしょうか?

では、悪い事って?

いい、悪いというのは、何か対象となるものと比較して、
自分にとって都合がいいとか、快適だとか、好ましく感じられるとき
それは、いいことであり、そうでない場合は、悪いこととするでしょう。

こういうのを二元的なものの見方と言ったり、相対的なものの見方と言います。

僕たちは、実に、ものごとを相対的に見ていることに気がつきます。

例えば、時間が早いというのは、12時に誰かと待ち合わせしたときに、
12時よりも前ならば、早い。
12時を過ぎていると、遅いわけです。

あのクルマは、速いと言うときに、
ただスピード感がある時に速いともいいますが、

それは普通のクルマが、いわゆる一般的な速度、40キロから50キロ程度(これもすでに相対的なのですが)に対して、
100キロ以上で走っていると、速いと言ったりします。

ただ単に速く見えるクルマも、実は、何かと無意識に比較して「速い」なあと言っているのです。

僕たちは、自分という存在と他社という存在を認識しています。

また、自分と環境とか、自分と社会、自分とモノなど

自分以外のものや世界を認識して、自分と区別します。

お風呂で、自分の身体を洗っているときに、足先まで洗って、そのままお風呂の床を磨きだし、
そのまま壁、浴槽など。。。果ては家中を洗い出し、永遠に洗い続けることはしません。
自分とお風呂の区別があるからです。

といいながら、お風呂掃除をそのまま始めてしまう人は、結構いるのではないでしょうか・・・笑

僕たちは、無意識に自分という存在を認識して、他と区別しています。

区別することで、生命体としての自己を活かしているのです。

自他が区別できないと、精神は混乱してきます。その先に、生命活動が危機に瀕するでしょう。

しかし、この区別という感覚は、あまりにも当たり前で、日頃この問題について考えることはありません。

バッグを誰かに奪われたら、「ドロボー!」と叫ぶなり、驚くなり、反応します。

自分のものを誰かに奪われると、困るわけです。でも、なぜ困るのかを、真剣に、深く深く考えることはありません。

自分のものは、奪われては多くの人にとって困るのです。理屈を考えてる場合ではないかもしれません。

奪われることについて、考えてみるのはどうでしょうか?

あなたにとって、奪われては困るものとは一体何でしょうか?

なぜ困るのでしょうか?

なぜ、奪われるのでしょうか?

あなたは、奪おうとしたことはないでしょうか?

自分と自分以外の人、自分以外のもの、自分以外の世界とは何なのでしょうか?


インド哲学では、ウパニシャッド哲学とかベーダというのがあります。

ここでは、人間とは何か、人間という存在とは何か、宇宙とは何かが数千年の昔から探求され、
3000年くらい前に、哲学として体系化されたと言われていますが、

ベーダーは、とてつもない思想体系がまとめられていて、
いまだに全てが研究しつくされているわけではないようです。

しかし、結局、そこで何が解かれているかというと、

『あなたは、宇宙である』

ということを、あらゆる角度から語られていると言うことです。

これがもっともよくまとめられているもの、象徴的にまとめられていると言ってもいいと思うのが

『バガヴァッドギーター』です。

ここでは、何度も『イーシュヴァラ』(全体世界(宇宙))と言う言葉が繰り返されるのですが、

自分はイーシュヴァラそのものであると言うのです。

つまり、自分と他はひとつであり、境界などないのだと言うことです。

愛の本質とは、まさに、この自分と他者の境界を超えたところにあると思うのです。

物質生命体としての自分の生存を守る、維持するために、外部から自分を守るために外的世界と対抗するのではなく

自他の境界をなくし、自分という意識を拡張したときに、

他者も他のものも、外的世界も自分なんだと理解できるようになるはずです。

という言い方をするのは、僕はまだそこに行ききってないからです・・・笑

愛するというのは、区別のないことです。

自分を愛さない人はいません。愛がなければ存在し得ないからです。

自殺する人は、愛がないのではありません。

愛がないと思いこんだ、本当の自分ではない自分、自分の人生のプロセスの中で
自分が外的世界との関わりの中に築き上げてしまった自分という存在が
自分には価値がない、存在する意味がないと思いこんだり、
自分を傷つけた人から逃れたい、または、復讐したい思いから
自分という存在を自殺というカタチで消滅させたり、傷つける事によって、証明したり、訴えようとしているのです。

自分という存在の本質が理解できれば死ぬ必要などないのです。

どうせ、誰しも、いつか死ぬんですから。。。

他人を傷つけるというのも、その人に愛がないわけではありません。

愛が見えなくなってしまっているだけです。

そもそも愛がないと言うことはあり得ません。

自分という存在は、愛そのものであり、愛が故に生命体として結実しています。

細胞ひとつひとつのつながり、細胞を構成する元素、原子の働きは

愛故に成り立ち、存在しています。愛とはエネルギーだから・・・

この空間にある、どこにでも偏在する元素が、神秘的なエネルギーによって結実し、

僕たちという肉体になっているわけです。

何が結実させているのか、自分という存在に成り得たこの細胞の成り立ち、顕れはどこから来ているのか。。。

考えずにはいられません・・・


僕はいつも感じています。

自分と他者、自分以外の世界について、

自分という存在は、全体宇宙に内包されている。

自分の意識がどんどん拡張していって、他者との区別がなくなり、もっと拡がって、地球レベルまで拡張して、

そして、宇宙全体まで拡張する・・・

そこに、自他の区別はないのです。

他人に、その人の見にくい部分を見る時、それこそが自分であることに気づくのです。

それは醜いものではなく、自分の心のゆがみであり、自他を区別するところから来る
本質を見失っていることに他ならないのではないでしょうか?

僕が自己探求する意味は、これは魂が求めていることであって、

自分という存在を深く見つめたその先に、全体宇宙へとつながる道へと導かれているに他ならないと考えるからなのです。。。

ここで、誤解なきよう。。。
自他の区別がないから、他者のものを奪うと言うことはイコールではありません。

なぜなら、それを自分が所有する必要がないのです。

自分には、必要十分なものがもたらされるようになっています。

所有は、それがなければいけないという思いが背景にあり、そう思うのは『怖れ』が背景にあるからです。

あってもなくてもどっちでもいい・・・この感覚は大切です。

必要なだけあるようになっているから。

全てはプロセスであり、体験です。

例えそれが、もたらされた死であろうとも、それは怖れではなく、死という体験であり、
それをどう感じ、味わうのか・・・そのためにもたらされいるだけのものなのです。

『バガヴァッドギーター』は、友人の向井田みおさんの書かれたものが、素晴らしくわかりやすいです!オススメします!

優しく学ぶYOGA哲学 バガヴァッド・ギーター 向井田みお著

4月 16, 2010 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月13日 (火)

エネルギーは伝わるもの

人生を生きることは、波間に浮かぶ小舟のようなものではない。

多くの人にとって、そのように生きること、

生きてしまうことはあるかもしれないけれど

そのような認識から、思いこみから離れて、

自分は、波そのものであることを思い出すこと、

波そのものとして、生きることができれば、人生をもっと深く味わえるだろう。

波のその性質は、伝わる力であって、

波は時間と空間の中で、媒体、つまり、伝わるものを介して伝わっていく。

波が伝わる媒体そのものが移動しているのではない。

例えば、海の波は、海水そのものは、波と共に移動するのではなく、

波が来ると、その場を上下しているに過ぎない。

ベッドにシーツを掛けるとき、大きく波打つけれど、

シーツそのものが、広げた方向に飛んでいくわけではない。

僕たち人間は、こんな風に、エネルギーを伝える媒体でもある。

人は存在するだけで、エネルギーを伝えている。

意図する、意図しないに関わらず、エネルギーは伝わるし、

ただ、媒体となる質はそれぞれ違うので、伝わり方は違ってくる。

例えば、音叉のように、同じ長さの音叉どうしは、一方の音叉を鳴らせば、

もう一つの音叉も共鳴してなり出す。これは、空気を波動が伝わって

この音叉を共鳴させるから。

僕たちもこうして、共感するエネルギーには自然に共感するもの。

心に響かないのに、響こうとすること自体無理な話だし、

そこにストレスがあるわけで。。。

時代にならされた多くの人は、音叉にいろんなものがまとわりついてマヒした状態に近く、

そうした響きの共鳴が起こりにくくなっている。

まずは、自分を見つめてクリアにしてみよう。

クリアにするだけで、勝手に響き出すだろう。

響かないのは、クリアになってないから・・・ただ、それだけ・・・

4月 13, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

内なる世界がすべて

明日から東京に移動、東京も明日から曇り→雨みたい。
曇り、雨と一緒に移動だな。

天気や環境に左右されるようでは、まだまだ内的世界を外部と統合できてないということか・・・笑

カナダや北欧では、冬に自殺者が増える・・・

太陽が昇らない、暗く、寒い、雪と氷に閉ざされた世界で、

昔は、共同体にシャーマンがいて、みんなで支え合い、物語という共同幻想、

共有する内的世界を持っていた。

だから、そうした物語は、内的な世界ですごくリアリティを持っていて、

子供が、おばけを本気で怖がったり、魔法使いの話をとてもリアルに信じていたように・・・

だから、日本も昔はカッパがいたわけだ。

川岸の草かげに見えるものを、何某かの怪しげな生き物と思い込み、

それはカッパだと言うことになれば、カッパはいたことになる。

内的世界と外的世界はつながっていて、そのように世界を理解することで

とてつもない自然と対峙するときに、そのような物語によって

耐えきれない精神を保っていたのかも知れない。

病気は、心の病と言うけど、気の持ちようで、身体は変化し、抵抗力も生まれ、

治癒力も発揮する。究極は、意識の力だけで、肉体存在を超越できるはずだ・・・

おそらく、現実とはそんなものなのだろう。

現代のリアリティとは、内的世界と外的世界の分離で、そこをつないでいたアダプターが取り去られてしまった。

家族の絆も、社会との絆も、自然環境との絆も・・・

インターネットやツイッターは、そうした内的世界、精神的世界と外的世界をつなぐ、現代の親和であり、

アダプターとして、僕たちは、無意識に求め、つながろうとする進化のプロセスなんだと思う。

その先には、インターネットも必要なくなって、この象徴的な機能を追体験することによって、

本来持っているテレパシックな本質的な力を、思い出そうとしているのかもしれないね・・・

4月 13, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 4日 (日)

怖れは存在への危機感情

怖れとは実体のない感情。存在が脅かされる時、存在の危機を感じているだけ。存在の本質は永遠なのに。怖れは、肉体生命としての存在の危機を知らせる安全装置。肉体生命に宿るふるい記憶。何に怖れを感じているのか見つめて見よう…


4月 4, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月26日 (金)

本当の自分を生きることと怖れ

心を扱う言葉として、正確な言い方ではないのですが、
本当の自分と本当ではない自分=演じている自分があるというのは、
意外に知らない人も多いものです。

でも、少し自分の人生に目を向けてみれば、
仕事や人間関係、住んでいる環境や生き方そのものなど、

本当はこんなの嫌だな、なんで自分の人生はこんなのなんだろう?
もっと自分らしく生きたいと、自分の人生を振り返る人も多いと思います。

ほとんどの人は、創り上げた虚像、本来の自分ではないけれど、
生きるために培ってきた知恵を持った自分を生きています。

もし、あなたの身の回りの世界が、完全に安全で、安心して生きられる、
真の平和の中にあって、その中に生まれ、育ってきたならば、

世界が自分の存在を脅かす場所ではなく、身体への危険も、
生存への不安もない場所なら、

私たちは、何の不安や怖れを覚えることなく生きられるはずです。

私たちは、怖れをどこかに抱きながら生きています。
それは、無意識の中に抑圧している怖れだと、
顕在意識では気づいていないことも多いかも知れません。

いま、私たちが抱える怖れとは、生存(死への怖れ)や身体的、精神的な痛みです。

私たちは、痛みを避けて、快楽を得たい存在です。

快楽を得る前に、痛みを避けます。
痛みを抱えたまま、快楽を求めるということはほとんどないでしょう・・・

痛みは、危険を理解するためにあります。
それによって身を守ります。

私たちは、痛みがあることで今日まで生存し、種を保存してきました。

そう考えると、怖れとは、生存し、命をつなぐために必要なものだったのです。

恐れを克服するために、生きるための機能として備わっているもの、
人類の身体的、意識的な成長のプロセスの中で、育んできたものが、
この自分という存在を、世界に、社会に、人間関係に適合させるための
安全装置としての『アイデンティティ』なのです。

そして、そのアイデンティティが、自分にとって、あまりにもリアルで
自分にとって馴染みがあるために、アイデンティティそのものを
自分自身だと思いこんでしまっているのです。

本当の自分を生きるとは、本当の自分を思い出すことから始まります。

やりたいことをやって生きる。

これも本当の自分を生きることかもしれませんが、
やりたいことというのは、実は、生きるための知恵であるアイデンティティが
生存するためにやりたいと思っていること、思いこませていることかも知れません。

本当の自分ってどんな自分でしょう・・・?

本当の自分を生きると言うことは、

アイデンティティの鎧、または、服を脱ぐと言うことです。

パーティーに出かけるときに、周りの人々に、よりよく自分を見せるために
華やいだ、おしゃれなドレスやスーツに身を包むように

アイデンティティも同じように、周りの環境に対して、
自らの外側の自分、アダプターとしての自分を作ります。

世界に対する怖れや生きる事への怖れを手放すことができれば、
本当の自分、そのままで生きることができます。

許可なく自分らしさを生きていいし、
そんな自分を許さず、許可を与えてないのは、
他でもない、自分自身なのです。

怖れとは、自分の心がつくり出す幻想です。

怖れという感情はあっても、本当は怖れる実体はありません。

だから、僕たちは、怖れとは何か?
なぜ、怖れるのか?
何に怖れているのかを深く見つめてみなければならないでしょう。

怒り、いらだち、許せない気持ち、焦り・・・

豊かさも、利便性の追求も、
貧しいと感じたり、不便であるという思いからの怖れから発していると言ってもいいかもしれません。

怖れとどう向き合うかは、本当の自分を見つめる意味でも
とても大切なことなのではないでしょうか・・・

3月 26, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 8日 (月)

エネルギーの奪い合い

世の中何でも白黒つけたがるけれど、それはなぜだろう?

白黒明確にしたいのは、そうすることで何かを得たいから・・・

あいまいだと、はっきりしないから。。。

もし、そこから何かを得ようとしないなら、

はっきりしなくてもいい。

何かってのは、権利だったり、利益だったり。。。

これらはすべて、エネルギー・・・

エネルギーって何?どんなもの?って言っても難しい。。。

それは、それ自体が、何かを作用させる力を持っているんだけれど

気だってそうだし・・・・プラーナもそう・・・お金もそうだし・・・

人の存在、生き物の存在も、それ自体にエネルギーがある・・・

見えないけれど、そこにあるもの。

ビジネスでも、お金のやり取りをしているけれど、

お金というカタチで、本当はエネルギーのやり取りをしている。

目に見えるカタチのエネルギー

感情もエネルギー・・・怒りや悲しみ、喜びや楽しみもエネルギー

だから、楽しい気分でいたいから、それを人からもらおうとする人もいれば
奪おうとする人もいる。

本当は、エネルギーは自ら生み出せるのに。。。

感情はエネルギーだから、放出したり、吸収したり。。。

怒りや悲しみも、自分で耐えられなくなったら、
人にぶつけることで、逆に、関心や罪悪感を満たせることで
その人のエネルギーを奪う・・・

実は、こうした、エネルギーの奪い合いが、いろんなところで日々日常起きている。

愛とは、無限のエネルギー。

愛から発するエネルギーは経ることがない無尽蔵のエネルギーだから

どんどん人にも与えられるし・・・自分も愛の自家発電機になれる・・・

でも、愛を与えさせるとか、何かの引き換えに愛を与えるというのは

それは愛じゃない・・・

すべては、エネルギー・・・

愛から世界とつながれば、エネルギーを奪うことはないのだ。。。

3月 8, 2010 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

この先どうなるんだろう。。。

人間の創造力とテクノロジーはとどまるところがない・・・

この不思議なロボットの動き。。。考えさせられるなあ・・・

3月 8, 2010 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月 4日 (木)

自然の流れの行き着く先は・・・

自然とは何でしょうか?

自然とは、ただあるがままであり、

人間の意図が組み入れられていないものといえるでしょう。

この世界で、人間だけが創造することができます。

ビーバーがダムを造ったり、鳥が巣を作るのは、習性です。

ビーバーは、こんなデザインのダムを造ろうなんて、イメージしません。

人間は、イメージして、構想し、具現化のために知恵を使います。

人間だけが、自然と関わりながら、自然に意図的な介入をして生きるのです。

ですが、これも、大きな意味では、自然の法則の内にあると言えます。

人間も、自然の産物です・・・

自然の法則には逆らえません。

僕たちが、何かをする時には、必要があってする場合と、

こうしたいという欲望があってする場合とあります。

たいていの場合、この両方が混ざっているケースがほとんどです。

欲望によって行われることは、自然の法則に従っているのでしょうか?

欲が起こるのは、人間に備わっているので、自然に起こるものです。

でも、その欲に従うかどうかは、人間の意志によって選択することができます。

どちらを選んでもいいでしょう。

結果は、いずれ同じところに行きます。

時間的なずれがあるだけです。

それが自然の法則です。

自然の法則は、水が高いところから低いところに流れるようなものです。

自然の法則に反したことは、上手くいかないのです。

自分の行いが、自然の法則に従っていなければ、なかなか上手く行かないものです。

逆に、自然の法則に従っていれば、極端に言うと何もしなくても進むものです。

自然の法則を利用すれば、たいした努力もなく上手くいくのです。

では、自然の法則に従っているかどうかをどうやって、

見分けることができるのでしょうか?

ここが大切なところです。

「違和感」

自分の中の違和感に注意してください。

感性が研ぎ澄まされていれば、直感も働きますが、直感はあっても、

受け取る力が鈍っているとせっかくの直感もわかりにくいものです。

でも、違和感は、意外によくわかるものです。

違和感を感じてみてはいかがでしょうか?

違和感を感じるものは、あなたに合っていないのです。

違和感を感じるものは、あなたにいつか必要になるかもしれませんが、

いま必要ないものかもしれません。

自然の法則に従ってみてください。

流れに身を任せてみてください。

運命という小舟が流れ着く場所は、きっとあなたが本当に行きたかった、

癒しの地ではないでしょうか・・・

3月 4, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 3日 (水)

何かになろうとするのはなぜ?

成功したいという思いは、多くの人が持つようです。

僕も、若いときは、ひたすらに成功したいと思っていました。

最初は、成功という言葉よりも、

若きデザイナーとして、名声を我がものにすることを欲していました。

お金のことは考えたことはありませんでした。

たぶん、著名なデザイナーになれば、その報酬は当然だからでしょう。

お金のために何かをするという考えはなく、

価値あるデザインを創造する思想家になりたかったんじゃないかと

いま振り返って思います。

でも、年を取る毎に、挫折が始まりました。

10人程度のスタッフを抱えるデザイン会社を経営するようになり、

会社はまるで、暴走機関車のように、ひたすらに走り続けていたようにも思います。

その頃には、売り上げ思考にもなっていました。

そして、成功哲学や自己実現と言う言葉を知り、

より効率的に、経済的自由への道を目指したこともありました。

それはそれで、今思えば、すべて必然で、いい経験だったと思います。

いまの僕の価値観を形づくる。。。いや、本当の自分の姿を思い出すために

不必要な価値観を手放すために体験し、

体験することで昇華し、燃焼させる。。。成仏させると言ってもいいかもしれません。

幽霊が現れるのも、自分の存在に気づいて欲しいパターンは多いわけですが、

自分がどんな価値観を持っていて、その価値観が自分を縛り、

自分に苦しみを与えていたりします。

一見、素晴らしい成功、富と名声を得ていても、いつも不安にさいなまれている人も多いのです。

何が、そうさせているのか、何故にそうしなければならないのかを見つめていくことで

本当の自分に気づきます。

いらないものを手放したいけれど、何が不必要なのかわからなくなっているのです。

あまりにも、長く接していると、感覚がマヒして、それに違和感がなくなるものです。

そして、慣れ親しんだもの、環境からは、なかなか離れられません。

新しい環境へ適応する不安、変化の不安があります。

不必要なものでも、慣れ親しんだ環境の方が、新しい環境への不安よりましなのです。

それも、必要があってのこと、でも、いつしか、そこを離れるときが来ます。

離れたくても離れられないのは、その体験を味わい尽くしていないからです。

同じ過ちを繰り返す人は、顧みることをしません。

その体験を味わう。その体験がどんなものなのかじっくり感じてみる。

感情はどうなのか、怒りがあるのか、喜びの中にいるのか、淋しいのか。。。

そして、どういう意味があるのか、何をもたらそうとしているのか、何を得ようとしているのか。。。

体験を味わい尽くすと、昇華してなくなります。

それは、喜びや楽しい体験も同じです。消えていきます。

だから、恋も終わるのです。

ただそこには、愛が残ります。本当の愛が拡大し始めます。

恋は執着がありますが、愛は、自由で、束縛がありません。

体験することで、その体験が味わい尽くされたら終わるのです。

苦しみも、悲しみも味わい尽くさない限り終わりません。

それは、自分で感じること、自分の中で味わうことです。

辛く、苦しい局面もあるでしょう。でも、それを深く深く味わい尽くすと、消えていきます。

昇華するのです。

何かになろう、どこかに行こうとするのは、それを体験したいからです。

満たされていないからです。

体験し、味わいつくして、満たされるとそれはなくなるのです。

人として、人というプロセスをすべて味わい尽くした人は、もう、そのプロセスはお終いです。

死というものではなく、プロセスの終わりであり、次のプロセスへ移行します。

何かになろうとするのは、体験したいから・・・

本当は、何もしなくていいんです。したくないなら。。。

する気が起きないというのは自然なことです。

その感覚を大切にしてみませんか・・・

自分を大切にすると言うのは、そうした、自然のままの自分を許すことであり、

その先に、本当に自分がやりたいことは、起こってきます・・・

自然に動き出すのです。

それが、本当にあなたがやることであり、必要としていること・・・

生きるために何かをしなくてもいいんです。

必要があって、生を授かり、生かされているのですから、

それに身を託することです。

そうすれば、必要なものがもたらされます。。。

どこかに行こうとするのはなぜか、じっくり考えてみるのはどうでしょうか?

3月 3, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 2日 (火)

全てが自分

あ〜あんなこと言わなきゃ良かったとか

なんでこんなことしちゃったかなって、後で後悔することがあります。

失敗したと思うことがあります。

確かに、そう思ってしまいます。

でも、事実として、言っちゃったり、やっちゃったりするわけです。

なんでそうしたのか、なんでそうなってしまったのか、

やっぱり意識的にも、無意識的にもそうしてしまったわけです。

そこに至る過程はあったと思います。

でも、発言や行動に後悔を感じるわけです。

人によって、同じ事をやっても、後悔する人としない人がいます。

その人の価値観の問題です。

人によって価値観はみんな違います。

生きてる世界が同じ人なんていないんです。

たぶん相当近い人はいますが、限りなく近い人もいるかもしれません。

でも、やっぱり違うんです。

世界で60億の人がいるなら、それだけの違いがいまの世界に必要なんです。

この世界に1人しかいなかったとしたら、1人でいいんだと思います。

すべては、体験です。

体験のエネルギーは宇宙に還ります。

宇宙は、僕たちを通じて体験のエネルギーを得て、糧として、

宇宙を成長させています。

僕たちに成長のプロセスがあるように、宇宙にも成長のプロセスがあります。

宇宙とは、神様と同義語です。

もし、宇宙が完全で、満たされているなら、宇宙も、僕たちも必要ないでしょう。

必要だから在るんです。。。

僕たちの体験は宇宙へと還っていきます。

宇宙は、満たされたいんです。

1人では足りなくて、60億もの人が存在するようになって、

植物や虫、魚や動物がいて、土や空気、水があって、あらゆる性質のものがある

これは、すべて宇宙の体験なんです。

だから、ひとつの存在は、その存在として、体験したいことを体験します。

お互いが関係し合って、そこで体験が生まれるだけです。

そこで抱く感情は、起こってくる感情は、その人のものです。

そのエネルギーは宇宙に還っていきます。

相手がこう思うんじゃないか、ああ感じたんじゃないか・・・

その通りでしょう。思ったり、感じたりします。人は感情の生き物です。

喜怒哀楽を感じるようになっているんです。

クルマに、エンジンがあって、ハンドルがあって、タイヤがあるように

喜怒哀楽があって人間なんです。感じ方はいろいろです。

相手が思うこと、感じること、抱く感情は、その人のものです。

どう思っているか、感じているかはその人以外にはわからないんです。

自分のものではありません。その感情を引き受ける必要はないんです。

だから、本当は、後悔なんてないんです。

だから、失敗もないんです。

自分が体験しているようで、本当は宇宙が体験しているだけ。。。

自分が宇宙と別ものと思うから、思えるから、自分の体験で、自分の価値観で

自分を責めたくなります。嫌な気持ち、哀しい気持ち、恥ずかしい気持ち・・・

でも、宇宙と自分は一体不可分です。もっと言えば、宇宙そのものです。

自分も体験したかった、相手も体験したかった・・・宇宙が体験したかった・・・

それだけです。

価値とは、相対的です。何かの尺度があって価値が生まれます。

価値がないと考えるのは、何かと比較するからです。

その体験は価値があったのか。。。

価値なんて自分に必要かどうかだけです。

宇宙が必要だから、自分を通じて、体験しているんです。

宇宙=自分ですから。。。ということは・・・


宇宙=自分=他人=全て


すべてがひとつであり、全てが自分なんです。。。

だから、後悔なんてないんです。。。失敗なんてないんです。

3月 2, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月28日 (木)

愛こそが選ばれた者にふさわしい船


知性の働きとは、海を泳いで渡るようなものである。
捕まるものが何も無ければ、最後には溺れて海の藻屑となる。

しかも、ただの海ではない、それは深く助け手もない海である。
この海の前には、我らが慣れ親しんだ七つの海など、藻屑のように呑まれてしまう。

愛こそが選ばれた者にふさわしい船となる。
愛の舟の結末は常に揺らぎない安定であり、それはまたとない助け手となる。

知性を売り払い、直感を買い求めよ。
知性は、部分に対する私見にすぎないが、
直感は、全体を見渡す大いなるヴィジョンである。

                        ルーミー

1月 28, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

イーグルの夢

僕はよく夢を覚えているけど・・・

今朝方、とても象徴的な夢を見た。。。

荒野のアリゾナ。。。

足下になぜかサーフボード

ふと見上げると、低層のホテルがあって、色はベージュとサーモンピンクが
大柄なストライプになっていて

HOTEL ARIZONA と書いてあった・・・・

なんかラブホみたいか・・・

気がつくと、自分を起点とした行列があって、
自分は、このホテルの外観を撮影しようとしている・・・

すると、その人たちが怪訝そうな顔をして、どっちを撮ってるんだって・・・

なにげに、後ろを振り返ると、
ホテルの屋上に、巨大なイーグルがいた。。。

クルマより大きかったから。。。普通のイーグルの10倍はあるかな。。。

撮影しようとしたら、こっちに飛んできて。。。

みんなはキャーって逃げまどう・・・

近くにピアノがなぜかあって、僕はその下に潜り込んだ。。。

でも、恐怖はなくて、すごいな〜とその威厳に驚いていた。。。

ピアノから出て、低空を舞うイーグルを見ていた。。。

そんな夢だった。。。

これには、いろんな意味があると思う。

この夢をじっくりと味わってみたいと思う。。。

1月 28, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 6日 (水)

アバターは5次元世界の比喩だろうな〜

アバターを見た。

キャメロン監督は、すごい映画を創ってしまったと思う。

この映画は、SFの姿を借りた、命の世界の本質を表現していると思う。

いい表現が出来ないけれど。

スピリチュアルな世界が、こんな比喩的なエンターテイメントとして描かれるなんて

素晴らしいとしか言いようがない。。。

ジェームズ・キャメロン監督は、タイタニックで知られていると思うけど、

世に知られることとなったのは、やっぱりターミネーター・・・

僕が初めてヨーロッパ旅行に行ったのが、19歳だったけど、

その時、スペインは、マドリッドで、シュワルツェネガー扮するターミネーターの

巨大な看板がビルに取り付けられていて、

当時は、何の広告かわからず、日本に帰って、

岡山の映画館で、ブレードランナーが再上映されて、当時2本立てで

ターミネーターとブレードランナーの再上映だった。

ターミネーターは当時はB級映画の扱いだったんだと思う。

ブレードランナーはその時初めて見て、それ以来、何十回と見た、

僕にとってはベスト10にいつも入っている映画だけど、

その時、ターミネーターをどうしても比較してしまって、

すごくつまらなく感じたのを覚えているけど、

でも、しかし、今思えば、やっぱり、すごい映画だった。

もっと予算が付けば、いろんな表現が出来てたんだろうな。。。

まあ、とにかく、アバターを見て、いろいろと感じてみてください。

受け取り方は、人それぞれだから。。。

1月 6, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 1日 (金)

2010年になった。。。

明けまして、おめでとうございます!

2010年です。

2001年宇宙の旅」は、僕にとって、名作。多くの人にとっても名作か。。。
2001年になってみて、映画のような世界が現実になってなくて
ちょっと淋しく感じた・・・

その後、1984年に、2010年という映画が公開された。

当時は、まだ、米ソ冷戦のただ中にあって、
この映画でも、2010年は、米ソの冷戦が尾を引いているような設定の中で、
ソ連の木星探査宇宙船に、アメリカ人宇宙飛行士が搭乗して、
2001年に行方不明になった、宇宙船ディスカバリー号を捜索に行くわけだけど

その2010年になった。

本格的な宇宙ステーションもできた、そんな時代になったけれど
最近は、SF映画を現実の時代が超えていくケースも多くて、
思うように、未来は訪れないもんだなって思うこの頃。。。

最近は、めっきりブログも書いてなくて、

昨年は、振り返ってみれば、自分の内なる宇宙を探求する旅だった。
もちろん、その旅はいまだ続いていて、

言ってみれば、先ほどの映画と同じで、

行方不明になった本当の自分というディスカバリー号を
2009年は捜索に旅立ったわけで、

今年、2010年。

いよいよ、本当の自分に出会って、いったい自分に何が起こったのか。。。
その真相がわかるのかもしれない・・・

昨年は、バガヴァッド・ギーターに目覚めて、かなり入れ込んで、
まだまだその核心には、なかなか近づけないけれど、

さらに、後半は、あらためて秘教に出会い、秘教を深めているところ。

そして、意識的世界を探求する人は、必ずいつかは通るであろう、

クリシュナムルティにようやくたどり着いて・・・

クリシュナムルティの世界に、これまで自分が体験してきたこと、
理解してきたこと、見出してきたことが、詳しく解説されていて

やはり、準備が出来たところに師は現れるという言葉は
いつもその通りで・・・

本や人のみにあらず、
いま、目の前にある現象は、すべて、自分の準備から現れた師と思い。。。

そこから何を学ぶのか。。。
いつも、内省することに、自分の意識を向けているのです。

今年は、より深く、もっと自分の宇宙を見つめていく年になりそうです。

1月 1, 2010 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月14日 (月)

久しぶりの話題は・・・土星

土星の極北付近を流れるジェット気流

不思議な正六角形をしてる。。。

なぜ、こんなカタチになるのかはわからないらしい・・・

回転運動なのに、なんで六角形になるの?


米航空宇宙局(NASA)の土星探査機『カッシーニ』によるもの・・・

http://wiredvision.jp/news/200912/2009121122.html

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12月 14, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月13日 (火)

マスター・ポール

スピボイで、ポール・コールマンさんを取材した。

ポール・コールマンさんWebサイト
http://www.earthwalker.com/index_jp.htm

彼は、アースウォーカーと呼ばれ、これまでに世界中47,000キロをほとんど無一文で歩いてきた。

そして、木を植える男として知られ、歩いて旅をしながら、
行く先々で、植樹をしています。

植樹は、イベント的なカタチで行われ、彼が旅先の市町村、県や州において
知事や市長さんを直に尋ねて、彼の活動についてお話しして、
過去の実績などを話すと、翌日には、町のイベントとして、
ポールさんの植樹イベントが執り行われるというようなかたちで、
彼は木を植えながら旅をしてきた。

もちろん、彼の植樹は、個人の頼みもあれば企業からの依頼もある。

彼が行く先々で、彼の植樹を待ち望む人もいる。

彼は、これまで家をもったことがない。

歩く旅はほとんどが野宿だ。

彼は、面白いことをいってくれた。

「僕は、ホームレスじゃないんだ。ホームフルなんだよ」

彼にとって、地球全てが家なんだと・・・
橋の下があれば、雨を避けられる。それだけでありがたい。

彼のことを書いた本。奥さんの菊池木乃実さんが書いた本を読んで欲しい。

木を植える男 ポール・コールマン 4万1000キロ徒歩の旅

Img_9533sss

ポールさんは、なぜ、歩き始めたのか。。。

彼の経歴はとても面白い。。。

17歳で商船のコックになり、船乗りとなって、世界を巡った。
24歳でマフィアの豪華ヨットでコックをして、その後10年間
カナダで、イギリス王室とも関係の深いカナダ一の大富豪の未亡人の
お抱え運転手となり、豪華な暮らしを経験する。。。

そして、そんな生活に意欲を見いだせなくなったポールさんは、ある時、暇をもらって
アイスランドの自転車旅行に旅立つ・・・・

そして、衝撃的なことがポールさんに起こる・・・
アイスランドの大自然で地球環境保護のために生きることを決意して、
アマゾン探検を皮切りに、徒歩で環境保護の大切さを伝え、
平和を訴えながら旅をしてきた。。。

また、彼は童話作家でもある。
地球環境について、やさしく心温まるお話しで、
旅先で朗読したり、子供たちにお話を聞かせたりしている。


そんなポールさんとご縁ができて、先日、インタビューすることができた。

翌日から、1年間チリのパタゴニアにいって、人生で初めての家を建てるらしい。。。

完全なエコ住宅で、大自然の中で、その家を拠点に南米を徒歩の旅も計画しているらしい。


今回のインタビューをポールさんも、奥さんの木乃実さんも、とても喜んでくれて、
環境問題の関係者に呼ばれてお話しするときは、スピリチュアリティはほとんどなく
また、スピリチュアリティの関係でお話しするときは、なかなかグラウンディングしている事が少なく

このインタビューで、ポールさんが話したかった、
エコロジーも、スピリチュアリティも全てつながっていることを話せたと
喜んでもらえた・・・

もしかすると、5月のアースデーに一時帰国するかもしれない。
その時は、対談イベントがしたいねと話した。。。


戦火のボスニアを歩き、スナイパーに狙われ、地雷の危険の中を歩き。
また、各地で拘束されたこと数知れず、
アフリカでは、野生の猛獣がいる草原を歩き、ゾウの群れにおそわれそうになったり。。。
危険地帯でも、宇宙を信じ歩き続けた。

そんな経験は、ポールさんの知覚を開き、
普通の僕たちにはなかなか関知し得ない、インスピレーションも得られるようだ。

カンが働く。。。

ポールさんのインタビューは、とても楽しかったし、
また、一人のマスターを見つけた思いだった。。。

お金なんてなくても、すべて与えられる。

ホームフル。。。

すべてあるんだ。。。

全てを手放して、宇宙に身を投じた時、
本当の豊かさがもたらされるんだろう・・・

ポールさんとの出会いは大きかった。。。

ポールさん、来年パタゴニアで会いましょう・・・・

次回、スピボイをお楽しみに。。。

10月 13, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月12日 (土)

弁天さまと龍神さま

以前、霊能者、直感能力者というのか、見てもらったときに、

僕は、弁天様に守られていて、龍神さんがついてると言われたことがあった。

それは一度ではなく、過去に三度くらい、別の能力者に言われたので、

きっとそうなのだろうと、ありがたく拝受することにしている。


弁天様は、弁財天なんだけど。
日本には、三大弁財天があって、江ノ島、琵琶湖の竹生島、広島の宮島ということになる。

熊野の天川弁財天も有名。

4年くらい前に、奈良から熊野の重要な神社をバイクでまわって、
その時にも天川を訪れたし、那智の滝もまわった。

天川は、22歳くらいの時に最初に行って、それから5回目くらいになる。

那智にも二度いった。

那智の滝は、まさしく龍のように、とても迫力があって美しい・・・


ところで、その霊能者に、あなたは海外ばかり旅しているけれど、
日本にも素晴らしいパワースポットがたくさんあるよ。

だから、そこもまわりなさいとアドバイスされて、
特に、三大弁財天にはお参りした方がいいと言われていたのだけれど、
すっかり忘れてしまっていた。


先日の8日、ふと、弁天様のことが頭に浮かんで、

何気に、インターネットで江ノ島を検索・・・

ふ〜む・・・

なるほどぉ〜

これは、やっぱり行ってみたいなあと思いつつ、一番下に目をやると

江ノ島には、三つの神社があって、その一番奥に奥津宮があり、そこに、龍宮とかいてある。

「りゅうぐう」??

読み方は、りゅうぐうではない。

そうか、龍神さんは、水の神さまだから、海の神様でもある。
だから、日本の海の神様の名前ということか・・・

なんて、冷静ではいられなかった。

僕の本名とうりふたつなのだ・・・

う〜む。

なんと、翌9月9日は、年に一回のお祭りの日となっている。。。

これはもう、呼ばれていると思った。。。

翌日は、予定があったから、5時前に起きて、早朝の電車で江ノ島に向かった。

小雨だったけれど、さすがに水の神様だから、雨で歓迎してくれているのだ。。。笑

江ノ島は、聖地らしい独特の気に満ちていた。。。
なんとも表現が難しいけれど、ちょっと生ぬるいような妖気を感じるというといいかな。。。笑

ちょっと、気持ち悪げな感じ、それでいて、神秘的。。。

日本の聖地は、そんな気を持っているところが多い様な気がする。


そんなことで、お参りした来たわけだけど、

後から友達が、アーヴィン・ラズロー博士曰く、

2009年9月9日9時のフォーナインで、世界は変わると言われていたそうだ。

僕もここのところ、身辺の変化が大きく、とても浄化されてきているように感じてるし

僕が本来やるべきところに、どんどん道が開けてきているようだ。

これはまさしく、弁天さまのお導きと龍神さまの庇護のもとにあるのだと信じ。。。

今後も精進していこうと誓ったのでした。


そして、今日、東京から帰ったけれど、
岐路、米原で新幹線を降りて、長浜に行き、
そこから船で、琵琶湖の弁財天、竹生島に行ってきました。。。。

なんとなんと・・・
竹生島のお話しは、次回へと続くのでした。。。

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9月 12, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 2日 (水)

シャーマンの世界

僕は、昔からなぜか、シャーマンの世界にとても興味があった。

いわゆる呪術師だ。

子供の頃、久米明さんの独特のナレーションで、
素晴らしき世界旅行というのがあった。

この番組では、世界中いろんな地域を紹介する番組だったけれど、
とりわけ、アマゾンやアフリカの原住民の世界に興味を持っていた。

その中で、必ず登場するのが、シャーマンだった。

怪しげな呪文や薬草、何かにとりつかれているような異様なダンスや錯乱。
そうして、病気を直したり、霊的存在からのお告げを与えたりする。

子供の頃の僕は、この異様な風習や独特の世界の不思議さに興味を持ったし、
なぜか惹かれるものがあり、シャーマンって何だろうと、ずっと思っていたのだ。

シャーマンのことを具体的に知るようになったのは、20歳くらいだけれど、
シャーマンの世界について、とてもよくわかるのは、
マイケル・ハーナーの「シャーマンへの道」だ。

とっつきにくい本だけれど、読み出すと面白い。
マイケル・ハーナー自身が、シャーマンについて、様々な体験をして、
イニシエーションを受けていく課程など、とてもリアルだ。

この10年くらいで、シャーマニズムについて、実体験も含めていろいろと分かってきたけれど、
中でも、最近、素晴らしい出会いがあって、一気にシャーマニズムが深まった。

それは、京都在住のケヴィン・ターナーと友人になったことからだ。

ケヴィンは、米国バージニアのモンロー研究所という、多次元的世界や幽体離脱の研究を
している機関だけれど、そこでの国際認定トレーナーであり、
遠隔透視技術であるリモートヴューイングの先生でもあります。

ケヴィン・ターナーWebサイト
http://www.geocities.jp/exploremonroe/

中でも、ケヴィンが面白いのは、シャーマニズムについてのワークショップです。

シャーマンの世界では、死は忌み嫌われるものではなく、
本当の世界へ還っていく祝福されるものであり、
シャーマン的世界では、いま、僕たちが生きている世界は、本当の現実ではないということです。

ローワーワールド、ミディアムワールド、アッパーワールドと
三つの世界があり、僕たちが生きているいまの世界が、ミディアムワールドです。

シャーマンは、このローワーワールドやアッパーワールドを行き来して、
病気を癒したり、智慧を得たり、共同体に必要な情報をもたらします。

面白いのは、世界中のシャーマンが同じような考え方を持っている点や
5000年も1万年も続いているシャーマニズムが、

実は、最新の宇宙物理学が提唱する、宇宙の次元構造は約30次元くらいあるという話と
とても似通っていたり、モンロー研究所で、肉体から離れた意識体は、
いくつもの次元を旅するのですが、そこでも同じような次元構造となっているのです。

そうしたことから、意識的な世界は存在し、僕たちがいま、この世界を現実と
考えているように、多次元的な世界もまた現実なのだと思うわけです。

そういう視点で見れば、死後の世界も当然のことだし、
輪廻転生も自然な原理と言うことが見えてきます。

そんなケヴィンがスピボイで登場します。

来週、7日月曜日には、アップできると思うので、お楽しみに。

とても、深い深い、本一冊分の価値ある内容だと思います。


また、ケヴィンは、独自にワークショップもやっていますが、
岡山で、ケヴィンの半日セミナーをやる予定です。

日程はまだ決まっていませんが、9月26日か27日の予定です。

ご興味のある方は、ぜひ、ご参加ください。

死後世界やシャーマニズム、多次元世界について
興味深いお話しが聞けます。

また、実際に、ドラムを使って、シャーマニックな儀式による
意識の旅を体験していただきます。

僕自身、体験しましたが、とても面白くて、
ネイティブアメリカンがいう、あなたのパワーアニマルに出逢うことができるかもしれません。

乞うご期待!

9月 2, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月12日 (水)

魂って核があると思ってたけど。。。

魂って、自分の存在の中心だと思ってた。

基本的には、自分という存在の座であり、中心ではあるんだけど

その魂の中心は、イメージ的には、ぽっかり空洞になっていて、

僕たちの3次元世界から見ると、ちょうどリングのようになっているみたい。

う〜ん、こんな何の根拠もないことを言っていいのかなあ。。。

まあ、証拠は何もないので、信じないでくださいね。

ただ、魂を理解するためのイメージくらいに思っておいてください。

そもそも、本質的な世界は、3次元的な空間世界ではないので、
リングという形態そのものでは表現できないのだから。。。
その段階で、ウソだよね。。。


まあ、理解のための手段として、リングの内側は、何もなくて、
ボイド(虚空)なんです。


Photo

でも、この虚空こそ、人間の知性を超えたバイブレーションの世界であって
そこは、人間には理解できないカタチで、満たされていて、
とんでもない情報量に満ちています。

以前、僕たちの銀河系には、1000億の恒星があるって書いたけど

そんな銀河が、宇宙空間には、1000億もあるらしいのね。

とんでもない数なわけで、宇宙の広がりってどんだけよって思うわけです。

だから、この情報量って尋常な意識で考えたら、
もう、人間の思考は、一瞬にして焼き切れてしまう、いや、存在が消滅してしまうほどの
情報量なんだと思うんだよね。

なんで、虚空なのかって、そこには理由があるってことです。

素人がプロ野球選手の剛速球を打てないように、
素人がF1を乗りこなせないように・・・

それぞれに扱えるレベルがあるということ。

僕たち、人間は、人間である以上、どんなに天才であっても、
たかが人間のレベルなんですね・・・宇宙の前では。。。

で、言いたいのは、そんな話じゃなくて。。。笑

そうそう、そのリングなんだけど、

そのリングは、受信機なんですね。

つまり、魂ってのは、思考があって、何か自分の根源的な意志みたいなものがあると思ってるんだけど、

実は、その根源的な意志は、全部、その虚空の中にあって、
そのリングの傾向が、それぞれの魂として意識的に知ることができる
意志の限界ということになるんです。


その意志の傾向を決めてるのが、このリング状の魂で。。。

それは丁度、テレビみたいなもの。

ある人は、モノクロテレビかもしれないし、ある人はハイビジョンででっかいプラズマテレビかもしれない。

そんでもって、ある人はスカパー!まで見えるかも知れないし、
録画も自在にできるかもしれない。。。

受信がすごくクリアな人もいれば、受信がうまくできなくて、
録画した映像を繰り返し流してる人もいるかもしれない。。。

国内のテレビは周波数が異なるので、見れないテレビもあるだろうし。。。

結局、情報はいつも発信されているけれど、
その情報をどうやってキャッチして、表現するかは、自分の魂の特性によるわけで、

ある人には、映る番組が、自分には映らないと言っても、それはその人それぞれの特性なわけです。

だから、魂そのものが受信機で、その受信機の特性がどう決まるかは、
これまで生きてきて、何度も何度も転生してきた中で、
本来の魂の軸に、綿菓子のように絡んで、創り上げてきた魂のカタチに従うわけです。

今生の人生は、自分で選んで生まれてくるそうですが、
僕もそう思っていて、でも、それをどう選んでいるかってのは、
実際に意志として選ぶと言うよりも、その傾向から結果的にそうなってるというのが近いニュアンスだと思います。

つまり、鍵穴のカタチにあったカギしか鍵は開かないわけでね。。。

そういう意味で、決まっているといえるわけです。


いずれにしても、魂がリングのようなもので、受信機であるというもののようなんだけれど・・・

3次元的に表現するのは、難しいね。。。


8月 12, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月11日 (火)

そこに全てがある

ロン・ハワード監督のThe Moonを見た。

http://themoon.asmik-ace.co.jp/

アポロ計画のNASAの記録フィルムとアポロ計画の宇宙飛行士のインタビューで構成されたドキュメンタリーだ。

アポロ計画で月には行っていないとする人たちもいるけれど、
僕は、行ってるでしょう・・・って思う。

行ってるか、行ってないかなんて、どうでもいい。

中には、地上のセットで撮影したものもあるとかも知れない。

それはそれで、何かそうしなければいけない事情があったんだと思う。

追求したい人は、追求すればいいとも思う。
ある時、事実が判明する。『やっぱり、スタジオでねつ造された写真がある』

かまわないじゃないか。。。笑


そんなことよりも大事な事実を見て欲しい・・・

宇宙空間にぽつんと浮かんだ地球だ。
とても美しくて輝く、宝石のようだ・・・


当時、1970年前後、世界の人口は30億人だった。。。

今では、70億人に迫ろうとしている。

わずか40年で、倍以上に増えている。

これは、驚異的なことだ。

1800年の世界人口は、わずか10億人。

古代世界から人口は増えていき、近代に入る前、
世界は1800年代まで、ほぼ10億人だったようだ。

産業革命以降の近代に入り、1930年には、倍の20億人になった。

日本も、室町時代の人口は、わずか、1100万人。
奈良時代は、600万人だったそうだ。

その当時の人口から考えると、他人とはいえDNAのつながりのある人もかなりいることだろう。

そうそう、地球の話。。。

そんな70億ちかい人間の命がある星も、
大宇宙の中では、チリにも満たない、小さな星だ。。。

僕たちは、目の前の出来事ばかりに目が奪われがちだけど、
そんな時。。。宇宙から地球を眺めてみよう。。。

すべてがひとつだってことが簡単にわかる。

大宇宙が神様だとしたら、神様自身、自分の一部である地球の存在を知らないかもしれない。
僕たちが、背中の細胞のひとつに、意識が向いていないように・・・

でも、僕たちは知っている。

僕たちが宇宙の一部であることを。

僕たちには、全てがある。無限の宇宙も、微細なミクロの世界も、
そして、元素を構成する量子よりも極小の世界も。。。

そこには全てがある。

宇宙は、ロシア民芸のマトリョーシュカのように、無限の入れ子。

でも、その全てがあってひとつの宇宙なのだ。

8月 11, 2009 心と体, 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

そこに全てがある

ロン・ハワード監督のThe Moonを見た。

http://themoon.asmik-ace.co.jp/

アポロ計画のNASAの記録フィルムとアポロ計画の宇宙飛行士のインタビューで構成されたドキュメンタリーだ。

アポロ計画で月には行っていないとする人たちもいるけれど、
僕は、行ってるでしょう・・・って思う。

行ってるか、行ってないかなんて、どうでもいい。

中には、地上のセットで撮影したものもあるとかも知れない。

それはそれで、何かそうしなければいけない事情があったんだと思う。

追求したい人は、追求すればいいとも思う。
ある時、事実が判明する。『やっぱり、スタジオでねつ造された写真がある』

かまわないじゃないか。。。笑


そんなことよりも大事な事実を見て欲しい・・・

宇宙空間にぽつんと浮かんだ地球だ。
とても美しくて輝く、宝石のようだ・・・


当時、1970年前後、世界の人口は30億人だった。。。

今では、70億人に迫ろうとしている。

わずか40年で、倍以上に増えている。

これは、驚異的なことだ。

1800年の世界人口は、わずか10億人。

古代世界から人口は増えていき、近代に入る前、
世界は1800年代まで、ほぼ10億人だったようだ。

産業革命以降の近代に入り、1930年には、倍の20億人になった。

日本も、室町時代の人口は、わずか、1100万人。
奈良時代は、600万人だったそうだ。

その当時の人口から考えると、他人とはいえDNAのつながりのある人もかなりいることだろう。

そうそう、地球の話。。。

そんな70億ちかい人間の命がある星も、
大宇宙の中では、チリにも満たない、小さな星だ。。。

僕たちは、目の前の出来事ばかりに目が奪われがちだけど、
そんな時。。。宇宙から地球を眺めてみよう。。。

すべてがひとつだってことが簡単にわかる。

大宇宙が神様だとしたら、神様自身、自分の一部である地球の存在を知らないかもしれない。
僕たちが、背中の細胞のひとつに、意識が向いていないように・・・

でも、僕たちは知っている。

僕たちが宇宙の一部であることを。

僕たちには、全てがある。無限の宇宙も、微細なミクロの世界も、
そして、元素を構成する量子よりも極小の世界も。。。

そこには全てがある。

宇宙は、ロシア民芸のマトリョーシュカのように、無限の入れ子。

でも、その全てがあってひとつの宇宙なのだ。

8月 11, 2009 心と体, 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 4日 (火)

人生はプロセスの連続・・・目的にはあまり意味がない

自分は人生で何がやりたいのかわからない人も多いと思う。

何がやりたいのか、わかっていると思うんだけれど確信が持てないという人も多いと思う。

何より大切なのは、

「あ〜、こういうことがやりたいな〜」とおぼろげながらでも持てること。

人生は、きっと何かをしようとしてこの世に生まれてくる。

何か、この世的に、たいそうなことをやり遂げようとしてくる人もいれば、

静かに暮らしてみようという体験をするために生まれてくる人もいる。

海外旅行で、ラスベガスに行くのが楽しいと思う人や
秘境に冒険旅行に出かけることを楽しみとする人がいるように、

日常から離れて、南の島で、なーんにもしない日々を過ごしたいと思って
旅に出る人もいる。

同じように、あの世から、この世に生まれてくるときに、
どんな人生を生きようかと、おおよそそうしたパックツアーなり
バックパキングな一人旅を選んでくることに間違いないと思う。。。

だから、旅に出るということに何も違いはないし、
旅人として、何の違いもない。

ただ、それぞれの旅の楽しみ方があるだけだ。

ニューヨークを楽しみたい人が、険しいジャングルを旅する人をうらやむことはないだろう。

次に行くなら、ジャングルというのは在るかも知れない。

でも中には、本当は、ジャングルも行ってみたかったけど、

ひとまず、ニューヨークかなあ。。。って旅に来てみて、
思ったのと違ってて、やっぱりジャングル行きたい。。。なんてのも在るかもしれない。

でも、そういうオプションも最初に計画してやってくるのだろう。

全てが筋書き通りとは行かないかもしれないけれど、
おおよその、旅程は決まっていると思う。


人生は山登りに似ている。

本当に登りたい山がある。

でも、その山は深く、険しく、もしかすると命の危険も伴うかも知れない。

本気で登りたいし、登る以上は生還したい。

だから本気になる。。。

本気だから、失敗したくないから、準備も怠らないし、
真剣に調査したり、いざ、準備ができてもなかなか踏み出せなかったりする。

その山について、調べれば調べるほど、自分には無理に思えてきたりするかも知れない。

でも、何か惹きつけられるし、呼ばれている気がしてならない。

実際に登り始めて、その山じゃないと思うかも知れない。

ほとんど、山頂に近づいて、そんなことに気がついたら、
もう一度、戻って、本当に登りたかった山を見つけることができるだろうか?

それとも、もう、登る体力や時間も残されていないかもしれない・・・

そうして諦めるだろうか・・・

多くの人は、そうして、人生の目標を諦めて、探し求めることもなく
無難な山に軽装で登り、うたかたの成功に納得してみようとしたり、
自分の山ではないことがわかっても、その頂まで登り
そこからは、真に登りたい山が見えても、
麓まで降りて、再度挑戦する体力も気力も残っていないと思ったりする。

ここで、あの山を眺めて、余生を過ごすのか。。。

人生はプロセスの連続だ。

結果にはあまり意味がない。

この山では無かったと、山を下りている時にゲームオーバーになるかも知れない。
でも、それでいい。。。
大切なのは、そこに向かおうとしたことだ。。。

自分がどこに向かうのか、実際に歩いてみることが大事だと思う。

その先に、目的地に着こうが着くまいが、それはエゴを満足させるだけだ。。。

考えてみれば、僕たちは、宇宙の意志の中を旅しているにすぎない。

宇宙の意志は、人間の知性を超えた目的めいたところに向かっているはずだと思う。

そこに行くには、人間の知性のレベルでは、到達し得ない目的地かもしれない。

そうならば、僕たちが目的と思っているのは、

豪華客船に乗り合わせ、その船の中で、自分の目的を達成しようと躍起になっているのと同じかも知れない。

いくら船の上を走りまわっても、

真の目的地にはいけないのだ。

ただ、何もしなくても、船は確実に目的地に向かっている。

そう、全ての人は、宇宙の意志によって、運ばれている。。。

だから、旅人に何の違いもないということなのだ。。。

8月 4, 2009 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年7月22日 (水)

すべてのことには意味がない

以前、ペルーのマチュピチュに向かうインカトレイルを歩いたことがある。

4日間歩いて、マチュピチュに行くわけだけれど

その途中に、いくつかの遺跡もある。

ある小さな遺跡に着いて休憩していると、
広場に大きな一枚岩があって、その岩の丁度、目線ほどの高さのところに
きれいな穴が開けてあった。

同行した仲間たちが、そこに額を当てて
「あっ、なんかピリピリする」
「おお〜感じる感じる」

なんていうので、僕は、そういうものを感じにくいというか、
以前は、実際に感じていたとしても、はっきりと、明確に感じないと
信用しないというような懐疑的なタイプだったから
渓谷を眺めながら、彼らを興味なさげに見ていた。

もちろん、人それぞれの感覚は大切にしたいし、
そういう感覚を認識できる人々が多いのも事実だ・・・

みんながいなくなって、なんとなく、自分もその場に立って
額を当ててみた。。。

僕はそういう男だ・・・笑

・・・・・・

何も感じない。
やっぱり・・・

そんなもんだ。。。

感じる人には感じるのかもしれない。
錯覚か、そう思いたいから感じるのかもしれない・・・


すると、ふとインスピレーションというか
概念が頭に浮かび上がった・・・

正直言うと、浮かび上がったと言うよりも
誰かが語りかけて来る感じというのが正確な表現だ。


「そんなことをしても意味はない」

どういうことかと思った。

僕は、その場から3歩ほど下がり、その穴を眺めた。

「それも意味はない」

なんだろうと思って、向きを変えてその場にしゃがみ込んだ。
すると・・・

「それでも意味はない」

頭の中には、言葉が聞こえるのではない。
概念でやってくるので、それを言葉にするなら、こういう意味といった感じだ。

もちろん、それを自分の中にわき上がってくる、自分の言葉としてもいい。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。

大事なのは、勝手にメッセージがわき上がってくることなのだから。

すると概念は、こう続いた。

「人間は何でも意味をつけたがる。すべてのことに意味はない」

そう言われた。

意味がよくわからないまま、なぜか何となく納得できたような気がした。

その後で、インカトレイルを歩く1時間〜2時間程度
そんな状態が続いたのだけれど、言ってみればチャネリングのような現象は
同じようなものなのだろう。


この時の出来事を含め、このメッセージはずっと頭に残っていて、
その意味を深く知るようになる。

言語学では、「意味」と「意味するもの」がある

例えば「木」を表現するとき「意味」は「木」という植物であり、大きくて、
葉っぱがたくさんついていてとか、説明できる

一方「意味するもの」は、木という言葉やtreeでもいいし、
木の絵や写真そのもののことだ。

ある現象を見て、みんなそれをそのまま受け取るけれど、
それについて、説明し始めると、口々に違うことを言い始める。
それは、その人の価値観に基づいて語るからで、

意味そのものが異なっているとは限らない。


この意味というものは、理解のために必要なもので、

そもそも、理解が必要かどうかが問題になる。

理解しないと行動しない。理解しないと何もしない。
そうやって、チャンスを何度も逃している。

理解できていなくても行動することはたくさんある。
クルマの仕組みを理解していなくても、運転したり。
パソコンの仕組みを理解していなくても、使っているものだ。

意味は、必要なときに、理解のために求めているもので、
それは、僕たち人間が、この三次元的な空間、四次元的な時空間で
意識を安定させるための道具に過ぎない。

五次元意識以上の世界では、いまの三次元意識的な意味は、意味をなさなくなるし。
その意味を用いて、理解しようとすると、パラドックスに陥ることになる。

あかちゃんや幼児の行動は、とらわれが無く、ある意味で五次元的だ。

予想外の行動や不可思議なことをさらりとやって、大人を驚かせる。

子供たちは、意味無く行動するものだ。

僕は、きっと、そうした行動の中に本質があって、
もっと上位の次元では、そうした中に、新たなカオス的な秩序が潜んでいると思っている。

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7月 22, 2009 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年7月17日 (金)

意識はヴァイブレーション

意識について考えること自体、パラドックスに落ち込むことになる。

それは、なぜかというと、意識は、3次元的空間プラス時間で

4次元的な時空間では、意識の本質は捉えられないからだ。

意識の本質は、5次元以上の世界にあって

意識の本質を我々の思考の時空間で捉えようとすることは

永遠に続くモグラたたきゲームで、答えはでない。

意識について、語るとするならば、

荒い意識と精妙な意識があるといえる。

わかりやすく平面的に、二次元波動で表現してみると

荒い波動は、Aのように大きな波となっている。

精妙な波動はBのように、細かなバイブレーションで表現される。

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人生の時間的長さを同じとするならば、という表現自体おかしいのだけれど、

なぜなら、時間は、一人ひとりが自由に創造できるものだから・・・

この話は、またにしよう・・・


仮に、同じとするならば、バイブレーションの荒い人は、大きなアップダウンがあるように

人生の中で、大きなトラブルが何度かある。

本当は、いろんなストレスがかかっていても、
そこに気づかず、また、見ようとしていない。

そのために、ため込んだネガティブなエネルギーが大きな現象を引き起こす。

意識が精妙になっていくと、こうした人生を激変させるような大きな問題は
起こらないかもしれないけれど、

実は、日々、もっと言えば毎瞬毎瞬、小さな感情の変化に気づくことになる。

意識が精妙になってくると、ネガティブなエネルギーをため込まなくなるので、

こうして小さな感情の変化を見つめながら、それを観察し、内省して、
うちなる自分へとフィードバックしていくことで、
より意識は精妙さを増していく。

荒い意識は、自分の感情の問題を、他人せいにしたり、自分で責任をとろうとしない。

自分の宇宙で起こる全ての出来事は、
自分自身の中で起こっているのに。。。

意識のバイブレーションが荒いと、波動のピークの数のように、

「知っている」数は、この山の数と同じ。
荒いと山の数は、例えばAなら5つ。

つまり、誰かのことを知ってるというのは、5つの情報しか持っていない、
いや、持てないからだ。持とうという意識もない。
バイブレーションが5つの山しか許容しないからだ。

だから、こういう人たちは、こうしたわずかな情報で人や物事について判断し、
そうしたものだと決めつけてしまう。

同様に、自分自身についても、知ろうとしないし、
知り得ることもできないということになる。

意識が精妙になってくると、Bのように小さな山が無数にあるように
この山は、いわゆる触覚、センサーのような役割をもつ

人についても、世界についても、物事についても
その微細な感覚を掴んで、たくさんの情報を瞬時に5時限的に把握して
理解することができる。

だから、その人や物事について、やたらに決めつけたり、判断したりしない。
判断しないから、比較もしない。

判断はできない、なぜなら、本質から見れば、その人や出来事の一時的な側面は
一時的な部分が現れているに過ぎないことを知っているからだ。。。

荒いバイブレーションは、川の上流の大きくて、ごつごつした岩のようなもの。

精妙なバイブレーションは、川の下流の丸い石ころ。

そして、石ころは、さらに丸められて小さくなって、

最後は、小さな小さな砂粒になって、大いなる海へと還っていく・・・

意識もそうして、大いなる中へと還っていくのだ。。。

7月 17, 2009 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年7月11日 (土)

マインドゲーム

マインドはゲームをする

ハイヤーセルフはゲームをしない

マインドは心

心は揺れる

ハイヤーセルフは揺れない

軸そのもの、本質そのものだから

心はハイヤーセルフにまとわりつく表現体

まったく定まるところがない

マインドを安定させようなんて試みることはナンセンスだ

あっちに振れれば、こっちに振れる

時計の振り子みたいに、心なんてそんなもんだ

そんな心によりどころをもとめてもどうにもならない

軸から離れれば離れるほど、揺れも大きい

軸そのものならば、揺れることはない

揺れることへの依存

依存は楽かも知れないけれど、常に影響を受ける

影響を受け続ける限り、本当の自分には近づけない

依存から全く離れるのは難しいかもしれないけれど

依存から距離を置くしか安住の地はなく、平和はやってこない

自立とは、自分自身であること、自分の道を歩くこと

影響は受けるけれど、選択の意志は何者にも渡さない

選ぶことはできる

マインドが揺れるのは、ゲームでしかない

ゲームは永遠に終わらない

ゲームそのものになれば、ゲームそのものを楽しめる

ゲームの中の駆け引きのどちらかなら、疲れ果ててなお
ゲームを続けることとなる

そろそろ駆け引きをやめよう

マインドゲームから離れよう

自分の軸に戻るのだ

7月 11, 2009 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

泥を落として楽になる


子供の頃、雨上がりの工事現場のようなところで、
地面は、あちこちに水たまりがあって、
そんなところで遊んでいたら、スニーカーに
だんだんと泥がくっついてきて、場所によってはぬかるみで
ズボッと足を取られてしまったりと、よくそんなことがありました。


あなたはそんな経験はないですか?


ぬかるみは、当然歩きにくいわけです。
泥だらけの靴も、重くて歩きにくい。


クルマでもそうですが、ぬかるんだ場所を走行するには
四駆や戦車のキャタピラーみたいなのが必要になったりします。
ぬかるみでも平気な乗り物があります。


これって、人間の魂も一緒です。

ぬかるみに強い魂とぬかるみに弱い魂があります。

クルマで言えば、速く走るための最高峰のクルマはF1ということになります。
しかし、このF1は、サーキットしか走れません。

法律の問題以前に、一般道は、ギャップや陥没、荒れた舗装や坂道など起伏に富んでいます。
F1は、サーキットという最高に整備されたコンディションで、
しかもF1が走れる基準を満たしたサーキットでのみ走行できるのです。

一般道で走ったら、車体の底部のアチコチをクラッシュして、
ほんの少し走っただけでも、車体を痛めてしまうほどデリケートです。

それに比べて、ジープのような四駆だったら、とんでもない悪路でも、
何とか走破できるかも知れません。

とても繊細で、その才能を100%発揮するには、
F1のサーキットのような、整備された環境が必要な魂もあります。


どんな環境でも生きることができる魂もいます。


でも、どれがいいというわけではありません。
それぞれがあると言うことです。

ぬかるみに弱い人は、ぬかるみをあるかないことです。
挑戦しても苦労するだけです。
ぬかるみをやめて、整備された場所に行きませんか。

そして、まずは、泥を落としてください。
するとスッキリして、楽になります。

世の中は、心の世界の象徴です。
だから、ほとんどの道がアスファルトになっているように
整備された場所もまたたくさんあります。

もう、ぬかるみを歩いて苦労することは必要ないと気づいてください。

いま、この瞬間を楽しいと感じるところを生きてみるのはどうでしょう・・・・

7月 9, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 8日 (水)

種の中に大木がある

ガンジーの言った有名な言葉に、

「種の中に大木がある」という言葉がある。

僕は、この言葉が好きだ。

どんなに巨大な大木も、はじめはたったひとつの種から成長する。


世の中には、偉業をなした人々がたくさんいるけれど

みんな、こんなことやってみよう、こんなことやってみたいって思って

そんな小さな思いの種を育てて偉業をなすわけだ。

はじめは、みんな小さくて、同じようなもの。

だから、誰だって始められる。

思いは、誰も同じようなものだ。

確かに違いはある。

そんな種を芽吹かせ、成長させて行くには簡単ではないかもしれない。

でも、それがどんな種かわかっていれば、

育て方も自ずとわかるだろう。

世の中で、まったく初めてというものなんて存在しないから。

何らか参考になるものはあるはずだ。

その種が、どんなものに成長する種なのか知らなければ、

育て方も難しいかもしれない。

育て方はそれぞれ違うから。。。

高温多湿を好む植物は、低温の乾燥地帯では育てられない。

みんなの思い、夢をちゃんと芽吹かせ、育てるには、

その種がどんな種で、どんな環境で育つものなのかをよく知っておくことは大事だろう。

あなたの種は、どんな種?

種の中の大木は、どんな姿なのだろう・・・


7月 8, 2009 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

マン・オン・ワイヤーを見た

以前紹介したマン・オン・ワイヤーを見ました。

いま、新宿高島屋のテアトルでやってます。

素晴らしいの一言

当時、世界一の高さを誇ったワールドトレードセンター
屋上411メートルもの高さに3センチにも満たない
60メートルものワイヤーを8回も往復し
45分間も留まっていた・・・

なぜそんなことをしたのかの質問に

「なんで理由が必要なの?ただやってみたかったそれだけだよ」

何かをするのに、みんな理由を求めがちだけど、
本当は、理由なんていらない。
やってみたいことを体験する。

これが、僕たちの生きている世界。。。

何よりも、この違法な計画を実現するために
どれほどの苦労があったか・・・

ただ単に、ツインタワーを渡ったわけではなく
入念な準備を重ね、そのシンプルな遊びに、
これほど情熱をかけられることが
とても素晴らしかった・・・

フィリップ・プティを始め、この夢を実現した仲間たちは、
みんな最高の芸術家たちだと思った・・・

ぜひ、見て欲しいな・・・

「僕は、これ以上できないと聞くと、それは違うと思うよ。
何事も試してみなきゃ。人生は、何でも試すことに価値がある。
何かをしても、常にまた次にすることがでてくる。
もし、比較しなくなったら、創造することをやめてしまうというような
話ではない。まず、他人を気にするんじゃなく、自分自身の夢に
向かっていくべきなんだ。そこには、数え切れないほどの
素晴らしいことが待っているはずさ」 
  
               フィリップ・プティ


いま、ロバート・ゼメキス監督がマン・オン・ワイヤーを題材にした、
映画を制作中らしい・・・

マン・オン・ワイヤー公式サイト
http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/


7月 7, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 5日 (日)

ここはどーこだぁ?

先日撮ったお気に入りの写真!

ここはどこだと思う?

エジプト?
パリ?
ニューヨーク?
ラスベガス?

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7月 5, 2009 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

ウルトラマンがいるから怪獣がいる

にわとりが先か、卵が先か・・・

ウルトラマンが先か、怪獣が先か・・・


怪獣がいるからウルトラマンが現れたのか

ウルトラマンがいるから怪獣が現れたのか

もし、怪獣がいなくなったら、ウルトラマンの存在価値がない

ウルトラマンという想念が、戦う相手にふさわしい怪獣を生み出してる

そうでなければ、ウルトラマンの価値は、公共事業の建設の手伝いや
災害現場での救助に活躍したり、平和のシンボルとして慈善活動をするのかな。。。

世の中に犯罪が無ければ、警察はいらない

フランソワ・トリュフォーの映画「華氏451」では
未来社会は高度に管理されて、火災が無くなり
消防士の仕事は、本を探し出して焚書すること

未来社会では、テレビ以外から一切の情報を得てはいけないということになっている

警察がいなくなったら、犯罪はどうなるのだろうか

本質的には、警察を必要とする恐れが、犯罪を生んでいる

怪獣もそうだ、人類を危機に陥れる怪獣が現れたら・・・

そんな想念が怪獣を生み出す

本当は怪獣は象徴で、みんなの心の中にある恐れというモンスターだ

ウルトラマンは必要なく、心の迷妄である恐れを消し去れば、怪獣は消えるのだ


救世主を求める僕たちは、同時に、僕たちの中にある罪悪感や
世界に救世主を必要とする問題があることを肯定して
現実に、世界の危機を生み出している

ウルトラマンが来なければ、怪獣も現れる意味がない

怪獣はウルトラマンに倒されるためにやってくる

怪獣の意図は何か?

怪獣の本意は何なのか?

人類を危機に落とし入れることによる、怪獣のメリットは何か?

彼らは、もしかしたら、人類の存在なんてわかってないのかもしれない

どう考えてもそんな知性は持ち合わせていないだろう

凶暴なその姿や行為は、知的な意図ではなく、突然、地球に現れて

パニックになって暴れているだけかもしれない

でも、どうやって、地球に現れるんだ。。。!?

怪獣が現れるのは、人類の想念によって引き寄せている

想念を解決しないと、怪獣をやっつけても
また、次の怪獣が現れるのだ

ウルトラマンがいないとき、初めて、僕たちがウルトラマンになるときが来る

人類の存亡をかけた叡智の結集こそ、真のウルトラマンの誕生の時なのかもね・・・!?

7月 2, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月29日 (月)

思いこみ

事実と妄想はまったく異なる。

僕たちは、妄想の中に住んでいると思ってもいいかもしれない。。。

みんな、こんなのあたり前だとか、これは常識だろうなんって言うけど

あたり前も、常識も本当はない・・・

何かを定義するときは、その尺度となる価値基準が必要だ。

その価値基準が何かによって、常識なんて簡単に変わってしまう。

温泉で、素っ裸でも公然わいせつにはならない・・・

混浴でもだ・・・笑

未開の民族は、芋虫だってへっちゃらで食べる。

奇怪な儀式も彼らには大切な日常。

戦場で人を殺しても、殺人罪には問われない。。。

自宅で爆弾をつくると犯罪だけど、

国家が核爆弾を作るのは、国を守るためという価値基準がある。

世の中には、もともと常識なんて存在しない。

そこに関わる人間同士の利害関係で成り立つ関係性の中に

自我を表現したい人たちの欲望の産物とも言える。

事実とは、ただそこで起こっていることだけ。

でも、そこに色をつけるのは、僕たちだ。

自分の中の勝手な定規を持ち出して、物事を判断する。

自分に都合が良ければGOOD!

都合が悪ければBAD!

都合の善し悪しは、自分が思い通りになるかどうか・・・

自我は束縛が大嫌い。。。要求も大嫌い。。。

わがままで身勝手なのが一番。。。やりたい放題の暴走機関車

でも、そんなことをすると、しっぺ返しを食らうと思いこんで、

恐れを抱くのも自我の面白いところ。。。

自我は、善悪の判断装置。

現世的に生きるための生存装置。。。

妄想の発生装置だろう。。。

妄想を手放し、事実だけを見てみよう。

妄想を感じたら、なぜ、そう思うのか、感じるのかを見つめてみよう。

妄想を手放すところに、平和と安らぎがあるのだ・・・

6月 29, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月28日 (日)

なすびの収穫

エリコさんの親戚でなすびを作っている農家があって、

うちから15分くらいのところ。。

ビニールハウスのなすびは、この時期が収穫の最後で、

後は、ナスの木!?を全部倒して、耕して、来年に備えるわけ

そんでもって、最後だからって、好きなだけ穫ってかえってってことで

毎年、この時期、いただきに行きます。

このナスは、千両ナスといって、この地域の特産で、

この辺りを走る広域農道を千両街道というくらい

あちこちで生産してる・・・


何しろ、ビニールハウスの中は、暑い・・・

Tシャツとかだと、ちくちくするからつなぎで・・・

もう、汗だっらだら・・・サウナ状態。。。

でも、いっぱい収穫しました!


スタッフや仲間、近所に差し上げますが、、、

当分は、ナス料理が続きそう。。。


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6月 28, 2009 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

最高の徳

すぐれた才能を持っている人が「道」に耳を傾けたとき、熱心にそれを行う。

普通の人が「道」に耳を傾けたとき、それを信じるように見えるが信じていない。

最も劣った人が「道」に耳を傾けたとき、大声で笑う。

笑わなかったら、それは「道」ではないかもしれない。

だから、『建言』にある。

理解しないように「道」を理解せよ。

そこから出てくるように「道」の中に入れ。

困難があるかのようになめらかに「道」とともに動け。

最高の徳は、徳でないかのようである。

全てを包む徳は、怠けたぶらつきのようである。

真の本性は空であるかのようである。

大いなる白は、黒であるかのようである。

大いなる方形には隅がない。

大いなる容器は、できあがるのが遅い。

大いなる音楽には音がない。

大いなる象(イメージ)は形がない。

「道」は隠れたもので、名前がない。

しかし、「道」はあらゆるものに援助を与え、

成し遂げるようにさせるものである。


老子の思想 張 鐘元 訳上野浩道
講談社学術文庫

6月 25, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月23日 (火)

1000億×1000億

「1000億」なんて聞くと、すぐにお金をイメージしてしまいそうだけど。


なんだと思う?


僕たちは、太陽をまわる地球に生きてる。

太陽を中心とした太陽系。
この太陽系は、銀河系を2万6千年という周期で1周するんだよね。
こんなの、どうやってはじき出したんだろうっていつも思う。

だって、この周期、マヤ文明とか、もっと古い古代インドのベーダンタでも
すでにこの周期がわかってたんだから。。。

いまでこそ、宇宙物理学者が科学的にはじき出すんだろうけど、、、すごいね。

僕たちの銀河系には、いくつの星、つまり、太陽のような恒星があると思う?


その数実に1000億もあるらしい。

もっと驚くべきは、そんな僕たちが暮らす銀河系のような銀河が、

宇宙には、なんと1000億もあるという。

1000億×1000億=100兆 ・・・気が遠くなる・・・

この数は、地球上の砂粒全部の数だっていうのを聞いたこともあるけど

そう考えたら、マネー経済でふくれあがった数千兆円というお金は
どういう量だって思うね。やっぱ、お金にいくか・・・笑

宇宙には、とんでもない数の星と銀河があるわけだ。

天文学的数字と言うけれど、宇宙の大きさは、人知を超えてる。

ドレイク方程式って知ってるかなあ・・・

1961年にアメリカの天文学者 フランク・ドレイクによって提唱された方程式

宇宙にどのくらい地球外知的生命体がいるかを推定する方程式で


とまあ、一見難しそうだけど、ようするに

N :我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数
R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
fp :惑星系を有する恒星の割合
ne :1 つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
fl :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fi :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fc :その知的生命体が星間通信を行う割合
L :星間通信を行うような文明の推定存続期間

ということです。

詳しくは、ウィキペディアでもご覧あれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドレイクの方程式

で、ドレイクさんは、宇宙に知的生命体は、1万ほどの知的生命体がいると言ってるらしいけど

かの有名な、アメリカの天文学者であり作家のカール・セーガン博士は、

カール・セーガン博士→http://ja.wikipedia.org/wiki/カール・セーガン

計算をやり直して、その数 100万 という数字をはじき出してた。

う〜む・・・

夜空に100万の知的生命体の住む星があるのかあ。。。。

どう思いますか。。。

やっぱ、思うんだけど、この宇宙には、地球人だけじゃないって・・・

そんなのあたり前だと思うんだよね。

まあ、だからといって、宇宙人が地球に来てるって話は別とも言えるけど・・・


僕は、UFOも信じてるし、それが地球製ってのもあるだろうし、

いわゆる宇宙人の乗り物ってのもあるんだと思う。

僕たちは、とかく、今の科学技術をベースにものごとを考えるけど、

そこがアイデアの限界、創造力の限界だと思う。

何しろ、地球より1億年先に進んでいる世界があったら、
いや、たった1000年進んでいる世界でも、

どんだけの科学技術を発見しているかわからない・・・

まあ、ほとんどの星がそこに行く前に、何度も失敗してるんだろうけど。

人生を生きる上では、実はそんな世界は一切関係ないんだけどね・・・

外の世界、外の宇宙よりも、内なる世界、内なる宇宙に全ての答えがある。

地球外知的生命体もいいけど、自分内精神的創造体を探してみる方が早いんじゃないかなって思う。

お金もかかんないしね。。。

やっぱ、オチはお金か。。。笑

6月 23, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月19日 (金)

知識では変われない

知識は何の役に立つんだろう・・・

世界は、確実に便利になったし、高度な科学技術で

僕たちは、わがままで快適な世界を創造してきた。

こうした世界を創造するために、知識はすごく役立ってきた。

知識は、論理的な思考に役立つ。

知識があればあるだけ、論理はより高度に、複雑になっていく。

知識は、内側にはない。

だから、本を読んだり、見聞きしたりして、知識を身につける。

すべて、外からやってきて、身につけるもの。

いわば、洋服みたいなものだ。

知識があれば、幸せに生きられる。知識があれば、注目される。
知識があれば、経済的に豊かになる。知識があれば、危険を避けられる。
知識があれば、人生をよりよく生きられる。。。

本当にそうだろうか・・・

知識は何のためにあるのだろう。

知識は、恐れから開放してくれるだろうか?
知識は、安心を与えてくれるだろうか?
知識は、人を癒すことができるだろうか・・・?


人はなぜ、知識を求めるのだろう。

知識は、時間と空間の中にある。
知識は論理を助け、論理は、知識なしにはなりたたない。

時間と空間は、四次元的世界であり、
知識と論理はそこでしか役に立たない。

五次元以上の世界での情報は、あまりにホロニックで、
僕たちが生きる四次元世界(空間と時間)では、表現することができない。

時間という概念は、瞬間が引き延ばされたもの・・・

瞬間を永遠に引き延ばしてできるひずみに時間がうまれる。

すべては、一瞬の出来事だし、永遠の出来事でもある。

本質世界そのものには、時間というものは存在しない。

そこにあるのは、バイブレーションだけ・・・

こちらの世界からはバイブレーションに見えるけど、
実際には、バイブレーションではない。

ただ、存在があるということ。

クルマは、運転免許を持っている人は、ほとんどの人が運転できるけれど、

ジェット戦闘機のコクピットに座って、
果たして、飛ばすことができるだろうか?

計器をみても何が何やらさっぱりわからない。
エンジンをどうスタートさせるのかすらわからないものだ。

多次元的世界とは、実はそうした世界。
それは、あくまでも我々の生きている四次元世界から見ると・・・

ただ、使えるパワーやアイテムに制限をかけているだけ。

死後、肉体的制限が外れると

あっなーんだ、簡単じゃんって
戦闘機のコクピットに座って、自由に飛ばして、扱える自分に気づく。

死を待つことなんてない・・・

制限を外せば、本質的な自由があり、存在がある。

自分は、クルマしか運転できないと思いこんでいるのは、

あなたの固定的な観念でしかない。

あなたの存在を解放しよう。

あなたを自由にして、あなた自身、内なる自分を解放しよう。


6月 19, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月16日 (火)

ネクター

植物の機能は素晴らしい。

どんなに適当に水をかけても、その水は必ず

大きく広げられた葉っぱを通じて、

その幹へと流れ、幹の下へと送られて

幹の根元に注がれていく。

葉っぱは、ただ光を受けて、光合成し、二酸化炭素を得て呼吸するものと

思っていたけれど、実は、水の流れをコントロールするデザインになっていたのは

これまで気がつかなかった。


植物は、無数のデザインがあり、湿気を好むものから、

乾燥を好むものまでさまざまだ。

僕は、アリゾナでよく見る乾燥帯の植物が好きだ。

葉とは言っても、針葉樹のようなかたちのものが多く、

肉厚があって、表面には薄い起毛がある。

乾燥に耐えるように肉厚があり、水分をため込んでいる。

そして、わずかな空気中の水分をキャッチできるように

針のようなかたちで表面積をかせぎ、起毛は湿度からも水分を逃さない。

薄い起毛のおかげで、葉緑素の緑が柔らかくなり、

全体にモスグリーンの味わい深い色彩となる。


植物を見ていると、そこに神の創造を見る。

それは植物だけではなく、動物もそうだ。

昆虫をみていても、素晴らしい。

先日、カフェでお茶していると、テントウムシのような小さな甲虫がいた。

よーく観察すると、すごいメカニズム。

規則正しく6本の脚を動かしている。

こんな小さな虫が、こんなメカニズムを持って動く。

どんなにハイテクを使っても、いまの科学技術ではこのサイズ精度では作れない。

こんな時、神の存在を感じざるを得ない。


話を戻そう。

畑の野菜たち、植物は、それぞれに、それぞれのやり方で、水を受け取る。

この姿を見ていると、僕たち自身が、宇宙から得るエネルギーの受け取り方を見てるようだ。

果たして、僕たちは、どんな葉っぱを広げて宇宙のメッセージを受け取っているのだろう。

神の存在を信じていない人にとって、その葉は広げる意味のないものかもしれない。

神を求めてやまない人にとって、葉は大きく広げられているのかも知れない。

しかし、現実として神そのものである僕たちは、そのままで、

自然な葉の広がりをしていて、きちんと自分の魂にそのエネルギーを戻していけるように

デザインされている。

だから、植物が、さまざまなかたちであるように

僕たちの魂も様々なのだ。

大事なことは、そうした仕組みとデザインがあるということを知り、

それを通じて偉大なる神酒(ネクター)が魂に注がれているということだ。

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6月 16, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月15日 (月)

田植え

友達のエリコさんの自然農法の田んぼの田植え

参加し始めて、今年で4年目。

要領はうまくなったけど、なかなか体力が必要。。。

初日は、苗床から苗をはがしたり

株を一本一本わけたりと、下ごしらえが大変。

なんとしても、すべて手作業にこだわるエリコさんなので

致し方なく文明の力に頼らず、古代農法のような

田んぼを一切耕さない、不耕起栽培。

苗床を外して、鍬で調整してたら、出てくる出てくる巨大ミミズ

20cmサイズ!

大変なのは、これから・・・草取りがなかなかM心をそそります・・・

里山の山間の小さな棚田で、今年はどんな稲が育つのだろう・・・

みなさんお疲れ様でした。

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6月 15, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月11日 (木)

そのままでいいって言えますか?

僕は、夢や成功を追いかけてきた時期があった。

あんな風になりたい。こんな風になりたい。

経済的にも、社会的にも成功して、影響力も持ちたいと思った。

やり方が分からず、いろんな本を読んで、いろんな知識を詰め込んで

知った気になってた。

いくらかは、うまく行ったように思うけど、

でも、現実は、僕が理想とした姿には、およびもしない。

なんで、思うようにいかないのか。。。

うまくいってる人をうらやましく思ったり、妬んだりもした。

でも、いくらがんばっても、理想には、なかなか近づけず

人も傷つけ、自分も傷つけて、大切な仲間も失ったかもしれない。

そして、ある時、気がついた。

自分がやりたかったこと、本当に求めていたのはそういうことではなかった。。。

でも、自分がやりたいこと、やりたいやりかた、
求めていたことを行って、生きていけるのかという恐れがあった。

それで、何度も、現実を見ようと、現実に戻ろうと、また、一生懸命頑張る。

でも、現実は現実ではなかった。

本当の現実は、自分の気づきの内にあって、そんな気づきを無視して、

それは現実ではないと否定してきた。

でも、逃げても無駄。進めば進むほど、その方向や選択肢は狭まって、

他の選択肢が少なくなってくる。

そして、振り返ると退路もどんどん絶たれてくる。

気がついたら、もう、その道しか残されていない。


結局、そうなるから、それまでに何をしてもかまわないし、
好きなようにやりたい事をやればいい。

でも、結局、なるようにしかならない。

だから、道は、どんな道を通ってもOK!

迷っても一緒。どの道選んでも、必ず約束されたタイミングで、
そこにやってくる。

だから、やってもいいし、やらなくてもいい。
どっちでもいい。

やりたいときにやればいい。
やりたくなければやらなくていい。

ずっと、何もしなかったら、必ず、何か動き出したい時が来る。

しんどく感じるのは、やりたいことをやっていないから。

本当に好きなことをやってたら、疲れを忘れて没頭するから。

僕は、昔は、夢や望みを叶えようと頑張ってきたけど、
そこに、僕の本当の望みはなかった。

ここにいること。自分でいることの安らぎや平安は、
とてもパワフルで、エネルギーがわき起こってくる。

何かになろうとしないこと。

何かにならなければいけないというのは、幻想。。。

自分である事の喜びは、すべての望みを叶えてくれる。

6月 11, 2009 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月10日 (水)

バゲージクレーム

人生に必要なものは、必ず向こうからやってくる。

ただそこで待ってればいい。

回転寿司のお寿司みたいなもんだ。

ターンテーブルになければ、注文してみよう。

メニューにあるものは、品切れでなきゃ、引き受けてくれる。

でも、大丈夫。

宇宙には、品切れなんてないんだから。

僕は、よく飛行機に乗るけど、

荷物を手荷物で預ける。

バゲージクレームで、荷物を待つのも人生を楽しむ、いいひと時だよ。

焦る必要なんて無い。

人生は、なるようにしかならないんだから。

他人の荷物がどんどんコンベアに乗って出てくる。

みんな急ぎ足に、自分の荷物を探して、受け取っていく。

まだ出てこないといらだっている人。

こういう人に限って、荷物が出てこない。

あげくに、ゴムのカーテンの仕切りの際までいって、

中をのぞく勢いで、待ってる人もいる。

でもね、そんなことしても、必要なタイミングでしか荷物は出てこない。

だって、コントロールしてるのはあなたじゃないから・・・

誰だって?

神様?

違うよ。

コンベアのスイッチを入れる係員と荷物をそこに載せる係員。。。

彼らは、それが誰の荷物だなんて、お構いなしだ。

だって、彼らの仕事は、コンベアを動かし、荷物をコンベアに置くだけ。

荷物が無くなれば、それも、彼のせいじゃない。

そこでいらだつのは、あなた自身だ。

いらだつ必要もなく、荷物が出てこないことを

担当の係員に言えばいい。

それだけで、解決に向かうでしょ・・・

あなたの荷物は必ずどこかにある。

無くなる可能性の方が圧倒的に少ない。。。

待ってれば出てくるんだよ。

そこにいるだけでいいんだ。

待っている時間をどう使うか・・・

そんな贅沢なひとときは、あなたの思い一つで自由に創造できる。


6月 10, 2009 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月 8日 (月)

PCの電源壊れた。。。

あ〜二度目の修理。。。

僕のPC・・・マックブックプロの電源が遂に壊れた。。。

バッテリーも元気で、
電源コードをつないでいればOKなんだけど、

電源コードを外すと、7分〜8分で、スコンッって、落ちる。。。

ウルトラマンのカラータイマーは3分・・・
カラータイマー鳴りっぱなしってこと?

これは、自分状態を象徴しているのかな。。。

電源コードつないでないともたない・・・・

バッテリーは生きてるのに、

それって、酸素ボンベ背負ってるけど、レギュレーター壊れてて
エアパイプをつけながら、海潜ってるのと同じ。。。笑

さあ、僕の電源は、どうなってるのだろう。。。

PCは、とても繊細だから、持ち主の意識状態に繁栄して、
象徴的なことが起こることが多い。

まあ、僕のマックは、僕のパンツくらい、身近なものだからね。。。

PC直せば、俺も治るか。。。爆

6月 8, 2009 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月 3日 (水)

マン・オン・ワイヤー

感動や美しさって、理由のないところにある。。。

ぜひ、見てみたい。

そして、みんなに捧げたい映画になると思う・・・

ありがとう、プティ。

あなたの生き方に、僕はとても共感するよ。。。

http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/index.html

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6月 3, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月26日 (火)

本の処分

いまの僕のテーマは・・・

「捨てる」ってこと・・・


いろんなものを捨てています。

心の中もクリアリングだけど、
何しろ、一番しがみついてたもののひとつは、本。

昨年も3分の1近くの本を処分したけど、

いま、さらに半分を目指して整理を始めた。

もう、考えてると捨てられなくなるから。。。

いつか使うとか、もう、そんなのなし。。。

だって、数年も開いてないんだし。。

そういう本は片っ端から、ブックオフ送り。。。

でも、ほとんどお金には、ならないだろうな・・・

まあ、いいけど、それが目的じゃないし。

本は、別に置いておいてもいいんだけどね。。。
ただ、もう、必要がないものをおいておくこと自体がね・・・

いつかやらないといけないので、

そうするとね、そのエネルギーの空いたスペースに、
自分に必要なものが入ってくる。。。

そういう意味で、関係性は、人間関係だけでなくて、
ものや場所との関係なども、ぜ〜んぶね、時々整理するのがいいようですョ!

携帯電話の中の、もう、おつきあいがないとか、
使ってない電話番号やその持ち主の名前。。。

ぜんぶ消してしまおう!

過去を消せば、今が際だつ。。。

全日本消去連盟・・・なんてね

消すことで、かなり過去がクリアになるはず。。。

やってみてはいかが?


5月 26, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月25日 (月)

畑の報告

現在の畑の状況。。。

すっかり、野菜も大きく育って、ほうれん草やレタスは、
日々、いただいてます。。。感謝!

もちろん、ウマイ!

アブラムシやよとうむしが出るので、
いろんな対策をしていました。。。

日々勉強です。

でも、ここのところ、テントウムシ部隊が大活躍。。。
援軍ありがとう。。。アブラムシをかなり撃退してくれています。。。

素晴らしい!

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5月 25, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

知ってるだろ。。。

何が必要で、何が必要じゃないか・・・

それを考えることが必要なのさ。。。


目の前のことは関係ないよ。

ただの現象さ・・・


いま、起こってることは、

ぜんぶ自分の中で起こってるってことだよ・・・


人生で、一番大切なことだって?

そりゃ、考えりゃわかるだろ・・・


知らないはずはないぜ・・・

旅しなよ・・・

5月 24, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月17日 (日)

空き缶にピースを入れよう。。。缶ピースじゃないよ!

僕は、人生結構いい線でやってきたように思っている。

それは、2つの線で・・・

ひとつは、いつも不自由なく、多少の波乱はあったとしても
それは、人なら誰でも少なからず経験する
そんな程度の波乱を経験しながら、人生をここまで来たこと。

もう一つは、精神的な探求が年を重ねる毎に深まってきていること。
問題は、行けば行くほど、未知なる世界が待ち受けていることだけど、

結局、最近わかってきたことは、これって何だろうって探求は、
本質的なことを探求するには、まったく逆効果だってこと。。。

最近、いろんな出会いがあって、
例えば、旅先で、見知らぬおじさんやおばさんと出会う。

あ〜、このおじさん、どんな生活してるのかな・・・って。

話をすると、ふ〜む、この人深いなぁ〜って感じることが多々あって、
それは、誰しもそういう体験があると思うけど。

僕は、そういうことにいつも目を向けているから
ほほ〜う。。。。なんて思うのだ。

世の中には、本を書いたり、講演をしたり、大学の先生だったり、
評論家だったり。。。いろんな知識人や博識、聡明な人々がたくさんいて、

何か問題に出くわすと、そうした識者の意見やアドバイスをもらうのが常だけれど、

僕は、それはそれで、個人の自由なのでいいと思うけど、

自分に問いかけるということは、
みんな中々していないものだなって思うんだ。

自分は本当はわかってるのに、それを自分では、わかってるって思いたくなかったりね。

誰かにアドバイスしてもらって、
それがもし上手くいかなかったら、その人のせいにするかどうかは別として、
少なからず、自分で責任を追わないというところに逃げやすくはなるよね。

世界中のほとんどの人が、フツーの人々。

でもね、そういうフツーの世界に、実は真理が隠されているって
僕は信じてる。。。

だから、僕は、そういう普通のおじさんやおばさんの話にハッとすることが
最近多い。


インドを一人旅したとき、あっちでは、う〜む、ホームレスっていう言葉は、
インドでは、使えないなあ。。。文化的に。。。
言葉はよくないかもしれないけど、物乞いをしている人たちが、ものすごくいる。

物乞いをしている人たちにもいろいろあって、結構、身体が不自由な人たちが、
社会的な保護を受けられずに、そういう人生を歩んでいる人も多い。

駅の近くや観光客が集まるような所には、本当にたくさんいる。
そこに、そんなに、豊かじゃないだろうおばちゃんやおじさんが、
通りすがりに、彼らの空き缶に、1ルピーをチャリンって入れるんだ。

おばちゃん、おじさんはこう思ってるそうだ。
神様はどんな姿をしているかわからないから、
機会があれば喜捨するんだって。。。

目の前に物乞いをしている人がいるからって、あっちへ行けって、うっとうしがる人もいるけど、
実は、その乞食が、神様の化身だったりする。

それは、実は、別に物乞いをしている人じゃなくても、
みんなの周りにいる全ての人、そして、自分自身も
神様だったりするんだけど、そういうことを理解していないから、
神あらぬことをやってしまうのが人間。。。

この世界で、本当に大切なことは、
ロケットを飛ばしたり、政治をうまくすることだとか、
お金をたくさん儲けること、そして、世界を変えるために知的に考えることよりも、
それも、大事ではあるけれど、

そう、フツーで平和な暮らしの中に、
宇宙を見つけられることだと思う。

それも、これが宇宙だって、いちいち思うのではなくて、
心がいつもピースに満たされてることだって。

世界中の人たちの心がピースなら、
世界はピースだ。

小さなピースを、少しずつ集めよう。。。

そして、ピースを感じてみようよ。

そして、ピースを1ピースだけ、誰かの心の空き缶に入れてあげよう。

神様は、もっと君を平和にしてくれるはずだよ・・・

5月 17, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月29日 (水)

う〜む。。。かわいそう。。。

畑の野菜は、順調に育っています。

といいながら、どのくらいの成長度が順調なのか、よくわかって無いんだけど、

たぶんうまく育ってくれていると思います。

今日は、大きくなりつつある野菜の子供たちを間引く作業をしました。

う〜む。。。これが、最初、なかなかできなくて、

どれも元気に芽を出して、成長しつつあるのに、

芽を摘むようで・・・まさしくそうなのだけど・・・

どれを間引くか。。。そのまま成長させてあげたいけど、
それでは、みんな大きくならないから・・・

こんなにうまく芽が出て成長するなら、最初から種を一粒一粒蒔いてみればよかった。

そしたら、スペース分、全部うまくいくんじゃないかって・・・

最後は、食べちゃうんだけど、感情移入しちゃいます。

というわけで、こんな感じ。。。


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4月 29, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月19日 (日)

と言うわけで

というわけで、あっという間に時間が経って。。。

畑は、すでに、芽が出たり、苗を植えたりしていますが、
一応、幸運の耕耘をお見せしましょう。

最近はまっている、ホームセンターで購入したつなぎ。
デザイン系短大時代に、工房でいつも、つなぎを着ていたんだけど、
それ以来のつなぎ。。。なかなかしっくり来ます。

小さな耕耘機を買いました・・・

スペースからこんなもんでいいかなと思っていたんだけど、
ふと思い出して、僕は、ホンダの耕耘機を買うのが夢だったことを思い出し。。。

しまった・・・と。
全然知らない草刈り機とかのメーカーらしいものを購入。
2サイクルでうるさい。。。

ホンダなら4サイクルで静かだろうな・・・
うちの芝刈り機は、フランスホンダの逆輸入。。。なのに。。。

でも、大切に使いたいと思います。

明日は、現在の状況を書けるかな?
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4月 19, 2009 心と体 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年2月22日 (日)

菜園づくり〜プロフェッショナル登場〜

前回、1日かけて芝生をはがしたのですが、
その後、はがした芝生がもったいないので、活用できないかと、
うちの庭で、お世話になってる庭師の三竿さんに電話しました。

すぐに、現場を見に来てくれて「これは大変じゃなぁ〜」と
菜園づくりの話をしていたんです。

で、いろいろと話していると、土も入れなければならないし、
これは少し、掘った方がいいねということになって、

結局、翌日、ユンボが登場することになりました。

ユンボというのは、いわゆるショベルカーです。

三竿さんのところの若い衆がトラックでやってきて、

さっそくユンボで掘り起こしが始まりました。

2009_0219ac

意外や意外、掘ってみると、たくさん土が出て、
結局、トラックで2回も土を捨てに行くことに。。。

なぜ、この土をそのまま活かさないかというと、
うちの庭は、表土はいいまさ土だったのですが、
10センチも掘ると、ガレや小石の多い土で、
スコップも、いちいち、この石にひっかかって、
上手く掘れないほどだったのです。

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それにしても、やっぱり文明の力です。
そして、プロフェッショナルです。。。

あっという間に、土が取り除かれました。

こんなことなら、なんで最初から、ユンボでいかなかったのか。。。
まあ、そうは思ってなかったので・・・
人生なんて、そんなことの連続だなあ。。。

次回は、質の良い土が入ります・・・・

2月 22, 2009 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年2月21日 (土)

本格的な家庭菜園プロジェクト

遂に、本気で始めました。。。

ずっと前から、作ろう作ろうと思いながら、
なかなか作れなかった家庭菜園・・・

ようやく重い腰をあげて、動き出しました。。。

10年以上前に、庭の一部に一坪ほど、野菜を作ったことがあったのですが、
どうにもこうにも、何も知識がないままにやって、
輪作もよくわかってなかったから、
病気になったり、虫にやられたり、もうさんざんでした。

ここ数年は、またまた、庭のほんの小さなスペースで
キュウリやミニトマト、ピーマンやキャベツなどをつくり
できは悪いけど、なかなかおいしい新鮮野菜を収穫していました。

が、しかし。。。

遂に、自慢の芝生の一部をはがし・・・

家庭菜園で、食料自給率アップに挑むことにしました!・・・笑

畑のサイズは、およそ、9坪くらいかな?

芝生をはがして土を入れようと思っていたので、
丸1日かけて、芝生をはぎました。。。

しかし!これでは土の深さが足りないのではということで、
いつもお世話になっている庭師のおじさんに登場願い、
ユンボを導入、結果、最後まで、おじさんに手伝ってもらうことに。。。

三竿のおじさんありがとう!!

そんなわけで、家庭菜園づくり、開墾編です。

この日は、春のような暖かさ・・・Tシャツで十分でした・・・
芝生をはがすのは、大変な作業だと気づくのは、もう少し後。。。
これだけの芝生も、いい値段するんですよ。。。

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カミさんと二人でやってますが、この辺りすでに、二人とも腰に来ています・・・

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休憩中、思い立ったように、芝焼きをしました・・・今の季節、風物詩・・・

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というわけで、ここまではがしました。。。
夕方までには、全部を除去。。。
そして、翌日、庭師のおじさんの応援を求めることに。。。なります。

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続きは、明日・・・


2月 21, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月17日 (火)

全てはひな形

世の中のすべては、象徴に現れる。

今回の中川外務大臣の記者会見には、強いショックを受けた。

一国の代表者が、あの大事な会見であのような姿を見せたことは、
とても信じられないし、信じたくない出来事。

でも、現実だ。

問題は、彼自身ではなく、彼という立場の人間が、
あのような姿勢で臨んだ背景に何があるのかが大事だと思う。

お酒か、薬かはわからないけれど、

いずれにしても、しらふではないわけだ。

いま、日本という国は、彼が象徴しているように、
どこか異常だ。。。

日本だけじゃない。。。世界は、これまでのパラダイムから
本格的に転換のピークを迎えようとしている。

旧世界の世界観や価値観で生きる人たちにとって、
新しい世界は、とても生きにくい世界になることは間違いない。

新しいパラダイムを生きるためには、
新しい価値観を生きるしかない。

いま、多くの人々が、その新しい価値観とは何かを模索し、
時代にうまく転換できないでいる。。。
その混乱が、今後ますます、現象として現れて来るだろう。。。

まず、できること。
それは、まず、今の価値観を手放し、起こりうる全てを受け入れること。。。

そこから新しい世界がスタートする。

旧世界の上に、新世界は築けない。。。

破壊と創造は、両方セットなのだ。

2月 17, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月27日 (火)

老子は深いね。。。さすが

タオってさ、老子が語った「道」なんだけどね。

道って(タオって読んでね)、宇宙の根源、万物の根源だって言ってるんだ。

Wikiから抜粋すると

「自然を観察すると、生命は循環しており、何か不足すれば、余っているところから補われて全体のバランスをとっている。ところが人間社会の制度は正反対をやっている。欠乏している百姓から高い税を取り上げ、すでにあり余っている君主に差し上げる。どこかの君主がその財力で、天下万民のために貢献してくれたら、有道の君主といえるだろう(天之道、損有餘而益不足、人之道則不然、損不足以奉有餘、孰能有餘以取奉於天者、唯有道者乎)」(馬王堆前漢墓帛書『老子』)

いいこと言うね。
さすが、先生!尊敬します!

道は、人間が考えたり、理解したりする範囲を超えていてさ、

そもそも、僕もいつも思うんだけど、人間が考える、もしくは、
理解するということは、実は、とてもレベルが低いと思うのよね。

だってさ、思考って、言葉で考えるじゃん。

言葉は、それはそれで崇高なものだよ。
でも、情報って言葉だけじゃないからね。

視覚も聴覚も、感覚も全部そうだよ・・・

だから、体験した事ってさ、絶対、言葉だけじゃ伝えられないじゃない。

言語なんて、コミュニケーションのわずか5%〜7%って言われてる。

そんなものだよ。

でもね、言葉も、詩人や俳人の言葉は違うね。

その選ばれることばと、文脈、紡がれる流れの中に、
宇宙があるよね。。。

それは、言葉が織りなす感性の扉が開かれてさあ、
暗号が、伝わる相手の感性を揺さぶるんだね。

そういう意味では、言葉も可能性は大いにある。

でも、感じるって事は、言葉にしにくいもんで、
無意識の中のフィーリングは、顕在化した時点で終わりだもん。

だから、理解や論理って、宇宙のレベルからしたらさ、
もう少し、感性をもって表現しないとね。。。

なんて、いいながら、言葉で伝えようとする僕はどうよ・・・?


1月 27, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

1万年に一度の進化がピークに達しようとしている・・・

僕の周りでは、昨年11月くらいから
会社やプライベート、その人自身に、いろいろな大きな変化を経験してる人が多いね。

たぶん、世界的にそうだったんじゃないかな。。。

僕は、とてもスピリチュアルな変革が何か起こったんだろうなって思っていて、
いよいよ、時空間的に本格的な変化が始まったんだろうと見ているんだ。

100年に一度なんていうけど、今回の世界経済の問題は、
もしかしたら、1万年に一度の変化のピークを迎えていると思う。

エベレストで言えば、いよいよ、無酸素単独登坂に挑まなければいけない時かも。。。

そのために、精神的な昇華がなされていないと、かなりきついだろうなって。。。

僕自身も、そういう意味では、すごく試されていて、
特に、エゴとの葛藤や波動の違う人との関係性の昇華が大きなテーマ。

これを納めて行くには、やはり、精神的な修行を、いま、スタッフとの関係や
パートナーシップ、自己探求において行っているんだろうなって。

面白いことに気づいたのは、自分という人間の顕在化していない存在としての僕は、

すでに、さなぎになっていて、蝶へと羽化しようと準備に入っている。
でも、意識化された自分というセルフの存在は、
社会と接しているので、その準備に間に合っていなくて、
その間で混乱が起こっているんだなって・・・

1月 27, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月21日 (水)

ハイテクとローテク

ずっと書いていなかったブログ

気になるというか、すごく忙しくて気が回らないというか、

仕事のクライアントや友達にメールしている時に、

あ〜。いいこと言ってるなって自分で思ったり・・・笑

そんな時、あ〜これブログに残したいなって思ったりする。

でもまあ、いいか・・・なんて、そのままになって、

そんな事よりも、日々の忙しさに流されて、大切なことを伝える

せっかくの機会をほったらかしにしているようにも思えたり。。。

昔は、ブログなんてなかったから、なかったら書けないわけだし、

メールだってあるし、届くから時間を割くことになる。

昔の人は、そう考えると時間がたっぷりあるよね。


この前、マウンテンゴリラのことTVでやってた。

彼らは、朝から木の実とか果物とか葉っぱみたいなのを食ってばかり。

食っては昼寝し、また食って。。。

夕方になるともう就寝モード。。。

彼らには、時間はたっぷりあるだろうね。


クジラだってそうだよね。

結局、コミュニケーションに最も人生の時間を費やしてるのは、人間かな・・・

でも、すごくローテクだね。

ゴリラもクジラも、電子テクノロジーは必要ないもの。

高度って、何を持って言うんだろうね。


人間のテクノロジーが高度だと思っていること自体が高度じゃない。。。

こうやって、毎日コンピューターに向かって仕事しているとね、

あー、ぜんぜんローテクだなあって思うよ。

僕が思ってることを、コンピューターが読み取って、

サクサクっと文章にして、メールして欲しいね。

そうなったら、メールもいらないか。

ノンバーバルで、相手にダイレクトにインスピレーションでつながる

最新のメッセンジャー・・・こういうのが高度っていうのかな。。。


高度ってのは、いまの地面からの距離だからね。

いまの僕たちの地面そのものが上昇しているから、そこからどのくらの高さが高度なんだろうね。

なことを考えている内に、オバマ氏が新大統領に。。。

黒人大統領が生まれたことは、本当に歴史的なことだね。

素晴らしい!

おめでとう!オバマ大統領!

そして、これから世界が受ける試練に、共に臨んで、

新しい世界を創っていきたいと思いました!

希望をありがとう!


1月 21, 2009 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月18日 (木)

世界の行方

原油が1バレル40ドルになった。

OPECが、過去最大級の原産を行い、ロシアやアゼルバイジャンも協調する。

放っておくと、まだまだ下がるということだ。

どこまで下がるのだろう?

今年の夏、1バレル147ドルの過去最高値を更新したわけだけど、

結局、100ドル以上下げ。

僕は、周りにいつも言ってたけど、
投棄マネーが、コモディティを押し上げているので、
これはバブルだから直に崩壊するって。

つまり、こんなに下がっても、取引できるわけで、
石油がないから、高くなっているわけではなく、
問題は、人間の限りなき欲望。

ついに、ドバイの不動産バブルも大暴落が始まった。

ドバイは、世界最大のゴーストタウンになるのかな?

あの818mもの超高層タワービル、ブルジュドバイも来年竣工の予定だけど、
どうなるのだろう?

このブルジュドバイ何かに似ている。。。。

世界の投棄マネーが集まり、崩壊・・・

今という時代だからこそ、本当に大切なことは何かを見つめて行かなくてはいけない。


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12月 18, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月17日 (水)

大切なこと

大切なことを思いだそう。。。

いま、大切なこと・・・

12月 17, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月10日 (水)

スタッフのスゴイ技

うちのデザイン会社のスタッフ、脇坂君が、すごい技を披露してくれました。。。
1秒でTシャツをたたみます!・・・実際には5秒くらいかかってます!・・・笑


12月 10, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月19日 (水)

上海行ってきました!

久しぶりに上海に、行ってきました。


13日から4日間、上海に行ってきました。

6年前に行って、今回で2回目。

友人のリエちゃんこと、平川理恵さんのコンサルタント会社
株式会社アコードコンサルティングが主催する、
中国ビジネス上海視察ツアーに誘われて、
誘われるままに、行くことを決めたのですが・・・笑

成長著しいといわれる上海を久しぶりに見てみようと、
行ってきました。

前回は、単に観光で行ったのですが、今回は、ビジネス視察ツアーということで、
とてもとても充実した旅となりました。

ここのところ旅といえば、モンゴルもそうですが、アリゾナやユタなど、
人のいないような場所ばかり行ってましたが、

上海は、真逆!

圧倒的な人の数と人のパワー!
そして、今、世界でもっとも発展し続けている都市に、
それも、ビジネスで行くというのは、どうした風の吹き回しでしょうか・・・笑

今回は、中国の東大もといわれるレベルの、上海の复旦大学の日本研究センターでの
中国ビジネスについての講義や貿易センターでの講義、
また、いろんなビジネスポイントの視察を中心に、

上海で活躍する日本人の起業家や大手企業のエグゼクティブとの交流など、
生の上海を味わい、情報収集してきました。

上海でビジネスでも!?

というつもりではないのですが、
そういう可能性をシュミレーションしてみながら、
ビジネス面での、上海との関わりをいろいろと模索してみました。

中国でビジネスをするというのは、簡単なことではありません。

それは、社会システムが大きく異なり、政治や文化、慣習の違いなど、
特に、政治的な仕組みが影響する場面も大きくあるので、

そういうことを前提に、ビジネスを考えて行かなくてはいけません。

しかし、そういう問題を超えて、可能性の扉を開けば、
大きなチャンスが広がっているのも事実です。

そんなかんなを見つめたり、この旅で出会った、すばらしい参加者の方々との
お話の中で、いまの自分のビジネスを見つめ直し、
たくさんのやるべきことが見えてきました。

また、人のつながりという大きなギフトも得られ、
収穫ばかりの上海ツアーとなりました。

今回のツアーでもっとも感じたことは、

「生きる」ということへの人間の底力でしょうか!

中国人、いや、上海人の生きるエネルギーに、圧倒されながら、
自分は、まだまだ、たくさんやることがあると・・・笑

眠っていた感性のシステムが作動したような気がします。

豫園という有名な観光スポットに行ったとき、
道路を横断していたら、僕にバイクがつっこんできて、
なんとか交わせましたが、接触しました。

あまりの無謀ぶりに、文句を言おうとしたのですが、
バイクのおじさんは、僕に何やってるんだといわんばかりに、
すごい形相!・・・笑

笑い話ですんでるけど、危ない危ない!

上海は、クルマ優先です・・・

交差点でも、目の前で、バイクとクルマの事故があり、
はねとばされながらも、起き上がって、降りてきたドライバーとけんかする女性など。。。

そういうパワーと言っていいのか・・・生きる力を感じたわけです・・・笑

上海は、成田からは2時間半。福岡なら1時間少々かな?

めちゃくちゃ近いのに、ここまで違うわけです。

いろんな意味で、ビリーフが書き換えられる上海・・・スゴ!


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11月 19, 2008 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年10月23日 (木)

宮崎へサーフトリップ

18日から昨日22日まで、鹿児島、宮崎へ

仲間たちとサーフトリップに行ってました・・・

気心の知れた、十数年来、一緒に波乗りをしている友達と
波を求めて旅をするのは、本当に楽しい時間です。。。

数日間、毎日サーフィンしました。

初日は、恋ヶ浦というポイントですが、
コンディションがよくない、とんでもないサイズの波と
川のような流れで、海に入ったものの撃沈。。。

招寿園というポイントでは、上手いローカルに波をとられ、
なかなか上手くいきません。。。

そして、北上し、宮崎市内にほど近い、
青島で、ようやくそこそこのコンディションでいい波をメイクできました。。。

昨日は、とあるリバーマウスのポイントで、
サイズのあるとてもいい、グフィーブレイクがあって

そこでも、バッチリ!最高のグーフィーをメイク!

仲間と一緒に入って、同じ時間、同じ感動を共有できるのは、最高です!

サーフトリップの面白さは、いい波ももちろん!
うまい地方料理に、うまい地酒。。。

やめられません。。。笑

出航
Sanflower

恋ヶ浦
Koigaura

招寿園
Shojyuen

ここは、名前は知らないけど。。。
Tonnsaki

Kuruma7

フェニックスの道・・・ベトナムみたい
Parm

青島で最後まで・・・
Umiagari6

金ヶ浜の朝
Kanegahama

金ヶ浜近くのリバーマウス
Img_7879

Minna9


10月 23, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月17日 (金)

オリーブの新漬け・・・その後

出来ました!出来ました!

オリーブの新漬け〜

いやー、バケツ一杯できました!

僕が、出張してたので、カミさんとおじいちゃんがサポート!

塩水を4%の濃度にして、いい塩加減。。。

味も、最高!

なーんだ、こんな上手いんだったら、もっと昔から作ればよかった!

買ったら高いよね・・・これ・・・

マティーニに一個入れるから、
何倍のマティーニが飲めるかなあ。。。飲まない飲まない。。。笑

オリーブ大好きな僕には、たまりません。。。

友達にお裾分けしなくっちゃ・・・


Olive


10月 17, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月12日 (日)

クエストカフェ初の1日ワークショップを行いました!

昨日、クエストカフェ初の1日ワークショップを行いました。

もともと、最低でも、1日または2日を必要とするワークショップだったのですが、

これまでは、その導入編というか、身近に感じてもらうために、

2時間のショートワークセミナーを何度かやってきました。


初の1日ワークショップなので、いろいろと予定通りには進みませんでしたが、

ご参加いただいた皆さんには、好評でした!
よかった!

このクエストカフェは、Spirit of Lifeをテーマに、
その人にとっての『人生を満たす生き方』を見つめていくワークショップで、

人生を旅と見て、その旅を、その人が、その人のペースで愉しみながら歩んでいけるように
人生の旅の必須アイテムを見直し、人生をどういうルートで、どこに向かって歩んでいくのか、

最終的に、どのように人生が満たされたいのか、
どういう見たされ方をしたいのかを探究していくワークショップです。


自分の望みは何なのか、自分の信じている世界は、どんな世界なのか?
自分という存在は誰なのかを、セッション形式のペアワーク、グループワークで見ていくものです。

その間に、いくつかのアートワークなども体験して、
普段使っていない感性の扉を開いたりしながら、
言葉に出来ない感覚を大切にながら、進めていきます。

そんな1日ワークショップでしたが、
僕たち(和田達哉&池内秀行)も、初のプログラムと言うことで
少々神経を使いました・・・笑

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。

僕たちも、とても刺激があり、勉強になりました!


次回は、10月24日(金)岡山と10月30日(木)東京・青山のショートワークセミナーです。

http://www.questcafe.jp/ShortSeminar/

内容も、毎回毎に深化していて、新たな内容も盛り込んでいます。

ご興味のある方は、ぜひ、ご参加ください。


10月30日(木)東京・青山のショートワークセミナーを終えて、
一度、ワークショップは休憩して、クエストカフェのコンテンツを煮詰めていく予定です。

また、来年の予定が決まったらお知らせします。

今後、クエストカフェ的、人生が満たされる生き方についての小冊子や
Webサイトのリニューアルや内容の充実、ポッドキャストなど、

さらに、来年に向けての本の出版なども、視野に入れながら、進めていきますので、

ぜひ、皆さん乞うご期待&応援ください!

今後とも、クエストカフェをよろしくお願いいたします。


和田達哉&池内秀行


10月 12, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月11日 (土)

オリーブの渋抜き

東京に来たらいきなりドタバタ。

ようやくオリーブの続き。。。

東京に出発する前に、渋抜きをしました。。。

見てください。。。笑

スゴイ格好!

なんせ、苛性ソーダで渋抜きするんだけど、
劇物で、目に入ったり、皮膚に付いたりしたら危ないんです!!

で、こんな格好!

でも、なのに、食品添加物なんだよね。。。どーゆーことよ!

でまあ、取りあえず、2%の苛性ソーダ液を作って、
ここに収穫したオリーブを入れるわけです・・・

するとすると、時間が経てばたつほど、茶色になって・・・

翌朝には、おいおいスゲー色。

真っ茶色だぜ!

この液体を、オリーブを空気に触れさせないように、

バケツの底から水を入れて、水を入れ替える。

数時間毎に水を入れ替えて、どんどん替えるわけです。

そうして、2日間。

もう僕は、東京ですが、カミさんとカミさんのお父さんが
塩水に漬けるところまで、やってくれました。。。

塩水に浸かった写真はまた今度・・・

洗ったオリーブ
Photo

これが苛性ソーダ
Photo_2

苛性ソーダを混ぜる
Photo_3

オリーブを投入!
Photo_5

で、こんな色に、この水を何度も何度も入れ替えます・・・
Photo_6


10月 11, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 6日 (月)

存在理由

久しぶりに、ターミネーター3を見ました。

後半のアクションシーンには、うんざりして、飛ばし見しちゃいました。。。笑

前半のクレーン車とのカーチェイスは、やっぱりカーチェイス史上に残る
圧巻のシーンだなって思います。。。

この中で、メキシコ方面に、主人公のコナーと名前忘れたけど、女性と
ターミネーターが逃げるシーンで、

コナーが「僕がいなくなったら、どうするのか?」とターミネーターに聞くシーンがあって、

ターミネーターは、「コナーがいなくなったら、自分の存在理由はなくなる」と

スカイネットとマシーンに対抗するレジスタンスである人間達が
ターミネーターを捕獲して、改造し、

ジョン・コナーを守るためだけに、現代に送られたサイボーグ。


僕たちの存在理由とは、何だろう?


T3_2003


10月 6, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 4日 (土)

オリーブの収穫

うちには、オリーブの木が3本あります。

娘が、1歳の時に、小豆島で買った40センチくらいの苗木で、
13年経って、2メートル50センチくらいの大きな木に育っています。

実がたわわになるようになって、8年暗い経ちます。

その頃、たくさんに収穫しました。

カミさんが、苛性ソーダを買ってきて、
あく抜きをしようと、放散をバケツの水にドバッて入れたら、
大量の煙が出て大変なことに・・・


僕が不在だったのですが、
パニックになったカミさんは、何を思ったか、消防に電話したのです。

それは、とんでもない煙の量だったそうで、
そのまま、バケツをひっくり返して、排水に流したら、そこからもくもくと
煙が立ち上がり。。。

消防は、事態を聞いて、大丈夫と言うことで、
煙も化学反応が終わったらすぐになくなったそうです。。。笑

人騒がせな・・・

そもそも、苛性ソーダ液は、2%程度の液でいいので
バケツ20リットルなら、400g程度。
しかも、ゆっくり少しずつ入れないと、爆発的な化学反応に。。。

それ以来、収穫しても。。。怖いと言うことで、僕もそのままにしていました。

なるがまま。。。

でも、今年、改めて収穫しようと思いました。

うちのオリーブは、漬けて食べるものと、オイルを取る二種類。

オイルは、絞るのが難しいので、そのままですが、食べられるものを収穫です。

また、加工するところもブログに載せようと思います。


Olive3

Olive1

Olive4


10月 4, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月29日 (月)

久しぶりの波乗り


ひゃー疲れた。。。

モンゴルから帰って、前回から約ひと月ぶりに波乗りに行けました!

台風も近づいていたので、ビーチの状態が心配でしたが、
意外に、サイズもさほどアップしてなくて、

風の影響で、コンディションは、悪かったけど、
人もいなかったので、仲間と貸し切り状態で、
結構、楽しめました。

午後には、場所を変えて、海底が深く、玉石がごろごろしている
僕たちがロックという小さな河口の湾に行くと、

波のサイズは今ひとつだったけど、
いい波が立っていて、ここも、今日はローカルフリーで、
貸し切りで、仲間たちと楽しめました。

再び、ウエットを来ていると、友人が、ウエットの腰の上部が
10センチくらい、さっくり切れているのを発見。

記憶にないけど、どうやら、自分のサーフボードのフィンで切ってる見たい。。。

どうなったら、ここに当たるのかわからないけど、
それしか原因がわからない。。。

一度、巻かれたので、その時かなあ。。。

裸だったらと考えるとコワァ〜!


ビーチでかなり、パワーを使ったせいなのと、
ここのところの疲労がたたって、雨だったせいもあり、
かなり、最後にはグロッキーで、疲れたぁ。。。

でも、やっぱり、海にはいるといいね。

仲間と子供みたいに、ひゃーひゃーと声を上げて楽しむ秋のサーフィン。

秋は、波もサイズアップして、コンディションもいいのに、
夏に比べれば、人もぐっと少なくなるので、
楽しい本格的な季節です。

9月 29, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月21日 (木)

懸垂

昨日は、ジムの日。

前日、3時まで仲間と飲んでいたので、
ちょっと、いやかなり、お疲れモードだったけど、

1時からトレーナー予約してたので、
身体と気持ちにむち打って、行ってきました。

トレーニングルームに入ると、いきなり、上戸彩ちゃんがいて、
ジムで会うのは2回目だけど、

おお!ラッキー・・・ってかんじで、一気に体調復活!

さすが、オロナミンCパワー!

それにしても、カワイイね。彩ちゃん

スピードトレーニングと言って、
トレッドミル・・・あのランニングマシンの大きなやつで、
ダッシュが出来るほど、高速回転するトレッドミルで、

インターバルランするのね。

10秒ダッシュ、休憩、10秒・・・

筋肉の神経系が張り巡らされて、キレのある身体になっていきます。

その後、ウエイトトレーニング。

で。。。昨日は、久しぶりの懸垂。

15回を幅を変えて、3セット。。。笑

こりゃきつい!

懸垂って、不思議で、やる前に、すごく恐怖を感じるのね。

なんでわかんないけど、なんか、波にまかれて、酸欠になって、
溺れる恐怖感に近いね。

もし、目標数に到達できなかったら、どうしようって、恐怖・・・かな?

思いっきり精神統一して、望んで、
最後は、かなり厳しかったけど、なんとかカタチだけやりきった。。。

そんでもって、今頃、方から上腕がすごい筋肉痛。。。

効いてる証拠・・・

明後日は、千葉の太東でサーフィン。

筋肉痛が、裏目にでなきゃいいけど。。。

8月 21, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月16日 (土)

オリンピック

昨日、オリンピックの女子バレーを見ました。

女子バレーは、予選の段階で、あー、面白いなあーって思って、
機会があると見ています。

僕は、基本的に、スポーツ観戦が好きじゃないんですね。

見るよりやる方が好きです。

どうも、ハラハラドキドキが、精神的にきついわけです。

手の届かないところで、相手にどんどん押されていったら、
もう、どうにもならない。。。そんなどうにもならない感じに弱いんです・・・笑

スポーツ観戦の醍醐味は、そういうところにあるんだろうけど。

ゲームは、最後まで勝負はわからない。。。

バレーは、何だか、安心して見れるんです。

みんなすごく実力があるし、安定してる。

それにしても、昨日のキューバはさらにすごい。

レシーブも、アタックも、ブロックも。。。

あれでは、日本も仕方ないかなと・・・
残念な結果だったけど、いい試合だったね。

一昨日は、女子卓球の団体戦を見ました。

愛ちゃんはみんな知ってると思うけど、
なかなかよかったのが、平野早矢香さん。

あの真剣な表情は、まるで格闘家!
ブルース・リーを見ているようで爽快でした・・・

お盆も終わり。。。

これからが、波乗りのベストシーズン・・・

やっぱり、スポーツは、やるのが一番。。。


8月 16, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月27日 (日)

腸内細菌

知ってましたか?

腸内細菌は、1キロから1.5キロも体内にいるらしいです。。。

スゴォ!

そのうちわかっているのは、20%〜30%の細菌で、
まだまだ未知の細菌がいるらしく。。。

人間の身体は、宇宙と同じように、神秘のベールに包まれていると言うことですね。。。

7月 27, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 7日 (月)

こんなシンクロってある?

今日も、仲間とサーフィンに行ってました。

一人の美容室のオーナーであるサーファー仲間が、
今日は、松山で講師の仕事で指導に行かなければ行けないと言うことで、

残念ながら、一緒に行けませんでした。

さて、高知は、中村で十分に波乗りを楽しんだ後の帰り道。

南国インターで食事をして、一路、高松方面へ。。。

四国道のたくさんの長〜いトンネルを抜けて、
松山道へ合流。。。

ちょうど、今回一緒に行けなかった友人の話をしていたその時。。。

もう、おわかりでしょう・・・

僕たちの車を追い越す、見覚えのあるハイエースワゴン・・・!

おおおおおっ!

彼だぁ!

彼も気づいて、僕たちの前に入り、ハザードランプ。。。!

もう、ビックリです!

お互いに、全く何の連絡も取ってなかったのですが、
高速道路の上で、しかも、僕たちは、高知。
彼は、愛媛の松山から。。。

もし、僕たちが、食事をしていなかったら。。。また、彼が違う時間に出発していたら。。。

どう考えても不思議。

速度も同じくらいだから、1分違っても会える確立は少なくなります。。。

それにしても、宇宙の遊戯に、驚かされたシンクロでした!

いいことありそう!

7月 7, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 1日 (火)

サーフィンの季節

サーフィンは一年中できるものだけど、
僕は、冬はやりません。。。寒いのは、いやなんです。。。

暗くて、冷たい海への恐怖感もあるけど、
分厚いウェットスーツも、矯正ギブスみたいで・・・笑

でも、12月頃までは、結構行けます。
海水温は、2か月遅れ・・・
だから、意外に、海は温かいんです。

一番冷たいのは、やっぱ、3月、4月・・・
気温が温かくなり始めて、期待感がある分だけ、
ショックも大きい。。。

自分が一番楽しいのが、何よりも一番!

そういう意味では、今の季節が一番いいね。

8月は、熱すぎて、きついもの。
9月は、くらげが出るし。。。

10月もわるくない。。。

でも、やっぱり、いまが最高・・・!

2008631robin


7月 1, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

Golden Power

5、6年前に、パリのシャンゼリゼにあるリドに行った・・・

その時に、ショーで見たとんでもない二人組。。。

Golden Power

先日、ハワイ島に行って、友人のデイビッドが、こういうの知ってる?って・・・

知ってるも何も、ここでもう一度見られるとは。。。

生身の人間はここまでできる・・・鍛え抜かれた肉体は美しい・・・
見るだけで、感動します!


6月 23, 2008 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年6月22日 (日)

心の旅

僕は、旅が好きだ。

特に、最近は、一人旅が多くなって・・・これは致し方ないのだけど・・・
子供が学校があって、昔のようには、家族で行けなくなってしまった。

だからといって、僕が旅をやめるわけにはいかない。

僕にとって、旅は、人生の一部だから・・・

これまで、いろんなところに旅して、もう二度と行きたくないと思った場所は、
いまのところない。

よっぽどトライアルな場所に行ってないからとも言えるけど。

いろんなところを旅すると、どこに行っても同じような感覚を受けることがある。
いや、受ける。

どこに行っても、どこに住んでも、同じだろうなって・・・

食べ物も違うし、音や空気、臭いも違うんだけど、
言葉も通じないところに行っても、数日、いや、数時間したら、
それが馴染んでしまう。

そんな時、あ〜・・・旅に来た意味ってなんだろうって思う。

言葉が通じないと、何だかコミュニケーションが消化不良になるから、
そこが、旅らしい感じを覚えたこともあったけど、
結局、言葉なんてコミュニケーションではわずか7%だから、
相手と議論したり、建設的な会話をするわけではないから、
日常的なことは、ゼスチャーや雰囲気でわかるものだ。

今、行きたいところ・・・アルゼンチン・・・パタゴニア。
それと、モンゴル・・・これは、すぐに行けるな・・・

なぜか、不毛の地に行ってみたい・・・それがパタゴニア。

モンゴルは、大平原。
どこまでもつづく蒼い大地を、馬で駆けてみたい・・・
来月行ってこようかな・・・
7月が一番いいらしいね。

遊牧民と数日過ごす・・・
シャワーなんてないだろうなあ。。。
温泉があるみたいだけど・・・
大草原の小さな温泉

そこで、夕焼けを見ながら・・・
たぶん、いろんなものが浮いてるだろうな。。。

そうそう、ボリビアにも行きたい・・・荒野

アメリカも荒野が好き。。。

以前、テレビで、鶴田真由さんが、
ボリビアの荒野で、シャーマンの儀式に立ち会って
涙を流していたなあ・・・

僕も、涙を流すだろうか・・・笑

久しぶりのブログは、久しぶりらしく・・・チカラを抜いて

6月 22, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 7日 (土)

ホヌ

昨日は、ウミガメと泳ぎました。

ハワイでは、ホヌといいます。

場所は、友人宅からそう遠くないプウホナウナウベイという、ハワイアンの聖地でもあるところです。

ここは、溶岩の岩場からアプローチしますが、
シュノーケルでダイブすると、海の下は、それは美しい魚たちの楽園です。

透明度は、やっぱり沖縄にはかないませんが、
それでも、相当キレイです!

またもや写真がないのが残念!

夕方に、とんでもない豪雨となって、クルマも前が見えないくらいの状態。
時々あるようですが、やっぱり、ハワイ島です。。。ダイナミック!

夕方からデイビッドのヨガ教室に行きましたが、
モーレツしごき教室ではないけれど、
少々ハードなヨガでした。。。。笑

身体がまだまだ硬く、ほぐしていかないといけません・・・

6月 7, 2008 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月 6日 (金)

日常のハワイ

ハワイというと、ワイキキや大型のリゾートホテルのイメージが強いと思います。

ハワイには、今回で、15、6回訪れていますが、
最初は、ワイキキでした。

ワイキキは、いまも結構好きです。

ずっと家族で来て、サーフィンをして、ショッピングを楽しんで、
のんびりという感じだったのですが、

その後、マウイ島やハワイ島を体験して、オアフとは違った島の魅力を知りました。

オアフ島の小さなリトリートに滞在して、
初めて、何もかも揃ったリゾート施設ではない滞在を楽しんで、
あー、こういうのもあるんだと知ったのは、
6年前くらいだったかなあ。。。

その後、ハワイ島に友人もできて、
ここ友人宅で過ごすのは、2回目ですが、
リトリートとも異なり、まったくの普通の生活の中に滞在しているので、
ごくごく日常のハワイを楽しませてもらっています。

彼らの日々の生活の中にいて、
友人が遊びに来たり、友人宅に一緒におじゃましたり、
そんなあたりまえの日常ですが、それでも、ここはハワイ!

毎日、爽やかで、清々しく。
鳥たちがさえずり、海には、珊瑚や色とりどりの魚たちがいます。。。

ハワイ島は、マウナケア、マウナロアという火山の島なので、
標高は、富士山より高く、普通に1000メートル近い海抜に住まいがあったりします。
1000メートルくらいになると、結構寒いです。

500メートルでも肌寒い。
ハワイは常夏というのは、海岸沿いです。
マウナケアにかかる雲のおかげで、ワイキキのカッキーンというような暑さはありません。

彼らの生活がゆったりしているせいもあるのでしょうが、
とても普段着のハワイが、ここに長くいたくなる理由のひとつなんだろうなと思います。

ハワイには、どこにでも、バケーションレンタルというレンタルハウスがあります。
コンドミニアムなんかもそんなもんですが、
キッチン付きの施設です。

とくに、バケーションレンタルは、普通の生活エリアにもあったりするので、
日常に近いハワイを感じることができると思います。

ハワイで、ゆっくり過ごしながら、
明日は何をする?なんて、計画せずに、
朝起きて、その日の気分でやることを決める。

そんな生活もたまには、いいのではないでしょうか・・・

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6月 6, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 4日 (水)

ハワイ島の家づくり

今日もハワイ島です。。。

今日は、お世話になっているディビッドのお手伝いに出かけました。

ディビッドは、建築家であり、設計から施工まで、
自分でやってしまう家づくりのアーティストです。

ヨガのマスターでもあります。

コナから南へ1時間ほどのマウナケアの溶岩地帯で、
友人のスコットの家を建築中。

その家づくりを手伝いに行ってきました。

昔、自宅の改築で、大工さんを手伝ったことがありましたが、
ツーバイフォーで、アメリカンな方式は初めて。。。

いろいろと指示を受けながら、
率先して、活動しました!

僕のカメラの写真はコードを忘れてアップできませんが、
ディビッドが撮ってくれました。

IMG_0002.jpg

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辺りは、木々はあるものの、緑は少なく、
でも、こういうところに住んでるんですねえ。。。
辺りは、火山の瓦礫だらけで、舗装されたところ以外は、
歩けるような場所ではありません。

でも、ガスが晴れたら、景色は最高です。

というのも、標高が1000メートルで、
写真では軽い格好をしてますが、ハワイとはいえ、
ここは、寒い寒い。。。

一緒に家を造っている、ジャックやスコットとふざけた会話を楽しみながらの
家づくりの1日でした!

いろいろと勉強になりました。

ちなみに、ここは水がないので、巨大なタンクを設置してあり、
雨水を利用します。
トイレは、もちろん水洗ですが、バイオで分解して、浄水し、
地中に染みこませる方式です。

電気はあります。。。

6月 4, 2008 心と体 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年5月30日 (金)

サンフランシスコ

サンフランシスコに来ています。

世界最高のデザイン会社と称される、シリコンバレーのIDEOに見学に行くためです。

プロダクトデザインで有名な深澤直人さんもIDEO出身です。

IDEOについては、本も出版されていますが、
彼らなりのクリエイティブな環境や経営の仕方など、
いろいろと実体を見てこようと思います。

IDEOは明日ですが、昨日、今日は、バークレーで友人翻訳家、
牧野美枝さんに会ったり、ナパバレーへとドライブしたりしました。

ナパの一番奥に、カリストーガという温泉があって、
そこで、一泊し、スパを味わってきました。

ここは、温泉を利用しての泥風呂が有名で、
天然の泥ではなく、それぞれのスパごとにオリジナルな泥風呂を提供しているようです。
おなじに見えるんだけど。。。笑

日本の天然の泥風呂と違って、
腐葉土に火山灰とかを混ぜていて、なんとも、身体を沈めるときは、
もう、気持ち悪い気持ち悪い。。。

でも、すっかり癒されました。

プールも3種の温度で、温泉になっていて、
これも、またよし。
でも、やっぱり温泉は、日本の温泉がいいなーというのは、
僕の個人的な感想です。

湯上がりは、畳でビール。。。これに限ります。。。笑

ナパバレーは初めてでしたが、一面ブドウ畑です。
ハイウエイで北上しながら、周囲がブドウ畑と、
ワイナリー。。。シャトーとは言い難いですが、リッチです。

写真をたくさん撮ったけど、パソコンに引っ張れない。。。コードを忘れた・・・

でも、ハイウェイが、あまりにみんな飛ばすので、
のんびりワインカントリーを味わいながらって感じではないんですね。

あー、景色がいいから、クルマを止めようと思っても、
後ろのクルマが、迫ってくるし。。。

僕も、飛ばす方だけど、アメリカは巡航速度早すぎ。。。
といいながら、昨年は、ユタでスピード違反・・・
今回は、バークレーで駐車違反。。。笑

帰りに、ソノマに行って帰ってきました。

ベイブリッジとゴールデンゲートブリッジをクルマで渡ったのは初めて・・・。

以前、歩いて渡ったのですが、自殺の名所なんですよね。。。

さて、旅は、まだまだ続きます。。。

5月 30, 2008 心と体 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年5月11日 (日)

投資の勉強

ここのところ、投資の勉強をやり直しています。

いろんな本をたくさん読んでいるうちに、面白い発見がたくさんあります。

どんな発見かというと、投資の勉強をしているはずなのに、
自然の法則や宇宙の摂理のようなものをかいま見てしまうんです。

投資と言っても、僕が研究しているのは、長期投資なのですが、
投資の世界は、不思議な周期性があるんですね。

この周期性は、歴史の周期性と同じで、妙なシンクロがあるんです。

また、投資は、株や債権、為替やコモディティ、金などといったものを購入するかたちで
お金を市場に送り出して、これらの投資物件が運用されるんですね。

ここで、また発見するのは、お金っていうのは、やはりそのものは実体がなくて、

あるのはエネルギーで、それがモノになったり、サービスというカタチになり、
それらを交換する一時的な信用証書みたいなものだと。

だから、お金儲けそのものには意味がなくて、
必要なものが、必要な時に手に入る、交換できるように

それは、エネルギーが留保されている場所があって、
それを引き出すための信用証書ということです。

それが、紙幣であれ、貨幣であれ、カードや銀行からの振り込みであれ。。。

例えば、携帯電話は、そのものの機能的な価値がそこにあるけれど、
その携帯電話の本当のエネルギー的な価値は、どこにあるんだろう。。。

それは、手に持っている携帯電話本体にあるのだろうか?

僕は、この時空間そのものには、実体が見える、実体として感じられる部分のエネルギーしかなく
本質的なエネルギーは、別の空間に存在していると思うのです。

物物交換できるなら、お金はいりません。
お互いが欲しいものが、その時にない場合に、お金を代わりに支払います。

しかし、いまでは、お金による交換システムが一人歩きして、
経済システムが出来上がっています。

魚3匹とかぼちゃ一個というように、
魚3匹をもって、本来は、必要なものを手に入れられるはずです。

そこにはお金は必要ありません。

お金も、魚も、かぼちゃも、本質のエネルギーを担保するものとしては、
同じものなんですね。
サービスも同じです。

そう考えたら、投資も面白いものです。

投資して、価格が変動するのは、見えないエネルギーの波が動いているようなものです。

そのエネルギーは、いろんなものに変換する万物の創造の源です。

潜在意識化ではすべて繋がっているといように、
エネルギーの深い部分に行けば、結局すべて繋がっている。

海が水を媒体として、繋がっているように。

海の表面は波として、リアリティになります。

僕たちという存在も、カボチャも、お金も、
全部、物質化したさざ波。

万物創造のエネルギーが顕現しただけです。

そう考えたら、あってもなくても、一緒と言うことですね。
すべては、つながりひとつと言うことだから、

投資でも、なんでも、すべては一所に行き着くんだな・・・・

5月 11, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 8日 (木)

久しぶりに・・・

GWは、仲間と高知へサーフィンに出かけました。

そこそこいい波が来ていました。

久しぶりだったので、身体がついていきませんでしたが、
なかなか楽しめました。

さすがに、この季節の紫外線は強烈で、
顔はすっかりこんがり焼けました。

水がまだ少し冷たくて、寒がりな僕は、ウェットスーツを着ていても、
朝イチに海に入る瞬間は、ちょっとガッツがいります。

入って、身体を動かすと、温かいくらいですが。。。

やはり、海パン一枚でできるのが一番気持ちいいです。

海に入っていて、ただ、波とシンクロしながら、自分の波を待ちます。

初日は、サイズが大きくて、アウトに出たら、
うねりで身体がアップダウンします。

僕は、このうねりの中で上下するのが結構好きです。

まるで、地球の呼吸とシンクロしているように感じるからです。

波が来ても、どれでも乗れるわけではなく、
自分のポジションに最適な波を待ちます。

そして、波に乗って、サイドに走ると、波との一体感を味わいます。
時折、波は止まったように感じる瞬間があります。。。
この瞬間が、永遠に続いたらどんなに素敵だろうと思うのです。

また、アウトに戻って、波を待ちます。

ずっと海の中にいて、ずっと海を眺めながら、
いろんな思いが、頭の中を去来します。

まさに、瞑想です。

海の中で、自分に向き合い内省する。

サーフィンの楽しみ方はいろいろあるけど、
僕にとってのサーフィンは、やっぱり、禅やヨガ、瞑想と同じです。

そして、ご褒美のライディングと最高の太陽の輝き。

だから、サーフィンはやめられません・・・

5月 8, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月29日 (火)

低炭水化物ダイエット

最近、東京でジムに通い始めました。

ヨガは自分でできるようにもなりますが、
ジムばかりは、それなりの機器が必要です。

LOHASの第一人者で友人の大和田順子さんは、
「それはLOHASじゃないわよぉ〜」などと申しておりましたが・・・笑

確かに、そうかも知れませんが、
ウェイトトレーニングで、身体に負荷をかけて強度を上げることは、
日常生活を少し楽にしてくれます。

僕が、やっているのは、プロのトレーナーについてもらって
細かな指導を受けながら行うのですが、
きめ細かに、希望を聞いてくれて、その目的に合わせて、
身体づくりを行います。

僕は、身体のキレが欲しかったこと、
身体的なモチベーションを高めたかったと言うことがあって、
いまのプログラムを行っています。

まだ、2週間程度にもかかわらず、
身体が引き締まって、すっかり、軽くなっています。

体重というよりも、身体が活性していると言いますか、
機敏になったというか、とにかく、動きがいいのです・・・笑

面白いのは、トレーナーの方が、ここは、筋肉を作りに来るところではなく、
筋肉を壊しに来るところです・・・と教えてくれたこと。

これは、なるほどと思いました。

筋肉は、破壊されて、再生するときに、強くなります。
筋肉のスピードをつけるためには、スピードトレーニングをやって
筋肉に、さらに、神経回路を育てます。

見た目重視のボディビルダーとアスリートの筋肉の違いは、
神経が張り巡らされているかということらしいです。

破壊された筋肉は、食事と自然治癒によって、再生し、強化されます。

だから、身体と筋肉を引き締めるために、
炭水化物や糖質をできるだけ少なくし、脂質は、基本的に避けます。

食べるのは、野菜とタンパク質だけ。

野菜も、根菜類や糖質の多いものは、食べません。

これを一月ほどやって、普段の食事に戻しても、
できるだけ、糖質を少なくします。

糖質は、タンパク質が分解されて、糖と窒素になって供給されます。

でも、実際にやると、結構、頭がぼーっとします。
基本的に、余分な贅肉のあまりない僕は、ダイエットとの必要もあまりまいので、
玄米などで炭水化物である糖質をいただいています。

それでも、ジムに行くのも久しぶりですが、トレーナーの指導を受けながらのトレーニングはいいものです。
自分でやると、三日坊主ですが、トレーナーがいるとやるきになります・・・

そう考えたら、ものごと何でもそうですが、
自主トレは難しいものです。これは大きなヒントになりました。。。

ウェイトトレーニングの効用は、骨粗鬆症にも効くようです。
筋力をつけると、そのテンションに合うように、骨密度も増えるようです。

さて、この先、サイボーグ化するのでしょうか・・・笑

トレーニングを行いながら思うことですが、筋力強化だけではなく、
やはり、ヨガによる心身の柔軟性が一番大切かなと思いました。。。

4月 29, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 6日 (日)

神様の宇宙

世界の人口は66億人。

この内、電気がない暮らしをしている人々は、20億人。
つまり、地球上の3分の1以上、3人に一人の人が、
いまだ、電気もない生活をしているのです。

僕たちの豊かさっていったい何だろうと思います。

世界で一番のお金持ち二人の資産をあわせると、
世界で最も貧しい国の予算、40カ国を集めた額に等しいそうです。

世界は理不尽です。

こんな話がありました、

ある人が、子供二人に、クッキーをあげようといって、

神様の分け方と人間の分け方どっちがいい?と聞きました。

子供たちは、すかさず、神様の分け方!といいました。

すると、ある人は、一人にたくさん、もう一人には、少しだけあげました。

多くもらった子供は、大喜びですが、
少なかった子供は、ずるい!といって、泣き出します。

神様は、いつも平等なんでしょうか?

この世界は、神様が創っている。

その真意を見つけることが、本当の宝物を見つけることなんだろうなって思います。


ところで、宇宙には、地球外の生命体っていると思いますか?

地球外知的生命体の探査で、地球外の知的生命体にコンタクトをとるべく、
電波を使って、様々なメッセージを発信したり、
宇宙からの電波をキャッチして、解析していますが、
いまだ、それらしき電波を受け取ることはできません。

最近わかって来たそうなんですが・・・

なんと、電波は、約1光年から2光年では、ほとんどが宇宙のノイズになってしまうそうです。
最も地球に近くて、生命のいそうな星にさえ、電波は届かない。。。

そう考えると、まだまだ、当分は、地球という宇宙のオアシスは、
僕たち人類と、生命という仲間たちだけということになります。

ちょっと寂しくも感じるけど、こんなにたくさんの命の仲間がいるということでもあり、
もっと、もっと、地球上の命の仲間を大切にしなくてはいけないなと思うのです。

いまの科学技術ではキャッチできない、または、コンタクトできなくても、
いつか、全く異なる科学技術によって、新しいコミュニケーションの扉が開かれるときが来るでしょう。

それは、まず、僕たちが、いまある生命圏をよく理解して、
本当に調和の取れた世界を実現するまで、お預けなのかも知れないですね・・・


4月 6, 2008 心と体 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 3日 (木)

行動の背景を見る

最近、ようやくいろんなことが見えてきたような気がする。

あくまでも、そんな気がする。

結局、何のためにしているのかってこと。

人生を深めるのは、何のためにしているのか・・・

みんないろんなことを言ってるけど、結局、言いたいから言ってる。

では、なぜ。言いたいのか。

言いたい背景には、何があるのだろう。

そこには、やはり言いたいというニーズがある。

発言や行動の背景には、必ず、その人のニーズがある。

発言や行動は、そのニーズと抱き合わせでキャッチし、理解しないといけない。

なぜなら、ごもっともな意見、理屈。

それらしい行動。

でも、その背景には何があるのかは、同時には見えにくいものだ。

だから、なぜ、そうするのかを哲学しなければいけない。

僕は、ものごとを素直に見ないあまのじゃくだ。

そういう僕も、やはり、感情の奥に満たされていないニーズがある。

素直に見ないわけではなく、物事の背景を見ようとしていると言う方がいい。

素直に聞くこと、見ることも大事だけど、

何でも素直に信じていると、痛い目に遭う。

そう、痛い目に遭わないとわからないことも多い。

何度、痛い目に遭えばわかるのだろう。

そこにも、ニーズが働いている。

あなたには、どんなニーズが潜んでいるのだろう。。。

4月 3, 2008